今度は実現するか、紛争40年のフィリピン・ミンダナオ和平

宗教・民族から見た同時代世界              荒木 重雄

今度は実現するか、紛争40年のフィリピン・ミンダナオ和平

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  イスラエルのガザ空爆をはじめ、昨今の国際的な宗教事情には許せぬ事態が多
いが、年末くらいは明るい話題で納めよう。それは、フィリピン南部ミンダナオ
島で、10万人を超える死者を出し40年以上続いてきた政府とイスラム系住民
との武力紛争に、ようやく和平への道筋が見えてきたことである。
 
  アキノ大統領率いる政府と分離独立を掲げるモロ・イスラム解放戦線(MIL
F)との間で、10月、同大統領の任期が終わる2016年までにミンダナオ島
のイスラム系住民が住む地域に「バンサモロ(モロ民族)」の名を冠した新たな
自治政府を樹立する合意が成立したのである。

 それにしても、これほどの犠牲者を出し、これほど長く続いた紛争の背景は何
だったのだろうか。

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◆フィリピン国家形成への悲劇◆
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 世界的探検家マジェランによって1521年に「発見」された北緯10度・東
経125度付近に連なる島々を、剣と十字架によって征服しようと企てたスペイ
ンが、幾度かの遠征隊を送り、ヴィサヤ諸島からマニラのあるルソン島にかけて
一応の支配を固めたのは、16世紀後半のことである。スペイン人はこの群島を
スペインのフィリペ王子(後のフィリペ2世)の島々として「フィリピナス」と
呼んだ。

 スペインはこれらの島々に、アシェンダ(荘園)の領主としてふるまうスペイ
ン人修道僧を頂に、スペイン人植民者、および、中国人移住者と現地の女性との
間に生まれたメスティーソやインディオと呼ばれた現地人の一部を支配層とする
社会を築き、住民に租税と強制労働を課しつつ、カトリックの信仰を広めていっ
た。

 スペインはさらに、南部のミンダナオ島やスールー諸島へも侵略を企てたが、
ここにはすでに14世紀以来、強力なイスラム社会が存在し、野望は容易には達
成されなかった。スペイン人植民者は、当地のイスラム教徒に、8世紀に北アフ
リカからイベリア半島へ侵入したイスラム教徒への敵意を込めた呼称である「モ
ロ」を当てはめ、幾度も大規模な遠征隊を送ったが、そのたびに撃退されたばか
りでなく、逆にイスラム社会から反撃を受け、スペイン支配地区がイスラム教徒
からの攻撃にさらされることにもなった。

 こうして報復が報復をうみ、以来300年間、「モロ戦争」とよばれる熾烈な
戦いが繰り返されたのだが、この間に、イスラム社会とスペイン人植民者のみな
らず、スペイン支配地域のキリスト教徒現地住民社会との間にも、ぬきがたい憎
悪と敵意がうまれることとなった。

 スペイン支配は1898年、米西戦争に勝った米国が2000万ドルでこれら
の島々を買い取ったかたちで、また、現地住民の独立運動の成果を掠め取ったか
たちで、米国に取って代わられる。米軍政の圧迫に反発するイスラム社会に米国
は、アメリカ・インディアン平定作戦で用いた皆殺し作戦で臨み、1912・1
3年のホロ島での凄惨な戦いを最後に、勇敢に戦ったイスラム教徒の抵抗もつい
に力尽きて、ここに南部イスラム社会は、はじめて北部のキリスト教徒社会と同
一の政治支配に組み込まれることとなった。
  現在につながるフィリピン国家の完成である。

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◆繰り返された鎮圧と和平努力◆
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 フィリピンはその後、日本の軍政と米国の再占領を経て、1946年、独立を
達成するが、南部イスラム社会はまた新たな苦難を迎えることとなった。
  フィリピン国家の権力はマニラを中心とする北部キリスト教徒平地民(クリス
チャン・フィリピノ)の手に握られ、南部イスラム教徒は偏見と差別にさらされ
るのみならず、ミンダナオ島では北部キリスト教徒がすすめる入植や農園、鉱山
の開発によって土地を奪われ、生活と社会、文化を破壊されることとなったので
ある。

 1965年に発足したマルコス政権下でこの傾向はさらに強まったが、72年
の戒厳令布告によって議会を通じての異議申し立ての道を閉ざされたミンダナオ
のイスラム青年たちは、モロ民族解放戦線(MNLF)を結成し、南部の分離独
立をめざして武装闘争を開始した。
 
  マルコス政権を含め、その後のアキノ、ラモス、エストラーダ、アロヨの各政
権とも、米軍と連携した掃討作戦をすすめる一方で、懐柔や和平を試みたが、い
ずれも不徹底さや欺瞞性から失敗を繰り返してきた。

 とりわけラモス政権の96年の和平協定では、南部4州を自治地域としてMN
LFのリーダー・ミスアリ議長をその長官に据えたが、一向に改善されぬ状況の
中から新たにモロ・イスラム解放戦線(MILF)が台頭し、2000年には政
府軍とMILFとの戦闘で約80万人の難民を出すに及んだ。これが今回、アキ
ノ政権と和平協定を結んだ組織である。

 さらに、アロヨ政権が取り組んだ08年の和平交渉では、ミンダナオのイスラ
ム住民を、独自の歴史と文化をもち自己統治を行ってきた人々と認め、そのアイ
デンティティと先祖伝来の土地や資源に関する権利を認めることを基本理念とし
たが、これはこの地域に利権を持つ北部キリスト教徒の実業家や政治家の猛反対
を受け、最高裁判所がこの交渉に違憲の判断を下したことから、和平じたいが葬
り去られることとなった。このときもMILFと政府軍との軍事衝突で約60万
人の難民が発生した。
  なお、冒頭に記した「バンサモロ(モロ民族)」の概念と呼称はこのときの交
渉で現れている。

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◆課題が多い和平実現への道◆
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 このような経緯を経ての今回の和平である。自治政府の実現には今後、政府と
MILF,国際機関の代表からなる移行委員会で詳細が詰められるが、政権側に
は、長引く紛争が国際テロ組織の温床になる懸念や新たな資源と市場への期待か
らの国際社会からの圧力、MILF側には武器や資金の入手先としてのアラブ世
界の変化などに背を押されているとはいえ、MILFの数万の兵力の武装解除や
憲法改正、また、この和平が既得権をもつキリスト教徒入植者や実業家、政治家
をはじめ、キリスト教徒を大多数とする国民一般の理解を得られるか、さらに、
ミンダナオの他の小武装組織がMILFの合意に従うかなど、課題はあまりにも
多い。

 付言すれば、日本政府は、国際停戦監視団への専門家派遣やMILF支配地域
のインフラ整備などに加え、日本国内でアキノ大統領とMILFエブラヒム議長
との極秘会談をセットしたなど、異常に関心を深めてきた。

 なお、フィリピン近現代史については、東南アジアではじめての民族革命とい
われる19世紀末のカティプーナンの蜂起や、米国占領下のメシア運動、日本軍
政期から50年代半ばまで日本軍追放と地主制打倒を闘ったフクバラハップ(抗
日人民軍)、60年代末から反帝・反封建・反ファシズムを掲げて闘ったフィリ
ピン共産党新人民軍(NPA)など、権力に抗して続く民衆運動の太い流れがあ
る。南部イスラム教徒の闘いもそれらと無縁ではない。

 (筆者は元桜美林大学教授・社会環境学会会長)

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