天皇の沖縄メッセージの誤った解釈を糺す

■【オルタの視点】

天皇の沖縄メッセージの誤った解釈を糺す

矢吹 晋


 『朝日新聞』特別編集委員山中季広氏が「日曜に想う、本土と沖縄、本当の壁」というエッセイを2面トップの目立つ位置に書いている(2015年10月4日)。これは典型的な一知半解、世論をミスリードするいかがわしい文章だ。
 問題の一節を全文引用すれば、以下の通りである。

 ——広く知られている通り、米軍が日本の法規に縛られない状態は占領期にさかのぼる。米軍は占領終結後も特権の多くを持ち続けた。日本側にも駐留継続を望んだ人が大勢いたからだ。
 関西学院大学の豊下楢彦・元教授(70)の研究によれば、昭和天皇もそのひとりだった。昨年刊行された「昭和天皇実録」が言及した(a)米側報告書によると、昭和天皇は沖縄駐留について「25年ないし50年あるいはそれ以上の長期」を求めた。訪米する外相に向かって「米軍撤退は不可なり」とわざわざ念を押されたことを示す手記などもある。

 何のためか。豊下氏によると、一つはソ連など共産勢力への恐れ。日本でクーデターが起きれば天皇制は覆されると考えた。もうひとつは軍部復活への不安。戦中の不信もあって「いつか刃を自分に向ける」と警戒した。「象徴天皇として生きながら、危機が迫れば元首のごとく外交に乗り出す。研究すればするほど、そのリアリストぶりに魅せられました」
 (b)現実の駐留政策に天皇の意図がどれほど反映されたかは知るよしもない。長い駐留を願う声は各界階層にあった。ただ米軍にすれば、そうした声は渡りに船だった。日本からの早期撤収を訴える国務省を退け、占領終結後もほぼ望み通りに占領状態を継続した」
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 山中季広のいう(a)米側報告書とは、俗に「天皇の沖縄メッセージ」と呼ばれるもので、その原文は沖縄公文書館のホームページに掲げられ、以下のように丁寧な解説が付されている。
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米国国立公文書館から収集した“天皇メッセージ”を公開しました。(平成20年3月25日) 同文書は、1947年9月、米国による沖縄の軍事占領に関して、宮内庁御用掛の寺崎英成を通じてシーボルト連合国最高司令官政治顧問に伝えられた天皇の見解をまとめたメモです。【資料コード:0000017550】内容は概ね以下の通りです。 (1)米国による琉球諸島の軍事占領の継続を望む。 (2)上記(1)の占領は、日本の主権を残したまま長期租借によるべき。 (3)上記(1)の手続は、米国と日本の二国間条約によるべき。 メモによると、天皇は米国による沖縄占領は日米双方に利し、共産主義勢力の影響を懸念する日本国民の賛同も得られるなどとしています。1979年にこの文書が発見されると、象徴天皇制の下での昭和天皇と政治の関わりを示す文書として注目を集めました。天皇メッセージをめぐっては、(1)日本本土の国体護持のために沖縄を切り捨てたとする議論や、(2)長期租借の形式をとることで潜在的主権を確保する意図だったという議論などがあり、その意図や政治的・外交的影響についてはなお論争があります。
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 この解説は、史料の背景を的確に解説したものと評してよいが、山中の引用には著しいバイヤスがある。
 まず第一に、沖縄メッセージは、いつマッカーサーに届けられたか、日付が重要だ。それは1947年9月20日付である。これは日本国憲法が施行されて4カ月後、11月に行われた極東国際軍事裁判において戦犯25被告に有罪が判決される2カ月前のことだ。憲法では象徴天皇制が明記され、昭和天皇の戦争責任を追及しない方向はすでにGHQが固めていたが、沖縄の地位はきわめて曖昧であった。

 天皇の沖縄メッセージから半年以上を経た1948年4月の国務省沖縄会議の模様を米国務省資料 FRUS,1948 で読んで見よう。これは小著『敗戦・沖縄・天皇』(花伝社、2014)からの一節だ。

 ジョージ・ケナンがマッカーサーと三度にわたる討論の後で提起したケナン意見書において(FRUS,1948,vol.vi,pp.691-696)、ケナンは、「沖縄米軍基地の永久使用」論を提起して、次のように述べた。
 「米国政府はいまこそ、沖縄基地の恒久的確保を決意すべきであり、沖縄基地の発展を図るべきである。沖縄を恒久的に戦略管理することについての国際的承認の課題は、国務省が検討すべきである」。
 このケナンの「沖縄米軍基地の永久使用」という問題提起を受けて、国務省は1948年4月5日に沖縄で会議を聞き、沖縄の扱いを検討した〔国務省従属地域課のカーゴの覚書によると、出席者は、ラスク、バターワース、ハミルトン、ボートン、アリソン、デイヴィス、フィアリー、グリーン、そしてカーゴであった(FRUS,1948,vol.vi,pp.722-724.)〕。
 会議を主宰したラスクが、「沖縄は日本に返還すべきか、沖縄の将来をどうすべきか」と問題を提起し、四つの選択肢を挙げた。

(1)講和条約の成立まで〔米軍基地を〕保持すべきである〔いいかえれば、これは講和条約後の返還論である〕。
(2)沖縄に対して「通常の信託統治を行う」ことを講和会議で提起すべきである〔これは「国連規約第82条の戦略地区指定」ではなく、「通常の信託統治を行う」考え方である〕。
(3)米国は国連総会に対して、「信託統治の条件承認」を求めるべきである〔沖縄に対して信託統治を行うことについては、「第82条の戦略地区指定」であれ、「通常の信託統治」であれ、両者共に異論が多いので、国連憲章の規定する信託統治の諸条件に適合するか否かについて、国連総会の場で了解をとりつけるべしとする意見である〕。
(4)「信託統治の諸条件」は、「沖縄の人々」が自らの将来の地位について「然るべき機会に」決定すベき性質の問題である。「将来の地位」の扱いは、日本への返還に際して継承されるべきである〔これは日本への返還あるいは沖縄住民の意志に聞くべしというもので、最もリベラルな見解である〕。

 ここでラスクは会議を司会しつつ、こう実感せざるを得なかった。
 ——沖縄が将来において「日本に返還される」ならば、「信託統治が最も妥当な形式である」とは思えない。この決定は「国連憲章にいう信託統治制度の政策目標」といささか矛盾するのではないか(FRUS,1948,vol.vi,pp.722-724.)
 ラスクの違和感とはなにか。端的にいえば、沖縄の地位が国連憲章で規定する信託統治の諸規定に、そもそもあてはまらないことであった。たとえばマーシャル諸島は元来は「ドイツ領」として認められていたが、第1次大戦の敗北後、旧国際連盟で「委任統治扱い」とされ、日本が委任統治してきた。第2次大戦後は日本の敗北により、新生国際連合の定める信託統治の原則に照らして検討すると、まさにこれにあてはまる。マーシャル諸島を含む太平洋諸島は、米国の信託統治を終えた後、マーシャル諸島共和国(1979年)、ミクロネシア連邦(1979年)、北マリアナ諸島連邦(1978年)、パラオ共和国(1981年)と相次いで独立して、米国による信託統治の任務を終えた。ここで「自治」や「独立」は、当初から想定されていたものであり、この文脈で「信託統治」とは、元来「独立に向けて政治的社会的訓練を行う期間」と見なされていたのである。

 これに対して、沖縄は、信託統治の規定にほとんど該当しない。戦前から独立国日本の一部として存在していたからだ。諸条項のなかで、唯一適合するのは国連憲章第77条b項「第2次世界戦争の結果として敵国から分離される地域」という規定だけであった。
 これに適合することは、カイロ宣言とこれを引き継ぐポツダム宣言の規定から明らかだ。「沖縄は日本敗戦のゆえに、勝者米国によって分離された地域」なのだ。課題は「敵国から分離した後」で、それをどのように扱うかである。沖縄に対して、仮に米国が信託統治を行うとした場合、信託統治を終えた後に、どう扱うかが難しいのだ。
 一般規定に基づけば、たとえばマーシャル諸島のように当然「独立」が最も望ましい。しかしながら、沖縄は未開のマーシャル諸島とは異なり、元来「独立国旧日本帝国の一部」であった。そして住民の意識を調べても、「独立」論よりは、日本復帰論が圧倒的に強いことを、軍事占領を通じて米国は熟知していた。
 こうして、
(1)沖縄は国連憲章にいう「信託統治のどの条項」にあてはまるのか、
(2)信託統治を仮に行うとすれば、「ポスト信託統治期」の政治形態は
   (1)日本復帰なのか、
   (2)沖縄独立か、
 これらの扱いが難題として、米国を悩ませていたことが担当者たちの記録から浮かびあがる。現実の動きを見ておくと、ケナンの提案は、トルーマン大統領の出席する会議で承認され、NSC13/2という略称で呼ばれる国家安全保障会議の重要方針が成立した。この文書には「降伏の条件」とか「ポツダム受諾」とか、「敗戦国日本の立場」が繰り返し強調されており、敗戦国日本に対する「沖縄処分」の色彩が濃厚だ(矢吹『敗戦・沖縄・天皇』花伝社、2014年、109-112ページ)。そこには主権を認める余地はない。

 では、国務省の担当者たちが天皇メッセージをどのように受け止めたかを調べて見よう。
 エルドリッジは『沖縄問題の起源』(名古屋大学出版会、2003年)で、フィアリーの覚書(注)を以下のように紹介している。この文書に日付はないが、バタワースのマーシャル宛てメモのすぐ後にファイルされていることからして、「1947年10月から1948年2月までの間に書かれたことが分かる」とエルドリッジは推定している(エルドリッジ著、289頁)。
 (注)Advantages and Disadvantages of a United States Leased Base Arrangement in the Ryukyu Islands(undated), Roll 5, Microfilm C0044, ONA Records, RG59.

 この日付と以下に示す内容から判断して、フィアリーが天皇メッセージを受け取ってまもなく検討したものであろう。
 フィアリーは「天皇メッセージ」を引用しつつ、「基地租借」方式から得られる五つの利益を挙げた。

 ——第一の利益は、基地租借協定が日米間の単なる二国間協定であり、他国の参加を伴わない、あるいは必要としない事実に関わる。租借地域内の米国の権利は、租借期間中は完全に保証されるし、[米]軍部が恐れているような、いかなる形態の国際管理や査察に服することもない。第二に、基地租借協定においては、信託統治とは異なり、米国は[沖縄]住民に責任を負わない。その結果、継続的な責任を免れ、琉球の年間基地経費は実質的に減少していく。第三に、基地租借協定は、固定され保証された期間、米国の基地所有を保障する。フィアリーはここで天皇メッセージを引用して、25〜50年の期間に言及している。信託統治の場合は、信託期間内の施政国の変化等により、不安定な状況をもたらす危険があるが、基地租借協定は米国の権利をより保障するであろう。第四に、米国による琉球の信託統治請負は、間接的に国連を弱体化させる恐れがあるが、基地の租借には、その恐れはない。最後に、基地租借協定は琉球諸島に対する主権を日本に認めるものであり、他のいかなる解決策よりも日本にとって受け入れやすい案であろう。

 以上がフィアリーの信託方式よりも租借協定が日米双方にとって好ましいと考えた理由である。では、この租借提案はどうなったか。エルドリッジはフィアリー覚書を丁寧に説明した後で、一言書き加えた。「しかし、この協定が実現するには、25年もの歳月を待たねばならなかった」(142頁)。
 「25年もの歳月」とは、1971年の沖縄返還を指す。天皇メッセージは、メッセージの4年後に結ばれたサンフランシスコ講和で拒否された。「基地租借協定は琉球諸島に対する主権を日本に認めるもの」であり、それゆえに、SF講和会議は、天皇メッセージを拒否したのだ。

 以上のように「天皇メッセージ」の歴史的背景を分析すると、山中季広エッセイおよびその典拠となった豊下楢彦の解釈は、沖縄公文書館の資料解説にいう、「(1)日本本土の国体護持のために沖縄を切り捨てたとする議論」であり、典型的な「沖縄切り捨て論」であることが分かる。ここから逆に浮かび上がるのは、沖縄メッセージの核心が「主権」にあることだ。
 いいかえれば、「長期租借」とは、ケナンの沖縄「永久基地化」構想、日本の沖縄主権を拒否して信託統治扱いとし、処分保留とする連合国の思惑に対抗する文脈で提起されたものにほかならない。すなわち、沖縄公文書館の資料解説にいう「(2)長期租借の形式をとることで主権を確保する意図だったという議論」のみが正解なのだ。もし「沖縄切り捨て論」ならば、連合国が天皇メッセージを拒否するはずはなく、SF講和会議で容易に受け入れられたに違いない。

 実際には、SF第3条において、沖縄の地位は次のように規定された。「日本国は、北緯29度以南の南西諸島(琉球諸島及び大東諸島を含む)、孀婦岩の南の南方諸島(小笠原群島、西之島及び火山列島を含む)並びに沖の鳥島及び南鳥島を合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下におくこととする国際連合に対する合衆国のいかなる提案にも同意する」ことを余儀なくされた。「このような提案が行われ且つ可決されるまで、合衆国は領水を含むこれらの諸島の領域及び住民に対して、行政、立法及び司法上の権力の全部及び一部を行使する権利を有するものとする」ことが規定された。
 条文から明らかなように、ここでは「長期租借」提案は無視された。米国はサンフランシスコ講和において、租借を退けることによって、「沖縄に対する日本の主権を認める」ことを拒否したのだ。ダレスはこれによって、沖縄に対して「無期限に」、「行政、立法及び司法上の権力の全部及び一部を行使する権利」を獲得した。これがサンフランシスコ講和の厳しい現実である。この帰結から、1947年9月〜51年9月の時点で沖縄の地位がいかに不安定なものであったかを理解すべきなのだ。
 山中は呑気な駄弁を書いているが、天皇メッセージ問題はSF講和会議で60年前に結論が出た話なのだ。この明白な史実を無視して、(b)現実の駐留政策に天皇の意図がどれほど反映されたかは知るよしもない、と書く。不勉強というか、無知(無恥)というか、まことに一流新聞を自称する「特別編集委員」にふさわしいコトバコロガシに唖然とする。

 では、沖縄の主権問題は、結局どうなったのか。
 ダレスは「条約本文の規定」において、「沖縄についての日本の主権」を含めることを一切拒否した。そして会議における「条約の主旨説明演説」のなかで「日本は沖縄に対して、residual sovereignty をもつ」と、residual sovereignty(これは残存主権とまず訳され、日本政府はその後「潜在主権」を定訳とした)の一語を一回のみ語った。これについては拙著『尖閣衝突は沖縄返還に始まる』花伝社、2013年、「沖縄に対する日本の残存主権----ダレス方式」(78〜83ページ)に書いたので、参照願いたい。residual sovereignty とは、国際法上で定義を定められた用語ではなく、単なる政治用語にすぎない、あえていえばリップサービスにすぎないと、米国務省当局はその後、機会のあるごとに繰り返した。
 1971年の沖縄返還協定交渉においては、residual sovereignty が繰り返され、日本政府や外務省、国会は期待を繋いだが、その帰結は「米国は尖閣諸島の主権問題」に対して、「立場を取らない takes no position」であった。これが今日の日中関係をノドの棘のように悩ませていることは周知の通りだ。米国はセンカクを日本の領土として認めていない。
 SF講和条約において「沖縄の主権」が認められず、沖縄返還協定において「尖閣諸島の主権」が認められなかった事実の意味に鈍感な者だけが、豊下楢彦や山中季広のような致命的な誤謬を犯して、しかもそれに気付かないのだ。これでは対米国であれ、対中国であれ、まともな外交関係を発展させることは不可能だ。

 天皇の沖縄メッセージの原文は、以下の通りである。

                          20 September 1947
Memoradum For: General MacArthur

 Mr. Hidenari Terasaki, an adviser to the Emperor, called by appointment for the purpose of conveying to me the Emperor's ideas concerning the future of Okinawa.

 Mr. Terasaki stated that the Emperor hopes that the United States will continue the military occupation of Okinawa and other islands of the Ryukyus. In the Emperor's opinion, such occupation would benefit the United States and also provide protection for Japan. The Emperor feels that such a move would meet with widespread approval among the Japanese people who fear not only the menace of Russia, but after the Occupation has ended, the growth of rightist and leftist groups which might give rise to an "incident" which Russia could use as a basis for interfering internally in Japan.

 The Emperor further feels that United States military occupation of Okinawa (and such other islands as may be required) should be based upon the fiction of a long-term lease--25 to 50 years or more-with sovereignty retained in Japan. According to the Emperor, this method of occupation would convince the Japanese people that the United States has no permanent designs on the Ryukyu Islands, and other nations, particularly Soviet Russia and China, would thereby be estopped from demanding similar rights.

 As to procedure, Mr. Terasaki felt that the acquisition of “military base rights” (of Okinawa and other islands in the Ryukyus) should be by bilateral treaty between the United States and Japan rather than form part of the Allied peace treaty with Japan. The latter method, according to Mr. Terasaki, would savor too much of a dictated peace and might in the future endanger the sympathetic understanding of the Japanese people. W. J. Sebald

「天皇の沖縄メッセージ」画像
http://www.archives.pref.okinawa.jp/collection/images/Emperor%27s%20message.pdf

 (筆者は横浜市立大学名誉教授)

※この記事は筆者の許諾を得て「ちきゅう座」から転載したものです。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/〔study658:151007〕矢吹晋


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