安倍政権台頭の政治風土を見る

■安倍政権台頭の政治風土を見る          羽原 清雅

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【安倍政権の周辺】

●「戦後」の軌道修正 

 小泉政権を継いで、安倍晋三首相が登場しようとしている。
 その在任期間にもよるが、小泉首相が地ならしをした「戦後」の軌道修正路線
は、過渡期から仕上げ期に入っていく可能性もある。小泉首相の郵政改革、骨太
の方針などに示された制度中心の改革は、むしろ国民精神改革の性格を色濃くす
ることが予想される。憲法改正の前提となる国民投票法案や教育基本法の抜本的
な制定はその機軸になるものである。もちろん、それほど容易なことではないが、
しかし、甘く見るわけにはいかない状況であることも否定できない。

●父より祖父 

 晋三の父親は、首相就任の可能性大ながら早世した安倍晋太郎、そして祖父は
母方が首相岸信介、父方が衆院議員安倍寛、大叔父に首相佐藤栄作、実弟も参院
議員という政治一家だが、晋三の政治スタンスは祖父岸の影響が大きい。戦前の
商工相としてA級戦犯に目され、国家優先の思想に立ち、1960年の日米安保
推進の原動力になりながらも、基本的には日本自立の姿勢が強い人物であった。
 外相、幹事長として手腕を見せた父晋太郎は毎日新聞政治記者の経歴を持って
いたこともあり、岸のような強い国家意識を示すことはなかった。むしろ竹下登
を盟友としていたように、55年体制の典型的な「政治は妥協」とする タイプ
だった。外相のほかに、国会対策でもよく動き、足して2で割り、ささやかにで
もイロをつけて反対勢力を抑えていく手法に長けていた。
 晋三は、これまでの政治手法を見る限り、「拉致」問題の対応に見られるよう
に、祖父の論法を受け継いだような傾向が強い。いわば、祖父から「国家優先・
国家による国民教育」といったDNAを受け継ぎ、小泉首相から「ポピュリズム」
を学んだ宰相の登場、といってよいだろう。

●「戦争」の考え方 

 安倍晋三が戦後派の代表として台頭してきたことは、好悪の判断は別として、
政界の若返りとしては当然だろう。
 その政治的な考え方の出発点は、<戦後の日本は実績として平和の道を歩み、
再度危険な状況を招くことはなく、むしろ海外に頭を下げる外交路線にこそ日本
人の誇りを損ね、国際的なステータスを確保できない原因がある>という見方に
要約されよう。そして、いわゆる「自虐史観」へのこだわりから、日本全体を脱
却させなければならない、とみる。
 戦前の政党の衰退、軍部の台頭、世論の抑圧といった事態はすでに過去のもの
であり、そうした教訓を考えるよりも、「戦後」日本を出発点と考え、改めるべ
きは戦後のひずみだ、といったところから発想している。従って、「靖国」の反
省・自制を不要とし、国際的には受け入れたはずの「東京裁判」についてはその
抱える一端の問題点にこだわり、さらに村山政権当時のアジアに向けた謝罪声明
に強い不快感を見せる。
 戦争を仕掛けた側という認識が乏しく、たとえば「靖国」については、小泉首
相と同じように「心の問題」として済ませようとする。身内を殺害された相手国
国民の心の痛み、消えない怨念を思いやる気持ちが乏しい。本来は、政治家とい
う立場は、自分サイドだけの「心」に立って行動すべきではなく、「心と心の問
題」として相手の心にもいたわりがなくてはならない。相手国が批判するから「靖
国」に行かないという理由からではなく、戦争に至った政治責任を重く受け止め
て、自らを戒めることが常識的に求められる。
 しかし、安部はそうは考えない。「戦争」責任」「靖国参拝」といった、いわば
都合の悪いことに触れることを避ける傾向にある。避けたい気持ちもわからない
ではないが、歴史に教訓を学び、反省を政治に生かしていく、当然の謙虚さが薄
い。
 いいかえれば、世代や政界の若返りを機に、歴史認識の出発点を戦前にまで戻
さず、ごく手前の「戦後」のあたりから始めて、都合よく考えようとしている。
過去・現在・未来という歴史の流れに乗って考えようとはせずに、「自己正当化
史観」の成り立ちそうなあたりから論理構築しようとしている。歴史の認識とい
うものは、その程度に軽いものなのか。そこに、安倍政治が根本から問われる体
質を抱えている。「自虐史観」と言い募るが、日本が虐げられたから中国、さら
にアジアに軍を進めたのではなく、日本が侵略という政治選択をして戦争の道を
進んだのであるから、その点を反省しなければ世界の納得を得られることにはな
らない。最初に触れたように、小泉時代を引き継ぎながらもそこにとどまらず、
さらなる「戦後」修正路線を推し進めようとする姿が浮き彫りにされようとして
いる。

●政治経験の不安 

 安部の51歳という‘若さ‘に抵抗はない。時代は進み、若い世代が責任を負
う環境は大いに必要だ。ただ、政治手腕としては経験不足という点で、今後不安
を招くこともあるのではないか。小泉首相が幹事長に抜擢したことによる党務経
験、正副内閣官房長官として政策処理の統括的な体験をしたことは役立つだろう
が、バランスをとり、虎の威を借りないで具体的に対立軸の調整にあたるという
機能は、十分身についているだろうか。権力と狭い自己基準だけで動かれて困る
のは国民である。
 このようにいわざるを得ないのは、安倍ブレーンの偏りに懸念があるからだ。
確かに、彼の総理・総裁への道を開いたのは「拉致」問題への対応だった。教育
問題への関心もかねてから高かった。だが、「救う会」副会長西岡力、「新しい歴
史教科書をつくる会」会長だった八木秀次、元外交官岡崎久彦、親米保守の中西
輝政などの面々への傾斜は、安部のタカ派的スタンスからすると、今後の取り組
みの幅を狭くすることが予想される。
 また、彼のいう「美しい国」に象徴されるとおり、その主張には具体性がなく、
どこか落ち着きのない印象がぬぐえない。日本を動かしていこうとするその方向
は、先にも触れたように「危険」を伴っているが、同時に日常的な政治運用の方
策についてあまりにも抽象的で、公約的責任を果たしていないと思われてならな
い。
 
●統地選、参院選の壁 

 来春の統一地方選挙は市町村合併によってかなり減少するが、シャッター街に
見られるような地方の景気回復の遅れ、自己責任はあるにせよ地方財政の厳しさ、
地方と都市の格差などに苦しむ地方住民はどう反応するか。それを受けて行われ
る参院選の結果はどうなるのか。参院選に大敗すれば、「安倍責任論」が出るだ
ろう。政権の危機も考えられよう。
 しかし、小泉首相はすでに、選挙敗退の場合でも退陣の必要はないといった防
御的発言をしているし、「安倍首相」になだれをうった党内状況からすると引責
を迫るエネルギーなどは出てこないのではないか。つまり、政権短命、と期待す
ることはむしろ誤りで、長期政権化した場合を想定して、ブレーキの必要なとこ
ろでブレーキがかけられる世論を作り出すことに力をそそぐほうが重要だろう。
 目先の政策にとどまることなく、むしろ日本の近代化・軍国体制の進行・戦争
遂行の社会状況・そして定着した民主主義・その強さともろさといった歴史を踏
まえた長い視点で、「戦後」修正路線を突き進む気配の新政権を見守りたい。ま
た、そうした状況に、野党の民主党のみならず、与党の公明党も含めて、どんな
対応を見せるのか、願わくは、大局的な感覚を持って臨んでほしい。

【永田町状況】

(1) 戦後60年の節目の変革思考 

 60年の歴史は長くはないが、激動とスピードの波は否応なく、状況を変えて
いく。現行憲法も理念としては変える必要はないし、十分に日本社会の規範足り
うるものである。しかし、細かい部分ではひずみもあるし、時代的に新たな要請
が出てきたものもある。そこを理由としてとらえて、改憲をアピールする空気が
強まってきている。一見、もっともらしいこの論理をもって、若い層に食い込ん
でいく。たとえば、もし「押し付け憲法」というなら、初めての体験である民主
主義制度自体が、押し付けられたことにもなるだろう。だが、民主主義の否定は
口にできないため、文言・表現などの部分で「押し付け」とし、「日本人の手に
なる憲法を」という、本質や中身でないところの主張で改憲を訴えている。社会
変動をじかに見ていない若者や、歴史教育の乏しくなった環境で育った人々は、
改憲も悪くない、と感じてくる。
 60年とは、そんな変化を誘いうる歳月だといえるのだろう。自民党は、この
日の来ることを、痺れを切らして待っていたに違いない。マンネリ化からの脱却
も必要になるし、変革への期待も高まってくる。ただ、変革や改革の内容や影響
については、無関心に全面委任してしまう。小泉首相の「郵政改革」はその最た
るものといえるだろう。その是非よりも、ドラスティックな手法で従来のシステ
ムを変えようとする、その姿勢だけに魅せられてしまう。
 加えて、政府や自治体の統治機構は60年間もほぼ同じ政党のもとにあると、
マンネリ化するばかりか、ヘタッてきたり、腐敗したりする。社会保険庁や岐阜
県庁のみならず、外務、労働、大蔵、警察などカネにまつわる全省的な腐敗騒ぎ
は周期的に表面化してきている。官僚の存在が行政の公平や正義を保ち、行政や
納税などが信頼に値した時代は遠くなり、官僚自体に「誇り」が衰退してきてい
る。緊張感も薄れ、責任の自覚が蒸発していくのだ。
 こうしたことは、やはり60年という歳月が、「改革」の必要に拍車をかける。
小泉改革が受け入れられ、守旧的なものを排除する風土がつちかわれるのも、こ
うした必然がベースにある。小泉、そして安倍路線が意外に思われながらも、な
んらかの国民的期待に結びつくのは、こうした長期のマンネリ・惰性を断ち切り
たい雰囲気に支持が集まるため、と思われる。

(2)世代交代期 

  安倍政権の生まれる風土は、有権者側の変化にも現われてくる。平和とか民
主主義とかを重視する戦後の教育の中で育ち、敗戦間近とわかりつつ原爆を落と
す米国の論理に反発を感じた「60年安保」世代が一線を去り、「70年安保」
を迎えて過激な学生運動を生んだ団塊の世代も引退して、そのあとから順次「戦
争を知らない」、あるいは「戦争の語り継ぎを受けていない」、あるいは「歴史を
学ぶことのできない」世代が登場して、世の中は当然変わってくる。日本に経済
力がついてきた以上、国際的なステータスを確保すべきで、そのためには欧米同
様の軍事力を伴う活動を果たせる国にならなくてはならず、集団的自衛権の行使
は当然だし、核兵器を保持しないなら、せめてイラクでもどこでも出かけられる
体制をつくろう、という。あるいは、北朝鮮の動きに触発されて、日本の核保有
を考える自民党議員も1割を超えるまでになってきた。
 かつて、戦争はこりごりだと実感した世代は、戦争放棄をアピールし、平和と
いう理想に燃えた
憲法のもとで、日本の特殊な立場をむしろ是としてきた。だが、時代が移って、
国力がつき、世代
が変わり、憲法の存在に慣れきってくると、リスキーな「普通」の国に進むこと
にも、抵抗感が薄らいでいくのだ。
 このような変化がじわじわとやってきている。若い国民の意識以上に、自民党
のみならず、民主党までもが世代交代とともに、意識の交代を肥大させてきてい
る。
 安倍政権はこのような変動を先取りし、旗を振り、仕上げに移ろうとしている。
国民のかなりの部分が、その政権の足場になろうとしているのだが、本当にその
方向でいいのか、もういちど戦前戦後の日本の軌跡をたどりつつ、安倍政権とい
うものを検証してみてほしい。

(3)「個人」の不徹底 

 民主主義は確かに戦後の日本で開花しているし、今日もそのことにはまったく
異論は出ていない。
 国家や組織、団体や企業といった集団よりも、一人ひとりの個人、人間のほう
が優先する、という憲法的基準は生きている。この点は改憲が進むにしても、手
をつけることはできないだろう。
 だが、ほんとうにこの60年間に「個人」にもとづく社会はできてきたのだろ
うか。「個人」主導の社会の前提には、ルールやマナーを守り、自分以外の人の
存在を認め、協調し、議論を交わし、かつ自覚・自立・自律のもとに自らを磨く、
といった、むずかしい要件が求められる。少なくとも、そうした努力をする誠実
さが望まれる。その個人の集積で社会ができるのだから、民主主義は時間とカネ
がかかるわけだ。
 こうしたことは幼い頃から、家庭や学校、社会で培われるのだが、果たしてそ
うなっているだろうか。むしろ個人という名のもとに、利己やエゴが蔓延し、た
がいに意味なく我慢しあい、ストレスを貯め、ますます自分にこもっていってい
るのではないか。
 これは、たとえば、社会生活でのマナーの悪さなどばかりでなく、政治に無関
心で、選挙にも参加しない、といったところにも現われてくる。個人による判断
や自分の論理を持たないばかりに、法規とか国家とかによって管理されたり、行
動の指針のようなカセをはめられたり、次第に外から束ねられることを待つよう
になる。
そこに、国家や企業や宗教団体などが、人々を扱いやすいように、統一化・一律
化・拘束の論理を持ち出してくる。少数意見のいえない社会をつくれば、権力は
それだけ国民大衆を統治しやすくなってくる。個人情報保護法など昨今の法制化
の動きを見ていると、表向きには必要性をうたうものの、息苦しさを感じさせる
ような制度の導入の事例も散見するようになってきている。
 国家や権力に問題はあるにしても、個人主義優先が前提である以上、やはり一
人ひとりの対応をもっと育てる必要がある。
 このようなことに触れるのは、改憲や教育基本法改定を主張する安倍政権の狙
いに、怖さが感じられるからである。いま教育上の問題になっている学力低下や
暴力化、生活の乱れなどは、教育基本法を改めれば解決するとでも言うのだろう
か。要は、法律によって、個人の自由を制約し、単一的な社会に縛りつけ、「素
直な、いわれたことを聞く子どもたち」の育成に向かわせるための措置としか思
われないのだ。それは、安倍の国家観に大きくかかわっている。今の状況がいい
とは思えないが、法的管理を強化する前に、個人というものについて、社会全体
で考え、そのかけがえのないことを再認識するべきではないのか。
 そうした懸念が安倍政権にはある。そして、その狭隘さは偏狭なナショナリズ
ムの初歩的段階を進めることにもなりかねないと思うのである。

(4)壊れた自民と小選挙区制

 今度の総裁選挙は7月21日の福田康夫の立候補辞退で、安倍体制登場の流れ
ができた。麻生太郎、谷垣禎一の対抗出馬はあったが、大手派閥に組みする額賀
福志郎、山崎拓は結局降りた。かつての派閥中心の権力闘争の面影はなく、むし
ろ強い候補者への、派閥を超えたなだれ現象が目立った。小泉チルドレンも、無
派閥を称しながら、なびいた。確かに、派閥の弱体ぶりはまたも証明されたとい
えよう。
 と同時に、05年衆院選でこそ小泉圧勝の結果を出したが、自民党が過半数議
席を占めたことは近年の選挙ではない。つまり、公明党との連立によって政権を
維持し、また選挙で創価学会の協力あってこその議席数確保であって、55年体
制下の自民党ではなくなっている。
 この状況は、安倍政権登場によって変わるのだろうか。前段で触れた06年の
参院選の結果を待たなければなるまいが、決して容易な状況ではないのだ。公明
党については触れないが、この党が譲歩する姿勢から要求する立場に変わるとす
れば、自民党側の政権維持はきびしいものにならざるを得ないだろう。
 小選挙区制という2大政党有利のシステムは、1区1人の当選、つまり過半数
の票を取らなければ落ちるという厳しいものなので、いきおい党中央・執行部の
力が強まり、派閥の力は二の次となり、また総理・総裁の権限が強まって官邸主
導の政治となってくる。従って、議員は造反や少数意見の側に立つと不利な立場
に立つことになり、選挙で追い込まれることにもなるので、長いものに巻かれざ
るを得なくなる。逆に、権力保持者は管理・統治がしやすくなる。党内民主主義
や、言論の自由が確保しにくくなることにもなりかねない。
 郵政改革選挙に見られたように、造反派を公認しないで党外に追い出し、一方
でにじり寄る候補者を刺客として送り込む、そして本質の選択を求めようとせず、
ムードづくりの巧緻でポピュリズムをかきたてて議席を手に入れる―――これ
は、小選挙区ならでは、の産物である。ここでは、触れないが、小選挙区という
制度の生み出す、大きなマイナスだけは指摘しておきたい。
そして、その制度が小泉政権の強さの秘密であり、安倍政権も同じような手腕を
振るおうとするだろうと懸念しつつ、見守りたいところだ。

(5)政策の前途

 憲法、教育基本法改定を除き、基本的な部分だけに触れておこう。
アジア外交=焦点は「靖国」参拝問題への対応であるが、中国、韓国との手ずま
り状態を打開するために、持論を凍結するなどの前向きの姿勢に転じるか、ある
いは硬直したまま相手の軟化を待つのか。小泉首相と同じような持論で国際的に
通じると考えるかどうか。あるいは、日本のアジアでの孤立も辞さず、靖国参拝
を続けるか。ただ、一国の首相が公表もせずに、いわばコソコソと参拝するとい
うやり方では説得力を持てまい。
 拉致問題=北朝鮮への制裁強化に向かうかどうか。この点では、小泉手法とは
異なる出方があるかもしれないが、力で押して成果をあげられるか。話し合いの
道はなくなり、米国も首をかしげることにもなりかねない。また、ミサイル・核
問題をめぐる6カ国協議への波紋をどうするか。これは日本一国の問題ではなく、
影響は国際的である。厄介な国だからこその知恵を出すことは容易ではない。「制
裁」策と同様に見通しは立ちにくいのだが、対話に道を開く努力が第一選択肢の
ように思えるのだが。北朝鮮の論理も説得力を欠くが、戦前に国際連盟脱退とい
う国際的孤立を選んだ日本の経験からしても、北朝鮮の対応は不可解である。と
いって、その日本が腕ずくでやっても道が開かれるとも思われない。

 格差問題=小泉改革の落穂ひろいだが、問題は大きく広がり、容易ではない。
都市と農村、正規社員と派遣社員、高齢者対策など、多岐にわたる。年金、福祉
問題は社会保険庁改革をはじめ手つかずのものも多い。選挙での焦点にもなる、
民主党にとっては格好の攻め材料だ。
 安倍は「再チャレンジの機会を作る」というが、若い世代にはいいとしても、
解雇ないしリタイアせざるを得なかった中高年層への対応についての言及は弱
い。若い世代代表としての登場はいいが、目を前方に向けるばかりでは、小泉改
革の残務としての格差是正にはならず、むしろ高齢者切捨てにもなりかねない。
消費税問題=財政改革に迫られる中で、いずれは手をつけることになろうが、政
権党とすれば、参院選前には触れたくないところだ。財政上の削減なしの増税で
は通らず、上げ幅が困窮者に及べば反発が出ようし、説得力ある説明をどうする
か。

(6)メディアの存在

 メディアが政治を左右することは間違いない。メディアが公正で世論の側にあ
り、また論議の分かれるときに各人に考える材料をきちんと提示できる限りは、
メディアは各人の見解を超えて信頼できよう。
 ただ、メディアには弱さもある。たとえば、大衆的な世論というものが強力な
権力者・体制を圧倒的に支持するとき、その政治の方向に危うさを見出したとし
ても、世論サイドに立つべきメディアであるはずなのに、ものが言い切れず、十
分なイニシアチブを発揮できないといった、意外にもろいところを見せることが
ある。初期の小泉政治について、そのきらいがあった。ヒトラー台頭に手を貸し
たドイツの新聞も、そんな苦い思いがあったに違いない。
 強い流れであっても、本来のメディアは少数意見を主張し続けることが必要な
のだ。しかし販売やスポンサーの存在が、これを許さないこともある。また、世
論に迎合することで、収益拡大に走る体質も否定はできない。小泉政権時代に、
とくにテレビのあり方には疑問があった。郵政改革選挙のケースを考えてもわか
ることだが、本来ワンテーマのみの争点で政権全般の評価を問うこと自体、無茶
なやり方であったが、「刺客」「反対候補排除」などの見せ場を提供されると、本
質論や可否についての報道は姿を消してしまった。
 日本の進路を分けることにもなりかねない安倍政権の前途を、どのように見守
り、分析し、考える得る足場を提供するか、このことも極めて大きな政治の基盤
になる。批判力、洞察力ある報道機関であるかどうか、この点も政治機能の一環
として強調しておきたい。  <敬称略>

                                                  
                                            以上

          (筆者は帝京大学教授・元朝日新聞政治部長)

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