子どもの幸福度が教えてくれる、脱産業化社会への離陸

オランダ通信(3)

子どもの幸福度が教えてくれる、脱産業化社会への離陸

              リヒテルズ直子


去る4月、ユニセフは5年ぶりに先進国の子ども(11、13、15才)のウェルビーング調査の結果を発表しました 。(注)「ウェルビーング」という聞きなれない言葉は、文字通りに訳せば「良きあり方」、日本人にとって馴染みやすい言い方をすれば、「豊かさ」とでも言えばよいでしょうか。

 今回のユニセフの調査では、ウェルビーングとして、①物の豊かさ、②健康や安全性、③教育、④行動やリスク、⑤住居と環境の5項目を挙げ、ヨーロッパ27か国とアメリカ合衆国、カナダを含む29か国の調査結果を報告しています。

 それによると、オランダは、29か国中、5項目平均が最も高く、前回5年前の調査に続き、第1位という結果でした。2位以下の上位には、ノルウェー、アイスランド、フィンランド、スウェーデンと、北欧諸国が続いています。(ヨーロッパ以外の国は、カナダ17位、アメリカ合衆国26位との結果で、日本は、前回同様、データ不足のためランキングには入れられていません)。

 報告書には、5項目以外に、子どもたちの生活への満足度の調査結果も出ています。平均して、先進諸国の子どもたちは、およそ75%が生活に満足していると答えているのですが、ここでもオランダはトップで、何と95%の子どもたち(11,13,15歳)が生活に満足していることがわかりました。2位のアイスランドを引き離し、圧倒的に高い比率でした。

 オランダの子どもたちの「ウェルビーング」の高さ、生活への満足度の高さの理由は一概には断定できません。ただ、ほかにも世界保健機関WHOなどによるいくつか気になる調査結果があり、それによると、「学校が好き」「学校の課題が苦にならない」「母親と何でも話せる」「父親と何でも話せる」といった項目で、しばしば他国の子どもたちを引き離して目立って好成績を示しているのです。

 そのうしろに、いったいどういう社会的背景があるのでしょうか。
 日本も含め先進諸国は1970年代に「石油ショック」で経済成長の曲がり角を経験しています。ただ、日本が、その後、比較的早く問題を乗り越えて経済成長を続けたのに対し、ヨーロッパ諸国は10年近い低迷を経験しています。当時ヨーロッパから見る日本は、経済大国への道を着々と進む、留まるところを知らない国、企業経営者らが、日本の企業経営に学べとこぞって研究を進めた時代です。

 しかし、オランダでは、この時代、物から心への意識変革が、他のどの時代に比べても大きく進んだ時代でした。その後ろには、前回も申しましたが、第二次世界大戦中に経験したドイツ占領とその間に国内で起きたユダヤ人差別(少なくとも強制収容所に連行されるユダヤ人に対してみて見ぬふりをしたという、パッシブな意味での協力)の記憶、戦後米ソ対立の冷戦構造の中で自由主義陣営につくことにより核戦争の危機を現実のものとして感じていたこと、そして、高度産業化社会の中で起きる水質汚染をはじめとする環境破壊への危機感といった時代の背景があり、その中で、若者や知識人らが、こぞって、差別反対(女性解放運動や同性愛者の権利運動など)、環境保全、途上国への支援など、大きく言えば、人権擁護問題に真剣に取り組んでいました。

 この時代、学校教育は、それまでの、画一一斉授業型のものから、個々の生徒の適性やニーズを尊重した個別教育へと大きく転換し、企業や大学などの組織でも上司をファーストネームで呼び合いフラットな関係を築くという、それまで触れることがタブーであった序列的な人間関係やキリスト教倫理をあえて議論の俎上に挙げて問い直す運動が、市民のイニシアチブによって繰り広げられていました。

 しかし、そんな間にも失業率は上昇。1980年代の初めには、10%を超える失業率となります。その時にできたのが、日本でもよく知られている「ワークシェアリング」の道を拓いた政・労・使三者の協議による「ワッセナーの合意」といわれるものでした。それにより、パートタイム就業を正規就業として認めることとなったのです。

 パートといえば、日本では、スーパーのレジや清掃業など、学歴の要らない、しかも、社会保障のほとんどない厳しい勤労形態ですが、オランダでは、高学歴の人もパートタイムで働いています。そして、フルタイムの労働者であれ、パートタイムの労働者であれ、同じ労働に対する賃金や条件には差がありません。

 その結果、例えば、父親が週に4日、母親が3日働くという形で、週のうち3日は両親のいずれかが家庭で育児に携わり、託児所や保育園に預けるのは週に2日だけ、というケースが頻繁に見られます。パートタイムの仕事は、低賃金労働と限られるわけでは決してなく、企業の役職者や病院の医師などでもパートタイムで働く人はいます。しかも、勤労時間を人生のある時期に短縮することは、雇用者が社員に認めなくてはならない権利となっており、フルタイムで働いていた職員が、育児の期間、労働時間を減らすことは当然の権利ですし、育児を終えて労働時間をもう一度延長する際には、雇用者はその相談に乗らなくてはいけないことになっています。

 当然、パートタイムであれフルタイムであれ、有給休暇・残業制限などの労働条件、安全な労働環境の保障などは平等に認められていますから、どんな働き方をしているにせよ、大抵の親は、年に数週間の有給休暇を取ります。

 戦後の人々の意識、そして、こうした働き方の変化は「産業型社会」からの離陸、脱産業時代への意識変換だったのではないのだろうか、、、日本車器というメガネをかけてオランダを見ている私には、そういう風に見えるのです。「働くために生きる」という、産業革命以来の労働優先の社会意識から、「生きるために働く」生活へととってかわった、、、オランダでそれを導いたのが「ワッセナーの合意」であり、それに先立って世の中の人々の間に広く浸透していた人権擁護と環境保護の意識であったと思うのです。それは、生き方を他人から決められるのではなく、自分で決める権利を求めた、本当の意味での市民社会の到来でもあったと思います。

 実際、大人たちは、仕事場を離れて休み、家庭の仕事に関わり、子どもと会話の時間をたっぷり持ち、そういう時間に、社会とはどうあるべきか、人間の幸福とはなんなのかを感じながら、社会に参加していくことを学びます。それは、働きづめの労働者に少し休み時間を与えましょう、という、ワーク・ライフ・バランスといった考えなどさらに突き抜けた、ライフそのものの中に、労働や学びや社会参加を位置付けていく選択的な生き方です。家庭に戻る時間があれば、地域社会で非営利の様々の活動に参加することもできますし、学校に子どもを預けっぱなしにするのではなく、学校の教員と協力することもできます。学生時代に満足に勉強ができなかった人は大学に戻ったり、何か研修を受けて資格アップをしたりできる。そうした、単なる「労働」にエネルギーの大半を奪われ、家には疲れ切って帰って孤食をして寝るだけ、という生活ではありません。労働と家庭生活と、さらには社会生活をバランスよく続けていくうちに、自分の意思で生きること、他者と共に生きること、社会に参加して社会を変えること、と言う風に、自ずと人々の意識が育っていくのです。

 こうした大人たちの生き方は、子どもたちのウェルビーングや幸福度の高さに間違いなく反映していると思います。実際、オランダの子どもたちは、親とともに食事をするのが普通ですし、長い休暇の間には、家族旅行をして親子で会話をする時間もとても多いです。国は、女性の労働力を無駄にしないためにも保育費の補助を出していますが、育児期にある親が父親も母親もパートタイムで働けば、そうした保育費補助も比較的節約できます。(特に高学歴の女性たちがパートタイムで働ける)学歴を無駄にしない働き方は、元来、国が国庫資金をかけて育てた人材を大切に活かす制度でもありましょう。

 画一一斉授業ではない個々の子供の成長をしっかりと見守ることが、一つの規範となっているオランダの学校では、学校生活における子どもたちのウェルビーングにも大変留意します。日本で不登校やいじめのケースは、「転校」でほとんど解決します。憲法で認められた「教育の自由」があるため、独自の理念に従って独自の教育方法で運営している学校が、それぞれ特徴のあるやり方で授業をしており、親は、その中から、子どもに合ったものを選べるからです。

 日本の高度成長期を思い返す時、私は、なぜか「失われた時代」という言葉を思い出さずにおれません。豊かでうきうきしている間に、多くの日本人は、働け働けと心も体もすり減らされていたのではないのか。繁栄の間に、一見失業者のいない一億中流サラリーマン社会にはなっていたけれども、その間に、昔からずっとあった差別の問題は不問のまま隠され続けてきたのではないか、、、あの時代、校内暴力が目立ち始め、いじめ問題も増え、不登校も増えた。日本の子どもたちの自尊感情は、先進国のどの国に比べても低いのです。それは、子どもたちが、およそ、人間が育つ環境とは思えない場で、親にすら目をかけられることなく育つしかない状況に追いやられてきたからではないのでしょうか。

 すでに、そうして「家庭」の温かさを知らずに育った子どもたちが大人となり、子どもを育てる年齢になっています。バブル崩壊以後、大人たちはますます将来への不安と厳しい家計の中で働きづめに働かざるを得ない。子どもたちの育ちの環境が好転する兆しはほとんど見えません。

 良く「幸福度第1位のオランダ」と聞いて、どんな学校教育なの、家でどんな風に過ごしているの、どんな子育てをすればそうなるの、と聞いてくる人は多いです。でも、子どもたちを幸福にするのは、そういう手先で器用にものを操るような技術の問題ではないと思います。私たち大人すべてが、今の日本社会のあり方そのものを、根底から変える、幸せな人々から成る未来へのビジョンをもとに、ありとあらゆる制度を根底から変えなくては、解決できない問題なのではないのでしょうか。

 ただ、あの失われた時代に、水俣、四日市などなどの環境公害で苦しむ人々を無視してきた日本は、今なお福島の犠牲者を顧みないまま原発全廃を決められない国です。果たして、そんな日本が10年、20年、50年後の社会と、そこで生きる人々の幸福を見通して、今から問題解決に取り組む姿勢を生み出せるのかどうか。不満を持っている人の中には、全体像を見つめないまま応急処置で良いから何とかしてほしいと望む傾向があり、それは、大衆政治の火に油を注いでいる。何か、先に起きる問題には「目をつぶり」目の前が事なきに終わればよいとする人があまりにも増えてきているのではないのでしょうか。

 こんな状況の中で、日本の子どもたちは、彼らの当然の権利として幸せな未来を得るために、一体、誰に期待すればいいのでしょうか。若い人たちの投票権の低さは、彼らの長年の充たされない心の反映なのかもしれません。
   (筆者はオランダ在住・教育・社会問題研究者)

(注)UNICEF, Child well-bing in rich countries: a comparative overview, Innocenti Report card 11, UNICEF Office of Research, Florence 2013.

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