【北から南から】
中国・吉林便り(26)

再会の歓びと惜別

今村 隆一


 中国の春節時が北華大学の冬休みで、年によって違いますが年始の6~8週間が、私の日本滞在期間です。その間にお会いできる方もいれば、お会いしたかったが会えなかった方もあり、行きたいところ、やりたいことも含め適わないことは常です。

●加藤代表との再会と別れ

 加藤宣幸さん(以下「加藤さん」)とは昨年1月31日に神田一ツ橋の学士会館でお会いして以来1年振りの再会で、私は指定いただいた2月16日午前中に九段のご自宅を訪ねました。加藤さんとは一年に一度の面会なので会話時間に不足でしたが、発行間近のメールマガジンオルタ(以下「オルタ」)の原稿チェックと校正に多忙な加藤さんへの邪魔は最小限にすべきと考え、2時間を目途においとましたのでした。私の眼には、加藤さんのご様子は昨年と変わらなく見えました。

 九段からの帰路立ち寄った神保町では約30年会っていなかった友人と会い昔からあるラドリオでウィンナコーヒーを飲みながら旧交を温め、その後古書店巡りをし地下鉄の駅に行ったら、ちょうど程よい開演時間だったのでジョージア(グルジア)映画『花咲くころ』を見ることとし、岩波ホールに入り席に座るところでSさんとばったり。Sさんとは昨年に続き今年も1月末の西田勝先生ご指導のもと「老子を読む会《和訳『老子(田岡嶺雲)』を主に岩波文庫『老子(蜂屋邦夫)』、その他を活用》」とその新年会でご一緒したばかりなのでした。加藤家訪問のお礼と神保町での楽しい出来事を帰宅後加藤さんにメール送信したところ、即刻『素晴らしい「神保町」良かったです。元気で吉林生活を楽しんでください。来年もお待ちしています。』との返信があったのが夜9時5分でした。だから加藤さんが翌日2月17日朝急逝されたとの報は私には青天の霹靂でした。

 加藤さんとの出会いは、2016年1月神田でのオルタ・オープンセミナーで丹羽宇一郎(前中国大使・日中友好協会会長)さんが「日中関係を如何に前進させるか」を講演されたおり、加藤さんにご挨拶したところ、一週間後の2月1日再度お会いすることになったのでした。2014年に私は加藤さんにオルタの読後感想を吉林から送信しておりましたので、加藤さんは私を記憶されていたのでした。
 学士会館でお会いした際、それまで中国深圳で日本語教師をされていて、オルタに現地ルポ「深圳便り」を執筆されていた佐藤美和子さんが日本帰国された、だからこれからは君が吉林の様子を執筆するようにと依頼を受け、結果として安請け合いとなって、2年間拙文を送信してきたのでした。
 私がオルタへの投稿に値しない文しか書けないと愚痴をこぼしたところ、加藤さんは自分はガンジーの言葉「永久に生きると思って今勉強しよう、明日死ぬと思って今日行動しよう」を励みにしている、良い言葉だろうと、お伝えくださいました。

 今回の訪問時では加藤さんは私に、右翼団体と呼ばれている「一水会」の機関誌月刊「レコンキスタ」を「お付き合いで機関誌を購読することになった」と見せてくださいました。一水会代表木村三浩さんがこれまで2度オルタに寄稿されておりますところからも、加藤さんの交際範囲の広さの証でもあると思います。

 その日、2017年の1年分の「レコンキスタ」を走り読みさせていただきました。掲載内容では象徴天皇についての見解は私と異なりますが、多くの分野については賛同できるものでありました。なかでも日米地位協定、沖縄米軍基地については、安倍自民党政権とは180度立ち位置が異っており、袴田事件を「警察・検察の罠」と矮小化せず「国家の犯罪」と痛快に断罪しているところは同感でした。加藤さんは「ウィングは広いほうが良いよね」とおっしゃいました。その後「産経新聞」の話題となり、「中国の歴史でサンケイの記事には稀に目を引くものがあるが、他の紙面全体は購読料を払ってまで読む気にはならない」と2人の意見は一致したのでした。私には加藤さんとお会いすることが日本滞在期間の貴重な楽しみであったことが、加藤さんを失って改めて判りました。

●大連駅での体験

 私は加藤さん逝去の傷心を引きずって、2月22日に成田を発って時差1時間の中国時間午後4時半に到着した大連空港からタクシーで大連駅へ25分で到着、タクシー代は30元(1元は17円)。現在大連経由で吉林と東京間は当日内発着が無理なのです。その夜の大連駅午後8時40分発吉林行きの夜行寝台に乗車。チケットは寝台上中下3段の下段を日本にいる時にスマホ決済で購入していたつもりが、大連駅で受け取るようすべき所を吉林での自宅受け取りと誤送信したことで、大連駅では駅の女性職員を散々困らせる羽目になってしまいました。チケットを受け取ることができないまま、女性駅職員の誘導をいただき改札を抜け、チケット指定車両に乗せてもらい、指定寝台席にチケット無しで乗り込むことになるなど考えられないことになりました。

 このようなことは普通できない事ですが大連駅のスタッフは皆さん承知の上で連絡を取りあい結果として私を乗車させてくれたのでした。そして列車内でチケットの再発行をしてもらったのでした。手数料は2元(約35日本円)、チケット代金の233元(約4,000円)は中国で今や大流行のスマホ決済しておりましたので不要でしたが、明らかに私の購入方法が間違った私の失敗でした。それを承知で大連駅の職員たちは私を助けてくれた?のだと理解しています。このような誠意と親切?を中国の鉄道で受けるとは思っていませんでしたので、私にはこのようなサービス精神は驚きを伴った感激と感動体験でありました。「?」と記したのは真実の確認のしようがないので私の受け止めでしかありません。

●再びの吉林と中国

 日本を発った日の朝は、天気予報には無かった降雪でした。気象予報の的中率が高い日本だと思っていますが、珍らしく外れました。大連到着時の気温は3度、翌朝5時半に到着した吉林は零下11度でした。沿海部の大連より内陸部の吉林は10度から15度ほど気温差があります。冬は極寒の吉林ですが降雪は少なく、積雪も年によって違いますが、到着日は市内では雪が全くありませんでした。家に着いて昼近くなると天気予報通り降雪となり、雪がなかった1階にある私の借家の庭は一面雪に覆われてしまいました。
 2月28日は天気予報通り、未明からの雪は中国の東北地方全体にもたらした大雪となり、3月1日は吉林市中は20センチの積雪で、早速主要道路は除雪作業が始まりましたが、これまで車線のない道路まで除雪が完了するのは雪が止んでから4~5日かかっていました。

 3月1日と2日は「周恩来誕辰120周年記念」として TvNews では特集を組み、周恩来(1898年3月5日生)を「人民的好総理(人民にとって良い総理)」と讃え、功績を紹介しました。純粋に生誕記念日に合わせたのか?他の理由があるか?は判りませんが、これほど大きく周恩来が讃えられ報道されたことは、この10年間では私の記憶にはありません。
 丁度第13期全国人民代表大会(第13期全国政協第1回会議は2018年3月3日からで、全人代は3月5日から20日までの予定)の開催時期と重なりTVとネット上でも盛んに賛美されました。

 3月3日土曜日は所属している囲碁「八弈会」の月例活動日で、朝から雪でしたが3ヶ月振りにいつもの会場ホテルの「連大賓館」に行き、ホテルの従業員や囲碁仲間と再会、昼食はいつもの「そうめん」と、夕食はいつもの14品のおかずとご飯の「中国料理」で白酒(バイジュウ)とビールを酌み交わしながらいただきました。料理はホテルの厨房で作るもので、作る人がいつも同じなのでしょう、味付けは塩も油も東北料理らしく多く、私にはお世辞にも「美味しい味」とは言えない料理ですが、従業員に「味はどう?」と聞かれると、相手のメンツを潰さないように、いつも「挺好的(ティンハオダ):なかなか良い」と答えることにしています。

●再会と再開

 北華大学授業開始一日目、午前中は漢語学習で会話と作文、午後は日本語指導の会話が続けて2クラスと、第一日目は時間がとても長く感じました。今学期の日本語授業は2年生2クラスの日本語会話と3年生2クラスの視聴解が私の担当となりました。4クラスどちらの学生も前学期に担当したので皆顔見知りです。私にとって一番喜ばしいことは、彼等が北華大学で日本語を学ぶ選択をして良かったと感じられることです。彼等の授業態度、真面目不真面目、成績に関係なく彼等が日本の何かに関心を持ってくれることを期待して授業に臨みたいと思っています。再会を歓び、別れを惜しむ7月の期末目指しての取り組みです。

 3月8日 TvNews が昨年8月の地震で被害を受けた四川省の世界自然遺産・九寨溝(きゅうさいこう)が8日から開放されたと伝えました。部分開放ですが来年3月7日までの1年間、入園を1日2,000人までとし、旅行社主催の団体旅行のみです。この世に存在する美しい自然美を備えた地域の参観が再開された報を喜んでいます。

 3月10日11日続けて TvNews では日本の森友学園への国有地売却での答弁者佐川国税庁長官辞任と麻生財務相を紹介する一方、安倍晋三・昭恵夫妻の関わりを紹介しました。モリカケ問題については昨年の2月以降も時々紹介しておりましたが、籠池夫妻長期拘留に日本の検察・権力の奇怪さが、私には醜く感じて仕方ありません。

 (中国吉林市北華大学漢語留学生・日本語教師)

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