安保法制を最優先に戦術転換

安保法制を最優先に戦術転換
―「中国脅威論」封印解いた安倍―

岡田 充


 安倍政権は、集団的自衛権の行使を可能にする安全保障法制を衆院で強行採決(7月16日)した。世論の逆風(図)に逆らった強行採決によって、内閣と安保法制への支持率は下落し続けている。安倍は7月末から「封印」してきた「中国脅威論」を解き、中国への名指し批判を開始した。9月の中国訪問を模索する安倍がなぜ封印を解いたのか。複数の日中関係筋は「安保法制の成立を最優先するため、中国訪問は実現しなくても構わない」と、その理由を説明する。訪中は「安保偏重」という批判を、改善の軌道に乗り始めた対中外交の推進によってかわそうという思惑だったはずだ。しかし訪中が実現しても、支持率回復の保証は全くない。中国側は安倍受け入れを積極的に検討しているが、安倍側近の間では「敗戦国の指導者が謝罪のため訪中した」という中国側の「術数」にはまる恐れもあると指摘する。方針転換の経緯を振り返るとともに、14日の「安倍談話」の意味と訪中実現の可能性を論じる。

(図 7月初め段階の各社世論調査結果の表)
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 強行採決のツケ
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 まず次の世論調査結果を見て欲しい。安保法制を後押しする「読売」が7月24~26日に行った調査。内閣支持率は43%と前回調査(7月3~5日)から6ポイント下落し、第2次安倍内閣発足以降で最低を記録。不支持率は49%と前回から9ポイント上昇し、不支持率が支持率を初めて上回った。
 安保関連法案の今国会での成立については、「反対」が64%(前回63%)で「賛成」の26%(同25%)を上回った。安倍は新国立競技場の建設計画を白紙に戻して見直すと決めたが、調査結果を見る限り支持率低下に歯止めはかからなかった。
 TVの最新調査も見よう。TBSが8月1~2の両日行った世論調査で、「支持率」は前回調査より4.6ポイント減の46.1%、「不支持率」は5ポイント増の52.8%と、支持率が初めて逆転する結果となった。安保法制では賛成が30%に対し反対は61%。一方、今月中旬にも再稼働する九州電力・川内原発についても、反対が57%に対し賛成は35%にとどまっている。
 高支持率を誇ってきた安倍にとって、世論の逆風は第1次安倍政権(2006~2007年)の失墜を想起させる事態である。衆院での強行採決の後「ぶら下がり」会見に応じた安倍の顔は、委員会突破を喜ぶ晴れ晴れとした表情どころか、急病を理由に辞職した時を思い起させるような疲れ切った顔色だった。
 逆風は、決して安保法制の強行採決だけに向けられているのではない。秘密保護法をはじめ、沖縄の琉球新報と沖縄タイムスの2紙を「つぶさないといけない」との発言に代表される報道圧力。さらに原発再開と新国立競技場をめぐる批判など、世論の逆風は民主制を根幹から否定する安倍政治全体に向けられている。

(写真 世論の逆風)
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 批判「封印」の背景
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 繰り返すが、安倍は安保法制の衆院審議で「中国の脅威」を名指しで言及するのを徹底して避けた。集団的自衛権行使の導入の理由は「中国と北朝鮮の軍事的脅威」のはずなのに、なぜ本音を隠すのかと、誰もが疑問を持ったのではないか。
 その背景を説明しよう。日中関係は、昨年11月のアジア太平洋経済協力会議(APEC)北京会合での習近平との初会談以来、2回の首脳会談を経て、関係改善の方向がようやく軌道に乗り始めた。中国を敵視する発言をすれば、車輪はレールから外れてしまう。
 一方、尖閣問題で日中衝突に巻き込まれるのを嫌がるオバマ政権にとって、日中和解は米国の「国益」に叶う。混乱する中東情勢とテロ対処、対ロシア政策で手いっぱいの米国にとって、日中和解は好ましい国際環境をつくる。集団的自衛権の行使容認は実現したいが、日中関係の悪化という「代償」を伴うようなら、米国の「国益」にマイナスになる。米国の「ポチ化」の道を突進する安倍が、中国批判を封印した理由と思惑はここにあった。9月初めの訪中による3回目の首脳会談実が実現すれば、「安保偏重」「安保のジレンマ」という批判を「対中外交も推進」としてかわせるのではないか、という読みである。

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 尖閣と南シナ海を列挙
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 ところが安倍は7月28日、参議院で審議入りするや否や中国への名指し批判を開始した。安倍は次のように持論を展開した。
 「我が国を取り巻く安全保障環境はますます厳しさを増しております。東シナ海においては、中国が公船による領海侵入を繰り返しています。南シナ海においては、中国が活動を活発化し、大規模かつ急速な埋め立てや施設の建設を一方的に強行しています」
 「中国脅威論」を開始した理由は次の2点である。第1は、安保法制と内閣支持率の下落に歯止めがかからないため、法案成立を最優先し世論の同意が得られやすい「中国脅威論」を喧伝する。場合によっては訪中を犠牲にしても構わない。第2は、中国の訪中歓迎に変化はないと判断し、訪中によって引き起こされるかもしれない右翼支持層による批判封じと、首脳会談に向けた「瀬踏み」の思惑である。
 複数の日中関係筋によると、第1の理由については、外務官僚の兼原信克・官房副長官補が訪中に強い反対論をとなえたという。関係筋によると、訪中のお膳立てを進めてきた谷内正太郎・内閣官房国家安全保障局長は、兼原と激しい言争いをした。7月半ばに訪中したばかりの谷内は、訪中断念も射程に据えた方針転換に参っているのではないか。中国側は、谷内を李克強首相と会見させるなど異例の厚遇をしている。カウンターパートの楊潔篪・国務委員も、習近平主席の「大目玉を食らう」かもしれない。

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 中国の対応
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 安倍訪中は実現するかどうかの分析に移る。まず中国外交に影響力を持つ在京中国筋の見方を紹介する。この見方は中国批判を「封印」していた時期のものであることをお断りしておく。同筋は「もし来るとなれば、恥をかかせることはしない」と述べ、積極対応する中国側の立場を説明した。その理由として同筋は「デリケートな時期に来るとなれば、互いにうまく処理しなければならない。首相に恥をかかせるようなことはしない。(そんなことをすれば)国際社会から批判を浴びる。(昨年11月の安倍・習近平会談での)4項目合意以来のよい流れを維持・強化したい」と述べた。
 訪中実現の「変数」となる戦後70周年の首相談話については「中国は具体的な注文はつけていない」としつつ「侵略と植民地支配」への「謝罪」を明示するよう期待を表明した。
 安倍の中国批判封印について「(安保法制が尖閣を含む)南西諸島をめぐり、中国に対抗しているのは明らか。安倍首相が気を付けて答弁しているのをちゃんと観察している。無用の緊張を避け、中日関係重視の姿勢をみせている」と評価した。

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 丹羽前大使は悲観論
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 一方、訪中実現への悲観論も存在する。丹羽宇一郎・日中友好協会会長(前駐中国大使)は7月31日、筆者のインタビューに対し、中国への名指し批判について「(9月訪中を希望しながら)名指し批判するのは、中国側の対応を見誤っているのではないか。中国側の反応は厳しく、今のままいけば(首脳会談は)難しい」と述べ、訪中と首脳会談実現に悲観的見通しを明らかにした。
 丹羽は、7月19日から22日まで訪中、唐家璇・中日友好協会会長、劉建超・外務次官補ら要人と会談した。彼によると、中国側は安倍首相が進める「積極的平和主義」について「平和路線ではなく、中国包囲網を作る軍国化の道」などと述べ、中国側の対日観は依然と厳しいとした。さらに「中国民衆の対日観も厳しい。習近平氏は北戴河会議でも(訪中受け入れ)の是非を議論するだろう。ただ安倍氏が何の土産も持ってこないということであれば、『おもてなしは出来ない』ということになる」と語った。

(写真 丹羽宇一郎・日中友好協会会長(前駐中国大使))
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 パッチワーク
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 安部は「談話」を14日に発表したが、つぎはぎだらけの「パッチワーク」という印象を受けた。「侵略」「植民地」「お詫び」を盛り込んだ村山談話を継承すべきという内外の世論に押される形で、これらの文言を盛り込んだ。しかし「侵略」「植民地」については、「誰が」という主語が抜け落ちている上、朝鮮、台湾を明示していないため、「誰に」という目的語も抜け落ちてしまった。まるで「他人事」の文章だ。
 歴史観とは本来、過去の歴史に真剣に向き合い、現在と将来のあるべき道を探る「内発的」なものでなければならない。中国、韓国、米国の反応は重要な要素だが、外国からの「外発的」批判に嫌々答えるべきものではない。
 なぜ「右顧左眄」するのか。最大の要因は、安倍内閣の支持率急落と安保関連法案への反対が過半数を超え、安保関連法案の成立を最優先する戦術転換がある。法案成立のためなら、2020年東京五輪の国立競技場建設計画の白紙撤回や沖縄との「一ヶ月休戦」など「副次的アジェンダ」では、一定の妥協姿勢で臨む。「談話」もそうした文脈で読むべきである。当初の案文にはなかった「お詫び」の文言を入れたのも、連立与党の公明党の要求を受けたためだが、主語と目的語が抜け落ちているため「パッチワーク」の印象は免れない。
 結論から言えば、「談話は出さない方がいい」と断じる河野洋平・元衆院議長の主張(13日夜のTV番組)に賛成だ。河野は「言葉より行動が大事」とし、敗戦の節目の時に、戦没者を慰霊するための国立施設の建設と、沖縄の米軍基地問題の根本的解決を訴えた。沖縄については「70年間何も変わらなければ、100年たっても変わらないことになるのでは」という強い懸念を表した。

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 戦後秩序を可視化させる
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 さて、安倍首相は9月訪中と3回目の首脳会談を模索しているが、談話はどんな影響を及ぼすか。安部は14日夜のNHKニュース番組に出演し、中国から招待されている「抗日戦争勝利70周年」行事への参加について「行事が反日的なものでなければ」と注文をつけた。「抗日」をうたう以上、安倍の眼から見れば「反日」は避けられず、3日の行事に出席することはあり得ない。
 一方、中国外務省は14日夜、首相談話について張業遂・筆頭外務次官が木寺昌人・駐中国大使に対し「日本は軍国主義侵略戦争の性質と責任について明確に説明し、被害国の人民に誠実におわびすべき」などと述べた。より明確な表現をという主張だが、強い非難は避けている。
 中国側が積極対応する理由は何か。中国が行う「抗日戦争勝利」の行事が、これまでと異なるのは、第2次大戦の戦勝国首脳を招待し、「敗戦国日本」の安倍首相にも招待状を送ったこと。戦勝国からはロシアのプーチン大統領が出席する予定。中国は、「安倍談話」について、侵略と植民地支配を謝罪しなくても深い反省を述べればよい。それより重要なことは、敗戦国の日本代表として安倍に「北京詣で」させることで「勝者と敗者」の戦後秩序を、内外に可視化させる効果を発揮したいのではないか。兼原ら官邸が懸念するのも、訪中によって支持率回復の保証がないうえ、中国側の「術数」にはまれば伝統的な右翼支持層も失ってしまう。ただ谷内が訪中の打診をした以上、日本側から訪中断念は言い出しにくい。
 訪中を中国側から拒否することはないだろう。安倍が依然として訪中を希望するとすれば、谷内局長が7月に続き訪中してお膳立てをしなければならない。安部にとっては訪中も、「副次的アジェンダ」になった。その成否には強いこだわりはないはずである。安保関連法案の成立という「主要アジェンダ」に有利かどうかを見極めて決断すると思われる。
 習近平・国家主席は9月に米国を初公式訪問し、国連総会にも出席の予定。このスケジュールから判断すると、もし首相訪中が実現するとなれば3日以降、習訪米までの間ということになる。ドイツのメルケル首相は5月、ロシアが主催した「対独戦勝70周年式典」には欠席したものの翌日にロシアを訪問した。安倍もこれに倣ったのだろう。

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 長期的にはプラス
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 何度も指摘するが、日中関係改善は米国の「国益」にも資する。サイバー攻撃や南シナ海問題を巡って確執が続く米中両国だが、世界経済では利益を共有し、温室効果ガスの排出規制など地球規模の環境問題でも足並みを揃える。日中関係の改善が軌道に乗れば、東アジアの緊張緩和に資するとして、オバマが評価するのは間違いない。日中関係改善は、日韓関係の好転にもつながり、「ねじれ」を起こしている日米韓の同盟関係の回復にも役立つと米国は踏んでいるはずだ。
 読者も気づいたと思うが、日中両国の思惑で一致するのは、米国への「配慮」。日中米の三角形からみえる構図を、筆者が連載している「海峡両岸論」第48号「安保のワナをどう断ち切るか」(http://www.21ccs.jp/ryougan_okada/ryougan_50.html)から引用する。
「日中が米国を『引っ張り合う』構図が見え、バランサーとしての米国の価値を高めている。米国は日中のバランスをとりながら三角形を規定する役割を演じ続けることができる。三角形の米中の辺の比重が高まり、冷戦期のように日米同盟だけが日米中の三角形を規定できる時代ではない」。

 両国間に横たわる懸案が、歴史認識と尖閣問題であることは言うまでもない。昨年の首脳会談に先立ち、「シェルパ」役を務めた谷内は、楊潔篪・国務委員との間でこの懸案について「4項目合意文書」を発表し、首脳会談に道筋をつけた。合意文書のうち、歴史と尖閣をめぐる合意文書の第2項と第3項の全文を紹介する。
 「2、双方は、歴史を直視し、未来に向かうという精神に従い、両国関係に影響する政治的困難を克服することで若干の認識の一致をみた」。
 「3、双方は、尖閣諸島など東シナ海の海域において近年、緊張状態が生じていることについて異なる見解を有していると認識し、対話と協議を通じて、情勢の悪化を防ぐとともに、危機管理メカニズムを構築し、不測の事態の発生を回避することで意見の一致をみた」。ゴチック部分は、合意内容のキモである。

 この合意に基づき、初の首脳会談が実現した。会談での具体的な合意は、尖閣海域と空域での不測の事態を回避するための「海上連絡メカニズム」に向けた協議推進だけだった。日本外務省の発表によると、首脳会談で安倍が「歴代内閣の歴史認識を引き継いでいる。積極的平和主義の下、世界の平和と安定に貢献する」と述べたのに対し、習は「日本が平和的な発展の道を歩み、慎重な軍事・安全保障政策を取るよう望む」と、双方が意見を述べ合うだけで、溝は埋まらなかった。

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 盧溝橋訪問のチャンス
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 第3の首脳会談が実現した場合、歴史認識と尖閣の溝を埋める新たな「メカニズム」で合意しなければ「前進」とは言えない。会談ごとに成果のハードルは高くなる。2回の会談で双方に信頼関係が出来たとは言えない。谷地は第1次安倍内閣の際、外務次官として安倍訪中を実現させ、小泉純一郎首相の靖国訪問で凍り付いた両国関係の再構築にこぎ着けた。さらに2008年の福田康夫首相と胡錦濤前主席の首脳会談で「戦略的互恵関係」のキーワードを編み出す。同年の「東シナ海ガス田開発」合意を達成した際には、「将来は尖閣周辺での共同開発もあり得る」と日本外交筋に語ったとされる。
 メルケル独首相は今回の訪ロの際、プーチン大統領と「無名戦士の墓」を訪ね、独ソ戦で戦死した旧ソ連軍の兵士のために献花した(写真)。先の中国筋に、その感想を尋ねると次のように答えた。「安倍さんも(日中戦争の発端になった)盧溝橋と抗日戦争記念館に行っているんですよ」。確かに2001年10月、安倍は第1次小泉内閣の官房副長官として小泉に同行し、抗日戦争記念館を訪問している。

(写真 無名戦士の墓で献花するメルケル、プーチン両氏)
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 安倍がメルケルと同様、抗日戦争記念館に行き献花すれば「歴代内閣の歴史認識を大筋として引き継いでいる」という発言を、行動でも示す大きな効果がある。いまの世論の潮流から考えると、中国の脅威をいくら煽っても支持率は回復しないだろう。むしろ訪中を実現し、外交努力によって「日中和解」を印象付けることに成功すれば、世論への波及効果は期待できる。安倍がこのチャンスを生かすか、それとも右翼支持層を慮って止めるかの岐路に立たされる。

 (筆者は共同通信客員論説委員)


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