大本営発表級のウソetc.

【横丁茶話】

大本営発表級のウソetc.

                        西村 徹


■コントロール? 完全にブロック? よく言うよ

 9月7日ブエノスアイレスで安倍総理は福島第一原発汚染水の海洋流出について「私が安全を保証します。状況はコントロールされています。汚染水は福島第一原発の0.3平方キロメートルの港湾内に完全にブロックされている」と言い切った。ろくな知識もない、ただのシロウトの「ワタクシ」が安全を保証などできるか。その直後に東京電力の幹部は「コントロールできていない」と言った。そしてその後も汚染水漏出事故はほとんど連日のように起きている。

 安倍発言から20日あまり経って10月1日、日本維新の会の橋下徹共同代表でさえもが、大阪市役所内で記者団にむかって「『コントロール』というのは、状況を全部支配できるということだが、今はそうなっていない。そこは事実と違う」と述べた(ウォールストリートジャーナル日本版)。20日あまりの間に、安倍発言はウソだということを誰も否定できなくなったからでもあるが、橋下代表さえもがこのように言った理由はほかにもある。

 9月29日の堺市長選で維新が負けた。負けたについては維新に対抗する竹山候補を支持するにとどまっていた自民党が、戦況を読んで28日党三役の野田聖子氏を竹山候補の応援に送り込んで支持から推薦に格上げしたこと、公明党が日和見に徹して最終段階で大きく竹山支持に傾いたこと、なによりもかによりも石原慎太郎代表のぶちこわし演説が(www.youtube.com/watch?v=hEt0-xJNlIk)堺市民を完全に怒らせたことが効いた。もはや安倍氏に義理立てする必要もなくなったところで、土壇場でハシゴを外されたことへの腹いせもあって10月1日の橋下代表は珍しく本当のことを言った。

 10月7日の「朝日新聞」は安倍コントロール発言を信用する者、しない者を調査した結果を発表した。全体で信用するが11%、信用しないが76%に上った。安倍支持層でも信用するが18%、しないが71%。自民党支持層で信用が17%、しないが70%。東北では信用が10%、しないが81%。同日の「朝日歌壇」永田和宏選の一席(郡山市 渡辺良子氏)二席(本宮市 廣川秋男氏)はというと

 一席:プレゼンの首相の言にウソでしょ!と叫びし我はふくしま県民
 二席:コントロールしておりますのその朝のフクシマのニュースは汚染水流出

 歌に詠まれるまでになった大ウソ、ほとんど誰もが信じない真っ赤なウソを信じたIOCの面々は事実よりもウソを信じやすい人が多いのか、それともよほどオモテナシが効いたのか、どちらかであろう。たぶん両方であろう。

 IOCとおなじように安倍氏の説明に対して肯定的に反応した人が日本人評論家にもいる。田原総一朗氏である。私は Podcast でオンザウェイ・ジャーナルというラジオ放送のうち「田原総一朗のタブーに挑戦」を聴いている。9月13日(収録は10日) 彼は言った。「安倍さんの説明は間違いがない。ちょっと先へ行けば魚に影響はない」と。

 次回10月3日の放送は「メール特集」で、そのなかで「ここで批判しないのでは御用ジャーナリストといわれても仕方ないのではないか」とリスナーから言われて彼は答えた。「安倍さんがコントロールされていると言うのを信じているわけでは全然ない(ゼンゼンのところで突如として声を張り上げた)。コントロールされている状態にしなければならない。やるべきだ。義務だ」。

 これだけで御用ジャーナリストのレッテルを貼るわけにもいかない。おなじ「メール特集」のなかで「日韓基本条約によって清算済みであるにもかかわらず慰安婦問題に関して新たに賠償請求してくる韓国はあたり屋だ」という俗論に対して、「条約締結時に朴正煕大統領は戒厳令を布いて韓国民の大反対を力で押さえ込んだ。だから不平等条約に対する韓国民の不満には理由がある」と、事実に立って正しい発言もしているからである。

 強ち御用ではないが、安倍汚染水コントロール発言を9月13日にはいったん明らかに擁護しておきながら10月3日にリスナーに詰め寄られて言い訳したのは、言い訳であるより言い逃れである。朝日歌壇の永田和宏選者の言うように「事実と意志とは区別して表現したいもの」である。こうありたいからといって、既にこうなっていると、まるで願望が成就したかのように表現するのは、昔わが国の大本営が、勝ちたいからといって、実はボロクソに負けているのに勝った勝ったと言ったのと同じだ。

 田原総一朗氏は「反対、反対と批判ばかりでなく対案を出すべきだ」と、日ごろしきりに言っている。そういう前のめりな気分から安倍発言は決意表明であり対案提示だと言いたかったのかもしれない。同じような気分で肩入れした橋下氏は大阪都構想の大ボラが中身空っぽ、まるでてんぷらだということがバレバレになって堺市長選で負けた。今度は安倍氏の大ボラがばれて大本営と同じく取り返しのつかない大惨事にならねばと案じられる。

■橋下徹氏のヘイトスピーチ

 ウソが身を滅ぼすもうひとつの例として9月28日夜、堺市長選土壇場での橋下演説がある。

 「コッラー、共産党、辻元、俺の前に出て来い!」「お前らふざけるな!」
 http://ameblo.jp/usinawaretatoki/entry-11625422388.html

がそれ。共産党、辻元だけではなくて自民党、民主党、社民党の名も列挙していた。もうやけくそである。言論には言論で答えればよいので「出てこい」は意味をなさない。ブッシュの「掛かって来い」(Bring‘em on!)同様あまりにもひどい。石原慎太郎氏も堺市長選の応援演説でありながら、日本国憲法に悪態をつくばかりで市長選に言及しないことに疑義を呈する声が会場から上がると「失礼なやつだ。出てこい」と言った。言論で応じられなくなると作家崩れやタレント崩れだからといって政治家にあるまじき(indecent)暴力団的ことば遣いだ。

 「百聞は一見にしかず」というが、この橋下演説も石原演説同様、むしろ百文字は一聞にしかず、目で見るよりも耳で聞けばそのひどさ下品さがよくわかる。これは政治演説などというものではない。ごろつきが凄んでいるに他ならない、まさにヘイトスピーチそのものである。

 いったいいつから日本の政治家は、わざわざ外国で、開いた口がふさがらないような大ウソを吐いたり、目を覆いたくなるほど、あるいは耳を塞ぎたくなるほど、下品な演説をするようになったのだろうか。少なくとも選挙カーが他候補の選挙カーと出会ってエールを送るのが習いで、対立候補を罵倒するなどという下劣なことはしなかったと思う。

 10月11日の朝日新聞に金田秀昭という元海上自衛隊護衛艦隊司令官の寄稿があり、冷戦時代ソ連巡洋艦隊と対峙したが別れ際には双眼鏡で注視しつつ敬礼を交わしたグッドシーマンシップについて語っていた。グッドステイツマンシップはもはや失われたのであろうか? あるいは石原演説は、このあたりで橋下氏の利用価値はなくなったと踏んで、切り捨てるための目論見あってのごろつき演説だったのだろうか。

■夏目漱石と堺

 ここで補遺として維新敗北の原因を少し角度を変えて考えてみたい。明治44年8月、夏目漱石は堺市で講演をしたことがある。朝日新聞社の企画にしたがい、五高では漱石の教え子でもあった高原操記者の案内で、和歌山あたりに始まって最後に堺高等女学校で「中身と形式」と題して講演をしたらしい。堺高等女学校というのは堺事件やソテツで知られる妙国寺の隣に位置する、与謝野晶子の出身校である。ほかにも由紀しげ子、橋田寿賀子なども同校を卒業している。新制の泉陽高等学校となってからも旭堂南陵、沢口靖子、西加奈子などが卒業している。

 この講演のなかで本題に入る前口上としてなにがしか堺について皮肉まじりのリップサービスをしている。少しはお世辞も言はないではないが本音を隠すには正直すぎる漱石の面目躍如、落語の枕のようではなはだ興味を引く。

 【私は先年堺へ来たことがあります。これはよほど前私がまだ書生時代の事で、明治二十何年になりますか、何でもよほど久しい事のように記憶しております。実を言うと今登った高原君、あれは私が高等学校で教えていた時分の御弟子であります。ああいう立派なお弟子を持っているくらいでありますから、私もよほど年を取りました。その私がまだ若い時の事ですからまあ昔といっても宜しゅうございましょう。今考えるとほとんどその時に見た堺の記憶と云うものはありませんが、何でも妙国寺と云うお寺へ行って蘇鉄を探したように覚えております。それからその御寺の傍に小刀や包丁を売る店があって記念のためちょっとした刃物をそこで求めたようにも覚えています。それから海岸へ行ったら大きな料理店があったようにも記憶しています。その料理店の名はたしか一力とか云いました。すべてがぼんやりして思い出すとまるで夢のようであります。】

 この一力は大浜の一力楼本店であろう。木造5層、坂田三吉と関根金次郎との将棋対局の場とも。明治42年10月15日の日記に、天下茶屋に住む長谷川如是閑と共に始めて電車が開通した浜寺公園まで足をのばしたことが記されているが、そのとき立ち寄ったのも浜寺公園の一力楼である。二度とも一力楼なのは、よほど朝日新聞が常用していたものと思われる。まあ、どうでもよいことではあるが、やはりおもしろい。続いて

 【その夢のような堺へ今日図らずも来て再び昔の町を車に揺られながら通ってみると非常に広いような心持がする。停車場からこの会場までの道程も大分ある。こう申しては失礼であるが昔見た時はごくケチな所であったかのようにしか、頭に映じないのであります。それで車の上で感服したような驚いたような顔をして、きょろきょろ見廻して来ると所々の辻々に講演の看板と云いますか、広告と云いますか、夏目漱石君などと云うような名前が墨黒々と書いて壁に貼りつけてある。何だか雲右衛門か何かが興行のため乗り込んだようである。社の方から云えばあの方がよいのでしょうが、夏目漱石氏から云えばああ曝しものになるのはあまりありがたくない。なお車の上で観察すると往来の幅がはなはだ狭い。がそれは問題ではない、私の妙に感じたのはその細い往来がヒッソリして非常に静かに昼寝でもしているように見えた事であります。もっとも夏の真昼だからあまり人が戸外に出る必要のない時間だったのでしょう、私がここに着いたのはちょうど十二時少し過でありました。二階へ上って長い廊下のはずれに見える会場の入口から中の方を見渡すと、少し人の頭が黒く見えたぐらいで、市内がヒッソリしているごとく聴衆もまたヒッソリしている。これは幸いだ——とは思いません、また困ったとまでも思いません。けれどもまあ不入りだろうと考えながら控席へ入って休息していると、いつの間にやらこんなに人が集って来た。この講堂にかくまでつめかけられた人数の景況から推すと堺と云う所はけっして吝な所ではない、偉い所に違いない。市中があれほどヒッソリしているにかかわらず、時間が来さえすればこれほど多数の聴衆がお集まりになるのは偉い、よほど講演趣味の発達した所だろうと思われる。私もせっかく東京からわざわざ出て来たものでありますから、なろうことならばけっして吝な所ではないで、一度でも講演をすれば誠に心持がよい。だから諸君もその志を諒として、終いまで静粛にお聴きにならんことを希望します。】

 「停車場からこの会場までの道程も大分ある」という、その停車場は今の南海本線・堺駅より少し南に下がった龍神駅で、講演会場まで1キロではきかないだろう。もうすこしある。夏目漱石君を雲右衛門と並べて苦笑した上で「細い往来がヒッソリして非常に静かに昼寝でもしているように見えた」と、掛け値のない印象を語っても、「けっして吝な所ではない」とか「講演趣味の発達した所だろう」とか、上げたり下げたりの風変わりなサービスをしている。

 こういうちょっとしたおふざけを堺の人は抵抗なく受け入れる。さびれていることを実は堺の人は皆よく知っていて、一等目抜きの山之口商店街なども共食いでつないでいることは承知なのである。つまり秀吉に力を殺がれて以来このかたやむなく内需中心でやってきて、たぶんそれなりの、長い冬をしのぐノウハウを蓄えているのだと思う。漱石流の上品な諧謔を含んだ皮肉にはいくらか自虐的に応対できるぐらいの気持ちの余裕、ふところの深さがあるのだろう。

 余裕の理由のひとつには自己資本比率が極めて高いことがある。たとえば芥子餅の本家小嶋は創業が天文元年(1532年)、もうひとつ同じ芥子餅の小島屋でも創業は江戸・延宝年間。こういう店は家賃が要らない。商店は持ち家で家内労働が基本であれば容易につぶれない。固定費が最小に抑えられる。人口が減ってゆくこれからの成熟経済のモデルは案外こんなところに見つかるかもしれない。

 そういうところだから表には出さなくても隠然たる気位、矜持のようなものはあるのかもしれない。誰もがそんな気質を持つわけでは、もちろんない。本来の自由都市の区域内の人はさほど多くいるわけではない。前に掲げた与謝野晶子は紛れもない堺の人だが、由紀しげ子、橋田寿賀子も昔なら浜寺村の人。旭堂南陵(西野康雄)は神石村、沢口靖子も環濠の外の踞尾村の人である。西加奈子は南部を開発したニュータウンの人である。先日他界した山崎豊子も生まれは大阪の船場で浜寺に住んだ。昨年亡くなった藤本義一も生まれ育ちは浜寺村。片岡愛之助も旧市部ではなく、たぶん昔の三宝村のスクリュー工場の家に生まれた。彼ら彼女らが堺に対する帰属意識を強く持つとは考えにくいが、まったく親しみを持たなくもないだろう。私も通勤に便利だから住みついてしまっただけだが旧市部の人の気持ちは一種の憧れとともに、いくらかわかる気がする。

 そういう旧市部・環濠自由都市のど真ん中の山之口筋で、今回の市長選の終わりごろに橋下大阪市長は「さびれてる。さびれてる」とやった。人の顔をたわしでこするように無神経にやった。「堺だけが縮こまっていないで大阪都になれば発展する」とやった。そしてやはりど真ん中の殿馬場中学で石原慎太郎代議士が堺を無視するような演説をした。これが維新敗北の決め手になったように私は思う。二人の傲慢な口調はまったく品もユーモアもなくて漱石の味な堺批評とはまるで異質だった。それで堺の町衆は下種下郎の傲慢に対して怒ったのだと思う。

 BS11の女性記者が小商店主の老人にインタヴューしていた。老商店主は店内に橋下氏の写真を貼っていた。商店主はいう。「総論はともかく各論が困る」と。つまり最初に登場した橋下氏は改革を叫び「東京ひとり勝ちを許さない」と呼びかけた。よかれあしかれ近代日本は東京帝国である。ローマにならねばローマ市民にはなれない。そこを橋下氏はくすぐって、ちょうど関西一円が読売ジャイアンツと戦う阪神タイガーズに熱くなるのと同じような化学反応を起こさせた。

 ところが今度は大阪ひとり勝ちになるために堺は首を差し出せというのだから困るというのだ。よくわかる話だと思う。南蛮貿易でヴェネツィアに擬せられたこともある。維新の直後、奈良県は存在しなくて堺県だったことがある。銀座は江戸より早く堺に設けられた。だから堺の銀座は東京の銀座のパクリではない。

 大阪は道頓堀川に長大プールを作るというが、堺は昔の環濠を復元して(竹山市長は考えているらしい)可能なかぎり中世堺の町並みを再現する方向をとるのがいいように思う。ドイツは廃墟から昔の町を完璧に再構築したではないか。

 (筆者は堺市在住・大阪女子大学名誉教授)

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