保育園コメディア

保育園コメディア (東京)      高沢 英子

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 少子化問題が最近マスコミで盛んに取り上げられている。2004年、とうと
う出生率は1.29と発表され、4年連続低下し続けている現状に、政府もよう
やくさまざまな施策を打ち出した。03年に次世代育成支援対策推進法という長
い名前の法律が制定されたものの、その中身は一般には余りわからない。人口は
1970年代から減少しつづけているというのに、国として効果的な手が打たれ
ていなかったつけがまわっている。しかし小手先の支援だけではこの傾向に歯止
めは掛からないという気がする。経済問題ばかりを優先させているのはどんなも
のか、と思う。社会全体の意識の流れを変える位の気構えがない限り、無理かも
しれない、と思うが、そこまでは手が廻らないのが現状である。
 
 若い女性が自立を果たし、やがて伴侶を得て懸命に働いても、将来社会に貢献
でき、人類の未来を明るくするような人材育成を怠るようでは、人間として大事
ななにかが、すっぽり抜けている、という考えは、いまや古いと云って斥けられ
そうな趨勢だからだ。しかし人類が何千年も守ってきた国家の骨組みはそれでは
維持できないことになる。現代ではそれすら、省みられないほど女性の自立意識
が先行し、さらに机上の計算にのみ頼った経済理論がそれに拍車をかけるような
試算ばかり並べてみせる。
 
 結果は少子化による社会の危機的状況を予測させるまでになった。それに気づ
いて、子育て支援が大きく動き始めたのは分かるが、果たしてその内容はどうだ
ろうか。
 子供を産むことが出来ない理由の第一に挙げられるのは経済的負担を担いきれ
ないというものだが、生活レベルが先進国なみの平均的水準の国民が、多くはな
い子供を、経済的に心安らかに育てることも教育することもできないというの
は、いったいどうしたことなのか。単純な頭では理解し難いことが、この国には
多すぎる。
 
 青少年の教育現場のどうしようもない荒廃と対応の貧困も叫ばれて久しいが、
それに対処する政府当局や関係機関の施策は旧態依然として、割れ鍋に閉じぶた
式お粗末さで変革には遠い現状で推移している。とにかくこの国はずるずると坂
を転がりおちている、というのが、私の正直な感想である。もともとそう立派だ
ったわけではない。だからこそもう少ししっかりしなければ、と思う。 
 6月20日奈良県で起こった不幸な事件は、そうした歪のさまざまを内包してい
ると思えてならない。
 
 私自身7歳で実母を喪い、間もなく家にむかえた継母と暮らしてきた経験をも
っている。もちろん状況は大分違うが、子供を取り巻く不幸な日常は充分推察で
きる。人間本性ははいつの時代でもさして変わらない、とあの事件でしみじみ実
感した。
 しかし、これだけなら、よくあるケースで、殺人にまで結びつくにはもっと別
のファクターが介在しなければならない。それが、容疑者の少年の自白とおり
「学業成績の低下への怯え」だとしたら、余りにも無残な話である。十六歳の少
年をここまで追い詰めたのはいったい何なのか?問題はさまざまな現実環境に向
き合う子供の心の動きとその成熟が大きな鍵となっている、と思う。そもそもそ
れらを育成するのが教育ではないのか。何かことが起こるたびに、教育現場は保
身と事態の弥縫に気を使わざるを得ない社会の仕組みの中で右往左往し「いのち
の大切さ」と、繰り返すことしか出来ない。

洞察力もなく真実の愛も持たず、同情心すら欠いているような、ゆとりの無い大
人たちに、何が出来ようか、と思ってしまう。
宗教心の無い国だから、こころの問題が説明し難いのは分かる。しかし「いのち」
というような複雑で捉えにくく、現実的でありながら抽象語でもあ
る言葉を振りかざして、言葉だけが宙に浮いてうつろに響いているのではさして
効果があるとは考えられない。むしろ、もっと具体的な社会ルール、人間は誰も
他者のものを破壊したり奪ったりする権利は無い、という基本的な掟を声を大に
して繰り返し叩き込むこと。につきるのではないか。盗みも人殺しも決して許さ
れることではない、ということを。
 
 しかし教育者だけに責任をなすりつけるのは余りにも酷であるのはいうまでも
ない。ポリシーを持たない親たち、高潔なビジョンのない無気力な社会の中で有
名校に進学すること、お金持ちになることだけを夢みるようになった子供たち
が、愛情の欠落した大人の間で心を渇かせている、としたらどうなるか。以前、
進学校といわれる中高の学校の宿題や課題の膨大さに驚いたことがある。そして
この国では、春になると毎年マスコミは競って有名大学の合格発表や、ランク付
けに狂奔する。ヒーローは誰か、などという仰仰しい見出しが、電車内の広告の
中で踊る。親の手で吾が子を進学校にめでたく入学させた、いわゆるお受験体験
記がこのところ続々と出版され、よく売れているという。その一方で大学生の無
気力ぶり、学ぶ態度のなさ、大学が何をするところかわからない大学生が激増し
ているとしばしば嘆く声を聞く。最近起こった岡山県での仲間たちによる生き埋
め事件は、大学生が中心だったという報道に、唖然として言葉を失ったのは筆者
ばかりではないと思う。この国はいったいどこに向かっているのだろうか。
 
 ともあれ育児と教育は次世代の子供たちの育成に欠かせない大切な要素であ
る。真剣に考えていかなければならないのは当然であろう。
 前回に続いて、さしあたり人間の人生最初の出発点にかかわる育児、その中
で、テーマを保育に絞り、一昨年の京都での実体験を中心に書いてみようと思う
 先にも書いたが、2004年夏、娘はある国立病院で男児を出産した。44歳
になったばかり、といいたいが超高齢出産であった。娘は障害2級、かなり重度
で、日常生活の中で普通想像されるよりずっと出来ないことが多い。当然子を持
つことには、通常考えられないほど、大きな覚悟が必要であった。
 
 出産後の育児に関して、早くから行政で受けられる支援について知っておく必
要があった。年が明けると早々、娘はできるだけ集められる資料は集め、あちら
こちらに電話をして確認したり、実際足を運んだりして、出産後の計画作りをし
ようと努めたが、得た結論は決して楽観できないということだけだった。一般に
障害者の日常支援を行政では支援費(シエンピ)と総称している。それが、京都
市の場合、前号でも述べた通り支援は40歳で打ち切られ、介護保険に組入れるこ
とになっている、という。介護保険のほうは障害支援費より遥かに制限が多いか
らこれは実に理不尽なやり方で、娘の主治医もこれには驚いた様子であったが、
福祉課の係官は断固として主張を曲げず、1歩も引かない。ちなみに東京は事情
が違うらしいが、これも、一旦京都で決まったことは変更できないと、いう。こ
うして、地域の介護施設を紹介され、あちこち満杯だと断られた挙句、ようやく
ある施設からケアマネージャーと呼称される女性が尋ねてきたのは五月に入って
からだった。
 
 色々事情を聞いた上で彼女がまず持参したのは、乳幼児保育園のパンフレット
だった。
 申込書としおりである。当初、娘は生まれてくる子供は、体の自由はきかずと
も、自宅で育てたいと願っていたし、私もできるだけの協力はする覚悟だった。
しかし、障害者支援が打ち切られ、何かと制限だらけの介護保険では、子育て支
援など望めない、ということが段々分かってきた。ベビーシッターは二時間単位
で3000円程度が原則になっている。プロの仕事だから信頼性は高いと思う
が、現実に必要なだけ頼むとすれば、到底薄給では手が出ない金額になる。また
ボランティアはこのケースでは、育児サポーターという名称で有志で構成された
私的グループが運営しているのが普通らしい。これは時給700円から800円が
相場ということだったが、それも積み重なるとかなりの額となる。
 結局いろいろ手立てを捜し求め考えた末の結論は乳幼児を保育施設に昼間預け
るしかない、ということだった。
 
 <選別の問題と行政の介入>
 京都市には約・・・の認可保育園がありそのそれぞれが、国と地方の行政か
ら、経済支援を受けて運営されている。日本全体では1万2090箇所というか
ら、決して多いとはいえない。しかもその大部分が私設であり、国と行政は手は
出さず、お金と口だけ出している、という現状も今回始めて知った。しかもその
口が大問題であるということも。行政が見込んでいる保育経費は1人あたり年額
ざっと170万になるという。利用者である親は収入に応じて決められた負担額
を支払い、差額が保育所に支給される仕組みになっている。そのために、保育に
当たってまず親の就労状況や、源泉徴収額をきびしく審査される。結果的には親
の自己負担額は自治体によって基準が違うが、京都では最高でも月額5、6万、
東京では63500円が上限、ということで、あとは国と自治体が税金のなかか
ら拠出して補填するのである。 
 
 しかし、先にも書いたように、助成額が低くたぶん大部分利用者負担でまかな
っている(この場合園児一人当たり一律負担となる)認証保育園の請求額が年1
70万の約半分くらいというのはそもそも不思議な話である。しかもその中身た
るや、私が経験した範囲で言えば、行政に評判のいい施設という触れ込みの園
が、今思うと、できれば二度と預けたくないと胸が詰まるような場所だった。し
かもそれはここに限らず、いずれも似たり寄ったりで、正直言って一体乳幼児1
人あたり月16万ものお金がどこに使われているのか、未だに不思議でならない。

 さて、入園申し込みは、区役所の福祉課が窓口で、申し込みは毎月10日締め
切り。無事パスすれば翌月1日からの入園となるということだった。しかし、申
し込み希望者が多く、どこの保育園も常時満員で、無事審査に通ってもすんなり
すぐに受け入れとは行かないのが普通、働いている母親たちはそれぞれの事情と
にらみ合わせながら、はらはらして待っている、場合によっては何ヶ月も空きを
待たねばならない、と聞かされた。乳幼児の受け入れは生後2ヶ月から、がきま
りである。前号に書いたように8月9日、病院で無事男児出生。
 
 二ヶ月の間、介護ケアマネージャーを通して地域の婦人団体が、介助してくれ
る人探しに動いてくれた。産婦人科のもとベテラン助産婦さんが献身的に入浴を
受け持ってくれることになり、諸事相談に乗ってもらうことになったのもそのひ
とつである。なんとか母乳でと考えていた娘は、薬も減らし、助産婦さんの懸命
の介添えで、がんばったが、抱き上げられない体での搾乳には限界がありやがて
断念せざるをえなくなる。
 
 余談になるが、70歳を越えたその元婦長さんは盛夏の真昼間、膝を痛めた体
で、飲み物持参、自転車で通いとおしてくれた。扱いの巧みさ、手際のよさは抜
群で、入浴中一度も赤ん坊は泣いたことがなかった。終わってタオルにくるみな
がら、「宝物、たからもの、落としたらどないもなりませんで、」と自分を励ま
すように唱えて、部屋まで大事そうに抱えてきてくれる。京都人らしい身だしな
みのよさ、会話の人をそらさぬ程のよさ、乳児に対する深い愛情、反面職業意識
に徹した厳しさも具え、今も深く心に残る人である。
 2ヶ月というもの、産婦はもちろん家族は殆ど不眠不休の状態で、今考えても
よくからだが保ったと思われるほどであった。その頃は、私たちはひたすら、保
育園受け入れを願うようになっていた。いよいよ10月に入り、申込書作成に取
り掛かる。しかし果たして空きがあるかどうか、周囲の関係者の悲観的な見通し
に不安が募った。

<親の事情無視の規則づくめ> 
 
 11月、区役所から電話があった。昨日選考会議を開いたが、どこも満員で引
き受け手が無い状況の中で、ただ一箇所手を挙げてくれた園がある、と好結果を
嬉しそうに告げてくれた。私たちは素直に喜んだ。正直言ってこれでやっと少し
息がつけると思い、感謝したのである。園は家から約1キロ程の距離にあり、あ
の辺では近いほうだった。
 指定された日に両親と幼児と私と4人揃って面接に出かけた。畳敷きの面接室
で女性院長から「当保育園は昭和XX年、設立されまして、云々」と延々と沿革
の説明があり、
 
 あとの説明は保育主任がするということで、自治体のお達しによる規則と取り
決めの細目にわたって説明があった。
 翌日から慣らし保育ということで、午前中四時間の保育が始まった。持ち物も
事細かく指示が出されていた。まず一番困ったのは、送迎の問題とおむつのこと
だった。京都府では紙おむつは使用禁止、理由はエコロジーの観点から、不要な
ごみは出せない、ということであった。毎日親は持ち帰ったその日一日分の汚れ
た布おむつを全部洗い、翌日また持参する。送迎はもちろん親の手で行うが、園
児を保育室の中まで連れて入り、決められたロッカーにその日の着替えやおむつ
をきちんと収納するところ、までが親の仕事である。子供を抱き上げたり、抱い
て歩くことはおろか、しゃがむことも座ることも出来ない娘は、車でなんとか園
まで送るから、受け取ってもらえないか、と頼んでみたが、にべもなく拒否され
た。その理由は、規則も規則だがが、ほかのお母さんの思惑もあるから、という
ことであった。
 
 面接の日、私はそっと園庭を通り抜けて部屋まで歩いて下見をしておいた。門
からの通路には石の踏み石や段差があり歩きやすい道ではない。脳梗塞の後遺症
で下肢と右手に麻痺の残る体では、躓いたりすることもあるかもしれない。毎
朝、まだ首も据わらぬ乳児を車のベビーシートにつけるまではなんとか出来て
も、駐車場から部屋まで抱いていくのは不安であった。しかし園は頑強に態度を
変えず、自治体も、ボランティアを探せの一点張りである。おむつのことも例外
は断固として許されなかった。働いていて現実に困っている母親がいっぱい待機
しているのだ。贅沢言ってもらっては困る、という意識が暗に働いている。ここ
にも働く人間は有用で、病気で働けない人間は非生産的で有用ではないという、
明治以来のこの国の経済優先原理が根強く居座っているのが感じられる。しかし
汚れたおむつを持ち帰り、その夜のうちに洗濯して乾燥させ畳むという作業を自
分たちでするのは事実上不可能と見て、娘は貸しおむつ屋を懸命に探した。イン
ターネットはこんな際大いに役立つ。2,3声をかけ、お試しをして頼むことに
した。
 
 いっつぽう、車に同乗してもらい、送っていくほうはなんとかボランテイ
アを探して頼んだが、毎日薬がまだ効いてこない体で、準備を整え、車で送るこ
と自体、重い関節リュウマチの体ではきつい仕事ではあった。そして半日の慣ら
し保育で行き始めて僅か4日目、子供は早速ひどい風邪をもらってきた。すぐに
かかりつけの医師のところに連れて行く。すべて私同伴でなければ出来ない仕事
である。あれやこれやで、娘も私もくたくたになってしまった。咳と鼻水で苦し
がるので、夜も殆ど休めない状態が続く。ようやく回復したので、再び登園した
が、忽ち新たな風邪にかかった。さらに何週間か治療に通った。保育園では、み
んなそうなる、そんなにして一年もすれば、免疫が出来て、すっかり丈夫になる
のよ、などと保健婦さんや経験者の声に励まされ、経験のない悲しさで、気を取
り直し再度挑戦、またまたひどい咳と鼻水でまだ鼻をかむという動作は出来ない
から、息を詰まらせて、ミルクも飲めずひいひい言う始末。かかりつけの小児科
の医師は保育園に行かせることには反対のようだった。保育園は感染症の巣窟で
あるという事は、ここ東京の小児科医師も言っている。
結局、とうとう年が明けてからその保育園は退園した。通算して正味1週間ほど
行っただけだった。

<孤立無援の戦いの日々>
 
 こうして、殆ど人手を借りない保育が始まった。入浴は父親の仕事で、大抵は
午後11時過ぎとなる帰宅を待っての入浴だった。夜半に何度も起きる都度、誰
かが起きてミルクを作る。週の半分は私の家に母子ともに預かった時期もある。
住まいは都心のマンションで何かと娘の家より便利だったせいもある。その間も
近所の一時預かり所を見に行ったり、他の保育園を打診したりしたが、これとい
ったよい方法もなく、連日へとへとになりながらも子供が順調に育っていくのは
大きな喜びだった。娘の友人の1主婦が、献身的に助けてくれたこと、私の住ま
いの近隣の救世軍教会の人たちに手伝ってもらい、見返りに日曜礼拝の奏楽を受
け持ったりし、時々頼む有償のサポーターに来て貰うなどしながら、なんとか危
機的状況を乗越えることができた。ボランティアに介助されながら、通院と服薬
を続けている娘の体調は予断を許さなかった。しかし前号に書いたような私の担
当の介護マネージャーによる情け容赦ない苦言はさらに娘のストレスとなった。
こんな病気でさえなかったら、その都度娘も私も苦い思いを存分に味わった。4
0年ぶりに負い紐で背負いあやしながら寝かしつける事もしばしばあった。いつ
までも眠らない赤ん坊を抱いて、都心のマンションでの騒音をはばかり、車で夜
を明かしたこともある。
 
 こうしていつしか冬も過ぎ、子供が10ヶ月を迎えた頃、突然娘の夫が、東京
転勤を命じられた。5月末のことだった。娘の夫は週明けに東京に単身で発ち、
あとは私たちですべてをやることになる。ずっと別居は到底無理なので、いずれ
東京に行かねばならない。娘の夫は会社に打診し、お母さんもいっしょに来てく
れますか、と聞いてきた。この状況では行かないわけにはいかない。1ヵ月後そ
れを視野に入れた社宅を申し入れ、適当な家賃枠の提示のもとに自分たちで探す
ことになった。大変さは普通の家族の比ではなかったが、その詳細はここでは余
り関係のないことなので割愛する。雨の環八のガソリンスタンドで足を滑らし赤
ん坊を落としそうになったり、夫婦喧嘩のあげく、娘は夫に、もう自分で探すか
ら、とっとと帰れ、邪魔だ、と怒鳴られたり、いろいろあった。
 
 ともあれ、6月末、紆余曲折の末、ほぼ希望通りの住まいが見つかり、7月始
めに引越しを済ませることが出来た。こうして私たちの東京での新たな子育てが
始まった。幸い前号にも触れたように、団地構内にある都の認証保育園に受け入
れられ、そこでは万事融通が利き、規則に縛られず人間的な対応をして貰えるの
で、今のところ満足している。

<現況>  
 孫は今日も元気に保育園から帰ってきた。迎えに行くのも送っていくのも私の
仕事である。昨日、いつになく朝寝坊をした子供は遅刻してしまった。行ってみ
ると生憎孫のクラスには誰もいなかった。元気いっぱいの一歳児クラスで、みん
な朝の散歩に出かけてしまっていたのである。仕方なく一人で、ほかのクラスで
留守をしていた先生から渡された絵本を見ていた。間もなくみんながやがや帰っ
てきた。とたんに孫は、がば、と立ち上がり、堰を切ったように大声で泣いたと
いう。先生が手紙をよこされた。{泣いたあと、すぐにこにこになりました。あ
れは嬉し泣きだったのですね!}一人きりで、不安と緊張に締め付けられていた
胸が、ほっと安堵したとたん、涙が噴出したものらしい。この子のなかにもう仲
間意識が芽生えはじめているのだ。子供の魂は日々成長してゆき、見ていると
日々新たな発見がある。どうして粗末に扱えようか。
 
 次世代育成支援対策推進法なる長たらしい名前の法律作成に励んでくださるの
も結構だが、本当にこの国のことを考えるなら、担当為政者は、なによりも子供
の心と頭脳を大切にした取り組みをして欲しい。問題はお金ではない、時間だ
の、ゆとりだのと、矢鱈方針を変え、その都度規則を作り、愛国心はこれだ、日
の丸だ、国旗掲揚だ、果てはその実行態度の形はこうあれ、だのと信じられない
ようなことを大真面目に検討して押し付け、教育の中身はお留守で、そらぞらし
い形式とテクニックばかり追いかけていたちごっこをするのはもうおしまいにし
て欲しい
 愛と見識のないところに真の保育も教育もない。それもわからない馬鹿は子供
の成育や教育に口出しすべきではない
 
 「人々のあいだに秩序を保つことは、日本の官僚たちの強迫観念でる。・・・
彼らには法の正義よりも秩序のほうが重要なのだ。実際、真の民主主義の実現
は、公共の秩序にとって大きな脅威だとみなされている。」カレル・ヴアン・ウ
ォルフレン 篠原勝訳 119ページ
 
 私もこれには同感せざるをえない。この国の近代には過去から現在にかけて、
民主主義が実現されたことは一度もない。漱石が夙にいみじくも指摘しているよ
うに、<日本の現代の開化は西洋のように内発的ではなく、外発的、つまり外か
らおっかぶさった他の力でやむをえず一種の形式を取っている・・・>という歴
史的事実が、今も尾を引いている。そしてそれが禍根となって、いつまでも日本
人の心の成熟を阻んでいるのではないか。そして、残念なのはこの国では真の知
識人はつねに無力であり、また政府やその他の機関が言うところの「学識経験
者」たちでは実は何も期待できない、というのが、私の実感である。
  ※ 保育園民営化の動き、朝日06/28、31面記事 
                    (筆者は東京都・大田区在住)

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