介護のはざまで

■北から南から

介護のはざまで          高沢 英子

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 午すぎ、1才9ヶ月の孫を預けている保育園から。子供が熱を出しているとい
う電話があった。急いで時間をやりくりして迎えに行く。幸い保育園は、住んで
いる団地の構内にあるので、脳梗塞の後遺症で手足に麻痺の残る私でも送り迎え
ができ、東京に移り住んで間もない昨年秋から預けている。
 都の認可は受けていない認証保育園で、行政の経済的補助は殆ど無い為、父兄
の負担は大きい。認可保育園だと、1人あたり一か月十六万円が必要経費と認め
られ、保護者の所得に応じた自己負担額を払えば行政で補助する仕組みだ。しか
し不可解なことに自己負担額のみでも16万よりずっと安いにも関わらず、保育
士の数も充分確保され、設備も世話も行き届いている。さらに対応はより柔軟で、
こちらの事情に合わせた配慮という点では比較にならない。
 
 43歳の娘が妊娠を告げられたのは2年前のことだった。娘は10代で関節リ
ュウマチを発症し30歳で結婚した。妊娠は14年目のことである。もとより望
んでいたことなので、喜びは大きかったが、身体障害の度合いは2級で、高齢であ
ること。現在も進行形の難病による障害のため、かなり大量の薬を飲んできたし,
将来も飲み続けねばならないことなど情況はかなりきびしいといわねばならな
い。不安と期待の交錯する中での出産決断だった。
 
 妊娠中に医師から高齢出産にありがちの子供の先天的障害の有無を検査する
かどうかの意思確認があった。長年の薬の飲用や、その他不安材料が無いとはい
えなかったのだが、夫婦で相談の末断った。検査の結果、流産してしまうケース
も確率は低いがあると聞いたからである。そして2004年8月、2400グラムと、
やや小さいながら、健康な男児に恵まれた。
 乳幼児が家庭で母親や肉親の手で育てられるのはきわめて自然なことである。
まして一切の社会参加を諦めて主婦として生き、ようやく母となった娘には殊更
その気持ちは大きい。しかし実際に直面した現実は深刻なものだった。生まれた
当初は京都に住んでいた。
 
 しかしこのような場合、保険所や福祉行政がある程度支援の手立てを講じてく
れるであろうと期待したのは甘かった。
 娘はすでに四十歳を超えているので、いつの間にか介護保険支援制度しか適用
できないことになっていた。だが介護支援の対象は基本的には老人で、家族の負
担の大きい人たちを介助するのが建前である。結果的に育児の面では福祉の支援
は無きに等しいことが分かったのである。
 30代を療養と生活を整えることに明け暮れて、ようやく子供を産むことの出
来た娘は、障害2級だが、40の大台に乗ったため、障害者支援は受けられず、介
護保険制度では子育て支援は受けられないというハザマで、子育てを始めること
になったのだった。
 
 娘は懸命に情報を集め、支援してくれる人を探した。薄給の身で、家のローン
もある。貯金はたかがしれている。夫の両親はすでに80歳の高齢で、色々支障
を抱えている。
 親切な友人たちと、脳梗塞後遺症と緑内障の母親だけが頼りである。民間の有
償のボランティアに支えられながら、手探りの育児の日々が夢中で過ぎていった。
毎日あらたなボランテイアを探したり時間調整をしたり、不自由な体で何度も福
祉施設を訪ねたり、保健婦さんや介護施設の人を迎えて話し合ったり、している
間に、どうしても昼間少しの間でも保育所に預けなければ、という流れが作られ
た。
 母親はできれば手元において支援を受けながら家で育てたいという意志をも
っていたが、事情が許さない。しかしこの方法も娘の体では数々の支障があり、
ようやく預かってくれる保育園が見つかったものの、僅か2ヶ月、それも大半は
休まねばならない状態で、とうとう退園した。子育てに関することだけでも、日
本の福祉制度のあり方の矛盾と意識の低さ認識のずれは大きく、いったいこの国
の大人たちは子供の将来をどう考えているのか、と目の前が暗くなることがしば
しばだった。しかしこの問題についてはまた別の機会に詳細に考えて書いて見た
い。

 とうとう京都では生後3ヶ月目に1ヶ月在籍しただけでやめてしまった。
数々のやかましい規定の中に、おむつは紙おむつ厳禁という項目があった。エコ
ロジーの立場からである。例外は認められず、娘は貸しおむつ屋をいくつか探し
出してお試しをした。その時ある貸しおむつ屋の若い営業係が、自分の体験とし
て話してくれたことがある。彼の若い妻が生後間もない女の子を置いて愛人のも
とに走り、子供は要らない、ということで離婚した。
 
 「ま、母親として子供を要らんいう女はもういい、という感じでね。僕も仕事
にかまけてほったらかしていたのが悪かったんですけど・・・」しかし日々成長
する赤ん坊を放って置くわけにはいかない。仕事もしなければならない。せっぱ
つまって保育所探しをしたが、急なことで、どこもいっぱいという返事で、引き
受けてくれない。一方で、母子家庭の子供は次々すんなり入れて貰っている。あ
ちらこちらの保育所に、片っ端から一時保育を頼み、転々とした挙句、遂に堪忍
袋の緒が切れた。ある日、保育所の門前で子供を抱きかかえて差出し、大声で怒
鳴った。

 「いったいこれどないしたらええ、というんや!所長を出せ!」こうして彼の
赤ん坊はようやくある保育園に入れてもらえることになった。無事にすくすく育
ち、「最近は生意気になりおって、親に説教するんでっせ」と嬉しそうであった。

 過日大田区の福祉課に出向いたが、窓口の前で若い女性が行列をしていて、部
屋の中はごったがえしている。長時間立ったり椅子に座ったりが不可能な娘は顔
色を変えたが、幸いそれは隣の窓口の案件と知ってほっとした。聞くと母子家庭
の支援申し込みに殺到しているのだという。母子家庭の恩典はいろいろあり、東
京都は取分け厚く、人の話ではわざわざ、その恩典を受けるための偽装離婚があ
とをたたないという。これも自助努力のひとつかも、と皮肉のひとつも言いたく
なる
 片方で堂々と自己主張する男女均等意識があるかと思うと、もう一方では母子
家庭厚遇の特典にひたすらすがろうとするこの意識の矛盾、笑い事ではない。自
立支援の美名のもとに,ばらまかれる税金と、それとはうらはらに何の支援も無
い父子家庭は貸しおむつやさんの例にもあるように、かなり惨憺たるものだ。

 娘が支援を受けている事業所で支所長が転勤になるということで挨拶にきた。
汗だくで声が嗄れてしまっている。小さなタオルを取り出して渡すと
「今度の支所はオーナーさんが多いので」と呟きながら、忙しいらしくせかせかと
帰っていった。後で娘と話し合った。
「オーナーさんてどういう人のこと?ビルの家主さんという意味かしら」
 「さあ、企業のオーナーということじゃないの」
 それと介護がどう繋がるのか、はっきりしないが、ご当人は緊張している様子
であった。

 ともあれ最近大田区でも事業所はどんどん潰れているという。
 現場の声はなかなか取り上げてもらえない。ただ法規を盾に現実を無視した非
人間的ともいえる要求や、規制を押し付けてくる。ヘルパーの仕事範囲はますま
す狭められ、手当ても減る一方だ。ヘルパーの仕事に行政が重箱の隅をつつくよ
うな介入をし、今年になって一段と締め付けが厳しさを増している。
 先日電話でそのことを話す機会があった。女性担当者は率直に不満を吐露した。
ヘルパーの手当てが削られ、仕事はやりにくくなる一方だ。現場の窮状を訴える
と「ヘルパーなんて家庭の主婦ばかりじゃないか。どうせ、食わせてもらってい
るんだろう」という返事が返ってきた、と彼女は憤慨している。現代の社会福祉
の世界で、役人のこうした暴言が、やすやすとまかり通るとは驚くほか無い。

 病院の食堂で昼食のうどんを食べていたら、同じテーブルの老婦人が、連れら
しい女性と話している。五年前車椅子を福祉のお世話で借りたのよ。補助があっ
て月700円の使用料で、という話で、いいと思って利用したんだけど、あなた、
もう五年よ。僅か700円ていったってとっくに元の値段を越えてるのよ。まあ
なんだかんだとうるさいことばっかり言うくせに、どこもかしこもこんな調子で
じゃもりなのよね。無駄なことばっかり!」
 
 介護保険制度が実施されてはや五年になる。予想を上回る利用者数の増加では
や破綻し始めている一方で、なんとかこの特典を取り込もうと年寄りをターゲッ
トにした業者の介護つき有料老人ホームの勧誘広告が目立ちはじめている。
 
 実は私も京都で一人暮らしをしていたとき、要介護1の認定を受け、週一度ヘ
ルパーさんに来てもらっていた。その当時でも病院の付き添いや、買い物同伴介
助は一切駄目で、仕方なく掃除その他の家事の手助けをしてもらっていたが、娘
が出産したあと、まだ仕事の合った私が、娘の家に泊り込めない日は、我が家に
連れ帰って乳児の面倒を見ることにして、ベビーベットその他を用意して週2日
ほど来ることになった。たまたま娘と乳児が来ていた日に、月に一度巡回して情
況を確かめサービスの調整をし、計画書なる物を作成しにくる監視役のケアマネ
ージャーが来合わせた。彼女は居間にあったベビーベットをじろりと見て、書類
に「基本的に独居ですね」といい、報告書に書き込んだ。
 
 娘が基本的とはどういう意味です?」と聞いた。{そのとおりの意味です}
「私は別にこんなところに住んでいませんよ。ただどうしても助けてもらわない
と子供の世話が出来ないので、母がうちに来られないとき、やむをえずこうして
私のほうから来ているんです」
 「分かりますよ。でもお母さんのお体も大変なのですから、あなたも「自助努
力」をなさらなくちゃあね」。
 思いやりのかけらも無いこの言葉に娘はかっとなった。ちょっとした遣り取り
のあと娘は言った。
 「でも、この国ではみんなが私のようなリュウマチ患者に、こんな言葉を投げ
るのはいつものことよ。ただ、福祉と銘うった仕事をしていて、あの態度は、許
せない」
 結局ケアマネージャーは、「今すぐにでもこのベッドは片付けてください」と
言い捨てて立ち去った。
 ちなみに行政はこの種の月一度の三十分程度の巡回と事後の書類作成のため
にケアプラン作成経費を1万円弱と計上して、事業所に支給する仕組みになって
いる。
 
 私は個人的に、我が家に、自分の孫用のベッドを置いておく事になんの不都合
も感じなかったので、ベッドはその侭にしておいた。間もなく最初から私の所に
週1回決まって派遣されていたSさんは配置換えとなり、よりきびしい仕事に回
された。どうやら、仕事が終わった後、子供好きのSさんが時々赤ん坊を抱き上
げたりしていたことを追及されたものらしい。突然来られなくなったことについ
てSさんから、お詫びの手紙を貰ったが、それまで築いてきた相互の信頼関係に
微妙な罅が入ってしまった。その後私のところには入れ替わり立ち代り違う人が
きた。掃除道具の場所、洗濯機の使い方等その都度一からの説明となった。
 
 80歳の友達の話だが、以前住んでいた家の隣のアパートで、90歳の夫が87歳の
認知症の妻の看護をしていた。ある日、ヘルパーが来て、老夫が始めていた洗濯
を引き継いだとたんに、洗濯機の中から老人のパンツや下着を引っ張り出し、ベ
ランダのコンクリートの床に片っ端から積み上げ「これはできません」と宣言
した。「あれ見てわたしゃ、たまげましたよ。介護なんて金輪際受けないと決め
た!」
 
 介護の建前はあくまでも独居ということであるから、「お風呂掃除?ご主人様
も入られますよね、それなら出来ません。トイレ?あのーご主人様もお使いです
よね」「ええ。」「じゃあ、サービス除外となります」
 44歳で子供を持った娘は介護を必要とすると認められたものの、家事労働や、
子育ては自助努力でどうぞ。病院もご自分で行って下さい。薬とりなんて行けま
せん、「湿布貼り?ええっと、それって医療行為ですよね。事業所に電話で、し
てもいいかどうか確かめてみますよね」、
 これは落語や漫才の台本ではない。国家が決めた介護制度という立派なシステ
ムの模範解答例である。
 
 結局娘は、両松葉杖をついて役所回りをし、免疫力の無い体で子供の風邪を貰
っては、肺炎を起こし、がたがた震えながら救急車を自分で呼び、不在になる為、
介護事業所にヘルパーサービスのキャンセル電話を病院のベットの上からかけ、
入院中の子供の世話、病院との連絡、家事一切を母親の私に委ね、留守宅に気を
揉みつつ苛苛して療養する。
無事退院できて家に戻ると間もなく「しばらく。」といってヘルパーさんがやっ
てくる、という段取りになる。京都では介護を受けていた私は、娘の夫の転勤に
伴って、娘の家に同居する羽目になり、東京住まいを始めたが、週一度ベットシ
ーツ交換や、部屋の整理をしたいので引き続き 介護を適用して貰えないか、と
頼んでみた。福祉課の返答は「娘さんのご主人は健常者ですね?じゃあお休みの
日にその方にしてもらって下さい」出向いていって事情を話したが、別室に通さ
れ「制度なのでご理解を」と態度だけは実に丁重である。
実は夫のいる娘の在宅介護も反則で、事業所はびくびくものらしい。この春から
一回2時間は1時間半に減らされた。現場の状況からみて、仕事の内容は減らせ
ないヘルパーさんは大忙しである。
 
 これらはほんの一例に過ぎないかもしれないが、この国はサラリーマン中堅層
を早朝から深更まで仕事に駆り立て、休日は乳幼児の世話を目いっぱい果たし疲
れた身で、姑の部屋掃除に携わる事を薦め、70歳を過ぎた母親には余力のあり
ったけを搾り出して子育て支援をさせる、という効率のよい?すぐれた構造を作
り上げ、ひたすら驀進している。しかし「一体この国はどこへ進んで行くのか?」
と問い掛けても誰も答えられない程社会状況も、子供をとりまく環境も劣化して
いる事実は覆いがたい。育児支援休暇も企業の姿勢や、景気の状況に左右され、
条件もまちまちで、事実上無いといったほうが近い絵に描いた餅みたいなもので
ある。
 さて孫は帰宅後40度近い熱を出した。こうなると在宅ヘルパーはキャンセル
して、娘と私と赤ん坊のいつものコンビでよろよろ病院に出かけるしかない。小
児科の診断では伝染性の風邪ということで、当分又気が抜けない。鬱積した諸々
の怒りはしばしば万事に付け鈍い母親にぶつけられ一騒動、という場も頻繁に起
こるが、これはプライバシーの範疇に属するから触れないで置く。
 
 行政にとっては衰えた老人や障害者、働く母親を支援するのは「優しい」とい
う言葉の大好きな人々にアピールするうってつけの仕事であろう。しかし、何事
も物事の本質に立って考えようとせず、哲学というものを持たないこの国の政府
のもと、末端の役人は法規制だけに拠りかかり例外は認める力が無い。体に大き
なハンディを抱えながら人間らしく生き、子供を生み育てるという実りある仕事
に立ち向かおうとする者を、年齢の尺度で切り捨て、支援する手段はなにも持っ
ていないし、その必要すら感じていないらしい。
              (筆者は東京都大田区在住)

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