【コラム】大原雄の『流儀』

大統領と役者(2)

大原 雄
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◆ 1)役者が大統領を暗殺!?

 先日のこと。アメリカから、「びっくり」ニュースが飛び込んできた。ニューヨークで役者が扮したトランプ米大統が暗殺されるというシェークスピア劇『ジュリアス・シーザー』が上演されて物議を醸したというのだ。いくら、私がメールマガジン『オルタ』で「大統領と役者」を連載しているとはいえ、前号で初めて「大統領と役者」という通しタイトルでコラムを書き始めたばかりなのに、こんなに早く、大統領と役者が現実のニュースになって、アメリカから飛び込んでくるとは、予想もしなかった。

 イギリスの劇作家シェークスピア原作の『ジュリアス・シーザー』(原題:The Tragedy of Julius Caesar)は、1595年から1600年頃上演されたと言われる悲劇的な政治劇である。紀元前を舞台とする史劇。
 「ローマ内戦(政敵ポンペイウスおよび元老院派とカエサル派との戦争)」と呼ばれたローマ世界を二分する内乱に勝利して、独裁官に選出されたローマの終身独裁官ガイウス・ユリウス・カエサル(英語名:ジュリアス・シーザー)は、共和政の改革に着手し、属する州の市民にも議席を与えて元老院議員を増員するという手法で従来の元老院の機能・権威を低下させるとともに、己に権力を集中することで統治能力の強化を図る。その挙句、紀元前44年、カエサルはブルータス(こちらが、この史劇の主人公)らによって元老院議場で暗殺されてしまう。

 実は、タイトルになっている「ジュリアス・シーザー」は、この物語の主人公ではない。少ない場面にしか登場しない上に第三幕の初めには殺されてしまう。いわば道化役。ローマ史に基づいてシェークスピアが書いた「ローマ劇」と呼ばれるジャンルの史劇の名作である。

 6月中旬から上演が始まった劇では、トランプ大統領を連想させるスーツに赤いネクタイ姿(それだけで、容易に連想してしまうね)の主人公シーザーがナイフで刺殺される場面がある。開演直後からトランプファンの上演中止を求める抗議行動が劇場周辺で起きた。スポンサー企業も撤退してしまうと思えば、言論表現の自由を標榜する人たちからは上演を支援する声もあがり、アメリカでは、世論は「二分」している、という。

 一方、これとは別に、人気映画シリーズ『パイレーツ・オブ・カリビアン』などで知られるアメリカの俳優のジョニー・デップさんが6月22日夜、イギリスのグラストンベリーで開かれた音楽祭で、トランプ大統領のことを話題に出し、「最後に俳優が大統領を暗殺したのはいつだったけ?」などと大統領暗殺をほのめかすような冗談を述べたという。デップさんは舞台から「ここにトランプを連れてこられるか?」と観衆に問いかけ、1865年に当時のアメリカ大統領リンカーンが観劇中に俳優のジョン・ブースに暗殺されたことを引き合いに出したという。
 これについて、ホワイトハウスのスパイサー大統領報道官は、23日の記者会見で「トランプ大統領はあらゆる暴力を強く非難してきた」とこの発言を非難した。このため、23日になってデップさんはアメリカの芸能誌「ピープル」に「昨夜、トランプ大統領についての悪い冗談を口にしたことを謝罪したい。悪意はなかった。楽しませようとしただけ。悪いジョークだった」とのコメントを寄せて謝罪したという。なにやら、アメリカでは、トランプ大統領就任から半年という時期に、冗談にせよ、きな臭さが高まっているような気配である。 

 こういう冗談が生まれる背景には、なにがあるのか。アメリカの大統領は、トランプが登場してから、変な展開になっている。「変な展開」は、いろいろあるが、私が特に気になるのは、いわゆる「司法・捜査妨害」というものである。人類は、戦争や革命という流血の事件をイギリス、フランス、アメリカなど、さまざまな地域で、さまざまな形で歴史に残しながら、人類共通の叡智の結晶として政治には、三権分立という制度を残してきた。三権分立とは、立法(議会)、行政(政府)、司法(裁判所)の、それぞれの独立である。未だに、三権分立が達成しえていない独裁国家とか三権分立の擬制を繕っているような虚偽の民主国家も存在していることは残念ながら事実だろうが、近代民主国家は、三権分立を統治制度の根幹としているのである。

 こうした中で、アメリカでは、今年初めのトランプ大統領の就任以来、彼はアメリカ国内だけでなく、世界を揺るがせるような言動をとり続けている。その中でも、私が気がかりとするのは、トランプ大統領の司法や捜査の独立を脅かす言動である。

◆ 2)トランプ大統領の司法(捜査)妨害

 アメリカのワシントン・ポストは、トランプ大統領の問題で、マラー特別検察官が指揮する捜査チームの事情聴取にアメリカの情報機関幹部3人が任意で応じたと伝えた。以下、共同電など外電を元に情報を整理して書く。ワシントン・ポストによると、3人は、ダニエル・コーツ国家情報長官、マイク・ロジャース国家安全保障局(NSA)局長、リチャード・レジェットNSA前副局長。

 ワシントン・ポストの記事を要約する。同紙によると、マラー特別検察官(元FBI長官)は当初、先の大統領選挙に介入したとされるロシア側の動きに注目していたが、その後、トランプ大統領による司法(捜査)妨害に注目するようになったという。トランプ大統領自身の言動が原因で、ロシア疑惑捜査から司法妨害疑惑へ向かう大きな転換点になったと伝えている。

 同紙に情報を寄せた匿名の消息筋は、大統領の司法妨害疑惑は5月9日に連邦捜査局(FBI)のジェイムズ・コミー前長官を解任する前から始まったという。また同紙は、トランプ大統領が3月末にコーツ国家情報長官とロジャース国家安全保障局(NSA)局長に個別に電話をかけ、ロシアと自分の陣営の結託はなかったと公に断定するよう求めたことを、マラー特別検察官は注目していると書いている。NSAは同紙に対して、「特別捜査官に全面協力する」とのみコメントした。国家情報長官の官房とレジェットNSA前副局長は同紙へのコメントを断ったという。
 同紙はこのほか、マラー特別検察官の捜査チームはトランプ大統領の関係者による金融犯罪の可能性についても調べていると伝えている。

 これまでの報道では、トランプ大統領がFBIの捜査対象になっているかどうかは不明だが、大統領による司法妨害疑惑が強まっていることはうかがえる。大統領はコミーFBI前長官に繰り返し、「自分は捜査対象ではないのだな」と確認を求めていたという。コミー前長官は6月8日、上院情報委員会に出席した際、トランプ大統領と一対一で対面した場で、マイケル・フリン前大統領補佐官(国家安全保障問題担当)の捜査を打ち切るよう指示されたと感じたことや大統領への忠誠を要求されたことを宣誓の上で証言している。

 ワシントン・ポストによると、マラー特別検察官は、コミー前長官がトランプ大統領との会談のたびに残した詳細な記録も捜査資料として入手したという。一部で、「トランプゲート(事件)」という言葉が、飛び交い始めているという。司法妨害疑惑の件についてトランプ大統領は今後ますます追い詰められて行くことだろう。こういう疑惑は、疑惑解明もさることながら、疑惑もみ消しで馬脚を現すことが多い。アメリカ司法省と大統領のせめぎ合いが、どういう展開となるか見て行きたい。いずれにせよ、大統領側の強引な対応は、議会と世論の反発を招き、断崖への道を開くことになるだろう。

◆ 3)もう一人、逃げ切りを図る政権首脳

 強引な対応が議会と世論の反発を招く、という似たような状況は日本でも生まれている。7月2日の東京都議会議員選挙では、世論の反発が、地方選挙ながら、そこは大東京の都会議員選挙、有権者たちは大きな反発の絵を描いた。今回の都議選の分析は後に項を立てて詳述したい。

 「総理のご意向」と言えば、今では誰でも知っているだろう。大阪の森友学園、岡山の加計学園の問題(いずれも誠実な対応など考えず、安倍政権は逃げ切りを図ろうとしているようだ)を含め、共謀罪法制化の参院審議での手続き不備な「中間報告」方式の発動による強引な議会運営(安倍政権は野党の声などには耳を貸さず、計数的な審議時間さえ過ぎれば、政府案をそのまま成立させることだけを良しとする作戦をとり続けている。熟議の中で、野党の声も聞き、政府案を修正するなどとは、冒頭(はな)から考えていないのだろう)など、安倍首相の言動の問題である。すべては、「総理のご意向」なのだろう。

 安倍政権(第一次政権は、2006年9月から2007年9月まで。第二次政権は、2012年12月から現在まで)は、政治制度改革(改悪?)を巧みに利用して、自民党内では小選挙区制度(衆院選挙で、1996年から始まる。正確には、小選挙区比例代表並立制度)と候補公認という人事権、政党助成金制度(政党助成法は、1995年1月施行)による政治資金配分権(それ以前の派閥による配分を党による配分に変更)などで、権力を官邸だけに集中させてきた。
 さらに、「官より政へ」ということで、対官僚では、幹部官僚の人事権を官邸が掌握する内閣人事局を2014年5月に設立させた。内閣人事局は、内閣官房に置かれる部局の一つ。内閣官房は、内閣の補助機関であるとともに、内閣の首長たる総理大臣を直接に補佐・支援する機関である。現在の人事局長は、加計学園問題で安倍首相になりかわって文科省に圧力をかけたと伝えられる萩生田光一官房副長官である。

 安倍政権の人事は、例えばこうだ。7月4日、官僚幹部の人事が、菅官房長官を始め官房副長官による「人事検討会議」を経て、同日の閣議で承認されたが、森友学園への国有地大幅格安払い下げ問題の国会答弁で、野党側から申し出があったにもかかわらず事実確認や記録の提出を拒み続け、「真相解明を妨げている」と批判された佐川宣寿理財局長の場合。なんと、国税庁長官に栄転したという。安倍政権の下では体を張って嘘を言いつづけたから昇進ということなのだろうが、これでは、子どもたちにはなんとも説明をつけることができない話ではないか。

 一方、政党助成金制度といえば、公職選挙法違反や政治資金規正法違反、政党助成法違反など政治家に関わる共謀罪、警察の取り締まりに関わる職権乱用罪などの共謀罪は、刑罰の除外対象となっていることをご存知だろうか。なんとも手前勝手な権力乱用。

 安倍政権は、こうした制度改革を利用して、結果論として、国会では自民1強、自民党内では安倍1強のシステムを構築してきた。その挙句、特定秘密保護法、集団的自衛権などの安保法制化、そして今回の共謀罪法制化と強引な腕尽く政治が続いている。加えて、通信傍受法の改悪、憲法改定などを総選挙(18年12月)までに実現させようと目論んでいるらしいが、後で触れる東京都議選の厳しい結果が、安倍政治にどういう影響を及ぼして行くか、見極めなければならない。今のところ、権力者は、内心の動揺を悟られまいと、政治の舵を変えようとはしていないようだが、政治は一寸先は闇の世界。

 有権者は、政権交代の不安定な政治、一度は政権交代の受け皿となった民主党(現在は民進党)の不甲斐なさ(「民主党の失敗」)を見せつけられ、二大政党による政権交代の実像を目の当たりし希望を失った。受け皿がないという野党の実態から、政治不信による低投票率が続き、低い中でも組織力を生かす与党の「相対的な優勢さ」が野党の存在感を弱めている。与党時代を体験したばかりに政権運営に失敗した野党など有権者は、信頼回復をなかなかできないのだろう。

 民進党への有権者の信頼回復は、前途多難。当分、政権交代など起こりえないという緊張感のなさが、安倍政権を強気にさせ、国会軽視、嘘の答弁、はぐらかし、強引な議会運営などの現象を引き起こしている(野党が例え本質的な質問をしてもはぐらかした答えを繰り返すだけ。ときには平気で嘘の答弁をする)。「成果」(なんの成果だ)を挙げさえすれば有権者は付いてくるだろう、と安倍政権はタカをくくっているのだろう。強引な政権運営をしても、民主党政権時代の失政を論(あげつら)えば、民進党はおとなしくなる、とでも思っているのだろう(一度でも自民から政権を奪ったことがある民主党憎しなのであろう)。その挙句の、傍若無人の、あからさまな権力の行使となっているのではないか。政権交代を担える有力な野党の受け皿がないがゆえの、結果論としての安倍1強状況。

 国連の特別報告者であるジョセフ・カナタチ教授の報告などに見られるように、国際的にも注意されるような体たらくを今の日本の政治は晒している。ジョセフ・カナタチ教授(地中海にあるマルタ大学)は、共謀罪を中心に人権、特にプライバシーの侵害への危惧について安部首相宛に既に書簡を出し、秋には国連人権理事会に報告を提出する予定だ。書簡では、「法案の成立を急いでいるために十分に公の議論がされておらず、人権に有害な影響を及ぼす危険性がある」と共謀罪法制化の立法過程の問題性を指摘している。デモクラシー(少数意見に耳を傾け、多様性を重視しながらも、熟議の果ての多数決で意向形成を図る制度。そこには多数決主義のような「数だけの論理」はないはずだ)の否定を実践している安倍政権に警告を発している。そういう状況を日本の政治は打破できず、安倍政権の1強現象を引き起こしている、というのが国際的視野から見た現在の日本の政治状況なのだろうと思う。恥ずかしい限りだ。

◆ 4)「小池劇場」の役者は?

 私はNHK社会部記者時代、都政担当記者だったことがある。1976年夏から79年夏までの3年間だ。美濃部亮吉都政の末期の2年8ヶ月と79年春に初当選した鈴木俊一都政の4ヶ月だ。革新から保守へ変わった都政を興味深く取材したものだ。その後、社会部の遊軍記者として公害・薬害ほかのテーマを取材する傍ら、81年7月の都議選では社会部の選挙事務局専従担当もしたことがある。そういう意味で、都議選には、今も、強い関心がある。

 東京都議会議員選挙は、7月2日に投票が行われ、即日開票された。都民ファースト:49、公明:23、自民:23、共産:19、民進:5、その他:8。定数127。都議選では、都議会自民対都民ファーストの一騎打ちとなったが、都民ファーストは、国政選挙での政権交代の再現を思わせる結果を出した。かつての民進党の躍進、自民下野という政権(連立政権)交代が2009年などにあったが、今回は、自民への批判票が都民ファーストへ流れ、都民ファーストの躍進へと繋がり、都議会自民は一気に縮小した。政権交代の受け皿となるべき主力野党としての資格喪失の民進は、都民ファーストの大波の波間に藻屑として沈没していった。この選挙結果は、都民ファーストの勝利というより、自民や民進の敗北であっただろう。以下、コンパクトに分析しておこう。

* まずは、素直に、獲得議席は、都民ファースト圧勝であった。自民批判票、安倍政権への批判票の受け皿になった。これは都民ファーストの勝利というより反安倍の受け皿としての勝利。つまり、自民の敗北。安倍政権の暴走ぶりに歯止めが必要と東京の有権者は判断したのだろう。保守の無党派層が自民に投票するか棄権するか、という通常の投票行動の代わりに、都民ファーストに集中したということだろう。ただし、当選した小池チルドレンは議員経験のない議員が多い。

 都議会は、擬似「議院内閣制度」の様相を呈してきた。本来都議会は、知事も議員も直接、有権者が選ぶ「二元代表制(知事も都民代表、議会も都民代表)」だが、知事も多数派の議員も一つの勢力が舵を仕切るということになれば、与党議員から首相を選ぶ議院内閣制に近づくことになる。都知事の都政運営を都議会がチェックすることが基本だが、知事選挙で誕生した小池知事を議員選挙で当選した都民ファースト、「小池新党」が実質的に支える形になってしまう危険性がある。都政の是非を都議会で質すということが少なくなるのではないか、という危惧が生まれる。
 小池知事は、都議選結果を踏まえて、選挙前にその座に着いた都民ファースト代表を辞めたが、実質的にはなんら変わりなく、「独裁」の恐れも出てこよう。選挙協力をした公明が小池都政運営の鍵を握るかもしれない。3、5人区では、共産、民進も受け皿の一翼を担ったが、焼け石に水。民進の減った2議席を共産が増やしただけ、という見方もできるからだ。

* 忘れてはならないのは、小池と安倍の距離感の近さだ。都民ファーストの小池は、政治の本質的には安倍と変わらないので、小池都政運営は要注意。国政進出も噂され、第二の安倍になる可能性もある、と私は見る。というのは、二人とも、「日本会議系の自民」という体質は全く変わっていないから、要注意ということなのだ。「小池新党」は、安倍と同じ自民党で、自民都連とは党内派閥が違うというだけではないのか。

* 私がいちばん注目するのは、次の総選挙までに野党側は国政レベルで全国的に通用する反安倍の受け皿となる政治勢力を作ることができるかどうか、ということだ。「小池新党」も国政に進出してくるだろう。反自民、反安倍、非、あるいは反小池の政治勢力。都民ファーストが自民批判票の受け皿として、一時的に機能し、バブルのように票を集中させたような現象が国政では起こりにくいかもしれない。安部自民お仕置きのシステムが機能することは判ったが、国政レベルの受け皿を年内にも作らないと、国政では有権者の不満の吐き出し口となる受け皿がないまま来年の総選挙になってしまい、「小池劇場」のような現象(反安倍の集中)の再現は難しいのではないか。

 今回の都議選は、保守系の無党派層が、暴走する安倍自民党に一時的にお仕置きしただけだろう。安倍から小池へ、確かに山は動いた。しかし、これは同じ保守の小池が、保守系無党派という浮動票の受け皿になっただけ。都民ファーストに受け皿になる存在感はあった、ということだろう。そうすると、「小池劇場」の役者は、小池知事ではなく、この「保守系の無党派層」という群衆だったような気がする。都議選が演じた「小池劇場」の演目は、群集劇。いつものように保守系無党派層が浮動票らしく棄権に回っていたら、自民が水深の浅い水面に浮き上がってしまい、今回のような惨敗に追い込めなかっただろう。それを阻止できただけでも都民は賢かったと言えるだろう。そういう意味では、都民は確かに賢いが、その上手を行く小池が、いずれ、本性を顕してくるだろうから、改めて、今後の都政運営に注目したい。国政選挙では、有権者は賢い都民レベルばかりではないことも忘れてはいけない。

 さて、国政。安倍1強の中で、立法権の府・国会は軽視され、行政の府・政府、つまり官邸が暴走した結果、三権分立という原則が蹂躙されている。崩れた三権分立とは、古今東西の歴史を集めて、蓄積してきた人類の叡智への叛逆の証左だろう。安倍政権は、人類の叡智を破壊している。

 三権分立をぶち壊した国政への有権者の嫌気が、パイロット的に都議選で示された。国政での政権交代。来年暮れまでに行われる国政選挙が、憲法改定の国民投票と同時に行われるのか、総選挙だけ単独かは、まだ見えないが、人類の叡智へ回帰するのか、叡智から遠ざかるのか。日本国民は、厳しい国際的な目の中で、対応を問われている。

◆ 5)記者と役者

 6月22日、私の携帯電話に以下のようなメールが入ってきた。送り主は、NHK社会部時代の先輩記者の名前である。タイトルは「社会部激励」。メールは、「現役の社会部激励で、添付のような企画をしました。ぜひ、ご賛同を…##」という短いもの。添付文書のタイトルは「社会部OB諸兄へ」。

 そこで、添付ファイルを開いてみた。
 「越乃寒梅で、社会部記者激励!へのお誘い 2017年6月 社会部OB有志 (以下、数人の先輩記者たちの名前が列挙されている)」

 以下、本文(原文ママ)の一部。
 「内外共に多事多難の時代、今ほどマスコミ―報道の役割が重要な時はありません。その中にあって、「森友―加計学園事件」の報道で、NHK社会部の活躍は目を見張るものがあります。いくつもの特ダネがありますが、特に6月19日夜の「クローズアップ現代」では、萩生田内閣官房副長官の加計学園事件への関与を決定的に裏付ける文科省文書の存在をすっぱ抜きました。この事件も、勝負あった、と思わせるものです。社会部がこのような取材を遂行していくには様々な苦労があると想像されます。OBの我々は非力にして何もできませんが、……現役記者のしごとを我々が見守っていること、そしてその仕事を大いに評価していること伝え、激励したいと思います」。

 越乃寒梅というところが泣かせるが、社会部記者の先輩から後輩への熱い思いが伝わってくる。NHKニュースは、安倍政権の御用ニュースではないか、という世評の中で、具体的なネタで勝負している記者集団がある、ということは知っていただきたい。この越乃寒梅「事件」は、社会部頑張れ! NHKの政治部対社会部という背景がある。

 そもそもNHKに限らず、新聞社も社会部と政治部は本来的に仲が悪い。特に、NHKは、受信料制度で支えられている公共放送局、国民放送局なので、出資者(受信者)の受信料を根幹とする予算案が、国民の代表が集う衆参議院で審議されて成立するので、NHK経営と衆参議員、特に多数派の与党議員との間で仕事をする政治部の記者が、NHK経営を支えていると錯覚し、どうしても肩で風を切るようになりがちである。いわば、「記者」が所属する部に合わせて「役者」になって大見得を切りたがるのではないか。本来的に仲が悪い社会部と政治部なのだが、何故に、今、ここで、NHK社会部記者のOB有志が、こういう行動を起こしたか。それは、この文書の中にも出てくるように、次の番組が根っこにあるのである。

 2017年6月19日にNHKで放送された「クローズアップ現代プラス」の番組タイトルは、以下のようなものであった。
 「波紋広がる“特区選定” ~独占入手 加計学園“新文書”~」

 番組の冒頭の部分を引用してみよう。

学校法人「加計学園」が計画している獣医学部の新設。地域を限定して大胆な規制緩和を行う国家戦略特区制度を活用し、52年ぶりに認められた。今回の選定について政府は「すべて適切に行われた」としているが、一方で「行政がゆがめられた」との声も上がっている。選定の過程で公平性や透明性は保たれていたのか? 経済成長をめざす特区制度はどうあるべきか? 独占入手の資料や証言などをもとに特区制度をめぐる問題の深層に迫る。
出演者 武田真一・鎌倉千秋(キャスター)

独占入手・加計学園 “新文書”とは
――学校法人「加計学園」の獣医学部新設に関する新たな文書を入手しました。
文部科学省の追加調査で存在が確認された、加計学園の獣医学部新設をめぐる14の文書。NHKは今回それらとは別の新たな文書を入手しました。事業者が選定される前から政権幹部が加計学園の名前を出して指示していたと記されています。

(文部科学省 現役職員)
「これは安倍総理の関係する総理マターである。十分な議論がないままに結論まで行ってしまった。」
 (以下、略)

 この番組は、前半が、記者リポートもの。後半が、スタジオ記者出演ものという二部構成の演出だ。前半、キャスターの絡みに社会部の二人の記者が画面の陰で選定の適切さについて検証リポートをする。二人とも画面には、名前(社会部)というテロップが入る。後半は、キャップクラスのベテラン記者がスタジオで顔出しをする。二人とも名前と所属部がテロップされるのなら、普通なのだが、今回は、名前と所属なしに、「NHK記者」というテロップが使われていて、私には、違和感があった。
 この番組のニュースとなる情報のポイントは、「事業者が選定される前から政権幹部が加計学園の名前を出して指示していた」というもので、この放送後、新聞も朝刊で後追いするというスクープニュースだったが、その後、週刊誌の伝えるところでは、後半スタジオに出てきた二人のNHK記者は、一人は社会部、もう一人は政治部で、社会部を軸に取材が進んでいた文科省の文書を社会部ペースで放送されると政治部のメンツ(「忖度」すれば、政権へのメンツか?)に関わるとでも思ったのか、政治部記者の出演を加えるように言ってきたというのだ。その結果、番組は5分延長され、「丁寧」に伝えることになったらしいという。その下りを一部紹介しよう。政治部記者と社会部記者のやり取り。

 記者:すべての決定の過程が議事録に残っている上に、オープンにインターネット上でされている。すべての場所に必要な人が出席して、意思決定をしている中において、間違いが起きるはずがないということなんですね。
 さらに先ほど「広域的」という文言もありましたが、有識者の方々は記者会見で、われわれが獣医師会や、規制を緩和したくない文科省に譲歩してなんとか認めてもらうために入れた文言であって、なんらかの変な形で入ったわけではなく、われわれのサジェスチョンで山本大臣が決定したのだと。ですからそこに違法性はない、政府もこうしたプロセスを踏んでることから、手続きが適正に行われていて違法性もないと強調しているわけなんです。

 記者:今の議論、この透明性というのは確保されていると思います(?-引用者)。ただ今回の獣医学部をめぐっては、内閣府と文科省は水面下で交渉を繰り返していました。今回の文書は、先週存在が確認された文書と同様に、そうした水面下での交渉が記録された文書の1つなんです。選定にあたっては、公平性・透明性が保たれたかどうかということは、こうした省庁間の交渉も含めて、検証する必要があるのではないでしょうか。
 (以下、略)

 どちらの記者が政治部か社会部か、判りますね。

 ところで、政治部官邸担当は社会部警視庁担当のようなもの。官邸番記者は警視庁の方面察廻りのようなもの。地方で数年からそれ以上の記者経験を積んできたとは言え、選ばれて地方勤務を終えて花の東京本社に上がって来たばかりで、本社記者としては見習い中。番記者は首相の言うことを聞き漏らさないようにするだけで精一杯。相手の嫌がる質問などできない。官邸キャップは、デスククラス直前のベテラン記者だが、記者会見という公の場で首相に対峙するようなハードな質問などしない、という。ベテランを揃えた欧米の官邸担当記者とは大違い。ある記者は、アメリカ大統領と記者会見でやりあった際、あなたは何期大統領をやっているのか、私は、何代も前の大統領から代々取材している、と反論して、大統領を絶句させたらしい。

 真実と事実は、違う。真実は、最初から全体像を見せてはこない。不確実である。一方、事実は、そのものの存在は事実だが、断片的である。粘り強く事実というピースを多数集積し、クロスチェックすることで、次第に真実へ向かって近づいて行くものである。取材とは、そういうものだろう。(この項、了)

 (ジャーナリスト/元NHK社会部記者・日本ペンクラブ理事)

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