始動する鳩山政権に期待できるか

■ 始動する鳩山政権に期待できるか            羽原 清雅

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  鳩山首相率いる民主党主体の政権は、支持率を堅調に保っている。 
  8月30日投開票、9月16日組閣だから、2ヵ月足らずの現在、高くて当然
、ともいえるが、自民党政権時代に比べれば、かなりの高さである。また、政権
交代後、半信半疑で見守っているので、まだ足を引っ張る材料がないから、とも
いえよう。ともあれ、国民が、政権の出方に期待を込めつつ、じっと見守ってい
ることは事実だ。
 
鳩山政権の外交面については、元共同通信の榎彰さんが前号「オルタ」で触れ
ているので、この稿では、内政中心にとどめるが、この点にひと言触れるなら、
鳩山首相の「核のない世界」「地球温暖化ストップ」の国際舞台での表明も、自
民党時代にない明快さが評価を誘った、と言っていいだろう。オバマ大統領のノ
ーベル平和賞受賞の理由ともかみ合い、あるべき方向を示したといえる。また、
東京五輪の是非は別として、日本のアピールに駆けつける姿勢も、悪くない。

 閣僚就任時の初記者会見を、官僚のお膳立てにのらないで自分の言葉で述べる
のは、きわめて当たり前だが、その後の記者会見もそれほどの混乱は見せず、全
般に日ごろの勉強振りを思わせる安定感があった。
  また、その表明された政策内容は、選挙前のマニフェストにのっとったものだ
が、それほどのブレはない。
  自民党時代の組閣に比べると、マンネリがなく、パターンや政策内容も変化が
あり、ステロタイプ化を回避するなど、新鮮さも感じられる。
 
  ただ、このおぼろげな表面的ともいえる期待感はいつまで続くのか。
  その期待を継続するためには、どうしたらいいのか。
  それは、新政策をきちんと実行することしかないだろう。期待が期待どおりに
具体化できるかどうかは別として、政権交代を望んだ「民意」に応えるには、少
なくとも自民党時代の変更・改革・前進を具体的に示すしかあるまい。

 一例を挙げたい。
  筆者の尊敬する免疫学者多田富雄さんは、脳梗塞後遺症でリハビリを必要とし
ているおひとりで、厚生労働省によって2006年4月以降、医療保険によるリ
ハビリを最長180日で打ち切られることになったのだが、その政策のあり方と
政権交代について、次のように記している。
 
「国民は今、長く国民を苦しめてきた官僚主導の政治が本当に変えられるかど
うか、固唾を呑んでみている.何よりも懸念されるのは、霞が関官僚の抵抗であ
ろう。 面従腹背はもとより、あらゆる手を使って、既存の決定事項を守ろうと
するであろう。・・・・・・リハビリ日数制限撤廃は、脱官僚政治の試金石であ
る.民主党にとっては、官僚任せで発生した政策事故を、政治家の責任で解決で
きることを示す絶好のチャンスではないか」
 
これは一例だが、国民の期待は、こうした長期政権の慣れや当然化されてきた
矛盾から来る過ちをひとつずつ正していくことにある。派手なパフォーマンスの
マニフェストよりも、具体的な打開策を通じて、前例踏襲主義や無謬主義を排し
て、改革の道を探ることだろう。

 そこで、この小文では、民主党政権への期待の一方にある「不安」について、
7点ほど指摘したい。


□(1)マニフェストへのこだわり


 民主党の勝利の一因は、マニフェストによる子ども手当ての支給や、高校授業
料の無償化、高齢者医療の改正、年金制度と運用見直しなど、家計に身近な問題
や、生活維持への不安打開策などに触れることで、ひとつは自民党政府の施策へ
の批判を浮き彫りにし、もうひとつは従来支持層の薄かった女性の取り込みに成
功したことだろう。
  また、この政権は八ッ場、川辺川ダムの中止、羽田空港のハブ化、高速道路の
見直し、地球温暖化の推進など、かなり大胆な提言をして、関係者や地元などの
反発を招いている。 このあり方をどう見たらいいのか。
 
「準備不足」「地元の意見無視」「方針だけでプロセスなどの説明がない」と
いった批判は、今後に尾を引くような取り組み方だ。しかし、民主党という新政
権を生んだ、その選択をプラスに向けていくということは、従来の自民党政治の
「非」を改めると同時に、国民の側のマンネリ化した意識・発想も変えなければ
ならない。地元向けの利益誘導的な仕組みや、いったん決めたらひたすら踏襲し
ていく手法、お上ご一任的な追従型行政などに慣れきって、当たり前のように受
け入れてきた感覚を変えない限り、大事も小事も変わることはできない。既成の
方針、過渡的な事業を継続順守することにこだわれば、大きな変革はできない。

その大目標を腹に据えて、原則論に立つのなら、それは新政権の大きな使命で
もある。民主党がそのために、稚拙のようにがんばるのが、大きな意識改革を国
民に経験させようとしているのなら、それはそれで重要なことだ。まず原則を重
視して、そのあと順次具体的な変化を試みる、という趣旨であるなら、大所高所
論としては理解できる。ただ、現状で抱えている個々の利害も重要なので、そこ
は十分な対応策と説明が必要だろう。

 もうひとつの問題は「財源」に対する認識が薄かったのではないか、という懸
念である。麻生時代の補正予算見直しで、目標の3兆円余のひねり出しに苦労し
たように、既成の社会システムや国民生活の比較的安定した状態を、原則はどう
あれ、短期間にガラリと変える変革の手法が取れない以上、漸進的な、時間を要
する変革を求めざるを得ない。
しかも、政権担当の経験はないし、権力の握っていた情報も乏しい政党であ
る。
 
政策の見直しを進めていく中で、ナルホド、とこれまでの政策判断の正しい点
に気付くこともあるだろうし、政策遂行の優先順位のうえで後に回さざるを得な
いこともあるだろう。
それに、もともと国民一人あたりの国の借金が450万円という財政状況の中
では、「やりたいこと」には限界がある。自民党政権の行き詰まりも、苦境の財
政について打開の方向を打ち出せないままにズルズル引きずってきたうえ、しか
もそのツケを貧困層にまわす政策を選んだことが一因でもあったのだ。
  当然、「選挙公約としてのマニフェストはどうした」という批判、不満は出て
くる。

 では、そのまま民主党が掲げたマニフェスト実施に突進するのか。それでいい
のだろうか。
  だがそこは、政権を担った以上、民主党は「財源」について熟慮すべきだろう
。自民政治のように、「足りなければ消費税の増徴がある」ではすまされまい。
国民の期待は、民主党がうたったように、「無駄遣いの追放」「マンネリ化した
経済操作の改革」「人為的格差の是正」にある。自民政治の「非」の二の舞、を
期待してはいない。
たとえば、高校授業料の無償化などは理想であるし、マニフェスト的にもこだ
わりたいところだが、貧富の差に広がりが出た今、所得制限の導入といった考え
方は排除しないほうがいい。むしろ、生活困窮度や障害救済など「少数」の立場
をまず優先すべきではないか。
 
  つまり、ここで言いたいのは、政権党として原則を重視するにしても、マニフ
ェストの修正に躊躇すべきではない、という点である。
  不明を恥じるところもあろうし、優先順位の問題もあろうし、調査のための時
間の必要や、財源不足による遅れもあるだろう。そうした事情を、隠すことなく
、丹念に分りやすく説明すればいい。「説明責任」――これは自民党長期政権が
怠ってきたことのひとつで、いわば民主政治の要諦でもある。国民の納得を求め
ずして、新政権が長期的に活きる道はない。


□(2)官僚とのふれあい方


  政治家が、なんでもできるというものではないし、その活動にはおのずからジ
ャンルがある。
民主党の「脱官僚」「官僚政治脱却」の主張は、これまで自民党政治が過度の
依存によって官僚支配を許した誤りを正す意味では正しい。まず立法府が方針を
定め、そのもとに忠実に政策を推進するのが官僚の任務である。この本来の姿を
取り戻すことが、当面の民主党政権の仕事だろう。

国会議員は、国民に信託を得ている点で、政策遂行の職務に当たる官僚を指揮
する権限があり、この権限をいかにうまく使いこなすか、が政治家の力量を問う
ところとなる。「官僚排除」「官僚退治」では、政策遂行上に問題も起き、安定
的で知恵を生かした行政はできない。
要は、官僚の知恵や情報、機能を使わずに、いい政治がおこなわれることはな
い。民主党などの与党には、この優秀な集団をコントロール下に置けるだけの学
習と信頼が必要だ。この当たり前のことを、あらためて強調するのは、官僚群を
腕ずくで説き伏せたり、面従腹背に走らせたりするのではなく、国民に寄与でき
るように、有効活用するためである。

というのは、事務次官会議の廃止はともあれ、役所幹部の記者会見やブリーフ
ィングにまでブレーキをかけることは、政と官の間の溝を一層深めることになる
、と思われるからである。
官僚には、一定の枠のなかでその能力をおおいに発揮させ、それを政治に持ち
込む――そのためには、政は官と敵対せず、信頼関係を醸成することが必要だ。
言うまでもないことである。

それでもあえて言うのは、国家戦略局や行政刷新会議の編成に当たって、本当
に官僚の知恵を動員する気持ちがあるのか、疑問を感じるからである。一方では
、民主党内には1割以上の官僚出身者がおり、この一群の持つ行政経験と手腕へ
の期待が大きいのだが、これに頼りすぎるマイナスはないか、既成の仕組みへの
回帰にならないか、という杞憂もあるからだ。

官僚とどう付き合うか、小手先や手っ取り早さではなく、基本をしっかり構築
し、閣僚や議員がその点をわきまえて、信頼関係を築くことか必要だろう。
民主党は野党時代、シックハウス、肝炎対策など、各種の議員立法を試みたが
、これらはいろいろなNPOが力になっていた。今後も、NPOの存在を重視して、官
僚ネットから漏れた施策について、救済の道を求める民間の声を吸収してほしい。


□(3)「小沢力」の扱い


  民主党の今回の政権確保は、小沢一郎幹事長の選挙に向けた力量によるところ
が大きいことは否定できない。鳩山由紀夫、菅直人の旧民主党と小沢の自由党の
合併(2003年)によって、民主党の存在は、ひとまわり大きくなったが、政
権にたどり着くにあたって、自民党の自壊要因のほかに、小沢の戦術の巧みさや
展開振りも評価しないわけにはいかない。
 
だが、政権の座に就いた民主党の行方をみるとき、今後の小沢及び小沢勢力の
出方に注目せざるを得ない。小沢が選挙に全力投球したのだから、当選した議員
が小沢に近く、またその数が多くても不思議はない。党側の人事が、山岡国対委
員長、輿石幹事長代理、青木愛副幹事長ら側近が集まっても、ある程度はやむを
得まい。野党たる自民党による国会での攻勢を考えると、ケンカに強い小沢勢力
の存在は役立つだろう。
 
ただ、鳩山・菅の政府と、小沢の党との関係はどうか。自民時代の「党と政府
」の関係は党上政下だったが、こんどは両者一体の運営を目指している。しかし
、いまのところ、小沢は政府の動きに関心を示していない。政府がむしろ、警戒
したのか、小沢らをふくむ政府連立与党首脳会議を呼びかけている。

 小沢はいま、来年夏の参院選に集中の構えでいる。それはそれでいいだろう。
ただ、小沢の手法には、ドタキャン・雲隠れ・引き伸ばし・メディアへの非公開
不透明などの事例が多く、また大連立のような独断専行や、新生党、新進党、自
由党などで見せた壊し屋部分もある。さらに、小沢グループの数を頼んだ攻勢は
ないと言い切れるのか。
 
鳩山官邸主導の政局に対して、どのようなかかわり方をするのか、本人が西松
建設問題で首相候補の座から滑り落ちた「後遺症」を引きずって、妙な動きに出
ないか、排除の論理に陥らないか、そんな懸念も残されている。
  手の内を見せない小沢、そして政権を握って間もない未経験のままの首相官邸
――この関係はどうなるか、不安定ななかで、やはり気になる動向である。


□(4)寄り合い所帯の不安 


  民主党は結党以来、寄り合い所帯の集団として、とくに党代表の選出をめぐっ
て不統一・対立・多数派工作を見せつけてきた。自民党の派閥とは異なるグルー
ピングだが、党内の混迷として未成熟の印象を与えてきた。
  現状を見ると、小沢グループ150、鳩山G45、野田G35、菅、前原、旧社
会、旧民社G各30、羽田G20、といった仕分けである。それはそれでいいとし
て、問題は、ひとつの党としての思想や政策の考え方、取り組み方の相違を抱え
、これが時折摩擦をおこすのである。摩擦なら、まだ協議するなどの打開策を講
じればいい。そうではなく、党内で対立点について論議すること自体を避け、外
見だけまとめ上げてきた、その手法が問題である。
 
核保有をもふくむ自主防衛論、集団的自衛権や憲法改正など、基本的に相容れ
ない立場の人たちが、ひとつの党に混在している。野党時代はまだいいとして、
政権党となった今は、不安な印象を与える。

本来、野党であった時期に、方向を一致させる努力を重ねておくべきだった。
きちんとしたまとまりまではムリにしても、政党として、ひとつの考え方にまと
めようとする努力を、国民の前にオープンにして、そのプロセスを通じて有権者
がそれぞれの対立点を比較しつつ考えられるようにすることが望ましかったので
はないか。
 
それは、政権を手にした村山喜市首相が、独断的な手法で<安保堅持>などを
打ち出した、その二の舞を避けることにもつながるからだ。政策内容の是非は別
としても、権力者が突然、自らが所属した政党の掲げる方針を、議論もないまま
にくつがえしてしまい、しかもその責任はあいまいのままに推移してしまう、と
いったことは民主主義の建前からもあってはならないことだろう。
  そうした意味で、民主党の思想的寄り合い所帯についても、若干の不安を感じ
ざるを得ないのだ。


□(5)自民党攻勢を前に


  国会がまもなく始まる。自民党、民主党が攻守ところを代えて、激しくぶつか
るだろう。
  まずは、鳩山首相の故人献金問題、小沢幹事長の西松建設問題がやりだまに上
げられよう。また、八ッ場ダム問題のように、国として決定していた予算がらみ
の政策が、政権交代で変更される、といったことも問われるだろう。
  自民党は長年、野党攻勢を受けてきた経験を使って、かなりしたたかに迫って
いくだろう。政府内にまだ足場も残っているので、内部情報を入手して攻勢をか
けてくるに違いない。自民党は自らの再生策も忘れて、えげつない攻撃も出てく
ることもあるだろう。

 そうした立場に立たされる民主党政権は、どんな対応を見せるのか。その出来
ばえは、鳩山政権支持の大きな風潮を切り崩すかもしれない。
そこで、民主党に求めたいことは、国会での問答を野党との質疑応答としてで
はなく、「国民に直接 聞いてもらう」という姿勢で臨んでほしい。というのは
、末期自民党の麻生首相の言動は、苛立ちとままにならない憤懣が表面に出て、
国民の存在を忘れたかのようであった。
  マニフェストの修正をふくめ、とにかくごまかさず、逃げず、的を外すことな
く、わかりやすい説明をしてほしい。その蓄積の姿勢が、やむをえない政策選択
をせざるを得ない場合でも、有権者の納得を生む。

 ついでながら、最近の自民党を見ていても、谷垣総裁という新たな「顔」は選
んだものの、総選挙敗退の構造的原因を突くような反省や言動は見られない。戦
術上の敗因をあげつらうだけでは再生の道は開けないのだが、民意が自民党政治
のあり方をどのように見ているか、について、もっと深く考察すべきではないか
。血の出るような痛みを伴う反省のもとに、出直しを図らない限り脱皮できない
ことを知るべきだろう。
 
小選挙区制度に多くの問題があるのだが、この制度を続ける以上、せめて二大
政党による政権交代、つまり切磋琢磨の精神くらいは持つべきだろう。国会の論
戦にその一面でものぞければいいのだが、現状程度の認識の自民党にはその期待
は虚しいのかもしれない。


□(6)失敗時のリアクション


  政権スタートの時点で、失敗したときのことを言うのも酷ではあるが、政治に
成功の継続を求めることはまずできない。権力は常に腐敗する――という歴史的
証明からすれば、民主党政権も、いずれは間違いなく崩壊していく。この政権は
、より長く政権を存続させるためにはどうすべきか、という視点に立っていくこ
とが必要だ。
 
この政党は、基本的に保守である。
  鳩山、小沢をはじめとする幹部たちは当初、自民党で政治手法を学び、それが
身についている。したがって、自民党的なものが時折にじみ出てくる。クリーン
な政治資金の扱いができていないのも、かつて覚えた手口を持続しているためだ
ろう。また、新聞記者に聞くと、政権に就いたら、記者に接する態度が早くも変
わって、尊大というか、権力誇示というか、秘密主義というか、権力にとりこま
れつつある、という。
 
この伝でいくと、政権運営が順調なときはいいとしても、つまずくようになる
と、必ずや責任転嫁、空とぼけ、陰湿な内部批判、足の引っ張り合い、泥仕合、
そして救いがたい腐敗やおごり、といった姿を見せてくるに違いない。国民的な
立場から遠のくに違いない。権力とは多分に、そういったものだろう。
  そうした傾向にブレーキをかけうるとすれば、それは常に理念を持ち、説明な
しに、また簡単に現実主義に妥協しない姿勢だろう。また、幹部たちが、自らの
身辺を清潔にして、それを党内に徹底できる指導性と敬意を持てるようにしてい
くことだろう。
 
政治家は、政治家になろうとした動機を内心でよく点検してみることだ。ほん
とうに「国民の奉仕者」たらんとして臨んだのか。野心、名誉、世襲、利得、権
力・・・・そうした内心に於ける動機の人物が決して少なくないはずだ。しかし
、議員となった以上、有権者がその人物を選んだ、というほうに責任がかかって
くる。困ったことだが、<騙された方が悪い、それに伴うマイナスも負わなけれ
ばならない>ということになる。
  政権はいつか くつがえる。その事態と、そこに至る一人ひとりの責任を、し
っかり考えてほしい。


□(7)メディアとの付き合い方


  事務次官による記者会見がなくなる。大手企業のメディア対象の記者会見にフ
リーの記者も参加できる――政権交代に伴って、政治とメディアのあり方にも変
化が出てきた。
  見直すには、いい機会だろう。
  そのさい、なぜ報道が必要か、を考えておきたい。言論・報道の自由とか、あ
るいは権力に対するチェック、国民の知る権利の代行、といった民主主義の基本
は当然としても、その具体的なあり方には疑問も消えない。
 
麻生首相の末期には、報道陣の質問をはぐらかしつつ、皮肉というか、愚痴と
も鬱憤晴らしとも思える発言がテレビに映し出されていた。福田首相退陣時にも
、質問する記者に皮肉のつもりなのか、「あなたとは違う」などと述べた。森喜
朗元首相は、こんどの総選挙で地元紙以外の取材をシャットアウトした。
  政治家も人の子、怒りたくなることもあるだろう。問われても言えない、ある
いは言いたくないことや、勘違いされてひと言抗議したいこともあって不思議は
ない。
 
しかし、そこで私憤を吐き出してはいけない。国民がいつも見ており、政治家
たるものはその言動を常に国民にさらしていることを自覚していなければならな
い。つらくても、質問が矛盾していても、カメラがうるさくても、だ。それは、
政治家になるという決意をしたときからの宿命なのだ。それに耐えられないなら
、政治の世界に身を置かないほうがいい。
  テレビは、政治家の一挙手一投足を国民に見せている。品のなさ、単純さ、愚
かしさ、教養の欠如、知的でない言動、などを見抜き、不快感を抱く。同時に、
国民に対峙し、説明していない姿を読み取る。この実力者についていきたくない
、支持したくない、と思い、その印象を人に語る。軽侮、不快、不支持に傾く人
々が増えていく。

 また、報道サイドの質問は、本来はきちんとした説明を求め、それをきちんと
伝えたい、という狙いから行われるのだが、一方で、政治家を怒らせ、挑発し、
本音を誘い出したい、という期待もある。だから、ときに不快で、怒りたいよう
な「無礼」に出くわすのだ。その非礼のたぐいを擁護するつもりはないが、しか
し政治家であればその程度のことで感情に走っては失格である。海千山千、が政
治家の一面である。それをスマートにかわすくらいの器量は、当然そなえるべき
だろう。言葉遣いも、生意気な記者に語る、というのではなく、テレビの先にい
る多数の視聴読者に語りかける目線と丁寧さがほしい。

 一方のメディアにも、注文はいろいろあるが、ひとつだけ触れたい。
  戦後60余年にして、久々の政権交代があったのだから、混乱や行き違いなど
があって当然だろう。だが、新聞紙面などを見ると、早々と「衝突」「対立」「
不安定」といった言葉が踊っている。もう少し、時間的にゆとりを持てないもの
だろうか。議論があれば、そこに対立や衝突があるのは当たり前。むしろ、対立
点をしっかり書き込んで、比較検討の材料を提供すればいい。
 
メディアはともすると、目先を追うあまり、中長期の展望で考えることを忘れ
る。日々の動きを追い続ける仕事の性格上、やむをえないところもあるのだが、
メディアの責務のひとつが<あるべき姿>を追うことである以上、長い目で見る
ことの大切さを身につけるべきではないか。そんな印象を、めったになかった政
権交代の場で感じている。
  また、メディアポリティックスといわれる現状のなかでは、ワンフレーズで政
策や人物、問題点を処理してしまったり、またあまりその問題に通じていない人
物を登場させて、二者択一の表現や、お笑いで茶化すとか、ことの本質に触れさ
せなかったり、あまり感心できないテレビショウも目につく。
  これも政治家同様、報道者としての、またメディアという優越的社会機能に携
わるものとしての、プロらしい覚悟や決意が問われるところである。
              ・・・・・・・・・・・・・・・・
  民主党政権の最初の評価は、10月末の静岡、神奈川2つの参院補選だが、本
格的には来年7月の参院選だ。その間、どれだけの新しい試みを示すことができ
るか。犠牲者になるのも、享受者になるのも、国民である。民意に現われた「期
待」に応えられるか、局面は決して甘くない。
                 <2009.10.13>

            (筆者は帝京平成大学教授・元朝日新聞政治部長)
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