■【北から南から】

深センから ~『写真にまつわる話 その二』~    佐藤 美和子

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  雲南省のガンランバという小さな村を訪れ、メコン川の河原で知り合った人た
ちの住む小屋で手料理をご馳走になったり、彼らの出稼ぎ生活事情を聞いたりす
るうちに、だんだん日が暮れ始めてきました。日が短い冬のこと、そろそろ腰を
上げねばと思っていると、一番年嵩の男性が、一つお願いがあるのだが、聞いて
もらえないだろうか?と遠慮がちに言い出しました。

 お願いって何だろう?辞書を介してやっと会話が成り立つ程度の語学力の外国
人留学生にできる事なんて、たかが知れています。もしかして、日本へ出稼ぎに
行きたいから保証人になってくれという、よくあるパターンだろうか。貧乏留学
生とはいえ、掘っ立て小屋に住む彼らに比べたら、十何倍だか何十倍かわかりま
せんが私の方がはるかにお金を持っているに決まっています。やっぱり生活が厳
しくて、いくらか援助を頼まれるのかも。一瞬の間に、色んなことが頭の中を駆
け巡りました。しかしそのあと彼が言い出した言葉に、最初に彼らの掘っ立て小
屋を目にした時よりも更に驚かされました。彼のお願いとは、ただ写真をもう一
枚撮って欲しい、というだけのことだったのです。

 あなたはさっき河原で僕ら二人の写真を撮ってくれたが、夕飯の支度をして待
っていたこの男の子は一緒に写れなかった。それからこの奥の丘の向こう側には
、自分たちと同じように遠くから出稼ぎにやって来て、居ついた仲間がいる。彼
らも自分たちと同じような生活で、写真を撮るようなチャンスは滅多にない。も
し頼めるなら、彼らも呼んでくるので一緒に写真を撮ってやってくれないか。み
んなきっとすごく喜ぶから。

 彼のお願いをいろいろに邪推した自分が恥ずかしくなりました。言われるまで
気づきませんでしたが、丘向こうに目をやると、夕餉の支度をしているのであろ
う煙が数本立ち昇っています。確かにこんな田舎では、写真館どころかフィルム
すら売っていそうにないし、彼らの生活環境や服装からしても、カメラなんて持
っているはずもありません。でも本当にほかの人たちは、とつぜん現れた外国人
に写真を撮られたいなんて思うものだろうか?と少し疑いつつも了承すると、彼
らは早速丘に登り、そのてっぺんから「おーい、みんなー、写真を撮るぞー!」
と、呼び集めだしました。

 待つ事5分、20人ほどの人たちが集まりました。女性もちらほら居ますが、ほ
とんどがよく日焼けした20~40代の男性ばかりです。ではさっそく写しますよ~
と声をかけると、30前半くらいの男性が突然、あっ、ちょっと待ってくれ!と慌
てだしました。5分、いや、3分でいい。お願いだから写真撮るのは待ってくれ、
すぐに戻ってくるから!と言い置いて、数百メートル向こうに見える小屋へ駆け
戻っていきました。小屋に入ってからも、
  「まだ写真撮ってないよね?まだ撮ったら駄目だよ、頼むから待っててくれよ
!」と、何度も小屋の扉から顔を覗かせます。何をしに家に戻ったのかと不思議
に思っていると、片方の革靴を小脇に抱えた彼が、靴下を履きながら片足ケンケ
ンでこちらに戻ってきました。素足にサンダル履きだった彼、スナップ写真を撮
るために、わざわざ家に駆け戻って革靴に履き替えてきたのです。仲間の写真も
撮ってやって欲しい、というお願いの重大さと、彼らの大変な生活が少し垣間見
えたような気がしました。

 他の人たちは、みんなを待たせておいて自分だけオシャレしてくるなんてズル
イぞ!などと野次を飛ばしながらも、片足で跳ねつつ靴下を履こうとしてジタバ
タしている彼に、一同大笑いです。そういえば、無口で食事中もほとんど私に話
しかけようとしなかった調理担当の18歳の男の子、さっきは穴あきのTシャツ姿
だったのに、いつの間にやらアイロンのかかっていないワイシャツに着替え、紺
の背広ジャケットまで羽織ってニコニコしています。みんなが集まるのを待つ間
に、彼はいち早く着替えてきていたようでした。

 みんなの準備が整うのを待って、集合写真を数枚撮りました。ガンランバに来
てからは、写真を撮る機会なんて全然なかった。君が写真を送ってきてくれたら
、自分が元気でいる事を知らせるために、写真を故郷の実家に送ってやりたいん
だ、なんて話しかけてくる人もいました。

 写真を撮るのにてんやわんやしているうちに、すっかり日が暮れてしまってい
ます。私が泊まっている高床式住居の宿は、ガンランバ村の中心部にあります。
ここへやってきた時は、水牛や蟻んこの行列を見かけるたびに立ち止まりながら
だったので2時間近くかかりましたが、帰りはどんなに急いでも街灯もまばらな
夜間の未舗装道路、小一時間はかかりそうです。写真は必ずガンランバ郵便局に
送るからね、まだ旅の途中だから1ヶ月位かかると思うけど、時々郵便局へ届い
てないか確認しに行ってね、と急いで別れを告げて帰ろうとしたとき、最初に声
をかけてきた二人組のうち20代半ばの方の男性に、ちょっと待って!と引き止め
られました。

うわぁ、これ以上遅くなったら夜道が怖いんだけど・・・・・と困っている
と、すぐに自転車に乗った彼が現れました。仲間に借りてきたという、古くて
ボロボロの、郵便屋さんタイプの大きな自転車です。君の宿はたぶんガンラン
バの中心部あたりだろう?時間が遅いから急いで漕ぐけど、落っこちないよう
しっかりサドルを掴んでいなよ?と言って私を後ろに乗せてくれたのでした。

 いくら一本道で迷うことはないとは言え、この日到着したばかりの土地で真っ
暗な田舎道をとぼとぼと歩いて戻る羽目になってしまい、ちょっと後悔し始めて
いたところでした。苦手な虫や蛇でも出てきそうな未舗装道路、怖いから全速力
で走って帰ろうかとまで思っていた私、タイヤの空気が抜けていてスピードが出
ない自転車を一生懸命漕いでくれる痩せた彼の背中が大きく頼もしく見えました

 その後北京に戻ってから、焼き増しした写真を入れた分厚い封筒をガンランバ
の郵便局に送りましたが、彼らが無事受け取れたのかどうかは分かりません。ど
の写真も写っている人数分焼き増ししましたが、故郷へ写真を送りたいという人
の言葉を思い出し、一番よく撮れている写真だけは一人二枚ずついきわたるよう
に、倍の枚数を焼き増しして送りました。もし無事に彼らの元に届いていたら、
一枚はあの掘っ立て小屋のどこかに飾られ、もう一枚は故郷の家族の元へと送ら
れていることでしょう。20年近く経った今でも、写真を撮るのに靴下と革靴に履
き替えてきたオシャレな人や、彼らにとってより高価なお肉ばかりを私のお茶碗
に乗せてくれたこと、一日レンガ造りの重労働で疲れているだろうに、夜道が怖
い私の為に自転車を調達してきて一生懸命漕いでくれた人の背中を思い出しては
、ホンワカした気分になる私です。

             (筆者は在中国・深セン日本語教師)

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