【コラム】
ザ・障害者(14)

地域とわたし

堀 利和


 社会福祉の分野では、今や「地域」と「支援」の言葉が花盛りとなっている。支援についていえば、高齢者支援、子育て支援、困窮者支援そして障害者支援、あるいは特別支援学校という具合である。たしかに以前のような「保護」の対象ということからすれば一歩前進であり、対象(主体)を支援するということでは評価もできよう。しかし、「支援」が対象を「主体」と認めているかどうかは本当のところ疑わしい。やはりそれは「客体」とみているのではなかろうか。
 障害者権利条約と自立支援法(現、総合支援法)の論議の中で、厚労省は権利条約の解釈からは福祉法では障害者を権利「主体」とはみていない。それはあくまでも支援の「対象」でしかない。

 さて、次に「地域」というキーワードについて考えてみたい。多少「私事」になってしまうのだが―。
 静岡盲学校中学部を卒業後、東京に出てきて高等部は3年間寮生活をした。そして、卒業後は3畳一間の下宿生活から始まった。文京、目黒、板橋、それぞれ2年。そして大田(10年3か所)、それから品川区では30年余り、2か所となり、流転の民である。若き頃の私にとっての「地域」は、食堂と居酒屋、銭湯であった。
 障害者解放運動にとっての「地域」は、コロニー政策に対する70年代初頭の「施設解体」、79年の養護学校義務化阻止闘争である。自立生活、地域で共に生きる、共に働く、共に学ぶ、これは地域闘争であった。

 そこから今日の状況と地域福祉を論じてみれば、見えてくるものは、地域をすでに奪われていた障害者と、地域を喪失した高齢者と、地域を踏み外したひきこもり・ニート・困窮者と、そして粗大ごみのぬれ落ち葉になった定年後のかつてのモーレツサラリーマンとで、今、地域での新たな出会いが始まっているといえる。しかしその一方で、政治・行政の上からの地域づくり、医療・福祉の専門家集団の連携と、伝統的保守陣営の町内会や商店街等の支えあいと、NPOやボランティアの活用による地域政策である。

 だが情けないことに私にとっての「地域」とは、商店街の何軒かの居酒屋、スナックでの出会いである。地域との向き合い方がそんな状態である私にとって、困った事態が起きた。災害弱者である私に対して、以前区役所から消防署への名前の登録をするかどうかのはがきがきて、私は承諾の返信をした。ところが、その後、今度は町内会に同様のおしらせをしてよいかの問い合わせがあった。私のプライバシーの情報が地元町内会に知られることとなる。公ではなく、見ず知らずの町内会の私人。たしかに最初に家に駆け付け、または避難所では近所の人は重要であるが・・・。

 地域とは何か? 空間か、時間か、人か、意識か、それとも政策なのか。とても厄介な、しかも都市部においては。

 ところで行政が縦割りなら、市民運動も縦割りである。課題ごとに、行政ごとにバラバラに分かれている。そこで昨年、私は、「品川市民活動交流会」を提案し、すでに2回行われて、6月には3回めの交流会が予定されている。
 これまでの交流会の発表は、視覚障害者、肢体不自由児の親、品川の障害者福祉を考える立場、グループホーム、こども食堂、地域でともに学ぶ、ひきこもりのサポート、在宅高齢者への美容師の出前、大崎再開発の高層住宅建設反対、羽田増便の低空飛行反対、リニアモーターカー反対、さよなら原発、9条総がかり行動などの人たちであった。
 ただし、そこでの確認は、自分たちの考えや運動をお互い押し付けず、任意にかつそれに同意しなくてもよいという約束である。学びあいの場、ゆるやかな寛容の「市民交流」である。
 わたしにとっての「地域」とは何か?なのである。

 (元参議院議員・共同連代表)

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