北のたより(11)

◇北の便り(11)                南  忠男

       (1) 萱野茂さん(アイヌ民族初の国会議員)逝去
       (2) 市町村合併にノー
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(1)萱野茂さん(アイヌ民族初の国会議員)逝去

  5月6日 アイヌ民族初の国会議員(元参議院議員)萱野茂さんが逝去され
た(79歳)。 同氏はアイヌ文化の伝承、先住民族の権利獲得、環境保護運動等
に多大の貢献をされた。「日本はアメリカ等々と異なり単一民族なので優秀」(中
曽根総理在職中の失言)をはじめ、この種の現職閣僚の発言があとを絶たず、ま
た、「先住民族」と言う言葉が法的な概念として未確定だからとの理由で、札幌
市の環境基本条例(案)の前文から削除される(1995年12月の札幌市議会)な
ど北海道自身の問題としても反省しなければならないことも多い。萱野さんの遺
志を継ぎ、先住民族アイヌの人々の知恵に学びながら北海道の大自然を守ってい
かなければならない。

(2) 市町村合併ノー
◇合併のすすまない北海道
 平成の大合併がこの3月末で一段落した。中央政府のアメとムチによって強引
にすすめて来た市町村合併、「市町村の合併の特例に関する法律」が今年4月1
日に失効し、アメの政策が無くなるために駆け込み合併が行われ、一応区切りが
ついた形である。

 20世紀末に全国で3232あった市町村が、この4月1日には、56%、約
半数の1820になった。北海道においても、極くわずかであるがこの駆け込み
合併が見られた。市町村の数は212から180に減少したが、減少率は15%
で微々たるもの(全国平均は43%の減少率)である。大阪府・東京都・神奈川
県の大都市に次いで全国四番に遅れている。
 
◇強くなる総務省の圧力
 道にたいする総務省(旧自治省)の圧力もいっそう激しくなり、道はようやく
重い腰をあげて、合併の組み合わせを示す「市町村合併推進構想」なるものを来
月・6月にも策定して市町村を合併に誘導しようとしているが、そんなに簡単に
すすむわけがない。
 
 しかも、今回の合併が目の前にぶら下がったニンジンにつられた駆け込み合併
のため、いびつな形も多く、ひと月も経たないうちにさまざまな問題が浮かび上
がって来ている。合併の成果が乏しく、ほころびばかりが拡大されれば、「合併
ノー」の声はさらに強まるだろう。以下、北海道の合併市町村のほころびの現状
について紹介する。
 
◇「百年の大計」なく「目先のアメ」に惑わされる
 さきにも述べたように今回の合併は、合併特例法で用意されたアメ(主として
合併特例債~合併に必要な施設整備費について地方債をくみ、その元利金の返済
について国が地方交付金で面倒を看るというもの等々)に惑わされた駆け込み合
併が多いため、合併協議がまとまらず一部の町村が脱落したままの飛び地合併や、
ウナギの寝床のような細長い形など、いびつな形が多く見られ、行政の効率化と
はとても言えない結果となった。
 
 また前号で紹介した、根室市に隣接する別海町のように東西61キロ南北44キロ
の広大な面積に人口1万6千という北海道の特性から、今回の合併によっても人
口1万前後という、ミニ合併も多く見られる。
 
◇合併により希薄化した住民の自治意識
 「大きくなれば遠くなる」と言われるように、合併によって住民の自治意識の
希薄化が見られることである。合併により新しく誕生した自治体の首長選挙では
投票率が、旧自治体の直前の首長選挙に比較して大きく低下している。例えば去
る4月23日実施された洞爺湖湖畔の町~洞爺湖町での、町長選挙の投票率は
74.13%で直近の1998年の旧虻田町長選挙(86.25%)97年の旧洞爺村村長選挙
(93.92%)をともに10%以上下回っている。
 
◇消えるマチの個性
 ユニークな町づくり村おこしで発揮した町や村の個性が、合併で消えることは
大変遺憾なことである。オホーツクに近い新遠軽町は旧遠軽町・白滝村・丸瀬布
町・生田原町の4町村が合併して誕生した人口2万3千6百の町。旧生田原町が、
文学のまちづくりをすすめ「まちの顔」としてきた「オホーツク文学館短歌賞・
俳句賞」が今年から廃止されることになった。
 
 この短歌・俳句賞は9年の歴史を重ね、毎年、道内外から小中学生を含む一千
人の応募が集まる道内有数の文学賞に成長しており、その消滅が惜しまれている。
 文学賞と言えば、私の住む旭川市も、旭川ゆかりの詩人・小熊秀雄の精神を継
ぐ優れた現代詩に贈られる小熊秀雄賞が、財政難から次回の第40回を最後に終
了することになった。「貧すれば鈍する」とはこのことである。
 
 小熊秀雄は1901年小樽に生まれ幼少期をカラフト、青年期を旭川(新聞記者)
でおくり、27歳のときに上京して39歳に没。
 ここに理想の煉瓦を積み
 ここに自由のせきを切り
 ここに生命の畦をつくる
 つかれて寝汗掻くまで
 夢の中でも耕やさん
 (無題・遺稿)旭川市常盤公園小熊秀雄詩碑碑文

 私が旭川大学で講座をもっていた折、長野県から来ていた女子学生に「旭川を
選択した動機」について聞いたところ「三浦綾子さんに魅せられた」とのことで
あった。三浦綾子さんはとくに女子学生に人気があったようで、私の娘も学生時
代、旭川出身だと言うと、三浦綾子さんが話題になり、「親戚のお菓子屋で~氷
点~という美味しい和菓子を作っている」という話をしたら、「是非食べてみた
い」とのことで、夏休みで帰郷の際お土産に買って帰ったことなどを憶いだして
いるところである。ハコモノをいくら並べても所詮は金太郎アメに過ぎないこと
を銘すべしである。
 
◇ 合併で崩壊した予防医療
 先駆的予防医療で全国から注目されていた「瀬棚方式」が合併で崩壊した。函
館に近い、せたな町は瀬棚、北檜山、大成の旧3町が合併して生まれた人口1
万8百の町である。旧瀬棚町は全町民へのインフルエンザの予防接種や、全国初
の65歳以上町民肺炎球菌ワクチン接種の助成など予防医療を次々に打ち出し、
老人医療費の削減などで成果を挙げ、全国の注目を集めていた。

 せたな町は、旧3町時代からある3つの国保病院により医療体制をすすめて来
たが、旧瀬棚町での予防医療は、新しいせたな町の財政で支えていくのは無理だ
として、「瀬棚方式」を放棄することになった。「悪貨が良貨を駆逐する」とはま
さにこのことで、市町村合併のひとつの側面を有名に物語っている。

◇ 合併をしない宣言
 福島県矢祭町が01年10月「市町村合併をしない矢祭町宣言」を町議会の全会
一致で可決しているが、北海道でもこのような事例は沢山ある。住民投票、アン
ケートによる意向調査、地域別住民集会による意向集約等々形式はさまざまであ
るが、いずれも住民意思を基本にした意思決定である。
       (筆者は旭川市在住・元旭川大学非常勤講師)