【オルタ広場の視点】

地方議員のホンネ~政党の「総支部」絶対体制と野党地方議員の弱体化

黒川 滋

 参院選があるので、国政選挙を担わされた自治体議員として、衆議院議員選挙を中心とした「総支部」中心の政党運営が曲がり角にきていることを報告いたします。正確な状況認識かどうかを判断するに余地があることをご容赦ください。私は無所属の市議会議員をしていますが、民主党、立憲民主党の選挙におつきあいすることで、党外から地域の政党のありようを考えることが多くあります。

 私が議員をしている朝霞市は、豊田真由子さんの(いた)選挙区・埼玉4区のなかにあり、2015年には悪目立ちした「NHKから国民を守る党」が、立花党首以外で初めて議席を取って、市長与党にして増長させた自治体です。自治体選挙の投票率は30%台前半、有権者から突き放された政治は退廃的な風土にあります。
 この埼玉4区は、上田清司県知事の衆議院議員時代の選挙区であり、民主党の衆議院議員が議席を維持したのですが、2012年自民党が豊田真由子さんを擁立し、ありとあらゆる手段で票を切り崩されてきました。上田・民主党陣営が旧勢力と癒着しつつ体制化するなかで、放置されてきた医療・福祉の課題に取り組んだり、国有地利用をめぐる地域対立を鎮静化させて、旧来の自民層と、自民党に抵抗感のない新住民無党派層の双方を支持につけることに成功しました。豊田さんが失脚した後も含めて、自民党が小選挙区で圧勝する構図になっています。こうしたなかで、機能しないのが、民主党系の組織の「総支部」というシステムです。

 社会団体でも同様の傾向だと思いますが、労働組合などの野党の支援団体の応援態勢が弱まっています。私が初めて選挙を経験した28年前は、労働組合は幹部が選挙事務所を仕切り、名簿も運動員も出して、公営掲示板のポスター貼りもほとんどは労働組合員が担う世界でした。
 21世紀に入る頃から労働組合は、名簿や組合員家庭に直送する選挙運動はがきの提出を渋りはじめました。団塊の世代の組合活動家が引退した今は、推薦をもらっても、主要産別の幹部が飛び飛びで事務所に貼り付いていただく他は、組合機関紙に名前を載せること、「祈必勝」の「為書き」をもらうこと、職場と無関係な駅頭での応援演説をいただくことが支援内容で、候補者が組合員と直接関わる場面に立ち会わせてもらうことは少なくなりました。公営掲示板のポスター貼りもほんのごく一部の分担で、その分、秘書や地方議員がかなりの量を分担しています。職場の多忙化など事情はあるのでしょうが、労働組合が話題の多くを選挙のことにさく割に・・・、という感じでいます。

 かつては事前運動の一環として行われた推薦手続も、権威主義と複雑な手続だけが形骸化して残り、候補者にとっては何度も何度も県庁所在地に行き、時間ばっかり奪われる感覚にとらわれます。安倍政権下で首相任意解散権が濫用され、総選挙が突発的に行われるようになって、候補者と労働組合との契約関係を十分協議する期間もなく実質的な推薦手続とならないまま、時間のないなか組合事務所と候補者事務所の間を往復し、労多くしてという状況です。

 労働組合が応援団として実態が喪失するのと並行して、選挙を進める側としては、手近な人材だけで選挙を乗り切る事務所が増えています。かつては、横路孝弘さんや江田五月さん、菅直人さんなどがモデルを構築してきた、市民に選挙の作業や運動をお願いして輪を広げる「草の根選挙」がありましたが、選挙が突発的に起き、候補者が簡単に変わるので、市民と候補者陣営の間に安定した関係が築けず、ポスター貼りという「作業」のお願いでさえ、頼める一般市民や支援団体は限られている状況です。
 その分、秘書や県組織の政党職員、所属地方議員に負担がぐっとかかっていると感じており、先日の参院選告示日の7月4日、人口14万人の朝霞市全体で180ヵ所の公営掲示板のうち、私には1人90ヵ所を担当することを求められました。告示日午前中までに貼り終えることを考えると、事前に地図で場所確認などして準備をしても1人(組)30~50ヵ所がいいところです。16時までかけてポスター貼りをしていた運動員もいました。こうした基本動作まで、衆議院議員候補の秘書や地方議員が大半を背負う状況になってきて、国政選挙で勝ちたかったら、地方議員の頭数を確保することが不可欠な状況です。

 一方、議会の解散がめったになく任期が安定している地方議員にとって、候補者や政党に魅力があるか、本人に強い党派性がなければ、好き好んで国会議員の手駒になる意味が見いだせないものです。衆議院議員候補は、時間をかけて地方議員を育てる必要がありますが、政党の側も地域の問題は衆議院議員候補任せで、選挙結果が少しでも悪いと、中央主導で形式的条件で懲罰的に衆議院議員候補が差し替えられます。さらに、政党が支持率低迷にあえぐと政党名の変更や政党の合併をはじめるので、国政選挙の候補者がじっくり人材を発掘してそのなかから地方議員を育てることは困難になっています。候補者差し替えを頻繁に経験した選挙区は、地方議員が国政選挙の担い手から遁走する傾向にあることは否めません。候補者の入替をもって、地方議員の集団離党が起きることも珍しくありません。

 現在の国会議員と地方議員の関係は衆議院小選挙区を単位とする「総支部」を中心に形成されています。1996年の政治改革後の初の総選挙以降、比例区の選挙結果も含めて衆議院小選挙区での得票努力が政党の消長の基本を決するようになりました。以後、共産党と公明党を除き、環境に適合させるように、選挙にともなう様々な政治資金の扱い、連絡網形成を通じて、党の組織の核を、中央=都道府県=市町村というつくりから、中央=衆議院小選挙区単位の「総支部」に集中させる組織改革を進めてきました。
 その結果、地方議員の政党での位置づけは「総支部」のさじ加減に左右されています。総支部が実質的な公認権をもち、衆議院議員候補の選挙対策で地方議員の候補者がリクルートされがちなので、自民党主流派に嫌われている二流保守が集められることも多く、中央の政党のイメージと全く違うタイプ、主張、体質の地方議員候補者ばかりが揃えられ、旧来の革新系に対する強い排除が行われることも珍しくありません。

 権力が属人的な「総支部」に集中してつくられているので、地方議員は、所属政党を離れやすくなります。国政野党の地方議員が離党した後は、強い党派性がなければ、「政策実現力」のために自治体内の権力構造に呑み込まれやすくなり、市長または県議会議員や町内会を通じた働きかけを通じて、保守系無所属、実質的な自民党体制に回収されていきます。落選した他市の民主党系の市議会議員の選挙を手伝い、落選が決まったその寒々しい深夜に片付けをしていたところ、地域のボスと自民党幹部と衆議院議員が、学校評議員ポストと落選中に食べていける雇用を手土産に、再起を促しながらスカウトにやってきたことを衝撃的に覚えています。

 「総支部」を中心に政党が地方議員や党員を集中統治させるシステムは、ひとたび政党が退潮傾向になると、落選した衆議院議員候補が地方議員の求心力を取り戻すのは困難に近く、末端から自然解散して崩壊していく仕組みでもあったと思います。
 2012年の総選挙の野党の敗北以降、このことが繰り返され、ペンペン草も生えない状況になっている選挙区が、かつての「革新自治体」や社会党や民社党の名門議員のいたような、意外な場所も見られます。今は、野党側に運動の核となる地方議員が本当に少ない状況です。学生運動経験者のような政治に主体的な問題意識をもった「おとな」がいなくなり、野党で出ようとしても、町内会コミュニティーとの調和がないと市町村議会議員が務まらないというような前提条件が、立候補を制約しているところがありますし、野党が国政選挙向けの政策しか作っていないことも課題のように思います。

 2017年に立憲民主党ができて、民主主義の原理的な理念を打ち出したなかで、地域の民主主義の担い手である地方議員との関係を構築し直すかと見ていました。都道府県組織に地方議員の所属を引き戻したようですが、実質的には総支部中心のシステムを採用し、衆議院議員事務所の意思を中心に現場で運用される関係は続いていると感じています。4月の統一自治体選や今回の参院選候補者擁立が難航したのは、そこにあったように思います。

 地方議員と政党との関係をもう少し安定化させる必要があり、党所属議員は、小選挙区候補者がだれであれ党の一員としての権利義務が保障されるよう、党組織に帰属させることが望ましいのだろうと思います。
 地方自治体の政治構造のありようにも影響を与えています。衆議院議員候補が、市町村長にご機嫌を取ることが重要な意味を持ち、政党所属の地方議員が、行政権のチェックが手ぬるくなる危険性も孕む、と見ています。このことはまた別の機会に整理したいと思っています。

<プロフィール>
 黒川 滋(くろかわ しげる)
 1970年生まれ。紙・文具・事務機卸売業のサラリーマン、自治労中央本部書記(保育・非常勤労働・組織などの担当)を経て、2011年12月~埼玉・朝霞市議会議員(無所属)、現在2期目。

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