■臆子妄論 

介護保険は日本の快挙か?      西村 徹


◇本質と現象―学者と評論家


  1月6日の「朝日新聞」、オピニオンというページ全面に「耕論」と銘打って、
加藤周一、上野千鶴子両氏の対談が出ていた。なかなかおもしろかった。おおま
かにいうと世界の現状を見るのに現役の大学教授のほうが報道記者風に今日的現
象を今日的に見ていて、老練の評論家のほうが歴史学者風に展望して本質を見て
いるところがおもしろかった。思考の遠近法が大学教授に希薄で評論家において
ダイナミックであるところがおもしろかった。三十歳近い年齢差によるところも
あるかもしれない。1945年以前を知ると知らないも大きいかもしれない。
  上野氏は21世紀の特徴として「アメリカ化というグローバリゼーションが進展
したこと」を挙げる。それに対して加藤氏は「グローバル化をアメリカ化の別名
と見るのはどうか」と疑義を呈し、「資本主義はそもそも無限に拡大していく性格
を持っていて・・現在は資本主義の中心がアメリカだから、(アメリカ的なものが)
グローバリゼーションに乗っているのだと思う」という。

上野氏は「市場化の波に、旧ソ連も東欧も中国ものみ込まれている。アメリカ
を牽制する力がなくなった」という。それに対して加藤氏は「その通りだが、中
国やインドが台頭し、アメリカの思うような存在にはならなくなってきているの
も事実だ」という。
  上野氏は「中国市場が好調なのはアメリカ経済のおかげだし。インドのIT産業
もアメリカのIT業界にがっちり組み込まれている」といい、「国際社会はアメリ
カ一極支配の方向に進んでいる」という。それに対して加藤氏は「中国やインド
をはじめ、国際関係では各国の潜在的な役割が大きくなってきている。一極化す
る傾向が強く出てきたと同時に、矛盾するようだが、それと並行して、多極化す
る傾向もかなり強く出てきた」という。

金融工学という拝金イカサマ賭博が破綻してアメリカの一極支配には大きく罅
が入った。それとひき替えに、中国、インドなど、これまで生産工場として急成
長してきた国々あるいはロシアなどの資源大国がいまや消費市場にも変貌するき
ざしを見せ始めている。それらの諸国がアメリカを経済危機から救い出すような
ことにならぬともかぎらぬ。そうなれば上野氏の現状認識は加藤氏の線に沿って
修正を迫られることになるかもしれない。
これだけなら、上野氏の所見がまるきり間違っていたというわけでなく、先の読
みがやや及ばなかったというほどのことですむ。この人の発想というか思考様式
がよくわかる気がしたというにとどまる。しかし、どうしても理解にあまる一件
があった。介護保険についてである。


◇社会的介護のあり方


  紙面右側に上野氏の主張を要約して「介護保険は日本の快挙」「草の根の福祉力
に希望」が大きな見出しで並んでいる。
  対談の終わり近くに高齢者問題が出てくる。上野氏は「日本に国民皆保険で介
護保険が出来たのは快挙だ。・・世界でも未曾有だろう」という。また「儒教的家
族主義の破綻を政府が認めた。そのことが大きい。介護保険は『家族革命』だ。
介護を他人が行う。家族に頼らない介護を常識化した」と息を弾ませる。
  それに対しては加藤氏とともに私も「家族に頼らない介護が達成できれば、大
いに国民を引っ張る旗印になるし、世界に向けて発信できる一つの価値観になる
と思う」。大きく女性の、「嫁」の座にある女性の犠牲において成り立ってきた儒
教的家族主義が崩壊して、介護が社会化されることを私も強く待望する。家族主
義が崩壊して女性が介護の負担から解放されるだけでなく、家族主義が崩壊して
老々介護を余儀なくされている男女もともに解放される。

そのうちの男の場合の幾例かを知人のうちに挙げうるが、ために老いに打ち克
ってなお健在の人もいる反面、現役社長時代ヒトラーとあだ名された男が、急に
夫人が寝たきりになって,たちまち介護夫たるの重荷に押し潰されて旧友をそれ
とも認知できないほどの、見る影もない痴呆状態に陥ったのもいる。
  しかし「だから介護保険が世界に自慢できること、希望の旗といえるかどうか、
私にはわからない」と加藤氏は留保している。「希望なしとはいえない。希望があ
るともいえない。『ある』と言いたいが、『証拠は』といわれるとつらい」と加藤
氏は結んでいる。それに対して上野氏は「将来予測は天気予報ではない。変えた
い方向に変える選択が重要だ」と、常に留保する加藤氏の煮え切らなさに苛立っ
て疳走る。勇ましくて歯切れもよいが、「介護保険は快挙」とか「未曾有」とかい
うには私もまたためらわざるをえない。というより大きく首を傾げざるをえない。


◇保険以外の選択肢


介護保険を最初に始めたのはドイツであって、日本はその先例に倣ったものだ
から介護保険は日本の独創ではない。独創でないから二番煎じだとはいわないが
形式上「未曾有」ともいえないだろう。言葉の勢いあまってのことではあろうが、
社会的介護を実現するための一つの選択肢にすぎないはずの介護保険を唯一かけ
がえのないもののように思わせてしまう点で「未曾有」や「快挙」は適当でなか
ろう。
介護保険を持たない国では社会的介護が保障されていないのであれば介護保険は
快挙と言いうる。しかし北欧のいくつかの国では介護保険なしで社会的介護は保
障されている。必要としないから介護保険がないだけである。むかし医学史を専
攻する友人が書いていたはなしを思い出す。コッホが結核菌を発見したときには
英国ではすでに結核患者が減少し始めていた。予防医学あるいは社会医学による
成果が細菌学に先行したのであるという。北欧における介護保険の不在は事情が
これに少し似ている。ただしコッホによる結核菌の発見は学問上必要を満たすも
のである点で、必ずしも必要とはされない介護保険よりはるかに快挙であったろ
うことも付け加えておく。

上野氏はアメリカの一極支配については悲観的に過ぎ、介護保険については楽
観的にすぎるようである。「介護保険は草の根の福祉の担い手によって支えられて
きた。希望は、彼らにある。しかも携わっているのはほとんどが女性と若者。こ
の人たちがプライドをもって働ける条件整備がぜひとも必要だ」というのはその
通りかもしれないが、介護保険のみが「女性や若者に雇用を作り出せる」わけで
はない。介護保険でなくても社会的介護の充実は「草の根の福祉の担い手によっ
て支えられ」うるし、雇用をも作り出せる。
  なぜ、このように保険という制度だけを鬼の首を取ったかのようにありがたが
って、他の可能な方法をまったく論外に締め出してしまうのか。「この人たちがプ
ライドをもって働ける条件整備がぜひとも必要だ」というが、現状はその逆に進
んでいることは明らかだ。この対談が新聞に掲載された日の1ヶ月前の咋年12月
9日、「高齢社会をよくする女性の会」は14万5千人の署名を集めて介護に携わ
る人の給料を一律3万円上げる法律を作れと訴えた。このNPOも介護保険を前提
にしているのだから上野氏のいうところと矛盾はしないのだろうが、労働条件整
備はただひと言掛け声だけですませて、いそいそと「希望は彼らにある」と祭り
上げてすむ現状でないこともこれによって明らかだ。


◇現場の声


  オルタにも寄稿している木村寛氏の夫人は社会福祉法人 中途障害者作業所「麦
の会」やNPO法人「ほのぼの介護ステーション」を長年支援してこられた。夫人
からつぎのようなメールを頂いた。

【(自己負担)一割を負担できない低所得者には単なる食堂のメニューでしかあり
ません。
  ちなみに我が家は認知症介護度3の(実)母の年金は2ヶ月で5万円あまり、
健康保険と介護保険と新年度から後期高齢者医療制度を支払うと持ち金がないと
利用できません。世の中にはそんな人が大勢居ると思います。
事業者はそれぞれ孤立していますので制度に従って右往左往しながら維持してい
るのが精一杯。雨後のタケノコのように発生した事業所は、人材が回らず、書類
と利用者に振り回され、今は自然に整理されていっています。大手の全国ネット
のようなところは別です。とにかく介護保険事業者は不正をしない限りもうかり
ません。】


◇天引き、自己負担、そして地域格差


  木村さんのご母堂のばあい年金は国民年金である。年金年額18万円超であれば
保険料は年金から差し引かれる。木村夫妻はいずれも市民税を課税されているか
ら、ご母堂の介護保険料は第4段階の61.100円である。その他の諸保険料を併せ
差し引かれると1割の自己負担分は依然として家族主義的に解決しないかぎり、
「食堂のメニュー」は指をくわえて見ているしかない。第1段階から第4段階ま
で無収入でも、生活保護受給者でも、おなじように保険料を天引きされる。
保険料を天引きされたうえの、さらなる一割負担がとどめの一撃になりかねない
貧者の存在に、介護保険至上主義者は目を向けたことがあるのか。とりわけ堺市
は17政令都市中、国民健康保険料も介護保険料も最高。堺市の第4段階は61.100
円だが、鎌倉市は42.960円、さいたま市は45.864円、名古屋市52.780円。貧富
格差の上に地域格差ものしかかる。保険料の上限は堺市のばあい所得600万以上
はいくら所得があっても122,200円で止まる。下限第1段階30.600円の4倍にと
どまる。素寒貧と金満家との負担差はただの4倍。みごとな逆累進だ。
地域格差をさらに言うと、堺市の第1段階30.600円に対し、鎌倉市は19.332円、
東京都港区は21.600円。上限の第8段階は堺市が122,200円に対して、さいたま
市の上限は第7段階までしかなくて、所得500万以上で80.262円。鎌倉市は所得
600万以上700万まで64.440円、700万以上77.328円。いずれも堺市にくらべ
て格安だ。つくづく堺市は高い。

だから「介護保険に怒る一揆の会」というようなものも生まれて全国にひろが
っている。このように介護保険は貧乏人にはやらずぶったくりで、金持ちのほう
が、それも金持ちの多いところに住む金持ちのほうがトクなように出来ている。
北欧諸国では税金で政府が一元的にやっていることを民営化で市場原理にゆだね
ればこうなるのは当然だ。介護労働者の善意を誘い出して、その生き血を吸うよ
うな資本の跳梁跋扈がひとしきり報じられた。介護サービスを受けていた人に対
する理不尽な選別、排除がいかにすさまじいものかはオルタ40号の高沢英子氏「秋
から春へ」が如実に語っている。


◇資産がなくては―保険は貧者のためならず


  それでいて、なぜこんなに手放しで介護保険をもてはやすのか。素人の直感に
すぎないから込み入った技術的のことは分からないが、「快挙」とか「未曾有」と
かは、どうも一定の資産を持っていることが前提でのことではないのか。一割負
担にも耐えられない貧乏人のことなど眼中にないらしい。眼中にあれば恥ずかし
くてとてもここまで調子のいい物言いはしないはずだ。ほかに考えられない。

たしかにある程度カネがあって第8段階ぐらいの、年に12万程度の負担はまった
く苦にならない人には、介護保険だとじつに安価に介護の労働を買うことが出来
る。少なくともそう踏んでいるのだろう。月に1万はケータイにだってそれぐら
い使う。堺市は122.200円だが、鎌倉市なら77.328円ですむ。東京都港区の所得
2000万以上の大金持ちでも135.000円ですむ。金持ちになればなるほど軽い負担
でうまい汁だけは吸えるのだからこんなうまい話はない。「快挙」にちがいない。

いままで保険でうまくいった験しがあるのか。生保しかり。年金しかり。国民健
保は医者と患者を締め上げ締め上げ、後期高齢者保険などというものまでとび出
す始末。なぜ半世紀以上の実績を持つ北欧のやり方を考えてみないのか。国民負
担率(財務省資料)を見ると日本の39.7%より低いのはアメリカ31.9%だけで、
まともな先進国はみなもっと高い。英国47.5%、ドイツ51.3%、ノルウェー58.4%、
フランス61%、フインランドは62%、スウェーデン70%、デンマーク72.5%だ。
そのかわりスウェーデンなど保育費も大学までの教育費も無料。年金制度,医療
介護サービスも充実しているから個人貯蓄の必要はない。個人貯蓄額は政府に対
する国民の信頼度に反比例する。

日本では,すでに教育、医療、介護にどれだけの自己負担支出があるかを考え
ると、かえって高負担高福祉のほうが、つまり社会民主主義に舵を切ったほうが
余程すっきりするのではないか。政府を大きくして介護労働者が公務員になれば
介護労働者の身分は安定する。税金だと取るだけとってどこに使われるか分から
なくなるなどというが、保険だと利潤動機が入ってくる。だからNPOが担うとい
うなら非営利公僕の公務員でいいではないか。


◇保険より先ず貧乏退治


  結局、資産があれば保険がよいということになるのは間違いないらしい。する
とやはり掛け金や一割負担を苦にしないですむ程度に誰もが資産を持つようにし
なければならない。上野氏の強調する保険が機能するためにも「ワーキングプア
が少ない、または存在しないことを国民的なモットーにし、政府が解決に熱心に」
なるべきだとする加藤氏の主張が先行しなければならない。
  貧富格差、地域格差を今のままでは介護保険もヘドロの上に御殿を建てるにひ
としい。ヘドロがヘドロのままで「希望は、彼らにある」などという口車に乗る
と「彼ら」はひょっとすると騙されるかもしれない。戦時中その種の精神作興に
騙されて命を落とした若者は数知れない。我ら戦中派はそういう裏づけのない美
辞麗句には懲りている。満蒙開拓団も特攻隊も、14歳の子どもまでもが少年航空
兵として、神様になれるのだと祭り上げられて駆り出された。そういうことのな
いように、どうしても貧乏退治が先でなければならない。
               (筆者は堺市在住)

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