【投稿】

再び「戦争をしないための軍隊」について

田中 七四郎


 『あしへい20』(2017/12)で、「戦争をしないための軍隊」(同、p127~本稿の最後に参考として添付)について推論と提言を行った。今回は更に前の推論を深掘りしてみたい。さいごに三島由紀夫(1925~1970、以下ミシマ)という補助線を使って火野葦平(1906~1960、以下あしへい)の戦争責任観の一端を浮き彫りにしてみたい。

◆ 1. 再び、「戦争をしないための軍隊」について

 掲題への考え方、手順はこうである。まず
 ① 憲法を変更して現行自衛隊を正規の軍隊組織として認知する。憲法変更の文言表現については種々考えられるが本稿では問わない。
 ② その上で、日本国が紛争(戦争)に巻き込まれた時、国連憲章に準拠する集団的自衛権が発動されるまで「国土武装防衛隊」(仮称、現自衛隊のこと)が自衛のため、軍事力をもって対応する。その規模は、通常兵器使用レベルであって、非核3原則を遵守する。
 ③ その後は組織化された国連軍の下有志連合軍の one of them として日本国憲法の範囲内においてヒト、モノ、カネを逐次投入していく。
 ④ そのためには日本政府は国際間の紛争(戦争)にならない(近づかない)ようなタフな外交を行い、日常的には持続可能な民度(後述)の向上に努め、緩やかに、控え目に「戦争をしないための軍隊」を国内及び世界に outbound していく。

 この「戦争をしないための軍隊」を、軍は群に通ずと「troops(隊、群、集合)」と定義してみた(『あしへい20』、p128)が、今回それを更に一般化して変数y(troops)=f(m、t)という関数で表わしてみた(m=民度、t=徳とする)。すなわち troops は民度[注1]と徳[注3]の集合体であると考える。

[注1]民度(m)ということばは、広辞苑にも載っている一般用語であるが、今年2月の上皇陛下(当時の明仁天皇陛下)のおことば[注2]の中で使われ注目されている。今回それを参考に解釈・借用させていただいた。すなわち民度とは「自己及び他人のいのちを守るための力」と考えた。あいまいで数値化が難しい抽象的な概念であるが、今後危機管理上重要なキーワードであると確信している。

[注2]明仁天皇陛下(当時)は、在位30年式典(2019/2/24)において、
 <・・・天皇としてのこれまでの務めを、人々の助けを得て行うことができたことは幸せなことでした。これまでの私の全ての仕事は、国の組織の同意と支持のもと、初めて行い得たものであり、私がこれまで果たすべき務め果たしてこられたのは、その統合の象徴であることに、誇りと喜びを持つことのできるこの国の人々の存在と、過去から今に至る長い年月に、日本人がつくりあげてきた、この国の持つ民度(強調太字筆者)のおかげでした。災害の相次いだこの30年を通し、・・・>
  (2019/2/24、明仁天皇(現在の上皇)陛下在位30年式典のおことばより一部を抜粋)

[注3]徳(t)とは、『あしへい21』(2018/12)p88)で触れた、「フェラーズ覚書」にある<日本国民は・・・彼らの天皇は、祖先の美徳を伝える民族の生ける象徴である> から借用した。

 よって「戦争をしないための軍隊」(troops)とは、殺し合いのための武器(ハードウエア、power、軍事力)のみではなく、平時・天災/人災時における国民、国家、民族共同体を超えた統合力であると考えた。troops 向上のためには、多元的(化)社会/文化/価値観/民族などへの共感(シンパシー)が必須であり、そのためには日ごろから自己以外の相手への思いやり、人間の尊厳・尊敬・寛容、惻隠の情など、国民一人ひとりの民度の涵養が重要と考える。かつてあしへいが反省した昭和の戦争における日本国民の<道義の頽廃、節操の無さ>にも関係する普遍的なものではなかろうか。民度向上の役割は日本人一人ひとりが担い、徳については、皇室(天皇家)外交そのものが担ってきているものと考える。

◆ 2. 天皇と日本人との関係について

 君主(天皇、皇室)と庶民(日本国民、日本人)との関係については歴史は旧く、万葉の時代からの文字に記録として残されている。たとえば有名な仁徳天皇を偲んで庶民が詠んだといわれる一首に、「高き屋に登りて見れば煙立つ民のかまどはにぎはひにけり」(『新古今集』)がある。また平安時代末期に後白河法皇(1053~1129)によって編まれた歌謡集『梁塵秘抄』に、「遊びをせんとや生まれけむ 戯(たわぶ)れせんとや生まれけむ 遊ぶ子供の声きけば わが身さへこそゆるがるれ」という今様歌謡がある。そのような歌からも日本の君主(天皇)と庶民(国民)との間にはそこはかとなく交流があったことがわかる。ヨーロッパなどにおける絶対君主(領主、支配者)と非支配者(領民、国民)との関係では見られない、日本国固有の現象ではあるまいか。

◆ 3. 新しい皇室(天皇)像について

3.1)最近の外国における君主(王室)と国民との関係
 『天皇と日本人』によれば、オランダの場合2013年、ベアトリクス女王の退位によって新国王となったウイレム=アレクサンダー国王は、国民からも国外の人びとからも「陛下」と呼ばずに「自分のことを好きに呼んでほしい」強調した。こうしたオランダのような王室と国民を近づけていくようないわゆる「自転車王室」(王族が自転車にまたがって地元のカフェーに行き、国民とコーヒーを飲むといったことも珍しくないので)がベルギーなど大陸ヨーロッパ、スカンディナビア諸国でも増えてきている。

 近年、世界全体で王室が退位や死亡による代替わりもあって、新しい世代が前面にでるようになっている。ブータンやオランダ、カタール、ベルギー、スペインなどで、退位による王位継承がなされた。日本と友好関係にあるブータンはモデルとして日本の象徴天皇制について関心をいだいているという。そういう意味で、保阪正康(1939/12/14~)氏などが提唱している、将来「世界王室サミット」なるものの開催、そしてそのような場で日本国が日本の皇室を outbound していく機会があることを望みたい。

3.2)日本の象徴天皇制について
 明仁天皇陛下(現在の上皇陛下上皇后陛下)は、国民の天皇として国内外における慰霊の旅などを続けてこられた。新しい天皇皇后両陛下はそれらを踏襲されると表明されており、引き続き日本国民とともに象徴天皇制(皇室)について持続・継承・創造されていかれんことを期待する。

◆ 4.あしへいとミシマ(三島由紀夫)について

 ここで唐突であるが、あしへいの戦争責任観の一端を浮き彫りにするためにミシマという補助線を借りて二人を対比してみる。あくまで筆者の独断と偏見によるものであることをお断りしておきます。

 両者に共通的と思われるところは、どちらも家族愛、郷土愛(日本人、日本国家)、人間愛などに造詣が深く、それらをベースとした数多の文学作品を著わした。それらの作品群は世界で繰り返し読み接がれており、いまでも作家・作品は研究者・識者らの見直しの対象となっており、社会に与えているインパクトは少なくない。両者の最期はともに、理由は違っているが天寿を全うすることはなかった。

 違いについては、あしへいは前の戦争で応召され戦地に赴き前線で戦った実体験を下に、兵隊3部作など誠実でヒューマニスティックな作品を著したが、政治的な発言・行動については寡黙であった。一度ペンを折って書くことを止めた時期があるが、真実は作品を通してしか表現できないと再びペンを執って作家を貫いた。彼の戦争責任観については、<道義の頽廃、節操のなさ>と表現した中には、あくまで自分(あしへい本人)自身を含んで考えていた。第三者的、傍観者的、評論家的立場は取らなかった。自らの問題としてとらえ、戦後の作品において前言を翻したり、エキスキューズすることはしなかった。

 作家の自裁については健康上の問題が直接の引き金になったことは疑いないが、それ以外にアンビバレントなさまざまな要因がからんだ結果ではないかとも考えられる。その一つに彼なりの戦争責任の取り方の表れでもあったのではないか、作家が亡くなってしまっている今、全く憶測でしか語ることができないが、自裁によって作家なりの総決算を図った中に黙したまま逝った彼の戦争責任観がかいま見える。

 作家の皇室(昭和天皇)に対する気持ちが伺えるエピソードとして『河童会議』という作品がある。その中に「天皇とともに笑った二時間」という会見録 (1957(昭和32)/4/17) がある。筆者は、『あしへい19』(2016/12)において「火野葦平と昭和天皇との磁場」、p116)、という稿で触れているが、あしへいは<どんな人前でもどんな時代でも頓着しない立場―誠実主義が背骨にあったのではないかと考える。
 この作品(あしへいの昭和天皇との会見録、筆者注)は<戦争中、祖国と陛下のために、全力を傾けて戦った兵隊としての気持ちで、この記録を書いた。>という。あしへいの誠実主義が(昭和)天皇の御前でも如何なく顕われているのではなかろうか。>と結んで感想を述べた。

 一方、ミシマについてはあしへいと違って前の戦争における兵役の体験はなかった。それがトラウマ(コンプレックス?)となってか戦後は、自衛隊への体験入隊、ボデイビル/剣道などへの実効(パーフォーマンス)を図り、社会的・政治的にも積極的に発言する作家・行動する作家となった。作品・行動を通して昭和天皇(皇室)に対する考え方は、戦中・戦後によって微妙に変化しているように見うけられる。
 歴史にたら・ればは無いが、いま、あしへい、ミシマが生きていたならば、「戦争をしないための軍隊」とは?、日本人と天皇(皇室)の関係について、いかなる見解、いかなる行動ありや?と問うてみたい。意味深長なことばを残したまま急逝した山崎豊子には「戦争をしないための軍隊」の本意と作品(『約束の海』)の結末をお尋ねしてみたい。令和の時代に生きる日本人の一人として。
 山崎、ミシマ、あしへいの御霊へ感謝合掌。 令和元(2019)年秋
   昭和94年戦争責任問題吾ガことにあり  烏有

<おことわり> 敬称は略させていただきました。内容はいかなる団体、グループとは関係はありません。
あくまで筆者個人の見解・責任であることをお断りしておきます。

<参考文献>
『天皇と日本人 ハーバード大学講義で見る「平成」と改元』 ケネス・ルオフ、訳:木村剛久、朝日新書704、朝日新聞出版、\810
『新編 国民統合の象徴』 和辻哲郎(佐々木惣一による和辻への反論を収録)、解説:刈部直、中央公論新社・中公クラシックス、2019/4/9、¥1,900 <いまも日本は「英国」である。>
『王室で読み解く世界史』 宇山卓栄、日本実業出版社、2018/12/20、¥1,700
『三島由紀夫と天皇』 菅孝行、平凡社新書896、2018/11/15、¥900 <天皇制と民主主義、対米従属と国粋主義。戦後日本の矛盾を見抜いた三島の先駆性とは。>

<参考>『あしへい20』p127より(『オルタ』166号/2017年10月参照)

Ⅳ.戦争をしないための軍隊
 <戦争をしないための軍隊>とは、作家山崎豊子(1924-2013)の絶筆となった『約束の海』(第1部、2014/2刊行)に構想されていた(『あしへい18』2015/12)。
 その具体的な内容が明らかにされる(第2、3部)前に残念ながら作家は亡くなってしまった。その中味は永遠の謎となり読者に委ねられてしまった。
 筆者の推測はこうである。<戦争をしないための軍隊>の精神は、打たせてアウトを取る野球であり、肉を斬らせて骨を断つ、昔の武芸の達人の奥義に近い。専守防衛を旨とし完全非武装中立ではなく日本国土を防衛する武装した常備軍組織である。「国土武装防衛隊(仮称)」と称し、通常兵器レベルの技術を所有し、敵(国)からの暴力、攻撃に対しては、戦争にルール(島尾敏雄(1917~1986))を設け国連決議に則った通常兵器による戦争は辞さない覚悟と勇気を持つ。「国土武装防衛隊(仮称)」はかねては天災人災大規模災害事故対応を実施する奉仕隊として活動する。
 いざ他国からの攻撃(含サイバー攻撃)対しては受けて立ち(専守防衛、集団的自衛権条項による国連決議遵守)、いかなる攻撃(核は除く)に対しても徹底的、赫々たる戦果を得る。現在の自衛隊レベルの規模(機能、予算、活動範囲)をベースとし、現行自衛隊と根本的に違うのは国民自身が自衛隊を正規の軍隊として認知(憲法9条へ加憲案など)する。そのためにこの一点に絞った憲法改正の国民投票による賛否を問う。
 <戦争をしないための軍隊>にいかなるステップで近づけていくか、バリアはとてつもなく大きい。憲法9条との整合性、非核3原則(持たない、作らない、持ち込ませない)を国是としている日本国として核保有国からの攻撃に対して如何に防御するか、過剰防衛(防衛を口実とする先制攻撃など)にいかに対処できるか、温存している武器弾薬を政府/軍が実戦で試してみたくなる誘惑にいかにストップをかけられるか、そして一番の難問は、時の政府自体がいわゆる『戦争プロパガンダ10の法則』の陥穽にはまらないようなタフな外交ができるか。その他偶発的・暴発的戦争の防止策など枚挙に暇が無い。

 (河伯洞会員)

※この記事は『あしへい22』(令和元年度)「火野葦平の戦争責任観シリーズ-9」を著者が転載を希望して投稿されたもので文責は『オルタ広場』編集部にあります。
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