◇仲井 富      

上海デモ・マスコミなどのアホさにあきれる

───────────────────────────────────

 連休前に、出張で上海に行ってきた親戚の若者の話によると、「上海はは静かで前とかわりなかった」と話していた。当然だろうと思う。

 1000万以上の人口の大都市で、公館警備の問題があったにせよ、一万人の反日デモがあったからといって、大騒ぎしすぎるのはどうかと思う。

60年安保のときの反米、反安保のデモのときはどうだったか。われわれも羽田までハガチー阻止を叫んで空港に突入し、その一団はハガチーの乗用車を取り囲み、長い旗で激しく車を叩くなどしたのである。

連日の全国的なデモも、波が過ぎればあっというまに親米の雰囲気となる。1970年の新宿騒乱事件のときもそうだ。わたしも新宿の現場にいたが、石を投げたり火炎瓶を投げたり、騒然たるものだったが、多くは新宿に屯して日頃、警官にいじめられている、いわばホームレスのような、昔風にいえばルンペンプロレタリアートと学生たちが「共闘」していた。

ところがそいうデモの同じ現場にいた左翼文化人や学者が「革命だ、革命だ」と興奮していることのほうに驚いた。「こいつらはアホか。なにを見て革命だなどとほざいているのか」と思ったものだ。

 今度の上海などの「反日デモ」の日本のマスコミや政治家などの興奮振りをみていると「なにもわかっていないな」と思う。

12億人の中国で、なにかの問題をきっかけにしてデモや騒乱が起こらないのが不思議ではないか。自然発生的にせよ、歴史問題に旦を発して全国各地でデモが起きるということは当然のことであるし、それが弾圧されないでデモがやれるということ自体が、中国社会の成熟や民主化の方向への現われではないのか。大いに歓迎すべき、健全な兆候である。

北朝鮮やかつてのイラクならただちに殺されるか、刑務所行きだろう。ところが石原慎太郎東京知事をはじめとして、反中国派の政治家、学者らが「北京五輪ボイコット」などと叫ぶにいたってはアホというよりも狂気の沙汰というほかはない。1950年代はじめの砂川米軍基地反対闘争では、1000人以上負傷者が出た。それでも日米関係はなんら変わることなく続いている。たかが大使館のガラスや、商店が壊されたといって、大騒ぎをしているマスコミも歴史観が全くなく、目先の現象だけを追っかけているに過ぎない。

かつて1931年、満鉄爆破事件でをきっかけとして満州事変が起こり、1945年のポッダム宣言受諾まで続くのだが、そのとき当時最大部数を誇った朝日新聞と東京日日新聞(現在の毎日新聞)が、一斉に関東軍擁護の論陣を張った。実際は関東軍が自ら爆破して開戦のきっかけをつくったのだが、「暴虐なる支那軍が満鉄線を爆破し・・・」と軍のお先棒を担いだ。こんどの報道振りをみていると「阿呆かいな」と思うほど似ている。

たかが一万人のデモが、連日新聞・テレビのトップ記事になるマスコミの「アホ」さ加減にうんざりするこの頃である。

                                        (全国徘徊老人連盟会長)