フランス便り(12)

地方選挙の結果と地方分権の今後

鈴木 宏昌

●3月の地方選挙

 フランスでは、3月末に全国いっせいに地方選挙が行われた。フランスの一番基本的な行政単位であるコミューヌ(市町村)の首長と議員(任期は現在6年)を選ぶための選挙だが、ここで、オランド大統領の与党である社会党は記録的な大敗を喫した。約350ある1万人以上の都市の中で、実にその半分近くで、社会党系の市長が負けて、保守系の市長が誕生することになった。

 世論調査などで、オランド大統領が不人気であることは知られていたが、市町村議員と首長を選ぶための選挙なので、有権者は、国政のことよりは地域の関心事によって投票し、現政権にはそれほど大きな影響はないという見方が多かった。しかし、選挙結果は、与党社会党にとって惨めなものとなった。地方選挙とはいえ、2年前に大統領に選ばれたオランド氏にとってこれが初めての選挙だったので、この予想を超える与党社会党の大敗に、ショックは隠せず、首相の交代と内閣改造、社会党第一書記の交代、官房長官の交代と体制の立て直しに追われている。

 私の住んでいるパリ近郊の Nogent-sur-Marne 市(人口約3万人)でも、市長選挙があったが、6人の候補(実際には、それぞれ39人の議員候補者のリスト)が立候補した。そのうち4つは、保守系で、それに社会党、左翼連合(共産党系)であった。この市は、伝統的に保守が強く、今回も保守の現職候補(現在72歳で、これが4選目となる!)が圧倒的な強さで再選された。驚いたのは、決選投票(一回目の投票で、10%以上得票したものが決戦投票に残る仕組み)に出た4つのリストのうち、3つが保守系で、社会党の候補は、最低の4番目という結果だった。ただ面白いもので、河ひとつ隔てた Champigny 市は、昔から左翼の牙城で(長いこと共産党書記長の G. Marchais の地盤だったし、その昔 A. Thomas、初代ILO事務局長、が一期市長を務めたこともある)、今回も接戦ながら左翼候補が市役所を守った。

 パリ市の選挙は、女性候補同士のの激しい戦いとなった。社会党のイダルゴ候補は助役の立場から立候補、一方、N.コシュコ・モリゼ候補はサルコジ大統領のときに環境相を努め、大統領選挙の際には、サルコジ陣営のスポークス・ウーマンだった。結果は、辛くも、イダルゴ氏が社会党の牙城を守ったことになった。この選挙は、20あるパリの区ごとに投票するシステムで、その票の出方が面白かった。パリの西側の区(6区、7区、16区など裕福な階層が多い)のほとんどが、保守優勢で、東側は社会党または共産党と見事に二つに分かれていた(南西の14区のみ例外)。

 オランド政権に対する不満は、さまざまあるが、やはり究極的には、増税と回復しない失業情勢、そして明確なリーダーシップの欠如だろう。2008-2009年のリーマンショック後の景気浮揚政策で、国の財政赤字が拡大し(2012年には、GDPの4.9%までになる)、赤字上限を3%とするEU協定の実施を求めるEUからフランスに再三イエローカードが出されている。そのため、オランド大統領は、ここ2年間、財政赤字削減のために増税を行わざるを得なかった。また、公共支出が削減されるので、景気は回復せず、失業率はここ2年間10%を少し上回る率で推移している。このような客観的な要因の上に、オランド氏は、性格上、正面からの衝突を避けるところがあり、明確な発言をあまりしない。それが有権者には、リーダーシップの欠如と映るのだろう。なお、最近、オランド氏の私生活がスクープされたが、それが選挙結果に影響した可能性は少ない(ここは、アメリカなどと大きく違うところ)。

 さて、51歳で新首相になったヴァルス元内相は、中道寄りながら、行動力があり、国民的な人気が高い。しかし新内閣の顔ぶれを見ると、主要なポストはオランド氏の側近が占めているので、どこまで新鮮味を出せるのだろうか? とくに、社会党の左派は、中道派に近いヴァルス氏に批判的なので、与党内の結束が危ない状況になっている。EUからは財政赤字削減を強く迫られているので、オランド大統領あるいはヴァルス新首相の選択肢は少なく、相当に追い込まれている。オランド大統領にとり、また社会党にとり、次の大統領選挙がある2017年まで、残された時間が少なくなっている。

●フランスの行政組織と地方分権

 ところで、今回はこの市町村選挙と絡めて、フランスの地方分権の問題を紹介してみたい。フランスは、わが国と似て、中央集権の伝統があり、政治、経済、高等教育などがパリに集中している。近隣諸国が、最近、地方自治を大きく認め、権限の委譲を行っている中で、フランスの地方分権への動きは大変に遅い。もともと連邦国家であるドイツやスイスは別にしても、ベルギー、イギリス、スペインなどが地方自治を大きく認める方向に動いているのに対し、フランスの地方分権は、長い間、議論は多くなされても、実際の改革はあまり進まなかった。ようやく、1982年にミッテラン政権発足時に、大幅な地方分権改革を行い、新しい行政の単位として地域(région)を創設したほか、県(département)も県議会が首長(président du conseil)を選出するようになった。しかし、その後も、国、地域、県、市町村の間で、役割・権限などが絶えず変わる状態が続いているので、現在の制度が定着したとはとても言いがたい。その上、ヴァルス新首相は、最初の所信代表演説で、地域、県の合併を将来像として示しているので、これからも改革派と現状維持派で綱引きが続くことになろう。

 長い間、フランスの行政組織は、国、県、市町村(communes)であった。18世紀終わりのフランス革命の時に、この行政組織の構造ができるが、その後、今日まで、行政単位はほとんど変わっていない。この間に、多くの体制の変革(ナポレオンの時代、王政復古、共和国制、そして2回の大戦)にもかかわらず、行政組織はほとんど手付かずで推移して来た。もっと言えば、後述するように、県は国の出先機関だったので、コミューヌのみが地域自治組織だった。これには、多少、説明が必要だろう。近代フランスを生み出す契機となるフランス革命は、絶対王政の廃止、貴族、教会という特権階層を排除し、近代市民国家の礎を作るが、その理念の中心は、市民の自由とそれを保障する国家というルソー流の契約論だった。従って、市民と国との中間に封建時代の名残の地域や職業選択を阻害するギルドなどを認めようとしなかった。その象徴が、1791年のルシャプリエ法で、労働組合を含めてあらゆる結社を禁止した(労働組合が正式に認められるのは、約100年後の1884年)。

 さて、そのコミューヌだが、その由来や規模は様々である。パリ市、リヨン市のような大都市が一つのコミューヌを形成する一方、人口100人に満たない村も一つのコミューヌである(現在、最小のコミューヌは、人口ひとりのみ)。1800年代初めにコミューヌ(市町村)の数は4万あったが、2世紀後の今日でも、フランス本土に約36000の市町村がある。その多くの市町村の地域区分は、昔のままである。つまり、住民が合併、併合の意思を表示しない限り、コミューヌは消滅しない。人口1万人以上の都市は350あまり存在するが、コミューヌの90%以上は人口3500人以下の村である。

 コミューヌの役割は、市の行政(下水道の管理、建設許可、治安維持)と市民の戸籍管理である。市町村が、出生、死亡、結婚、身分証明書などの窓口となる。また、幼稚園や小学校の管理は市町村に任される(教員は国家公務員)。財政的には、国からの補助金(人口比で配分される)、固定資産税、職業税(職人、商人が負担)が財源となる。2012年のすべての市町村の財源配分を見ると、直接の税収入が収入の3分の2を占め、国からの補助金は全体の収入の27%程度まで落ちている。市町村長は、戸籍管理や治安のように国の行政の末端の部分と住民自治の二つの役割を持っている。

 ところで、日本でもときどき問題になる市町村長の手当てはどのくらいなのだろうか? これは、法律により、人口比で決められている。人口1000人以下の小さな村になると、手当て(月あたり)は1178ユーロなので、最低賃金より低く、パートタイムの仕事となる。そのため、小さな村の村長には、退職者あるいは自営業者が多くなる。市の人口が2万人を超えれば、市長の手当ては、約3400ユーロは保障されるので、フルタイムの仕事と等しい。ちなみに、パリ市長に選ばれたイダルゴ氏の手当ては、5500ユーロである。

 以上の市町村という基本単位の上に県が位置する。県はもともと国の出先機関で、革命当時県庁所在地から馬で一日で行ける範囲で県の地域割りが決まったという。県の数は、1790年の発足時に79(それに、海外県が4つ)だったが、今日フランス本土内の県の数は96と少しだけ増えている(サヴォワ県やニース地域の併合、パリ近郊の新しい県の創設があった)。この2世紀の間に、地域経済は大きく変動し、農村から都市部に大きな人口流入があったにもかかわらず、地理上の県は昔とほとんど変わっていない。県は1982年の地方分権改革まで国(内務省)が直接任命する県知事(préfet)が行政権を握っていた。19世紀中葉から県議会はあったものの、実質的な権限はなかった。1982年の地方分権改革は、県議会に県の議長(président du conseil général)を任免する権限を与え、一定の範囲で、税を決めることが可能になった。現在の制度では、県は、道路(県道の維持)、教育(中学校を管理)、最低保障給付(RSA)、高齢者、障害者への補助、低所得者向けの住宅建設などの権限を持っている。財源は、固定資産税、不動産取引税などで、国からの補助金は、緊縮財政の影響もあり、全体の収入の約2割(2012年)にとどまっている。

●地域(régions)

 地域は、1982年の改革後、広域地域を管轄する地域自治および行政機関となった。もともと再分化した県単位では経済・社会施策を行うことは難しかったので、1950年代から広域の行政単位として地域が存在していた。1970年代には、地域議会も設けられていたが、財源の裏づけがなく、実質的な活動はできなかった。1982年に、時の内務大臣兼地方分権相であった G. Defferre 氏が中心となり、地域を正式の広域行政組織にするとともにその権限、財源などを定めた。海外領(5つの地域)を除いて、22の地域(必ず、複数県をまたがる)がフランス全体をカバーする。1986年以降、住民の普通選挙によって選ばれる地域議会が置かれ、そこで選ばれた Président(首長)が行政の最高責任者となる。その権限は、書類の上では広範で、地域の経済発展、インフラの整備、高校および高等教育、職業訓練などとなる。22の地域の人口、経済規模は差が大きい。パリ地域をまとめるイル・ド・フランスは、総人口の約2割、経済規模では、フランスの生産の約3割を占めている。その一方、リムジン地域、コルシカ島のように人口100万に満たないものもある。財源の面では、地方税などの税が主で、市町村と比べると、その予算規模は小さい。

 以上が地方自治を担当する主な機関だが、それ以外にもさまざまな連携機関が存在する。最近、その存在感を大きくしているのが、インター・コミューヌと呼ばれる地域連携機関である。たとえば、パリの郊外の都市は、独自の連携機関を持ち、最近では、予算配分まで行っている。たとえば、パリ郊外の地下鉄網の整備となると、この連携機関が交渉にあたる。連携機関は公式の機関ではあるが、独自の権限・予算を持たず、あくまで各市町村が自主的に権限委譲した範囲で、活動を行う。ただし、中央政府はこのような連携機関を奨励し、強化する方向で動いている。

 また、直近の動きとして、大都市圏構想が本格化し始めている。リヨンが最初のモデルケースになり、リヨンとその近郊の都市がひとつの metoropole を形成し、経済基盤を作ろうとする。2年後には、パリ構想が動き出す予定である(私の町の市長は、パリに飲み込まれることを恐れ、絶対反対を表明している)。

●行政組織の簡素化は可能?

 このように、フランスの地方分権の動きは、ますます複雑になり、いろいろな方向に拡散している感もある。これまでフランスは、既存の制度に新しい制度を加えることで、地方分権を促進してきた。つまり、フランスでは、制度のスクラップ・アンド・ビルドがほとんど機能しない。その結果、企業の人たちは、行政のミルフウーイ(何層にもなっているパイのお菓子)と嘆くほど、いろいろな役所に分厚い書類を提出しなければならない。ではなぜ行政組織の簡素化が難しいのだろうか? これには、いくつもの理由が考えられる。表面的な理由は、既得権益が複雑に絡み合い、なかなかそのしがらみを断ち切ることが難しいことだろう。権利意識が強い国民性なので、市町村の合併、あるいは組織の変更には、反対の声が高まる。雇用削減になる場合には、労働組合がストやデモを行い、気勢を上げる。政治家は、大体マスコミに弱いので、反対を押し切ってまで合併や組織の廃止をすることは少ない。外部オブザーバーからは、コミューヌと国の中間に位置する地域、県、市町村連携機関は重複しているので、簡素化が必要と再三指摘されているがなかなか動かない。歴代の大統領や政府には、大胆な行政改革を行う意思や実行力はなかった。その結果、地域、県、コミューヌ連携機関と三つレベルの地域議会・委員会がある上に、36000もの小さな市町村が継続する構図となっている。EU全体で、約9万ある各国の地域自治体の3分の1以上がフランスであるという。他の国が、効率性のために大規模な市町村の合併を行っているなか、フランスは頑固に昔からの地域自治体を守っている。ただ、これは、今のフランスには不相応な贅沢かもしれない。

●終わりに

 わが国でも、フランスでも、地方分権あるいは地方自治は響きの良い言葉である。多分、総論では誰も反対しないが、いざ改革を具体的に行うことになると様々な問題が出てくる。問題の大きな原因は、地方分権の意味が人により異なることにあるのではなかろうか? ある人は、町の景観の保存とか学童の安全といった身近な問題を考え、狭い地域の自治をイメージするかもしれない。また、病院や医療施設の整備に関心を持つ人は、県や市のレベルへの権限の移譲を想定するかも知れない。地域経済の活性化に興味を持つ人は、むしろ大都市圏への権限委譲が大切と考えるかもしれない。つまり、パリや東京への一極集中を緩和という点では、一致していても、どの自治体のレベルが優先されるべきかとなると、様々な意見に別れてしまう。この地方分権の問題に関しては、全体的に、フランスと日本の状況は良く似ている気がする。まあ、違うところは、地域の自治組織としてのコミューヌが2世紀以上機能してきた歴史の重みだろう。

 とはいえ、この膨大な数のコミューヌや県、地域議会のコストは無視できない。他の国が、効率性のために大規模な市町村の合併を行っているなか、フランスは大胆な行政改革は手付かずの状態にある。しかし、今日のフランスは、EUから財政赤字の削減を迫られているので、早急に行政組織のスクラップ・アンド・ビルドが必要になっている。巨大な財政赤字を抱えるわが国にとってもフランスの状況は他人事では済まされないだろう。
                    2014年4月13日、パリ郊外にて

 (筆者は早稲田大学名誉教授;IDHE客員研究員)