安倍さん、参院選のテーマは「改憲」でいいのですか。

安倍さん、参院選のテーマは「改憲」でいいのですか。

                                                                   羽原 雅清

───────────────────────────────────

 国会終盤に向けて、七月の参院選の日取りがずれようとしている。
 法案の重要性に比較してその審議時間が全体的に短かいことや、強行突破続き
であることなど、異例の国会になっている。原因の一つは、多数党は「数」で決
着できる、という民主主義のルールを振りかざす自民・公明の与党の姿勢にある。
加えて、野党たる民主党の説得性や発信力もいささか弱いように思える。それに
しても、多数党は本来、少数意見に耳を傾ける謙虚さが必要なのだが、そうした
成熟した姿勢はない。年金問題、閣僚自殺など「美しい国 日本」の出来事を見
ていると、謙虚とか品位とかにかまけているひまはない。「勝ちは勝ち」という短
慮が前面に出るばかりだ。

 ところで、安倍晋三首相は今度の参院選の争点に「憲法改正」を掲げた。年来
の願望だった改憲の手続き法である国民投票法が成立したことで、気持ちもはや
るのだろう。
 しかし、そうだろうか。国民の関心が年金などの生活面に傾き、憲法にはほと
んど興味を示していないことは、各種の世論調査が示している通りである。
 ここでふれたいのは憲法の内容問題ではなく、憲法改正の動きとその周辺に漂
う、ちょっとした疑問についてである。参院選で争点にするかどうかは権力者の
判断によるが、日ごろ感じている「チガウナァ」の気分を、幾つか略記してみた
い。

 国民投票法によると、この三年間、国会発議は出来ないが、改正に向けての作
業は進められる。仮に、発議するとなると、四、五年以降になるだろう。自民、
公明、民主三党が同調すると、改正の方向は具体化する。しかし、この参院選で
自民・公明党が過半数割れを起こし、小党の進出で民主党も不振だと、三分の二
の壁は越えにくくなる。また、国民もタイミング次第では、改憲支持の過半数確
保は難しくなる。
 読みにくい状況だが、安倍首相のカケは始まろうとしている。


 1.「世論」と改憲


 憲法改正の論議が長く続くなかで、次第に改正を受け入れる土壌が作られてき
ている。新聞社調査では、多くの国民が「改正ありうべし」に傾いてきている。
「憲法は不磨の大典ではなく、時代に沿った手直しは必要」とか、若い戦後世代
の間に「自分たちの憲法を」という気分が高まり、「改憲タブー」視の風潮を一新
していったものだ。不磨の大典とは大日本帝国憲法の美称であって、これに従順
だった人々が護憲派に対して「改憲してどこが悪いか」と言い出したのだからお
もしろい。また、世代の交代とともに、「外国から押しつけられたかどうか」とい
う関心が薄れて、「法律は、時代の変化に伴って改正されて当然」といった論理が
強まっても不思議ではない。
 
いわゆる世論の「改正」論が高まってきたのは事実だが、しかしその個々の内
容については、まだ改正が必要かどうか、方向が出てきたという状況にはなって
いない。形式としての「改正」容認であって、内容についてはまだ判断を下す状
態にはなっていない、といっていいだろう。個々の条項ごとの改憲案は、某新聞
社などの私案が示された程度で、まだ国民的な議論は展開されていない。
このような一般論としての「改正」世論をテコに、あたかも改憲内容が固まった
かのように思い込んで、いわゆる改憲派が「それ見たことか」とばかりに自信を
見せたり、護憲派が気落ちしたりしている今の状況はおかしい限りである。
 要は「改憲内容」の論議は、いざこれからであり、むしろ双方ともそのアピー
ルに重点に置くべきだ、と思うのだ。


 2.国会主導の改憲論議


 立法府の国会、その中核となる政党が憲法論議を重ねることは望ましいことで
はある。しかし、まだ国民の間では「九条問題」あるいは集団的自衛権問題など
の一部を除くと、憲法内容の是非についての論議はほとんど高まっていない。国
会自体、政党自体が国民的な論議を盛り上げる努力をしていない。悪く考えると、
国民各層が賛否に分裂するような状況を作らないよう、国会の中での「数」だけ
に閉じ込めて処理したいようでもある。政治離れの世代が増えていることも、改
憲環境にとって悪いことではない、というのが本音かもしれない。自民党はもち
ろん、民主党も改憲容認の姿勢を強め、慎重風の公明党はこれまでの姿勢からす
ると土壇場での転換が十分考えられるし、共産、社民党の憲法保持派の発言力は
弱すぎる。このままだと、国会マターとして多数派の思うままに決められていく
ことにもなりかねない。
 だから、憲法内容の改正の是非について、もっと国民の論議や理解度を高める
努力が必要だ。


3.憲法論議は「ダメ」部分だけでいいか


 憲法はたしかに、現状からするとずれたところもある。しかし、見直しをする
以上、全体にわたって考えたほうがいい。改憲派は全体としてはいいが、部分に
問題がある、として問題提起をする。しかし、憲法という国の基本的な指針はト
ータルで見なければならない。
 かつて、改憲派はその批判のポイントとして「アメリカの押し付け憲法」「翻訳
憲法」を主張した。しかし、この憲法によって、日本も近代民主主義国家の仲間
入りを果たすことになったのだ。発想の違った戦前憲法からすると、基本的人権、
主権在民、平和主義などの理念も、ある意味では押し付けということになる。押
し付け憲法論者は、民主主義自体の否定にもつながる憲法批判の論理を展開して
いたように見えなくもない。
 憲法改正というなら、むしろ現憲法のいい面、必要な面を含めて、トータルで
考えて、それでも改める部分があるなら、そこに論議を絞って行ったらいい。


4.憲法はロマン、でもいい


 憲法は国家理念である。現実の社会や制度、運用などの実務面からすると、矛
盾や至らざるところはいろいろある。こうした現実を、あるべき姿に近づけてい
くことが必要だ。現実は百点というわけにはいかない。次々に矛盾や問題は生れ
てくる。こうしたところは憲法にもとづいて、ひとつずつ理想に近づけていかな
くてはならない。したがって、憲法は一種のロマンであり、努力目標でもある。
 また、国家が現実を重視することは必要だが、理念を持って、中長期を展望し
て動く姿勢を失うべきではない。現実に合うように国家理念をいじくりまわすの
ではなく、大きく構えて憲法の是非を論じたらいい。現実の矛盾や問題にマッチ
するように、憲法を変えると、夢やロマンがなくなる。国家が長期的に目指すべ
きものも見失いかねないだろう。
 現実主義に立ちすぎて、実態にそぐうようにしたり、理屈で実態を容認するよ
うなことばかりしたりしていると、理想の社会づくりに向かうべき大きな指標を
見失うようになる。理想を現実に合うよう引き戻すのではなく、現実を理想に引
き上げるような努力をすべきなのである。実際の矛盾や立ち遅れ、打開すべき課
題などは、これを容認するべきではなく、さまざまな方法で打開し、あるべき姿
に接近させるべきなのである。


 5.憲法理念を国際社会にアピールを


 歴代政権は大体が、「いずれ憲法は改正しなければならない」という姿勢だった。
このため、かつて日本が侵略したような地域に対して、口でこそ「平和主義の理
念を貫いている」「昔の日本は変わった」と言いつつも、どこか腰の引けた言い方
だった。九条の改正が必要、という本音からすれば、その九条の平和主義を全面
的に強調できなかったのだ。だから、相手国も、日本の足元を読んで、その「反
省」の弁を割り引きして理解したり、積極的に日本の平和努力を受け入れようと
しなかったりした。それが、ひいてはアジアなどでの対日不信を引きずらせるこ
とにつながった。アジアでの新しい外交を構築しようとしても、なかなか信頼さ
れないのは、日本の「平和と安定」姿勢が素直に受け取られないことに一因があ
る。
 それをさらに助長するのが、憲法論議につながる靖国問題や歴史認識発言、被
害当事者への不理解、さらに閣僚や与党政治家などによる「戦前史否定」「口先の
反省」の言動である。憲法重視の姿勢が本物であるかどうか、この点がアジア諸
国の日本に寄せる信頼度を左右していることを、もっと考えないといけない。今
日のドイツがナチス時代の反省を日常的に示し、経済的にも、精神的にも継続の
努力をしていながら、なお完全に許されてはいないのが現実である。ドイツの現
実は、他人事ではないはずである。
 日米同盟のもとでの軍事体制強化が九条改正の一つの狙いとするならば、もっ
と本心からの反省を示し、実質的な理解を得られる努力をしない限り、日本への
不信感は増しこそすれ、信頼回復につながることは望めないだろう。日本の地政
学的な位置、資源能力などから見て、武力依存よりも信頼醸成に力を入れたほう
がいい。
 いまの憲法を実直に守ることで、アジア外交に臨んでいたら、別のイメージの
日本が存在したのではないだろうか。「理念」ということでいうなら、将来の世界
のあるべき姿からすると、現憲法は先端的であり、早すぎた登場であったと言う
ことになるのかもしれない。国際的にアピールしうるだけの価値を持つことに、
もっと評価していいだろう。


 6.憲法の環境変化


 憲法制定の時期に、東西冷戦が次第に激化したことが、この憲法の改正論議に
大きく関わっている。当初、日本を中立的に、かつ非軍事的に、また中規模程度
の国にするといった考え方は、どんどん変わっていった。西側、特にアメリカ側
の国に仕立て、アジアでの代行国の役割を付加することになった結果、そこに九
条中心に解釈改憲が広がっていく。戦争はいやだ、という反省はわかっていても、
目先の利害がより重視された。現実優先の施策が続いた。

 いまや、この憲法の環境変化に納得しない人々は減ってきて、この憲法の当初
の考え方は社会の記憶からどんどん薄らごうとしている。
この歴史の語り継ぎも必要だが、もう一度この憲法全体を見直すことで、あるべ
き日本の将来像を考えてみたらどうか。「個人」のあり方ひとつをとってみても、
憲法の言わんとしているところは大きい。憲法表現は的確であっても、今の社会
状況からすると、個人の権利と義務、道義や倫理、主体性と拘束性などについて、
社会のあり方や教育の持ち方を改めるべきところも少なくないはずだ。実態を変
えるために、制度や規則を改革するといった安易な手口ではなく、憲法の示して
いることについて論議を広げ、深めることで、個人の自覚や主体性を磨き、育て
るという「急がば回れ」式も可能ではないか。

憲法の持つ意味は大きい。細部の論議に巻き込まれる前に、もう一度踏みとどま
って、憲法によってもたらされたものは何か、不足や矛盾はなにか、そんなこと
を考えてみてはどうか。もっとも、国民投票法によると、改憲作業が具体化する
と、教育の現場ではこの問題は極めて触れにくくなる。教師も、触らぬ神にたた
りなし、になる。改憲に向かって、次第に議論が低迷していくことになりそうだ
が、こんな空気を吹き飛ばすようなカンカンガクガクの状況を作り出したい。
(筆者は帝京大学教授・元朝日新聞政治部長)
                                               目次