【オルタの視点】

天皇の退位を首相が決めていいのか
―決めるのは国民と国会の責任である―

橋山 禮治郎?


 天皇の退位、継承問題等に関する政府の特例法案が、本国会会期中に成立される可能性も出てきた。因果は巡る、これは新しく出て来た問題ではない。2004年の小泉政権時、2012年の野田政権時の二度にわたって皇族の後継者問題が検討されたが、いずれも途中で検討は中止された。それ以降、歴代内閣は天皇の国事行為や公的行為の増加等にも特段に配慮もせず推移したが、その間に天皇のお気持ちにかなりの変化があったことに周辺の方々も気づいておられたようである。

 今上天皇が天皇の退位、皇位継承等についてご自身のお気持ちを率直に国民に話されたのは昨年八月八日。これは将に今上天皇が戦後国民に向けて語られた唯一つの「玉音放送」であったと言っても過言ではない。静かに話される天皇の心情に触れた多くの国民は、象徴天皇としてのご行為の重さと国民への思いやりの深さに心を打たれ、改めて天皇と皇室の存在について共感を持って受けとめた。

 あわてた政府は急遽、首相の私的有識者会議を設け検討に入った。その流れは驚くほど速く、下記の通り進められた。
(1)8人から成る私的有識者委員会の人選と発足、(2)16人の参考人の選定と意見聴取、(3)有識者会議の論点整理、(4)安倍首相への提出、(5)論点整理を骨子とした政府見解を安倍首相が衆参両議長に手渡し、国会各党の意見取りまとめと総括的見解提出を要請、(6)国会両議長による各党の意見聴取と取りまとめ、(7)両議長が「立法府の総意」を安倍首相に提出、(8)同文書を受け取った安倍首相が「有識者会議」に渡す、(9)「有識者会議」が最終報告を作成し安倍首相に提出、政府が国会に提出する特例法案の作成作業開始。

 こうした一連の流れを見ると、一見順調な手順を踏んで進められ、天皇のお気持ちにも十分沿った制度変更がほぼ確実になったと見る政治家や報道関係者も多いが、果してそうだろうか。

 筆者の見方は違うと言わざるを得ない。その理由は次の2点に要約される。第一は天皇問題を検討、議論する場が法体系的に適正に欠け、主権在民の憲法理念からも逸脱していること。第二は天皇の御言葉の背後にあるご心情やご心配を真摯に受け止めていないばかりか、恣意的に無視ないし排除したり、意図的に判断を避けた政府の本音が随所に見受けられ、有識者及び政府関係者の責任感の低さが散見されることである。
 前者は決定過程の問題であり、後者は目的整合性の問題である。以下でその点について立ち入って触れてみたい。

 天皇制の存続・継承は日本国憲法と並ぶわが国と国民の根幹であり、この問題には多くの国民も大きな関心と自分なりの考えを持っている。それ故に今上天皇が触れられた問題の大きさを考えるならば、これは一内閣が直ちに取り組み、政治的に早期に結論を出すのは余りにも軽率ではないか。

 言うまでもなく、わが国は国民統合の象徴としての天皇の地位と、立法、司法、行政の三権分立による国家統治の在り方を憲法で定めており、国権の最高機関は立法府たる国会であると明確に決められている。それ故に、これだけ重要な問題を皇室会議のメンバーである三権の長の間で何ら協議もせずに、行政府である内閣が直ちに政治問題として引き取り、非公式な有識者会議を設け、その結論をまとめて天皇退位の問題を決着させようとしていること自体、国民の総意を無視しており、正当性が問われるのは当然であろう。

 皇室典範が憲法第二条に明記されている以上、まず国会に設けられた憲法審査会で検討されるべきで、それが困難な場合もせめて「有識者会議」は国会内に設けられるべきではなかったか。こうした手順は一切議論されることなく、安倍政権が直ちに私的な諮問機関として「有識者会議」を設け、16人の参考人意見をまとめた論点整理を公表(1月23日)したが、既にこの時点で結論は決まっていた。現に、憲法改正を避けるため最高裁判所の見解も求めず、内閣法制局長官の苦し紛れの見解に従って官邸・有識者会議が強引な特例法で突破しようとしている。こうした対応は集団的安保関連法案時の解釈改憲を連想させ、法的整合性に疑義が指摘されている。政策決定は内容は勿論だが、その決定過程の正当性も極めて重要である。

 論点整理では、生前退位について、(一)今回に限り特例法で認める、(二)皇室典範の付則に根拠規定を置く特例法で認める、(三)憲法に定められている皇室典範を改正して認める、の三案を挙げていたが、今回一代限りの生前退位の第一案がいい、第二案が可能ならそれでもいいというのが首相官邸と有識者会議の本音であった。

 退位の恒久的制度化は種々の問題があって難しいと言う理由で今後のことは検討を一切避けている。(一)案又は(二)案の特例法なら与党多数で押し切れると楽観し、第三の憲法改正案は執念の九条改正を優先したい安倍首相に全くやる気はなく、例示にすぎない。これまで政府及び国会が怠慢であったことや今上天皇のお気持ちに対する洞察力が欠如していたことも自省せず、どうすればできるかより、時間がない、問題が多過ぎる、難しい等々、できない理由を多々列挙して否定しようとする意向が随所に読み取れる。

 ここで明らかなのは、「天皇の地位は国民の総意に基く」と定めている憲法の無視・軽視であり、場当たり的かつ拙速に一件処理で終わらせようとしている安倍政権の政治的意図である。天皇が全国民に向かって話されたご心境ご心配は、ご自身の国民統合の象徴としての天皇の在り方に関することばかりでなく、むしろそれを超えた今後の天皇・皇室の在り方に対するお気持ちだと受けるのが自然であり、その点でも政府・有識者会議の判断は余りにも適切さを欠いていると言わざるを得ない。

 もし国民の総意の上にある天皇の地位および今後の皇室の在り方を、一内閣の一存や与党多数、最悪の場合は党議拘束による強行採決で決めるならば、政権の横暴、国民無視も甚だしい。驚くことに、有識者会議が発足早々に官邸筋から「二〇一九年一月一日から新元号」との報道がなされた。直ちに宮内庁から「新天皇の元日即位は困難」と否定されたが、現政権は天皇制と日本国憲法から成るわが国の根幹的在り方と国民の総意をどう考えているのだろうか。戦後の首相経験者の中で、これ程天皇との間に違和感を感じさせる政治指導者はいただろうか。

 さらに、行政府が独断で私的有識者会議を立ち上げ、参考人の論点を整理し、それを立法府(衆参両議長)に「これを参考に検討した結果をまとめて回答してほしい」と求めたこと自体、行政府が最高決定機関である立法府をいかに軽視しているか明らかである。直ちに衆参両議長も、決めるのは政府ではなく主権者たる国民(国会)だという立場から、立法府の責任を重く認識し、各党代表からの考えを丁寧に受けとめ、その結果を「立法府の総意」にまとめた努力は高く評価されるべきである。将来の天皇退位・継承等に関する恒久的制度化、女性天皇や女性宮家の在り方、皇室典範の早期改正等についても、長期的視点に立ってより真剣な検討を政府に促しているが、こうした点は多くの国民や天皇のお気持ちにも近いのではないだろうか。

 4月17日、衆参両議長から渡された立法府の総意を「厳粛に受けとめ、真剣に検討する」と持ち帰った安倍首相の下でまとめられた有識者会議の最終報告(4月21日)を見ても、安倍政権の天皇観、皇室観は依然変わっていない。有識者会議発足当時との変化は、国会側からの総意を渋々受け入れ、今上天皇一代の生前退位だけに限定する表現を避け、多くの国民が支持している将来天皇の退位も認められる可能性を含む表現に変更した一点だけである。恒久的制度化は一切行わず、女性天皇・女性宮家等は明確に拒否し、将来の皇室典範の改正についても一切踏み込んだ検討を避けている。これが今上天皇が国民に向かって話されたお気持ちや御心配を真摯に受け止めた政府の検討結果と言えるだろうか。何に基づいてこれが国民の総意と言えるのだろうか。

 国民と国会の意向を無視して、その時の内閣(行政府)の長たる首相の一存で国民統合の象徴たる天皇および今後の皇室の在り方とその運命を決める権限はどこにあるのか。昭和天皇の亡き後、今上天皇が増加一途の国事行為・公的行為以外にも、多くの戦禍を与えた近隣諸国や災害等に苦しむ国内各地を訪問され示された数々のご行為を思うと、この度の政府・有識者会議の結論は余りにも国民の総意とは程遠いと言わざるを得ない。

 こうした独善的政治判断がまかり通る主たる理由を三つ指摘したい。第一はわが国の天皇制及び皇室継承の在り方と現政権の延命のどちらが重要かも分からない程に権力志向に陥っていること。内閣総理大臣として、与党総裁として、自分の信念、歴史認識、国家観を持って権力を行使すれば何事もやれるという考えこそ独裁者の行きつく危険な道であるが、その一端を感ぜざるを得ない。自民党総裁の任期延長も良識ある政治家なら自分以降の該当者から適用するのが常道であろう。

 第二は将来のことは後世の人が決めればよい、唐突な天皇のお気持ち表明で政権運営の日程が大幅に狂うことは避けたい、何としても早く一件落着させねばならない、皇室典範の改正などに関われば、在任中に目論んでいる憲法改正はさらに困難になり、到底付き合いきれないという考えに依然として固執していること。日本国憲法で自分こそ誰よりも憲法尊守を義務づけられている内閣総理大臣が、自ら先頭に立って憲法改正を主張し、遂に2020年に実現する意向まで公言している(5月3日)。

 第三は首相自らが従来から保守的信念を持ち続け、天皇世襲制固執、女性天皇制拒否、靖国神社崇拝等を主張する保守的思想集団「日本会議」(首相自身が同会議の特別顧問。自民党の国会議員77名が同会議の役員に就任)の考えに共鳴していること。さらに付言すれば、有識者会議の意見参考人のうち3名、安倍内閣の閣僚20名の内13名が「日本会議」に所属している。「天皇は国民の間に入ってひざまずくことなどする必要はない」、「公務以外のことを沢山されるからお疲れになるのだ」、「御簾の奥で祈っているだけでいい」等々発言する有識者さえいる。天皇の穏やかなお言葉の奥にあるお気持ちを真摯に受け止めることもできない方々が真の有識者に値するだろうか。「裏は隠して、おもてなし」。リオデジャネイロ劇場で見せられたような嘘で固めた芝居は国民にはもう結構である。

 勿論、国会が英知を結集し最善の解決策を実現できるほど万能ではないかもしれない。しかし主権者たる国民の代表から成る国会は国権の最高機関である以上、行政府とは違い、立法府として国民に重い責任を負う立場にある。とりわけ天皇制の在り方についてはその時の内閣、与野党を超えた国民的合意の上に立って最善の判断をする責任がある。とは言え、現在与党所属の国会議員が地元選挙区の有権者から得た得票数は全投票総数の47%にすぎず、決して全権委任されているわけではない。衆参両院議長の要請を受けて自民党の意見集約に関わったのも僅か14人の党幹部にすぎず、党内にさえ公開されていない。もちろん全国民が現時点の安倍普三首相に全権委任しているわけでもない。

 従ってこれ程重要な判断が求められているだけに、今後は国権の最高機関である国会を本舞台に、政府作成の特例法案(実質は官邸、有識者会議、官僚が作成)だけでなく、多くの国民の考え、党派を超えた全国会議員の考え等にも十分耳を傾け、今後のわが国の進むべき道を慎重に決定すべき時であろう。そのためにはむしろ性急な決定を避けるべきかもしれない。国会での法案の実質審議が円滑に進めば結構だが、党派的発言を極力回避するための運営も考慮されるべきである。見識ある衆参両院議長の判断に期待したい。

 全国民が関心を持ち、極めて影響が大きい重要事項の決定については、理念的にはその判断を国民に直接求めるのが最善ではなかろうか。その一つの方法は国民投票の実施である。EUへの加盟や離脱、通貨統合や原発の是非などの多くの外国事例があるが、わが国でも選挙以外に最高裁判事国民審査のような国民投票や、巻原発計画の是非、市町村合併時の名称決定等の住民投票など既に実施されている。決して空理空論ではない。国民のことは国民が決め、その結果に国民が責任を持つのが真の国民主権国家、民主主義国家の在り方であろう。政府の役割は国会で決定された結果を受けて必要な措置を取ることである。

 この二十八年間、わが国と世界の平和を祈り、国事行為や公務のみならず、国民の中に入って励まして下さった今上陛下に対し、もし私たちが一国民として心からの感謝と敬意を表明することによって今後もご安心いただけるならば、平成時代を画するこの歴史的機会こそ、わが国と国民にとって「永遠の今」(大平正芳)になるのではないだろうか。これこそ筆者個人の夢のまた夢である。 (2017年5月8日)

 (アラバマ大学名誉教授)

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