【オルタの視点】

安倍首相の「驚きの言説」を知っていますか
—国会会議録のなかの「政治権力と放送メディア」めぐる論戦から—

浜谷 惇


 安倍内閣のジャーナリズムにたいする威圧がつづいている。仕掛けは、安倍晋三首相が2014年総選挙告示直前の11月に出演したTBSテレビ「NEWS23」で、番組の編集に苦情を呈したことに始まった。この苦情発言の直後から自民党もテレビ各社に要請書を手渡したり、幹部を呼びつけて事情聴取したりする言動を繰り返すようになった。

 こうして威圧の空気は放送メディアを萎縮させはじめた。現に今春4月からテレビ各社の報道番組から、国谷裕子キャスター(NHK「クローズアップ現代」)、古館伊知郎キャスター(テレビ朝日「報道ステーション」)、岸井成格キャスター(TBS「NWS23」)が降板することになる。昨年春には大越健介キャスター(NHK「ニュースウオッチ9」)も同じように番組から姿を消している。
 相次ぐ降板は、政治圧力による萎縮の今日時点の象徴的な出来事とみておかなければならない。

 今年1月に召集された国会では、放送法四条の「政治的公平」の解釈、運用をめぐって、放送行政を担当する高市早苗総務相から、四条にくりかえし違反するテレビ事業者には、「電波停止」が可能だ、とする発言がされるている。安倍氏も総務相見解を追認している。

 これら「政治権力と放送メディア」をめぐって国会ではどんな論戦が交わされているのか。安倍氏はどんな見解を述べているのか。筆者は、14年暮れの総選挙後の、15年以降から今年2月末までの間の国会会議録の関連部分を読んだ。
 会議録には、ジャーナリズムを「萎縮」させる安倍氏や高市氏の、時に威圧的、時に慇懃無礼、時に無茶とも思える答弁が繰り返されていた。同時に他方で、安倍氏らの威圧をチェックできない野党、萎縮する放送メディアやジャーナリズムにもどかしさを感じ取ることもできた。

 以下、国会会議録のなかの論戦から「安倍首相の言説」を中心に、(1)テレビで「番組の編集」に苦情を呈した安倍首相のおかしな言い分、(2)政府・自民党は放送メディアの番組編集に干渉、(3)政府統一見解の「個別番組で判断も」の説明に矛盾、(4)電波停止で威圧、でも「放送メディアは萎縮していない」と、(5)安倍首相の「国会審議」の姿勢にびっくり——の項目に沿って答弁を整理しながら若干のコメントを加えて紹介する。

◆◆(1)テレビで「番組の編集」に苦情を呈した安倍首相のおかしな言い分 ◆◆

 安倍首相は、14年総選挙の告示開始直前の11月18日にTBSテレビ「安倍首相に問う総選挙の狙い」に出演した。そこでアベノミクスの成果を語った後、TBSがインタビューした6人の街の声を流しところ、そのうち5人は景気回復を「実感していない」とする発言、「実感している」は1人であった。

 直ぐさま安倍氏は、「街の声、みなさん(人を)選んでいますよ。全然反映されていませんよ。これおかしいじゃないですか」、と編集の内容に苦情を呈した。
 さらに安倍氏は、岸井キャスターから安保法制や特定秘密保護法について問われると、「特定秘密保護法は、工作員やテロを相手にしているもので国民にはまったく関係ない。これによって放送が抑圧されるような例があったら、私は総理を辞めますよ」と語った。

 話題を国会会議録に戻すと、総選挙後の翌年15年3月3日の衆院予算委員会で前述の「苦情発言」を最初に取り上げた大串博志氏(民主)が、「かなり個別具体的な介入だと言われても仕方ない」と質したところ、安倍氏は次のように答弁している。(○印の後と<>内は議事録から抜粋したもの。……は中略、[ ]内の挿入は筆者。以下同様。)

○安倍内閣総理大臣 <介入というのは、放送する前に介入するわけですよ。私は、放送されたものを見て、これはおかしいと感じたわけですよ。……私の考え方をそこ[TBS番組]で述べるということは、これはまさに言論の自由で。……何ら問題ない。>

 事後なら「介入にならない」とはおかしな理屈である。
 この答弁に後日、細野豪志氏(民主)は、3月12日の同委員会で、「正直言って、ちょっと衝撃を受けたんですね」「表現の自由とか言論の自由を常にいかなる状況にあってもしっかりと確保するだけの状況をつくるのが総理の仕事であって、報道機関に対してクレームをつけて、それを言論の自由なんと言われたら、それは人権そのものに対する大変な侵害なんですよ」「[首相が]報道[番組の編集]に対して意見を言うことを言論の自由と言うことは、これからやめていただきたい」と、安倍氏に迫った。

 これにたいして安倍氏は答弁をさらにエスカレートさせている。
○安倍内閣総理大臣 <……もしかしたら、私の[TBS番組での発言]論調が、私に対して[キャスターが]議論を挑むと論破されることを恐れたのかもしれない、こんなように思うわけでありますが、いわば、当然、そこで議論し合えばいいだけの話ですよ。わざわざここで、予算委員会で何か、そんな、表現の自由とか報道の自由とかいうところから議論をするような話ではなくて、そこはまさに、番組において、私はそう思いますよということを述べた。……そうではありませんよという反論を、テレビ番組において反論をする権利もあるんですから、そこで反論すればいいじゃないですか。>

 安倍氏は、指摘されても自らの苦情発言が「放送番組の編集」の介入につながっていることを、考えてもみないようである。さらに会議録には驚くばかりの発言がつづいている。
○安倍内閣総理大臣 <私がその当該番組の関係者に電話して何かクレームをつけるというのとは違うんですから。その場に出ていて、国民の皆様の前で、私はこう考えますと述べている。それを圧力と考える人なんか、私は世の中にいないと思いますよ。それを、圧力とかそういう形で。そして、番組の人たちはそれぐらいで萎縮してしまう、そんな人たちなんですか。情けないですね、それは。極めて情けない。>

 ここで安倍氏の答弁から二つ問題を指摘しておきたい。
 一つは、街頭インタビューの内容に限らず、賛否の比率にまで踏み込んで政治的公平の基準を論じ、番組編集に注文を付けていること。
 二つは、自らが国の最高権力者で首相(政権与党の自民党総裁)という立場でテレビ出演しているにもかかわらず、あたかも一人の市民としての立場で出演したかのごとくすり替えて、「発言の自由」を持ち出して正当化しようとしていること。放送と電波メディアの許認可権を持つ総務相の任命権者である総理(首相)の地位にある人の苦情がどれだけ重いものなのか、安倍氏は理解できていないようである。

 国会議員が、時の首相にたいしてきびしい質問を出来ることについて小川敏夫氏(民主)は、「……[国会議員は]国会において身分が保障されて、そして国会での発言は責任を問われないということから、思う存分言いたいことも言わせていただいておるわけです」(参院予算委員会、14年3月20日)と言っている。

◆◆(2)政府・自民党は放送メディアの番組編集に干渉 ◆◆

 安倍氏の苦情発言から2日後の14年11月20日、自民党は、筆頭副幹事長と報道局長名でNHKと民放在京5社にたいして、選挙報道について具体的な注文を記した要望書を送付した。また同月26日には、自民党の報道局長名でテレビ朝日「報道ステーション」にたいして、放映された内容に問題があったとして、放送法四条の4項(意見の対立している問題については、出来るだけ多くの角度から論点を明らかにすること)の報道を求める、とした文書が送付された。

 安倍氏は15年3月3日の衆院予算委員会で、前述の、NHKと在局テレビ局5社にたいして要請書を送付した問題について次のように答弁している。
○安倍内閣総理大臣 <……副幹事長名の文書を発出したことは知っておりますが、これはまさに放送法にのっとって公正中立な番組づくりを要請したものである。>

 また、同年4月17日に自民党の情報通信戦略調査会(川崎二郎会長)は、NHK(「クローズアップ現代」のヤラセ問題)とテレビ朝日(「報道ステーション」で古賀茂明氏が政府批判した問題)の関係者を呼び、事情聴取した。
 この問題を15年5月12日、参院総務委員会で取り上げた吉良よし子氏(共産)は、「同調査会長の川崎二郎議員は事情聴取後の記者会見で、政府には停波[電波停止]の権限まであるなどとも述べている」と質問した。

 これに対して、高市総務相は次のように答弁している。
 「自民党の情報通信戦略調査会には、その答弁のために[総務省の]局長も呼ばれておりました。聞き得る限りのことでございますが、放送業界を取り巻く状況等についてという議題の下で、放送業者には任意で出席を求めたものであります。放送への政治介入に当たるようなものではなかったんだろうと受け止めております。」
 「仮にその会議の中で、明らかに放送法三条に規定されている放送事業者の在り方、こういったものを損ねるような発言がある、圧力を掛けるような発言があったとしたら、それは、その場に出席をされた、しかも任意である出席を求められて出席をされた放送事業者が堂々と放送できる、放送を通じて国民の皆様にお知らせをできるものだと思っております。」

 その席には、放送、電波の事業免許権限を持つ総務省の「局長」が同席していたとなると、そのこと自体に問題があるが、またかりに「局長」が同席していなくとも、政権与党の放送行政に絶大な発言権を持つ自民党の情報通信戦略調査会に呼ばれただけで、モノが言える雰囲気のあろうはずがない。テレビ局側が何もモノを言わなかったから介入はなかった、とする高市氏の答弁そのものが、安倍氏のモノの言い方と同様で気になる。

 自民党の放送メディアにたいする乱暴な批判発言は、昨年6月25日に自民党「文化芸術懇話会」などから、断続的に今も続いている。

◆◆(3)政府統一見解の「個別番組で判断も」の説明に矛盾 ◆◆

 安倍氏の苦情発言を受ける形で、藤川政人氏(自民)は15年5月12日の参院総務委員会で、放送法四条の「政治的公平」に新たな判断基準を促す質問を行い、高市氏は次のように答弁した。
 「政府のこれまでの解釈の補充的な説明として申し上げますが、一つの番組のみでも、国論を二分するような政治課題について、放送事業者が一方の政治的見解を取り上げず、殊更に他の政治的見解のみを取り上げてそれを支持する内容を相当の時間にわたり繰り返す番組を放送した場合のように、当該放送事業者の番組編集が不偏不党の立場から明らかに逸脱していると認められる場合といった極端な場合においては、一般論として政治的に公平であることを確保しているとは認められないものと考えます。」

 つまり、放送法四条の「政治的公平」の解釈と運用について、「補充的説明」を加えることによって「一つの番組」でも評価を下せる見解を明らかにしたことになる。この総務相見解にたいして、今年1月に召集された国会の衆院予算委員会で、野党委員は従来の解釈を変更したものであり、その理由を示すよう求めた。その結果、政府は2月12日、「政治的公平の解釈について(政府統一見解)」を示した。そのポイント次の2つにある。

 1つ。政治的公平の適合性の判断にあたっては、「一つの番組ではなく、放送事業者の番組全体を見て判断する」としてきた「従来からの解釈については、何ら変更はない」としつつも、「『番組全体』は『一つ一つの番組の集合体』であり、一つ一つの番組を見て、全体を判断するのは当然である」とした。
 この政府統一見解の解釈変更は、一昨年、昨年と安倍首相が、集団的自衛権の行使を容認する閣議決定と安保法制で見せた手法、説明の論理構成ともどこか似ている。

 2つ。一つの番組のみでも、例えば、(1)選挙期間中又はそれに近接する期間とにおいて、ことさらに特定の候補者や候補予定者のみを相当の時間にわたり取り上げる特別番組を放送した場合のように、選挙の公平性に明らかに支障を及ぼすと認められる場合、(2)国論を二分するような政治課題について、放送事業者が、一方の政治的見解を取り上げず、ことさらに他の政治的見解のみを取り上げて、それを支持する内容を相当の時間にわたり繰り返す番組を放送した場合のように、当該放送事業者の番組編集が不偏不党の立場から明らかに逸脱していると認められる場合——といった極端な場合においては、一般論として『政治的に公平であること』を確保しているとは認められない、とする「補充的」見解を示した。

 そして、安倍氏は、2月29日の衆院予算委員会で、統一見解で示した事例に当てはまるものとして、総務省が過去に「厳重注意処分」した二例をあげた。事例の一つ。
○安倍内閣総理大臣 <これは小泉政権時代、私は官房長官だったかと思いますが、山形テレビが自民党一党だけの広報番組を放送したんですね。山形、地方の時代の危機という番組、これは85分の番組、自民党一党だけの番組を放送したわけでございまして、自民党政権でございましたが、それにはかかわりなく、この番組は行政指導が行われているわけでございます。>(総務省から厳重注意を受けた日は2004年6月22日)

 質問者の奥野氏は、すぐに山形テレビ放映の件は「一回だけ、繰り返していない」と指摘したが、安倍氏から答弁はなかった。事例の二つ。
 奥野氏によると、テレビ朝日「ニュースステーション」が「選挙直前に影の内閣、菅内閣の閣僚名簿を発表したんですよ、そのニュースを30分にわたってやったという案件なんですね」(総務省から厳重注意を受けた日は2004年6月22日)
 こちらも山形テレビの件と同様放映は一回のみである。奥野氏は、この二つの事例は「この統一見解にすら載らない恣意的な行政指導の例だと思うんですよ。だからこそ問題なんですよ。一つ一つの番組を見て指導するというと、そういうことが起こるわけですよ。だからこそ問題。」

◆◆(4)電波停止で威圧、でも「放送メディアは萎縮していない」と ◆◆

 高市氏は2月8日の衆院予算委員会で、テレビ局が政治的公平に反する放映を繰り返せば「電波停止もあり得る」と答弁をした。
 「……私のときに[電波停止を]するとは思いませんけれども、ただ、将来にわたって、よっぽど極端な例、放送法の、それも法規範性があるというものについて全く遵守しない、何度行政の方から要請をしても全く遵守しないという場合に、その可能性が全くないとは言えません。やはり放送法というものをしっかりと機能させるために、電波法においてそのようなことも担保されているということでございます。実際にそれが使われるか使われないかは、その事実に照らして、そのときの大臣が判断をするということになるかと思います。」

 以後、高市氏は国会審議や記者会見などを通じて、繰り返し「電波停止」の発言を繰り返し、安倍首相も「そのとおり」だとしてきている。

 また高市氏は、「電波停止」の根拠理由として「民主党政権時代から国会答弁で、[放送法四条が]単なる倫理規定ではなく、法規範性を持つものという位置づけで、しかも電波法も引きながら答弁をしてくださっております」をあげ、さらに「こういった形で国会答弁をしてこられました。これはずっとこれまで国会答弁で解釈を示してまいりまして、明文化されたものがないので、多少わかりにくいかと存じます」「これまでの解釈の補充的な説明として私が答弁させていただきました」と説明している。(ここで「民主党政権時代の発言」とは、菅直人内閣時代の2010年11月26日の参院総務委員会での、平岡秀夫総務副大臣の発言を指してのことだと思う。)

 質問者の奥野氏(民主)は、「この四条というのは、もともと昔から、古くは、まさに法規範性がない、努力義務だとずっと言われてきたんですね。だから、行政指導も行われてこなかったんですが、時代の流れとともに変わってきたわけですよ」と言っている。
 会議録を読むと、「政治権力と放送メディア」をめぐる安倍政権への追及の視点はよく分かるけれども、民主党が憲法二一条と放送法一条、三条、四条を含めた論点を整理し、争点を示して論争しているかといえば、今ひとつ理解できないところがある。この問題は別の機会に述べてみたい。

 ここで論点を「萎縮」の問題に移す。奥野氏は2月29日の衆院予算委員会で「今までの全体で見るという解釈をここで変えたことが、報道の萎縮を招いてキャスターの退任につながったんじゃないですか」と質問すると、安倍氏は次のように答えている。
○安倍内閣総理大臣 <……既に高市大臣が答弁をしておりますように、電波の停波については、従来の答弁と基本的にこれは変わりがないわけでございますし、萎縮していることも全くないんだろう、このように思います。>

 高市氏も「メディアは萎縮していない」という。「予算委員会において統一見解が示されたのは2月12日でございます。委員[奥野氏]が配付された資料の中にあった有名なキャスターの方々の降板については、この統一見解が示される前に決定していた旨、委員の配付資料によって明らかでございます。」

 前述したとおり安倍首相(自民党総裁)と自民党からの威圧は2014年11月の総選挙告示直前に始まっている。高市氏の「補充的説明」は15年5月12日である。こうした威圧は、放送メディアとジャーナリズムを萎縮、自主規制、忖度、自粛へと追い込み、政府のコントロールを加速させる動きとなっている。そして次なる狙いは、7月の参院選挙と国論を二分するような政治課題、つまり憲法改正問題にたいするテレビの番組編集のチェックに次なる狙いを定めているようである。

 山尾志桜里氏(民主)は2月15日予算委員会で、「高市大臣はこの予算委員会で、玉木議員とのやりとりの中で、憲法9条改正に反対する政治的見解を支持する内容を相当の期間にわたり繰り返して放送した場合にも、極めて限定的な状況のみという留保をつけながら、電波停止の可能性を否定しませんでした。……総理も同じ見解ですか」と質問している。安倍氏は次のように答えている。

○安倍内閣総理大臣 <高市大臣は、放送法にのっとって、いわばどういう状況になればこの放送法が適用される、こういう一般論的な話をされたんだろう、こう思うわけであります。当然、条文があるわけでありますから、その条文が適用される事態が起こればそういう状況になる、そういう解説をなされたわけでありまして、いわばそういう条文があるということについての解説であろう、このように思います。>

 山尾氏は、「総理も、憲法9条改正に反対する政治的見解が相当の期間繰り返し報道された場合に、この電波停止の適用があることをお認めになられた」と言い返しているが、安倍氏からの発言はなかった。会議録は誰が読んでも「電波停止」を認めたものと理解されるに違いない。

◆◆(5)安倍首相の「国会審議」の姿勢にびっくり ◆◆

 衆院予算委員会で政府予算案を採決する前日の2月29日、奥野氏は安倍氏に「政治権力と放送メディア」について同委員会での最後の締め括りの論戦を挑んだ。その質疑の最後に安倍氏は、自らが実践している議会制民主主義の下での国会審議の在り方の姿勢についてびっくりする答弁をしている。また、後段は同日の馬場伸幸氏(おおさか維新の会)にたいする冒頭の、これもびっくりの答弁である。

○安倍内閣総理大臣 <……[奥野委員は]一生懸命、三十数分使って、[安倍内閣を]イメージ操作しよう、レッテル張りをしようとしたんですが、これはなかなかうまくいかなかったのではないかなというのが私の感想でございます。>

 次は馬場氏に対しての答弁である。
○安倍内閣総理大臣 <野党はレッテル張りに流れがちでございますが、我々も、しっかりとそのレッテルを次々と剥がしながら国民に正しい姿をお見せしていきたい、こう考えております。>

 テレビ中継が入っていることを意識してのことであったかもしれない。安倍氏の議会制民主主義の下での審議というのは、イメージとレッテル貼りに勝つか負けるか、ということらしい。その前の2月10日には大串氏の質問に次のように答えている。

○安倍内閣総理大臣 <大串さんとしては、何か、我々の政府や我が党が高圧的に言論を弾圧しようとしているのではないかというイメージを一生懸命印象づけようとしておられると思いますが、これは全くの間違いであるというふうに申し上げておきたいと思います。安倍政権こそ、我々与党こそ言論の自由を大切にしていると思います。>

○安倍内閣総理大臣 <……法令としてあるものについて、……一般論として答えたことについて、それをすぐに、直ちに恣意的に何か気に食わない番組に適用するのかというイメージを広げるというのは、かつて、まさに徴兵制が始まるとか戦争法案と同じ手法だと私は言わざるを得ない、このように思う次第でございます。>

 以上、「政治権力と放送メディア」をめぐって論議された国会会議録を読んで、キーポイントとなる部分を抜粋紹介してきた。そこから見えてきたことは、安倍首相、高市総務相から、放送メディアとジャーナリズムをコントロールしようとしてする姿勢が繰り返されていたことである。それは、知性に裏打ちされた言論の力量を持って予算、法案、政策を競い合うあるべき国会審議が、安倍首相によって、イメージとレッテル貼りに勝つための国会審議に変質しているということでもあった。

(なお、本文中抜粋、引用した2016年の国会会議録は「議事速報」=未定稿によった。他はいずれも衆議院会議録、参議院会議録である。)

 (筆者は一般社団法人生活経済政策研究所 参与)


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