仏・米の事件後に見るテロを受けた社会の変化

【コラム】宗教・民族から見た同時代世界

仏・米の事件後に見るテロを受けた社会の変化

荒木 重雄


 昨年秋から暮れにかけて欧米を襲った二つのイスラム過激派によるとされるテロ事件は、国際社会に大きな衝撃をもたらした。一つは130人の犠牲者を出した仏・パリの同時多発テロ、もう一つは米カリフォルニア州で14人が殺害された銃乱射事件である。

 テロ攻撃の破壊的効果は、直接の被害者はいうまでもないが、それだけでなく、社会に恐怖と憎しみをもたらし、公正の観念を衰えさせ、分断と不寛容を生み、対立をあおることで支持を集めるポピュリスト政治家に力を与え、政治の強権化・軍事化と市民社会の管理強化が促進され、しだいに市民全体の自由や人権が奪われていくことである。
 今回はこの観点から二つの事件を振り返っておきたい。

◆◆ テロを利用する政府と政治家

 11月のパリ同時多発テロでは、直後に、オランド大統領はこれを「戦争状態」と断じ、新たな戦争状態に対応する法改正を進めると宣言。まず、国家非常事態法の10日間と限定されていた非常事態の期間を3カ月に延長する改定を行ない、これによってほぼ無制限に令状なしの家宅捜査が行われたほか、要注意人物に居住地域を指定し、電子ブレスレットを着用させて監視するシステムをつくった。
 さらに、これら市民権の一定の制限を可能にする条文やテロ行為で有罪判決を受けた二重国籍者の国籍を剥奪する条文などを盛り込んだ憲法改正が発議され、現在、国会で審議中である。

 フランスは、公的な場所でのスカーフ着用を罰則つきで禁じるなど、国内のイスラム教徒に敵対的なまでの同化政策を強いる国と指摘されるが、イスラム教徒を狙い撃ちしたような法改正が、一層かれらを窮地に追い込むことは明らかである。
 だが、市民的自由の制限はイスラム教徒の枠を越えて一般市民にも及んでくる。現にたとえば、テロ事件後のパリで開かれた国連気候変動会議(COP21)に温暖化対策の強化を求めて集まった市民は、非常事態法を盾に集会を禁じられた。市民団体のメンバーは、「政府によるテロの利用」と批判している。

 一方、人々の恐怖と憎悪の高まりを追い風に勢力を伸ばしたのが、移民や難民の流入が治安を悪化させていると主張する極右・国民戦線(FN)である。事件後に行われた、全国を13の「地域圏」に分けた地方議会選挙では、6選挙区でFNが、政権与党の社会党、サルコジ前大統領率いる共和党の伝統的な二大政党を押さえて首位に立った。
 第一党になれば地方行政を司る首長の座を獲得する選挙だが、過半数に達する党がない場合は決選投票に進む。決戦投票では二大政党が反FNで協調し、かろうじて封じ込めたが、全国でFNの得票率は前回10年の同選挙の約3倍に伸び、来年の仏大統領選では、カリスマ的なポピュリスト政治家マリーヌ・ルペンFN党首と二大政党のどちらかの候補者が争う構図が現実的となった。

◆◆ 米政界も強硬世論に踊る

 パリの事件から日を置かずして起こった米カリフォルニア州での銃乱射事件で、容疑者がイスラム過激派信奉者と見なされるや、今秋の米大統領選の共和党候補者指名争いでトップを走るドナルド・トランプ氏は、「イスラム教徒の米国への入国を全面的かつ完全に禁止する」と提案し、さらに国内のイスラム教徒を追跡するデータベース作成やモスクの監視を主張した。内外から批判の声は上がったものの、世論調査の支持率は急上昇し、出馬表明以来最高の4割台を記録することになった。

 トランプ氏はもともと、移民やマイノリティーに対する暴言を繰り返して人気を上げてきた人物だから、さもありなんの感もあるが、世論の風に乗ろうと、指名争いの2位と3位につけるテッド・クルーズ、マルコ・ルビオ両上院議員も、競うように強硬発言を展開。クルーズ氏は「トランプ氏の提案は理解できる」としたうえ、「私が大統領になればテロリストを追い詰めて殺す。『イスラム国』(IS)地域を絨毯爆撃する」と息巻き、ルビオ氏も、「現政権は我々の安全を守っていない」と、オバマ大統領が追求してきた「分断でなく統合、米単独行動でなく国際協力、軍事行動以外の選択の模索」路線を批判し、国内的には通信記録へのアクセス強化など治安当局の権限拡大を主張した。

 民主党側でさえ、最有力候補のヒラリー・クリントン前国務長官は、オバマ政権が否定するシリア領内での飛行禁止区域設定を主張するなど、現政権との差異をことさらに強調しはじめた。

 9.11後の米国のアフガニスタン、イラクへの理不尽な武力攻撃が、そもそも、現在の中東の混乱をうみ、ISなど過激派の跋扈をもたらした責任には思い及ばないようである。

◆◆ では、日本はテロに耐えられるのか?

 テロに見舞われた仏・米両国のみならず、複数の容疑者の出身国ベルギーをはじめ、欧米各国で、モスクへの脅迫や、路上でイスラム女性のスカーフが剥ぎ取られるなどの暴行や、ネット上の「イスラム教徒は皆殺し」などの書き込みや、警察の過剰な職務質問や取調べが目立っている。移民排斥や排外主義を掲げる極右団体や政党が各地で支持を伸ばし、難民に寛容な姿勢を示してきた独メルケル首相への政治的な圧力さえ強まっている。

 だが、亀裂を克服し連帯の再生を願う動きもないわけではない。パリのテロで妻を亡くした映画ジャーナリスト、アントワーヌ・レリス氏がフェイスブックに投稿した「君たちに憎しみという贈り物はあげない。君たちの望み通りに怒りで応じることは、君たちと同じ無知に屈することになる」という手紙が世界中に拡散され何十万回とシェアされたこと、ドイツで、93年にロックバンド「ディ・エルツテ」がネオナチを糾弾して歌った曲「シュラナイ・ナハ・リーベ(愛への叫び)」が22年の時を経て昨秋、ヒットチャートの1位に輝いたこと、ベルギーで、元警官の演出家イスマエル・サイディ氏など移民2世の若者3人が上演する、移民家庭の若者がいかに貧困や疎外感から過激派に惹かれていくかを描いた演劇「ジハード(聖戦)」が好評を博して数万人に見られていることなどは、広く報道されたその一例だろう。

 一つのテロ事件が人々の心に生んだ不安と反感を土壌に、ポピュリスト政治家が力を得、政治権力が軍事的拡大や社会の管理強化を目論み、それによって人々が市民的自由とともに冷静な判断や公正の観念を衰えさせる現実の一端を仏・米の事件後の推移に見たが、さてそこから我が国の状況はと目を転じると、いくつかの課題が見えてくる。

 その一つは、「嫌韓本」「反中本」が書店に並び、歴史修正主義的言辞や、在日韓国・朝鮮人の排斥を叫ぶヘイトスピーチ(憎悪表現)が後を絶たないことだ。昨年5月、民主党や社民党の議員によってヘイトスピーチなどを規制する法案が参院に共同提出されたが、与党によって棚晒しにされたままだ。
 日本社会にはかなりの程度、自文化中心主義とその裏返しとしての他民族に対する差別や偏見があり、それは容易に排外主義に繋がり、事が起こればポピュリズムの政治家やマスメディアにあおられて無謀な強がりを言い募りかねない。
 格差化と貧困化の進行で自己肯定感を失った人々が代替としての拠り所や強者との同一化幻想を求める社会では、その傾向は一層、顕著となる。

 いま一つは、私たちの視野の広がりである。たとえば、パリの事件の後、東京タワーは仏国旗のトリコロールにライトアップされ、テロの犠牲者に哀悼の意が表わされた。それはそれでよい。だが、なぜトリコロールだけなのか。
 中東では、仏軍を含む有志連合がシリアを空爆し、イスラエルはガザを攻撃し、アフガニスタンでは米軍が無人機攻撃を繰り返している。それによって、日々、子どもを含む大勢の罪なき人々が犠牲になっている。欧米でのテロの犠牲者とは比較にならぬ膨大な数の人々が、欧米側がいう「テロとの戦い」の美名の下に殺害されているのだ。
 しかし、シリアやパレスチナやアフガニスタンの死者が、日本で追悼されたことがあるだろうか。そのことに思いを致すことがあっただろうか。
 仏も米も、故なくして突如、一方的に攻撃されたわけではない。「イスラム国」との戦いに深く関与する、いわば対戦国、それも主要な対戦国として、論理的には受けるべくして受けた攻撃であることも、見落としてはなるまい。 

 さてそのうえで、最大の難問は、万が一、日本でテロが起こったらどうなるか、である。恐怖と憎しみと報復への激情に駆られて、やられたらやりかえせと叫ぶのか、それとも、冷静に事態の理解と対処に努められるのか、言い換えれば、いかに正気をもって事態に耐えられるのかが問われるのである。もはやその用意が必要な時期にきているのかもしれない。なぜなら安倍政権下において、日本はすでに「テロとの戦い」の有志連合に組み込まれているし、「集団的自衛権」行使可能な安保法制によって海外での交戦も架空のことではなくなっているのだから。

 (筆者は元桜美林大学教授・オルタ編集委員)


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