【コラム】
槿と桜(43)

家族関係登録簿

延 恩株


 「家族関係登録簿」とは、日本ではあまり耳にしない名称ですが、韓国でも2007年12月31日まではなかったものでした。これはそれまであった「戸籍簿」に代わる新しい制度に基づいて生まれたものです。

 韓国では民主化運動や男女平等の声が高まる中で1990年代に入りますと、父系を重んじることが存在理由と言えた「戸主制」と、家族の一員にもかかわらず、家族間に横たわる主従の関係を撤廃しようとする運動が活発になりました。当然、違憲訴訟も相次いで起きました。その結果、「戸籍制度」が抜本的に見直されて「戸籍簿」が廃止され、2008年1月1日から「家族関係登録法」が施行されました。これによって、家という一つの単位を見るときに、その家の家長として制度的に定められていた「戸主」という考え方がなくなって、家族の個人中心に作成される「家族関係登録簿」に変更されることになりました。

 ただ単純に考えますと、ある一家族が夫婦、子どもで構成されていれば、彼らをまとめ、事を決めていく中心的な人物がいて、一家の主として日々の生活を送っていくのが一般的です。こうした人物が「戸主」(父親でも母親でも構わないと思います)として存在してこそ、家族は安定した生活が維持できるのだと思います。

 ところがこれが「戸籍法」という制度として定められているとなりますと、話は別になってきます。
 日本ではすでに大化改新(645年)で戸籍の制度が定められたそうですが、韓国では、高麗時代(918~1392)に整備され始めました。その目的は日本の戸籍も同様ですが、国側の目線で整えられてきたもので、居住する者を把握することでした。なぜなら国を維持するためには徴税する必要があり、さらには徴兵のためにも実態の把握が必要でしたし、治安面でも有効だったからです。

 それは朝鮮時代(1392~1910年)に入っても制度として継続されていましたが、あくまでも一つの家単位として、誰が一緒に生活しているか把握することが主な目的でした。興味深いのは必ずしも戸籍の筆頭者は男子ではなく、たとえば夫が死亡した場合、成人した息子がいても母親(妻)が戸主となっていたことでした。
 ところが朝鮮時代の17世紀頃から中国の男子を中心とする宗法制、つまり家父長制の思想が浸透し始めて、それまであった男女両系尊重とも言える家族、親族関係が父系尊重、男子尊重へと変化していきました。

 しかし戸籍制度が大きく変化したのは、なんと言っても1910年に日本の植民地となってからでした。これ以降、戸籍は父系を柱として作成されるだけでなく、戸主相続が制度として定められてしまいました。つまりその家に誰が住んでいるのかで戸籍が作成されるのではなく、戸主と家族が一緒に住んでいなくても、戸主を中心にしてすべて記載されるようになりました。父系の血統が重んじられ、たとえば遺産相続権は長子を始めとする男の兄弟にあり、基本的に女子にはありませんでした。日本の植民地時代は完全に日本の戸籍制度が導入されていたことになります。
 ところが1898年(明治31年)に制定された日本の戸籍法は、敗戦後の1947年に施行された日本国憲法によって男女平等が規定され、家族を「戸主」の従属物と見なす「戸主権」は認められなくなりました。こうして「戸主」という概念が消滅して、現在では戸籍の最初に「戸籍筆頭者」 として記載されるだけになりました。

 一方韓国では、日本から解放された1945年以降もこの戸籍上の戸主制度が存続していきました。そのため、基本的には長男が家督を継ぐという「戸主権」がそのまま残ってしまいました。しかも韓国人の生活にすっかり根を下ろしていた儒教的思想に基づいた家父長制とも結びついてしまい、すでに述べましたように、民主化運動のなかで「戸主」の権限をほぼ廃止する民法の改正は1989年になってからでした(2005年3月に「戸主制」は完全に民法から削除されました)。
 ただし戸籍制度はそのまま残りました。これが廃止されるまでの間、父系血統主義的な制度や戸主と家族の主従関係の撤廃を求める運動が続きました。なぜすぐに廃止されなかったのかと言いますと、韓国の伝統的な考え方や文化風土を重視して、存続を主張した保守的な人びとの声も無視できなかったからでした。

 このような存続と廃止を巡る対立の中で、2005年2月に憲法裁判所は、家族制度という「伝統文化」に対しては「人道的精神などを考慮する必要あり」、「個人の尊厳と両性の平等を尊重する必要あり」との判断を出しました。つまり「伝統文化よりも憲法理念の方を重んじなさい」とはっきりと示したことになります。
 たとえば韓国では伝統的に夫婦は別姓で、子どもは夫の姓です。ところが夫婦が離婚して、母親と一緒に生活することになった子どもの姓が戸籍制度上は母親の姓にできなかったのです。これは明らかに法に定められた「両性平等の原則」に反していました。
 皮肉なことに韓国人にとって、戸籍制度を自分のこととして考える上で、この離婚した際の子どもの姓の変更不可は比較的理解しやすい事柄でした。ちなみに日本では、離婚した場合、結婚で夫の姓に変えた女性が独立した戸籍をつくり、子どもを自分の戸籍に移して自分と同じ姓にすることができます。

 こうして2008年1月1日から「戸籍法」は廃止され、「家族関係登録に関する法律」が施行されました。これによって、韓国から戸籍制度が消えました。それに代わる制度が、個人を基本に編まれた家族関係登録簿というわけです。
 また原則として戸主の出身地が記述される「本籍」という表現がなくなり、「登録基準地」という表現に変わりました。ただし、これまで戸籍に記されていた祖先の出身地を示す「本貫」は、依然として記すことが義務づけられていますから、同族かどうかを知る手がかりは残されたことになります。
 「戸籍法」廃止以前は、たとえば「戸籍謄本」を請求しますと、本人にかかわる事項だけが必要にもかかわらず、戸主を中心に家族を構成する全員の事項がすべてわかってしまい、個人情報保護の点からも問題視されていました。たとえば私のことで言えば、曾祖母がどの町の誰の娘で何年に嫁いできたのかなどがわかってしまっていました。

 家族関係登録簿では、請求する事項の違いによって5種類の証明書が交付されます。その5種類とは「基本証明書」、「家族関係証明書」、「婚姻関係証明書」、「入養関係証明書」(「入養」とは、日本では「養子」に当たります)、「親入養関係証明書」です。
 たとえば私自身も毎年、親の扶養を証明をするために「家族関係証明書」を韓国から取り寄せますが、この「家族関係証明書」を請求する際には、証明が必要な申請人本人、つまり私が中心となりますから、私の名前が証明書の「本人」欄に記載され、その下に両親の名前が記載されています。
 このように「家族関係登録制度」は家ではなく、個人単位で編まれています。そのため「家族関係証明書」の記載事項も、今触れましたように、あくまでも証明書の申請者本人が中心になります。すでに述べたいくつかの特色を除いて、以下に数例を挙げてみましょう。

 ○ 一般的に家族の記載事項は配偶者、両親、自分の子どもまでで、兄弟や祖父母は表示されません。
 ○ 従来の「戸籍制度」では、外国籍の配偶者は記載されませんでしたが、それが解消されました(ハングル表記になりますが)。
 ○ 親の離婚歴や嫡出子(ちゃくしゅつし 法律的に結婚を届け出た男女の間に生まれた子どもを言います)、非嫡出子の区別は記載されず、「子女」とだけ記載されます。
 ○ 一方の配偶者が死亡して、一方の配偶者が再婚すると「家族関係登録簿」の特定登録事項欄で死亡した配偶者が抹消され、「家族関係証明書」には死亡した配偶者が記載されません。
 ○ 死亡などによって除籍された人は記載されませんから、別に除籍謄本を申請しなければなりません。

 さらに2016年11月30日からは「家族関係証明書」、「婚姻関係証明書」、「基本証明書」は、一般証明書と詳細証明書に分かれ、記録内容が区別されて記されるようになりました。たとえばビザや金融機関などから詳細な証明書提出が要求される場合もありますから、使用目的によって請求証明書を変えることが可能となりました。
 なお詳細証明書とは、過去から今までの事項がすべて記されています。一方、一般証明書は現時点を基準にして記されていますからあっさりとした内容になっています。。
 したがって先ほど述べました離婚した夫婦の場合、詳細証明書にはすべての子女に関する事項が記入されています。

 このように「戸籍簿」に代わる「家族関係登録簿」は、個人情報の流出をできるだけ抑え、さまざまな差別(女性差別、婚外子差別、外国人差別、性同一性障害者差別等々)をなくそうとしています。その意味では、グローバル化時代に突入し、家族形態が多様化した韓国社会に対応した形式に変えられたと言えるでしょう。

 韓国の「戸籍簿」から「家族関係登録簿」への変更で私自身に戸惑いが生じることはありませんでした。古く、時代に合わない制度は積極的に変えていくべきだとも思っています。特に個人情報の垂れ流し的な状況には常に危うさを感じていましたから。
 ただこうした制度上で社会に存在する差別意識を排除することが導入されても、韓国の日常生活から女性差別を始めとするさまざまな差別意識が弱まったとはとても思えないのが実情です。
 行き着くところは、制度上の改革がなされた以上、差別する側も差別される側も意識の変革への地道な努力が間断なく続けられていかなければならないでしょうし、それこそが何よりも求められていることを教えてくれているようです。

 (大妻女子大学准教授)

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