【コラム】
宗教・民族から見た同時代世界

仏教国スリランカはなぜイスラム過激派の攻撃を許したのか

荒木 重雄


 顎鬚を生やした若い男が、大きなリュックを背負って歩いてくる。スリランカ西部ネゴンボの聖セバスチャン教会。男はすれ違った子どもの頭をなで、大股で教会へ入った。教会内では復活祭のミサの最中で大勢の信者が祈りを捧げている。だれに制止されることもなく、男は自爆した。

 地元警察が公開したこの防犯カメラ映像の一場面をふくむ連続爆破テロが、4月、スリランカの最大都市コロンボなど3都市のキリスト教会や高級ホテルなど8施設で起こり、日本人1人をふくむ250人を超える犠牲者を生んだ。その事件から2カ月がたつ。
 現地では後遺症的に局地的なイスラム教徒攻撃が続くものの、事件への国際社会での関心はすでに風化しつつあるが、この事件をその背景とともに振り返ってみると、当事国スリランカはもとより、広くアジアの、そして世界の、現在の状況とその先の姿を見る視点や教訓が提示されているように思われる。

◆◇ 多宗教社会の複雑な関係

 事件は当初、驚きをもって迎えられた。いったい誰が、なぜ、キリスト教会を襲ったのか。
 スリランカでは仏教徒が7割余りを占め、イスラム教徒、ヒンドゥー教徒、キリスト教徒は各々1割にも満たない少数派である。
 このうち仏教徒シンハラ人主体の政府とヒンドゥー教徒タミル人の間では、2009年までの25年に亙って7万人を超える犠牲者を出す内戦を経験している。ゆえにスリランカでテロといえば、遺恨を残す両者の間でが一番考えやすい。また近年は過激な仏教徒が少数派のイスラム教徒やキリスト教徒を襲撃する事件が相次いでいて、仏教徒対イスラム教徒、仏教徒対キリスト教徒の確執も考えられる。
 しかし少数派どうしのイスラム教徒とキリスト教徒の間のテロは理由も意図も見当がつかないではないか。地域研究者もジャーナリストも当惑した。事実、日本でも全国紙の一つは当初、仏教徒による犯行を示唆していた。

 しかし、実行犯はナショナル・タウヒード・ジャマート(NTJ タウヒードは「一つにする」の意味で、神の唯一性およびその神の下でのイスラム教徒の共同体を指す。ジャマートは団体)という地元のイスラム過激派組織であり、動機は、キリスト教徒をイスラム敵視の欧米勢力と同一視してのことであった、と判明するのにさほど時間はかからなかった。

 さて、事件が示した幾つかの見るべき点や教訓をみていこう。
 その一つは、前述の内戦を含め多数派仏教徒の専横がスリランカ社会に不安定化をもたらしていること。次に、そうした状況に「イスラム国(IS)」がつけこんでいること。
 三つめに、事前にインド当局などから危険性を示す情報が伝えられていながら、大統領と首相の対立や軍と警察の対立から対策が放置されたこと。四つめに、事件を契機にイスラム・バッシングが増え、それも嫌がらせや暴行のみならず、イスラム教徒の女性が着用するニカブやブルカなど顔を覆う衣服の公の場での着用禁止を大統領令で決定するなど、少数派への社会の不寛容が一層すすんでいることである。
 このうち、小論では、前の二つについてもう少し述べておきたい。

◆◇ 内戦の後遺症が社会を分断

 ことの次第はこうだ。1950年代、当時の政権党・スリランカ自由党は、多数派の仏教徒シンハラ人におもねる「シンハラ仏教ナショナリズム」を掲げて、仏教の国教化とシンハラ語の公用語化を押し進めた。タミル語を話すヒンドゥー教徒のタミル人は窮地に陥り、反政府組織「タミル・イーラム解放の虎(LTTE)」を結成して分離独立運動を開始する。83年、コロンボ市内で、仏教僧に煽動された仏教徒大衆によって4千人余りのタミル人が虐殺された暴動事件が起こり、これを契機に本格的な内戦に突入。以来、25年の長きに亙って7万人を超える犠牲者を生んだ民族紛争が続き、2009年、「敗北」を宣言したLTTEを政府軍が包囲し、多数のタミル人住民を巻き込んで殲滅するという悲惨なかたちで紛争は終結した。

 この内戦が社会のトラウマとなり、さらに内戦に勝ったことで傲慢さを増した過激な仏教徒が他の少数派に迫害や襲撃を加える事態が相次ぎ(たとえば、キリスト教会の日曜礼拝妨害からイスラム教徒の礼拝所や住宅・商店数十軒の放火・略奪まで)、社会の基盤そのものに不安定化が進行しているのである。
 そのような分断社会に、外からの過激主義が忍び込む。

◆◇ 領土を失ったISの新戦略

 その、外から忍び込んだ過激主義とは、もちろん「イスラム国(IS)」の思想と戦略・戦術である。連続爆破テロを最初に報じたIS系のアマク通信は「攻撃の実行者はISの戦闘員だ」との声明を出した。事件関連で逮捕された者は200人を超えるが、軍当局はその半数近くにISとの繋がりを指摘する。自爆した実行犯9人の多くは裕福な家庭の高学歴の持ち主で、英国や豪州に留学した者や、中東諸国へ渡航した者もいる。イスラム教徒ゆえの疎外感も背景にそれらの地から厳格主義の思想を持ち帰り、過激化の土壌をつくったとされる。

 一方、イラクとシリア両国土の3分の1を支配した最盛期のISには、4万人を超える外国人が戦闘員として加わっていた。今年3月末までに米国主導の有志連合軍に全ての拠点を制圧されたが、「領土」の喪失はけっしてISの敗北や衰退ではなく、むしろ影響力の拡散として働いているとの見方もある。事実、7千人以上の外国人がすでに母国に戻ったと見られ、武器や爆発物の扱いを覚えた戦闘員が地下ネットワークで繋がれば、分断した社会や格差・矛盾に満ちた社会が容易に標的とされることは明らかである。バングラデシュやインドネシア、フィリピンなどにすでにその実例が見られたが、スリランカの連続爆破テロもその一環であったのであろう。そして、その動きは、分断・格差・排斥やポピュリズム政治が続くかぎり、世界のどこにでも拡散・多発することが懸念される。

 (元桜美林大学教授・『オルタ』編集委員)

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