安保法制を通すな!

〜私たちは「戦わない国」を選択した

近藤 昭一


 安倍内閣は、武力で他国を守る「集団的自衛権」を担保し、海外派兵の要件を大幅に緩和する一連の安全保障関連法案を、5月14日に閣議決定し、現在国会で審議しています。正確を期すなら、集団的自衛権を行使するための自衛隊法改正を始めとする10本の改正法案をまとめた「平和安全法制整備法案」と、自衛隊の海外派兵に際して特別法の制定を不要にし、随時可能にさせる「国際平和支援法案」がそれです。

 いずれもわが国の戦争参加を容易にするための法案であるにもかかわらず、敢えて「平和」の名を法案に冠する辺り、ジョージ・オーウェルの『1984』を彷彿とさせます。かの作中においては、独裁者が「戦争は平和である」と叫び、「平和省」が軍隊を統括し戦争を推進する役割を担っていました。ただ、日本には自由と民主主義が残っており、私たちは手を取り合って平和と民主的憲法を守っていかなければなりません。

 私たち日本国民は、軍人軍属民間人合わせて約310万人もの命を失い、アジアを始めとする全世界の人々に多大なる犠牲を強いたあの戦争の反省から、第9条を持つ平和憲法を制定しました。9条は、パリ不戦条約、国連憲章前文にもうたわれた、「全ての戦争は禁止である」という精神の下、「戦争を起こさない」「戦争の被害を最小限に食い止め、戦争を早期に終結させる」ために策定されました。

 戦後の国際情勢の変化を経ましたが、日本政府は一貫して、(1)我が国に対する急迫不正の侵害がある、(2)排除するための適当な手段がない、(3)必要最小限度の実力行使の範囲内での反撃であることを条件に、自衛のための武力行使のみを容認してきた歴史があります。自衛隊が発足する直前の1954年6月2日には、参議院において「自衛隊の海外出動を為さざることに関する決議」がなされましたが、当時すでに今日のような事態が起きることを想定していたと言えます。

 本院は、自衛隊の創設に際し、現行憲法の条章と、わが国民の熾烈なる平和愛好精神に照し、海外出動はこれを行わないことを、茲に更めて確認する。右決議する。
  (自衛隊の海外出動を為さざることに関する決議、1954年6月2日、参議院本会議)

 残念ながら先人たちの意思に反して、自衛隊の海外派兵は1991年の湾岸戦争を機に解禁され、2006年には自衛隊法改正によって付随任務から本来任務に変更され、以後今日に至るまで、3度にわたる多国籍軍の後方支援(ペルシャ湾、インド洋、イラク)、8度にわたるPKO参加(南スーダンは現在も継続中)を始め、30回近い海外派兵が行われています。

 それでも、幸いなことに自衛隊は他国人を1人も死傷させず、1人の戦死者も出さず、「出兵すれども参戦せず」というギリギリのラインを保ってきました。しかしながら、今回の安保法制は、その最後の一線を踏み越えるものなのです。

 今回の安保法制が想定しているのは、世界各地における米国を始めとする「同盟軍」に対する後方支援の充実ですが、現代戦争においては、もはや「後方」の概念自体が陳腐化しています。その代表例が、ベトナム戦争とソ連によるアフガニスタン戦争で、米ソ両軍は補給線と後方施設が常に攻撃され続け、国力を疲弊させ、国民や諸外国の支持を失って撤退を余儀なくされました。現実にイラク戦争でも、自衛隊が赴いて復興支援を行った地域において、自衛隊こそゲリラの攻撃対象にされなかったものの、その周辺では戦闘行為が散発していたと言われています。

 このことは、自衛隊が派遣される先が「後方」であっても、安倍総理が言うような「戦争に巻き込まれることなどあり得ない」ことの虚偽性を示しています。政府や自民党は、イスラム国のようなケースを「国家や国家に準じる組織では無い」とするために「IS」や「ISIL」などと改称したようですが、ゲリラやパルチザンとの戦闘を「警察活動の一環であって戦闘・戦争では無い」と言い繕うための方便ともとれます。

 また、同じく法案が想定しているホルムズ海峡における掃海任務は、相手の阻止部隊が出撃してきて戦闘となることを当然「想定内」としなければなりません。そして、日本から遠く離れたペルシャ湾で、「シーレーン」あるいは「同盟国艦隊」を守ることを理由に、他国と交戦することで「戦力」を露呈させてしまうという点で、政府が「現行憲法の範囲内」と強弁できる状況では当然ありません。これを強弁するとなると、形骸化が著しいと言われる現行憲法の最後のタガが外れてしまい、後はいかなる戦闘行為も戦力保持も正当化されることになりかねません。

 しかし、自衛隊が後方支援活動に従事して、仮にそこで戦闘が起こったとしても、その戦闘の実相は先に成立した特定秘密保護法によって一切秘匿され、議員や市民が実態を把握して出兵の正当性を糺そうとしても、阻害されてしまうでしょう。国民の主権を代行する国会が、政府の遂行する軍事行動を適切にチェックする機能を持たない以上、軍事権の暴走は非常に現実的なリスクです。

 本来、外交の要諦は、敵を減らして味方を増やし、紛争リスクを下げることにあるはずですが、安倍政権の外交は真逆を行っているような気がしてなりません。また、軍事力で威圧し、紛争が起これば武力で対処するのではなく、紛争の原因をなくす最大の努力をしようとするのが日本国憲法の立場です。飢餓、貧困、人権侵害、差別、環境破壊といった構造的暴力をなくし、平和的に生存する世界を作り出すために積極的な役割を果たすことこそ、日本が行うべき具体的な真の平和主義であり、平和創造だと考えます。

 平和であって初めて人々は安心して暮らすことが出来るのであり、平和は決して武力ではつくることが出来ないのです。私は、憲法の平和精神を大切にし、日本は、繰り返してはいけない過去の出来事をしっかり検証し、武力に頼るのではなく平和的手段をもって国際情勢に対応していくべきと思います。国際貢献もまた、日本国憲法の精神に基づいて行うべきであり、こうした分野で世界的リーダーシップを発揮することこそが、目指すべき国のあり方だと確信します。

 (筆者は民主党・衆議院議員)


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