回想のライブラリー(16)

■回想のライブラリー(16)

                                                                          初岡 昌一郎

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  (1)

 私は小さい頃から新聞好きだった。中学生の頃は毎日中学生新聞をとってもらっ
ていたが、それよりも普通の日刊紙を好んで読んでいた。
 昨年の退職までは、日刊4紙に目を通すのを日課としていた。しかし、日本の新
聞が個性的でなく同じような記事ばかりの昨今、いさかかうんざりしている。数年
前までは、夕刊と共に宅配されるようになっていた英紙「ファイナンシャル・タイ
ムズ」を定期購読していた。同紙は国際記事が充実していたし、イギリスの新聞と
しては珍しく、見出しで記事の内容がわかるアメリカ的編集を早くから採用してい
た。この新聞の週末版は、書評、旅行、芸術、料理とワインなどの特集が充実して
おり楽しみだった。
 
旅行から帰ってくると、郵便物だけではなく、新聞や雑誌類の山と格闘するのが
大変だったが、楽しみでもあった。姫路に通っていた17年間、週末に帰宅してま
ず取り組むのが留守の間の新聞を読むことだった。
 引退後は経済的負担も考えて定期購読紙誌を減らそうとしているが、まだ日刊3
紙は継続している。英字紙はやめ、英文雑誌としてロンドンの週刊『エコノミスト』
とアメリカの隔月刊国際関係専門誌『フォーリン・アフェアーズ』だけは読んでい
る。この他に、アメリカ民主党系の『フォーリン・ポリシー』誌も有楽町の外人記
者クラブ図書室で閲覧するようにしている。この図書室は雑誌類をみるために時々
利用している。

 『エコノミスト』は、政治的にはやや保守的で、ネオリベラル派的な自由競争原
理を擁護しているものの、それほどイデオロギー的ではない。ヨーロッパ各国での
政治的動向やアフリカとラテンアメリカの状況などに毎週かなりのスペースをさ
いており、国際情勢を把握するのに不可欠な情報誌だ。ヨーロッパなどほとんどの
国の選挙結果にかなりのスペースも割いている。残念ながら、日本の新聞や雑誌だ
けを読んでいたのでは、国際情勢をフォローできない。日本の紙誌類はカバレッジ
が狭い上に、分析記事が少ないし、多くが海外紙誌の焼き直しだ。
 
アメリカの『フォーリン・アフェアーズ』に比較しうる国際専門誌は日本にない。
日本で現れる論文のかなりのものがこれに掲載されたものをネタにしている。
 これらの雑誌、特に最近の『エコノミスト』誌には、アメリカのブッシュ大統領
の政策だけではなく、イギリスのブレア首相を批判する記事や論文が目につく。
 ブレア首相とその労働党政府がブッシュ大統領の外交政策、特にイラク戦争を忠
実に一歩一歩後追いしてきたことにたいするイギリスの世論の批判は、彼の高かっ
た人気を失墜させた。最近のイギリスにおける世論調査をみると、最も危険な国際
的人物の筆頭にブッシュがあげられている。彼の危険度は、金正一やイラン大統領
の脅威よりも上と判定されているのだ。
 内政面でもブレア批判は厳しい。特にとりあげられているのが、貧困と格差の拡
大である。
 1997年の選挙に勝利して政権についたブレアは、すでに10年の長きにわたって
政権の座にあるが、登場時に若々しさと雄弁で注目を浴びたわりに具体的成果が乏
しかった。

 彼の公約の一つは、貧困児童の根絶であった。1999年3月に彼は再度この問題
を取り上げたが、当初の意気込みは失われており「向こう20年間に達成する」目
標へと後退させていた。それでも、労働党政権は、この公約をさらに具体化し、
2004/5年度までに、貧困児童を四分の一に削減し、さらに2010/11年度には半分
にするという目標を掲げた。
 ブレアが公約した当時、イギリスの貧困児童は310万人とみられていた。これは
イギリスの1250万の子ども達の約四分の一にあたるものであった。そして、その
後の6年間に3兆円以上の貧困対策費(その多くは貧困家庭への現金支給という形
で)が支出された。これは、過去の児童手当等の子ども対策費用をはるかに上回る
ものであった。
 しかしながら、今夏の『エコノミスト』誌によると、貧困児童は340万人へとか
えって増加している。この間に所得分配の不平等が大きく進行して、格差拡大によ
る貧困が増加してきたことの結果であった。貧困児童は、伝統的には失業者や片親
家庭(多くの場合が母子家庭)から発生してきた。ところが、最近は「ワーキング・
プア」の家庭から生れてきているのが新しい特徴である。短期の契約労働、臨時職、
パートタイマーなど、いわゆる非正規労働の増加から生れている。これがまさに世
界的傾向だ。

 近着の『エコノミスト』によると、ブレア政権下の8年間に、イギリス社会にお
ける所得格差が戦後最大となっているという。保守的政権下ではなく、労働党政権
下でこうなったのが重大な問題だ。
 何故なのかという疑問が当然わく。それは、ブレア政権がサッチャー流の民営化
推進や規制緩和による競争化政策のほとんどを引継ぎ、場合によってはそれをさら
に徹底させてきた。このようなネオリベラル的政策の労働党版が「第三の道」と称
されてきた。このような路線が格差を戦後最大としたとみられる。
 特に、最富裕層は相続税と累進的所得税の軽減によって非常に優遇され、イギリ
スでも億万長者が急増した。これはアメリカと日本での近年の、そして今さらに推
進されようとしている政策の方向と軌を同一にしている。
 
同誌の分析によれば、サッチャー時代には労働党は野党として社会的公正を主張
する抑止力として作用し、ネオリベラリズムにブレーキをかけていた。しかし、同
党が政権について「第三の道」の名で同様な政策をとることで、このような左翼的
抑止力が政治的に喪失してしまい、抑制されない格差拡大を招いたとみられている。
 これは他人事ではない。今の日本における民主党が政権につく“危険”はあまり
ないが、今のこの党の政策や政治行動、特にいわゆる“若手のホープ達”の言動を
みると、自民党政権下よりもひどい格差社会を助長しかねないと懸念される。

 イギリスで進行している教育改革は、競争原理の導入を公教育にも導入しようと
するもので、これは日本の議論のモデルにもなっている。
 かつてのフランスでミッテラン大統領の登場とそれに続く社会党政権が、その当
時盛んであった「自主管理社会主義」論にとどめを刺したように、ブレア政権の10
年は、昨今もてはやされた「第三の道」を葬り去った。
 ヨーロッパでは、今や左翼的勢力の新たな登場が話題を提供するようになってい
る。ラテンアメリカでははっきりとこの傾向がここ数年の選挙結果を通じて現れて
いる。去る11月のアメリカの中間選挙でも、イラク戦争だけではなく、社会的公
正という課題が前面に出され、民主党躍進の原因の一つになっている。
 アジアにおけるこのような胎動はまだ萌芽的なものかもしれない。しかし、競争
過剰社会のひずみは、日本、韓国、中国、台湾など経済発展の大きかった諸国にも
はっきりと現れている。

  (2)
2006年10月末に、第12回目のソーシャル・アジア・フォーラムが東京で開催
された。これには例年のように、日本、韓国、中国、台湾より計57名の参加者が
あった。
 台湾の陳継盛や韓国の権重東のように、毎回ほとんど参加してきた人たちをはじ
め、大半の人たちがリピーターであり、すっかりお互いに顔なじみになっている。
 これまでは言い出しっぺとして、この会議を組織する上で中心的な役割を担わざ
るをえなかったが、すでに現役を引退したことでもあり、いささか草臥れてきた。
本音では、今回でフォーラムを打ち止めにしようと、ここ2、3年前から考えてい
た。しかし、継続を望む声に抗しがたく、今後も続けることになった。しかし、代
表を下りることを事前に了解してもらい、発足以来のメンバーである中嶋滋(前連
合国際局長、現ILO労働側理事)達に今回を最後にバトンタッチすることになった。

 今回のフォーラムの組織にあたっては、多くの団体や個人に協力を得た。フォー
ラムは持ち回りなので、4年に一回日本で開催する時に一番苦しむのが資金調達で
ある。
 フォーラム開始以来、同時通訳の費用と報告者の旅費等を日本が負担してきた。
それに、日本で開催するとなると、レセプションや食事代、雑費など4-500万円は
余分にかかる。旅費と宿泊代は原則として参加者の個人負担となっているが、万事
物価高の日本では工夫だけではすまないものがある。
 
毎年協力をお願いしている国際労働財団、全労済、自治労などに加えて、日教組、
郵政公社労組(旧全逓)、NTT労組(旧全電通)にも旧来からのよしみを頼って
助けてもらった。小島正剛(前IMF東アジア事務所長で、フォーラム開始時から
のメンバー)の骨折りもあり、IMF-JCが財政面だけでなく、今回は積極的に協力
してくれた。同協議会團野久茂事務局長は、中嶋滋と共に今回の日本側報告者を引
き受けてくれた。
 これまで公的な援助を受けたことはなかったが、今回はじめて国際交流基金に助
成金を申請した。しかし、見事に断られた。理由は不明。この基金の援助を受けて
いる多くのプロジェクトに比較して、実績の上でいささかの遜色もないのだが、会
議の性格や目的を嫌われたのだろうか。

 あてにしただけに、あわててさらなる資金確保に走らざるをえなかった。この面
で力になってくれたのが、電通共済小野寺良理事長(前NTT労組委員長)だった。
彼は旧くからの仲間で、私が親近感を持っている最後の世代に属している、もはや
数少ない現役ないし準現役の友人の一人だ。
 フォーラム準備の実務的な仕事は、藤沢初江と山中正和の二人に丸投げだった。
藤沢は国際郵便電信電話労連東京事務所長として全電通会館を根拠にして私が活
動していた時代(1972-95年)を通じて補佐してくれた人で、この種国際会議の組
織は手馴れたものである。フォーラムでも第2回以来、ずっと事務局を担当してく
れている。
 
山中との出会いは、1980年代末に彼が日教組国際部長だったときにさかのぼる。
90年代中頃に、当時私が理事を依嘱されていた教育文化総合研究所が児童労働問題
の研究委員会を発足させ、その主査を担当した時、彼は日教組副委員長として全面
的にサポートしてくれた。この時の報告書は、初岡編『児童労働‐廃絶にとりくむ
国際社会』(日本評論社、1997年)として出版されており、今でもこの問題の基
本文献の一つとして引用されている。このプロジェクトのメンバーは、藤井紀代子
(当時ILO東京支局長、後に横浜市助役)、中嶋滋(当時、自治労国際局長)、荒
木重雄(元NHK国際局チーフディレクター、当時桜美林大学教授)、山田陽一(元
連合国際政策局長、当時国際労働財団専務理事)であった。

 フォーラムの準備を始めようとしていた昨夏、日中国際教育交流協会常務理事兼
事務局長として、この山中さんが九段下に新しい事務所を開設したので、ここをフ
ォーラム準備の拠点として使わせてもらった。それだけではなく、大阪でのフォー
ラム(2002年)の時と同じように、東京フォーラムに公立学校教職員共済組合所
有のホテルを会場および宿舎として使用することになったのは、山中さんの骨折り
によるものであった。彼は、かつてこの共済組合の労働側監事をしており、その顔
とツテが役立った。
 
こうしたことも、もとをたどれば日教組元委員長だった田中一郎との縁にさかの
ぼってゆく。田中さんと知りあったのは、公労協、公務員共闘によるILO提訴(1972
‐3年)を通じてだった。当時、田中さんは日教組書記次長で政治担当、日教組右
派(構造改革派)のリーダーだった。当時の総評国際局長土岐千之がこのグループ
所属で私はとりわけ彼と親しく、彼の活動を様々な形でサポートしていた。
 田中さんは親分肌の指導者で、決断力に富み、一旦決断すると様々な攻撃や批判
にもたじろがなかった。日教組のいわゆる400日抗争と国際自由教員連盟加盟など
の天下分け目の決定当時、私は個人的に田中に非常に近いところにあった。この田
中さんが2005年に卒然として逝ってしまった。その死の3日前に電話で話したの
が最後となってしまった。
 山中さんが事務局長となった日中教育交流団体の理事に私がなっているのは、そ
の創立者である田中さんの指名によるものである。

  (3)

 今回のソーシャル・アジア・フォーラムのテーマは「変化する労働の世界と労働
組合の未来」であった。
 経済発展の著しい東アジアにおいても、労働の流動化と所得格差の拡大が顕著に
なっていることがそこでの議論でも明らかだ。労働の世界で共通するのは、非典型
労働という短期雇用がますます増大していることだ。
 韓国では2年以内の期限雇用がすでに半分以上となっている。日本と同様にこれ
らの労働者のほとんどが労働組合の組織外にある。日本と違う点は、これらの労働
者の権利を認め、何らかの保護を講ずるために、新しい立法を労働組合が要求して
運動しており、与野党を問わず主要な政党は、これを原則的に認めていることであ
る。ただ、具体的な立法作業になると、二つの代表的中央労働団体間に合意がなく、
政党レベルでも不一致なので、保護立法が近い将来に成立する見通しはない。
 
韓国と台湾では外国人労働者が増えている。いわゆる3K労働を中心に今後も増
えることを想定して、その処遇や権利をめぐって議論が公然と行われるようになっ
ている。日本のように研修生という名で安価な労働力を使用する便宜的な形で、現
状を糊塗しようとしていない点では、一歩を先に行っているともいえよう。韓国で
は、外国人労働者への健康保険適用が認められるようになっている。

 中国をのぞいて、結社の自由はいずれのところでも法的にも、事実上も原則的に
認められているが、公務員にたいする一定の制約はまだ残っている。韓国では組合
運動は一見活発だが、組織率は10%前後で低迷しており、最近では低下傾向をみせ
ている。これは常勤雇用の激減と関連している。台湾では、国民党支配下にあった
従来の総工会(CFL)に対抗して、国公営企業労組を中心に全国産業総工会(TCTU)
が結成されている。これに結集する組合は、労働基本権の憲法化(入憲)、三つの
安全保障(就業、職場および退職)、社会的対話(政労使間の協議)を要求してい
る。TCTUは民進党系とみられてきたが、民進党政府の推進する民営化をめぐって
政府と対立しており、最近では「政党からの独立と政党との自由な協力関係」を唱
えている。
 
中国では、労働組合は依然として共産党の全般的なコントロール下にあり、主要
な労働組合幹部は党の指名によって選出されている。しかし、市場経済化の進展と
共に、従来のような生産第一主義で、労働者を生産に動員するという、伝統的なレ
ーニン主義的ベルト理論では新情勢に適用しなくなったことがはっきりと認識さ
れるようになってきた。団体交渉という言葉はまだ公然とは使用されていないが、
労使協議と集団的契約の重要性が強調されはじめている。そして、労働組合が労働
者の利益と権利を守るための独自的存在であることを、現在の体制内で理論化しよ
うとする作業が始まっていることが、フォーラムに出された中国からの報告から読
み取れる。

  (4)

 フォーラムが終わってから1カ月ばかり後、急に中国に行くことになった。それ
は、かねてから山中さんが進めていた中国宋慶齢基金会と日中国際教育交流協会の
協力関係を作る予備的な話し合いが北京で行われることになったからである。事務
局レベルの実務的打ち合わせで、12月初めに北京に行ったのは山中さんの他に、協
会のもう一人の常務理事である黒田文男静岡県教組委員長と私の二人。
 日程が決まるとすぐに、基金会主席胡啓立に訪問をメールで連絡した。翌日に来
た最初の返信では上海福利会(基金会の姉妹団体で、これも胡啓立が主席)の主要
な会議のため留守をするので残念となっていたが、すぐまた次の日に彼からメール
が来て、上海行きの日程をやりくりして「12月4日の月曜日に会う」とのことだっ
た。

 日曜日夕方に北京に着くと、旧友の日中労働者交流センター副秘書長白立文が同
センターの高暁梅と共に出迎えてくれていた。彼はわがフォーラムの中国における
調整連絡責任者を総工会国際部副部長当時からつとめているのだが、今回の東京の
フォーラムに来られなかったので、早速この話になる。2007年には中国が開催地
を引き受けることになっているので、会場となる可能性の高い労働関係学院に滞在
中に案内してくれるという。
 北京では中心街にある王府井大飯店に泊った。格式は高いホテルではないが、便
利な位置にあり、ホテル代も高くない。これまで何回か泊った北京飯店に近いが、
それよりも従業員の愛想とサービスがとても良い。
 
夜は二晩続けて中心街の王府井に出かけ、外国人があまり行きそうでない大衆食
堂で食事をした。三人とも中国には何回も来ているのだが、こういう経験はしたこ
とがない。安上がりだっただけではなく、とても面白かった。注文には一苦労だっ
たが、従業員は親切だ。
 王府井大通はクリスマス商戦たけなわだった。ここに大きな店を構えている全聚
徳の北京ダックがいろいろなところで土産品として袋詰めで売られている。

 基金会で午前中の打ち合わせが済むと、その本部が所在するビル(逝江省政府所
有)の中にある杭州料理店での胡啓立主催昼食会に招待された。とても美味な軽い
中華料理で、会席料理風に一品ずつ銘々皿で出てくる。和気藹々たる雰囲気の中で
ご馳走になった。私より6才年長で77才になっている胡啓立も健啖振りを発揮し
ているので安心した。
 
彼は頭の回転が少しも衰えておらず、相変わらず話が早い。基金会との協力につ
いては、こちらの希望通り、いかようにでも応ずるという。わが協会としては、貧
困児童を援助するプロジェクトをまず試行的に立ち上げたいので、場所の選定を依
頼した。一番必要としている僻地はアクセスが悪いので、まず北京からあまり離れ
ていないところで、試験的に行うところを選ぶことが良かろうと示唆された。もっ
ともだということになった。今年から少しずつ動き始めることになるだろう。
 
もらった最新のパンフレットをみると、武田清子が日本人としてはただ一人、基
金会理事に名を連ねている。1986年に宋慶齢日本基金会が宇都宮徳馬等によって
設立されて以来、2000年に会を閉じるまで、先生はその理事長として中心的な役
割を果たしていた。先生の立場は、日本と中国との和解を政治やイデオロギーに関
係なく進めるという願いからスタートしており、私も同感だ。
 出発前に、宋慶齢日本基金会が出版した武田清子編『中国へのかけはし』(2002
年)を大急ぎで読んだ。おかげで、昨年基金会に招待されて行った時よりもより良
くその活動や目的を理解することができた。帰国後、早速、武田先生に電話で報告
すると、とても喜んでくださった。

 帰国前日、白さんの車で山中さんと一緒に北京郊外の労働関係学院を訪問した。
これは総工会の学校として設立されたものであるが、3年前より正規の大学として
認可され、4年生大学となって一般から学生を募集している。
 学長はフォーラムに参加し、報告者を2回もつとめた李徳斉だ。フォーラムの常
連である喬健や姜穎など、教授陣には知己が多く、歓迎昼食会はなごやかな歓談の
場だった。

 2007年のフォーラムの形式とテーマは今後の協議によって決定されるが、受入
れを担当する中国の仲間の意見が反映されるであろう。そうなると、今までのよう
な大状況を包摂する幅広いテーマの設定よりも、具体的な経験と意見の交流に重点
を置く問題設定の可能性が高い。
 その場合でも、所得格差やワーキング・プアの問題は避けて通れないだろう。
 訪中前に李大同『「氷点」停刊の舞台裏』を、そして訪中後に『「氷点」は読者
と共に』を読んだ。筆者は歴史認識に関する論文掲載をめぐって今春停刊となって
話題を呼んだ共産主義青年団機関紙「中国青年報」の週刊誌『氷点』の編集長であ
ったが、事件後にその責任を追求されて解任された人である。
 
この本を読んで感心することは、党と青年団中央宣伝部による停刊命令にたいし、
憲法に保障されている言論の自由をこのように停止させる権限の有無を団体上部
機関に正面から筆者達が問うていることである。憲法と党および青年団規約を盾に
とって、党と団の上層部に公開的論争を李大同がいどんでいることに、党前宣伝部
長をはじめとする著名な党幹部OBや知識人が実名でもって、それを支持する声明
や意見を出していることにも感銘を受けた。李大同は昨年12月下旬に来日し、公
開の講演も行っている。こうした批判が今のところ許容されていることに、この停
刊措置自体には納得いかないとしても、中国における法治主義が一定の進化をとげ
つつあるとみることができるような気がする。もちろん、今後について必ずしも楽
観視することはできないが。

 これに関連して想起するのは、昨年2月1日付朝日新聞が2面に掲載した小さな
記事である。それは、2005年12月7日号の『氷点』に掲載された胡啓立の「我が
心の中の胡耀邦」という論文が波紋を投げ、問題視されていると報じていた。前に
も書いたように、胡啓立は青共第一書記を胡耀邦の後継者としてつとめた。そして、
天安門事件で失脚するまでの胡耀邦時代には、政治局常務委員として党内ナンバー
3の位置にいた。2月1日付の朝日新聞の記事によると、この掲載にたいし、胡啓
立論文を正面から問題としない形ではあるが、党宣伝部から「氷点」は「新華社の
原稿以外のものを選択する権限は与えていない」と批判された。この事件の前にも、
歴史評価をめぐる論文の同誌による掲載が昨年6月に問題となっていた。そして、
1月11日号に掲載された中山大学の袁偉時教授による歴史教科書批判の論文が停
刊の引き金になった。こうみると、袁論文は、李大同が指摘するように、「見せか
けの表看板」としての口実だったようだ。

 「氷点」の胡啓立論文を世界平和研の小島弘を通じてその後入手し、よく読んで
みた。これは胡耀邦との出会いやその後彼に寄り添って活動してきた胡啓立の回想
記で、政治的な論文とはわれわれが読む限りとても思えない。しかし、歴史的評価
が微妙で、天安門事件を依然としてタブー視している党中央からみると、胡耀邦を
高く評価すること自体が政治的見解なのであろうか。
 この事件との関連は定かではないので速断はさけたいが、2005年12月下旬、胡
啓立とそれまで行っていたメールのやりとりが突然不通になってしまった。これは
彼の論文が問題視されていた時期と重なる。昨年の3月になって、メールアドレス
変更の通知が彼から舞い込んだ。これによって、また時々のやりとりが復活した。
といっても彼とのメールはで時候の挨拶や、訪中する友人を紹介する位で、私から
意見の交換を求めたことはない。目に付いたことは、旧いアドレスが明らかに彼個
人のものだったのにたいして、新しいアドレスは基金会の公式なものだった。

 「氷点」停刊の騒動を知ると、今日の中国でインターネットがいかに大きな役割
をはたしているかよくわかる。それだけに、当局は好ましくないとみるウェブサイ
トの閉鎖を、批判を抑える大きな手段として用いているようだ。
 ソ連・東欧の激変が今日大きなマイナスの揺り戻しをもたらしているのをみると、
中国がゆるやかではあっても、秩序が失われずに変化が進んでいくことに期待を寄
せている。韓国や他の多くの国々で近年立証されているように、政治的独裁から多
元的民主主義への移行は平和的に可能であるだけでなく、ベストである。この平和
的プロセスこそがその後の平和的な社会秩序形成のカギとなるからだ。暴力的ない
し騒乱的権力の移動はその後のプロセスを性格づけ、社会的安定を崩壊させること
を歴史が示している。
                   (筆者は姫路獨協大学名誉教授)
                                                  目次へ