■ 【エッセー】

多剤耐性アシネトバクター          高沢 英子

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 とうとうこんなことが起こった!九月三日のテレビニュースを見ていた私は、
その時、画面に躍る文字を見て、一瞬、ぎくりとした。
  ニュースでは、東京板橋の帝京大学医学部付属病院で、抗生剤が効きにくい多
剤耐性緑膿菌が発見され、46人が院内感染、9人が感染によると見られる症状
で死亡。という内容だった。翌日の朝日新聞は、一面トッツプで、事件を報道し
た。
  朝起きてきて、その日の朝刊を読んだ私の娘は、「私がこれに感染したら、死
ぬしかない」と呟いた。

 アシネトバクター菌自身は、もともと土の中や水中に存在し、生命力が強く、
乾燥にも強くて数週間生き延びるとされてはいるものの、毒性は弱く、免疫力の
落ちた病人に敗血症を起こさせる菌として、1990年代には、欧米で広がった
ことで、広く知られていた。一般家庭でも、台所や、風呂場の排水口など、水周
りで,普通に見られる菌だそうだが、今回、これが、遺伝子の変化で、複数の抗
生剤に抵抗力を持つようになったという、ぞっとするような話なのである。

 我が家の童が、喜んで見ているアニメ映画の筋書きには、この種の仕掛けがよ
く出てくる。突然変身するモンスターの出現を、子供たちは、息を呑んで見守る
のである。しかし、ありえない架空のお話のはずが現実になる、というのは、考
えるだけで、底なしに恐ろしい。

 調査によると、多剤耐性緑膿菌は、既に1980年代に出現が確認され、国内でも、
01年には始めての死亡者が出た、ということである。
  しかし、今回の帝京大付属病院のケースでは、幹部は、感染の事実を認識して
からも、3ヶ月も公表を怠っていた、という点、感染が大規模で、47名の死者
中、はっきりとそれが直接の死因とされる死者も9人にのぼっているにもかかわ
らず、長期にわたって、適切な対策が採られていなかったことが判明し、病院は、
マスコミの集中攻撃にさらされた。

 公表に関しても,病院側の言い分は、ホームページで済ませるつもりだった、
などと報じられると、パソコンを持っていても、普段ホームページは滅多に開か
ない私などや、そもそも、パソコンなど使ってもいない高齢者は、感染のリスク
が高いにもかかわらず、ツンボ桟敷に置かれる、ということになる。医学関係者
に限らず、最近の公的組織の伝達姿勢には、この種の認識の疎漏さ、気配りの足
りなさが、しばしば見られることに、怒りを感じた。既に他の病院でも集団感染
事例が増え始めている、という。

 続いて六日には、さらに独協医科大病院で、これよりさらに強力な多剤耐性を
持つ「NDMI」という新型の大腸菌が患者から見つかった、と発表された。イ
ンドからの帰国者に発見されたもので、欧米では二年前から広まっており、毒性
は弱いが、他の強い菌に耐性遺伝子が移る可能性が高いと、医学関係者は警告し
ている。

 ともあれ、その後数日、連日のように、朝日の紙面で、一面トップの報道が続
き、事の重大さと、社会的関心の高さがうかがわれ、反面、そのような大事を、
ほぼ1年にわたって、隠していた病院の体質に、いつものことながら、やりきれ
ない思いをしている。
  帝京大病院での入院患者の感染者の病名は、白血病、腎不全などが主で、関節
リュウマチは入っていないが、この病気も、もともと血液の病気であり、勿論、
免疫抑制剤を、多年に亘って大量に使っていることに、変りはない。

 現に私の娘は、新型インフルエンザが蔓延した、ここ数年の間に、9度も肺炎
にかかり、その都度緊急入院を余儀なくされ、強度の抗生物質の投与で、かろう
じて抑える事が出来た、という苦い体験を持っている。その後、余病の副鼻腔炎
が、こうした細菌による感染を助長している、という判断のもとに、鼻の手術も
受けたが、今回のアシネトバクターのような耐性菌が、もし、とりついたとした
ら、いかなる手段も空しく、ひとたまりもないことは、明らかだ。

 実は、昨年春頃まで、私の娘は、股関節の人工関節手術の予後観察のため、関
西の執刀医に紹介された医師に診断を受けるために、帝京大病院の整形外科に通
っていたのである。しかし、帝京大付属病院が、今住んでいる場所からはあまり
にも遠いことと、日常の忙しさに取り紛れ、昨年に入ってから、ついついさぼっ
ていたらしい。担当の先生には悪いが、危ないところだった、と妙に胸を撫で下
ろしたのである。部署は違っても、同じ病院内のことである。危険なことだった
といえないことはない。

 近年、医学の飛躍的な進歩につれ、従来の医学の常識が覆されるのはいいが、
それに追い討ちをかけるように、新たな危険因子が次々と生まれ出てくる。
  自然に対して、戦いを挑む人間の知力の限界を、また一つ見せ付けられた気が
して恐ろしくなっている。
  十九世紀の後半、アメリカの詩人W・ホイットマンは死を賛える歌を作り、次
のように高らかに歌った。
 
  不可思議のこの宇宙は讃むべきかな、
  その生、その喜び、諸々の珍しい物象と智慧、
  又その愛、香ばしき愛―さりながら、さらにさらに讃むべきかな、
  冷静に,凡てを捲きこむ、死の確実な抱擁のその手は。

 訳者は、周知のように有島武郎であるが、そんなことで、何かコメントをする
つもりはさらさらないので、この際、切り離して考えて欲しいが、つまり、善き
人ホイットマンが歌った古きよき時代は完全に去った。人類が自然を謳歌し、生
きることを純粋に楽むことも出来、静かに自らの死を受け入れることもあたりま
えの時代は去ってしまった。人類は今や、死を安らかに受け入れる自由すら失い
つつある。ということを、言いたかったのである。

            (筆者はエッセースト・東京都大田区在住)

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