対テロ戦としては無意味なイラク侵攻

■対テロ戦としては無意味なイラク侵攻       榎  彰

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  今度の湾岸戦争は、これまでにもまして情報戦争の側面を強く打ち出してい る。米国中枢を襲った同時多発テロ攻撃に対する米国の情報操作はまずまずで あり、情報作戦は、一見、緻密な、的確な戦略に沿って進められたように見え る。米議会、米国民の一致結束が図られ、テロリズムに反発する国際的な反テ ロ戦線が形作られた。アフガニスタンにおけるタリバン政権の打倒までは、条 件反射作戦としてうまく運んだ。おかしくなったのは、ブッシュ政権が、20 03年春、イラクに侵攻、これを大統領選挙に利用しようとしてからである。 イラク侵攻については、石油、それに絡む中ロへの配慮など、いろいろな思惑 が絡んでいる。しかしことの本質は、フセイン政権の大量破壊兵器の保有、フセイン政権とアルカイダとの関係の存在にあったのであり、情報戦争が功を奏 するかどうかも、その真相にかかっていた。この二つが否定されたとき、ブッ シュ政権のイラク戦争は、その理由を失い、対テロ戦争も、大義名分を喪失、 国際的に孤立する道を選ばざるを得なくなったのである。対テロ戦争の枠組み が崩壊してしまったのである。フランス、ドイツなどEU主流、ロシア、中国な どの「帝国」周縁、英国、日本など日米同盟に固執する諸国などの分裂は覆え なくなっている。米国が国際協調主義を取り戻し、国際政治における指導性を 取り戻すことができるどうか、いままさに米国は問われているといえよう。情 報の操作がうまく行き過ぎて、情報が必然的に持つわなに落ち込んだ典型的な ケースともいえよう。

 大量破壊兵器については、フセイン政権が、かつてクルド人相手の討伐作 戦、イラン・イラク戦争に毒ガス兵器を、実戦に使用したこともあって あっ ても不思議ではないと思われてきた。フセイン政権が保持するかどうかについ て、ことさらにあいまいな姿勢をとっていたのも、実態を明らかにしないこと で、周辺諸国、ひいては米国に対する威嚇効果を狙ったと見ることができる。 このあたり、北朝鮮の対米姿勢にも共通している。しかし現実に兵器は存在し なかった。

 このような結果は、国連の地道な査察活動による効果と見ることもできる。 米国が、ことあるごとに、国連を軽視し、国連による制裁の実績が上がらない と非難してきたことは、周知のことである。あまり言われていないが、国連の 地道な活動がその実効性を証明したのであり、国連の行動に対する信頼感が増 したということもできる。

 フセイン政権とアルカイダとの関係についても、はっきり否定された。この ことはフセイン政権をどう認識するかという基本的な問題なのである。政教分 離は、バース党支配体制の根幹だったのである。政治が宗教に優先するという 原則は、バース党体制では堅持されてきた。宗教を絶対視するイスラム原理主 義は、フセインにとっては、許されざる敵、ナンバーワンだったのである。

 ブッシュ政権は、対テロ戦線を構築するにあたり、この二つの虚構の前提を 組み立て、米国の情報機関は、事実に反する、この二つのことを立証するため に全精力を集中した。その前提には、情報を熟知する政府当局による情勢判断 が、もっとも正しいとする認識がある。ブッシュ政権をハイジャックした新保 守主義グループ(ネオコン)の理論上の指導者と言われたハンガリー出身の政 治学者シュトラウスは、「うそも許される」と説いたといわれる。アシュクロ フト司法長官は、愛国法を制定し、米国の世界に誇る人権擁護体制を制限しよ うとし、国外では、アルカイダ関係者を、キューバに移し、捕虜としての条約 上の拘束から逃れて、事実上、無制限の取調べを実施した。そこまでは一応、 人権法上の配慮もあったが、イラク侵攻とともに、アフガニスタンとイラクと の捕虜を巡る法律上の違いが、あいまいになった。

 イラクの刑務所における捕虜虐待問題は、悪用とか虐待のレベルではなく 「拷問」問題そのものなのである。ホワイトハウスが、有効な情報入手を最優 先させていた以上、起こるべきして起きた事件なのである。民主主義を呼号す る米国が、自己の安全をはかるために、なにを優先させるか,が注目された。  この点で注目すべきなのは、米軍が将官レベルの尋問にあたって、被尋問者 の尊厳を無視して、体罰などを実施したと伝えられることである。通常であれ ば、将官クラスの尋問は別扱いとすべきだったであろう。占領後のことを考えれば、イラク軍の活用を考えるべきだったのである。現に占領直後、米軍内部 でも、対立があったと伝えられる。これまでには考えられないことであり、過 度に民主化したということなのかもしれない。このことは、バース党の支配体 制を復活させる意図がないという姿勢を示したもので、この点ではブッシュ政 権の姿勢は貫徹しているのかもしれない。いずれにせよ、フセイン政権に対す る嫌悪の情が、優先したということは、中東における政治的現実を無視した、 暴挙ともいえるだろう。

 しかし、このような単独行動主義に裏打ちされた方向、大量破壊兵器への固 執、イスラム原理主義とフセイン政権の癒着、と言う虚構の前提に、基づく米 国の対イラク作戦は、5月から6月にかけ、急速に態度を変え、ブッシュ政権 は妥協的姿勢に転じた。ノルマンディでの西欧首脳顔合わせ、G8、NATOでの首 脳会議、国連安保理事会などでの米国の出方は、見違えるようなもので、冷や かした西側首脳に対し、米側は、「最初からパウエル(国務長官)が言ってい るとおりさ」と答えたという。このようなブッシュ政権の転進をどう解釈する か、単なる戦術的転換と見る向きも多い。やはり大量殺戮兵器とアルカイダの 問題は、ブッシュ政権をリードするネオコンの戦略にかかわる問題であり、 ショックは大きいだろう。ネオコンは、後退の兆しを見せており、振り子は左 に触れ始めたと見てよいだろう。大統領選の結果、もし共和党が勝っても、安 全保障の面では、左旋回せざるを得ないと見ている人も多い。ある会合で、日 米関係、とくに安全保障問題に精通した人が、「米国はいつイラクから撤退す るのですかー」と口走り、ひんしゅくを買った。しかし流れをずっと追ってき た専門家からすると、戦争の目的がテロを対象とするものであれば、イラク侵 略は、戦争目的もなく、まともな賛同者もいない「不要な戦争」であることは 間違いない。

 米国の柔軟姿勢への転換にフランス、ドイツは、依然、態度を変えていない。 アフガニスタンでは協力するが、イラクでは、いっさい兵力を出さない。NATO によるイラク兵の訓練についても、フランス、ドイツの姿勢は堅い。フラン ス、ドイツの態度について、情報筋は、イラク情勢の推移についての判断が大 きな比重を占めているという。つまりブッシュ政権のイラク政策は、いずれは 失敗するという見通しだ。ブッシュの失敗は、おそらくは、キリスト教文明全 体を巻き込む大きな失敗にならざるを得ない。欧州としては、対米協調もさることながら、できるだけブッシュの自滅的路線からは遠ざかっていたいという 計算からだろう。その背後には、フランスの伝統的な中東知識、またあまり知 られていないが、ドイツのカイゼルの3B政策以来の中東政策の歴史がある。 両国の歴史観が、ブッシュ政権の非歴史的な中東感と激しく対立しているわけ である。

 国際石油資本の動向も無視できない。現地からの報告によると、国際石油資 本は、まだ本格的にイラクにおける油田の回復に取り組んでいない。イラクの 政情がどういう方向に向かうのか、まだ見通しをつけかねているといったとこ ろなのだろう。代わりに油田の改修に従事しているのは、ロシア、中国、それ に韓国である。人質事件をめぐって、ロシア人、中国人、韓国人などが、登場 しているのも、そのためである。ロシアと中国は、未来のエネルギー情勢を、 読んで、イラクを重視しているわけだ。しかし、もちろんブッシュ政権とは、 異なる立場からの接近である。  またいわゆる親米派「新しい欧州」の中から、テロの脅しによって、スペイ ンがまず脱落し、ポーランドなどに動揺の兆しが見える。オランダの動きも微 妙だ。イスラム教アジアからフィリピンも、有志連合から抜けた。米国を中心 とする有志連合の結束にもようやく影が見えてきた。

   中東、イスラム世界を揺さぶりそうな動きとして注目されるのが、7月、摘 発された武器、弾薬のイラクからトルコへの逆送である。裏にクルド人の動き が、取り沙汰されるこの動きは、トルコ軍部を刺激し、中東情勢を大きく転換 させる動きをはらんでいる。

 中東における日本の動きは、国際情勢全般における日本の立場と密接に結び ついている。小泉政権の方向は、一応明快である。英国と同じように米国追随 である。ただ英国の場合は、EU諸国に対し、米国がEUなどの反対を押し切っ て、暴走しないよう英国がブレーキをかけるという言い訳があるが、日本の場 合、全くそういういいわけがない。とくに先のサミットで、小泉首相は、イラ クへの主権移譲後の対米支持を無条件で約束した。ブッシュ政権追随である。 ケリー氏は 、ますますイラク問題でブッシュ批判を強めており、大統領選の 結果しだいでは、見当違いの方向といわざるを得ない。

 2001年9月以来、日本外交は、テロと北朝鮮以外ない、といわれたくらい、 テロ問題には全力を挙げた。そしてテロ対策では、欧米と同じようになったと 胸を張る。しかし欧米諸国、さらに周辺諸国が日本に期待するのは、遠い欧米 と価値観をともにすると、断言することではない。アジア人の立場から、貧困 や抑圧に悩む人々の気持ちを理解し、テロリズムに走らないよう説得すること であろう。

 そして7月、重慶でのサッカー、アジア・カップで、日本チームの勝利に対 する中国人観衆の予想外のブーイングにショックを受けた人が少なくないだろ う。日本人が、テロに心を奪われている間に、われわれには、理解できないこ とが起きているのか。そういえば、日本ではいまや、ヨンさまブームとか、空 前の韓国ブームだが、3月、その韓国で、「日帝強占下の親日・反民族行為真 相究明特別法」が、可決されていることを知っている日本人は数少ない。つい 最近も、与党の国会議長が、親日派だった父親の業績を問われて、辞任した。 目に見えないところで、アジアから日本は遠ざかりつつある。

 また現状では米韓関係は、もはや改善の兆しはない。たとえ米国を多少刺激 するにしても、南北朝鮮が協調していく方向に向かわざるを得ない。ブッシュ 政権の海外派遣戦略の修正にあたり、米国の対朝鮮政策にも、ドラスチックな 方向転換があるのかもしれない。 ブッシュ政権との関係つくりに血道を上げ ている間に、日本はアジアから見放されかねないのである。

 9・11テロとそれに続く出来事は、伝統的な国際政治を揺さぶる大きなショ ックであった。情報がコントロールされ、操作された。米大統領候補のケリー 上院議員が、イラク開戦に賛成投票せざるを得なかったのは、情報操作の勝利 である。情報操作がこのまま進めば、ブッシュ・ブームの結果、ケリー上院議 員あるいは他の候補がいっさい泡沫候補であったかもしれない。パールハー バーのだまし討ちをはじめ、幾多の歴史的事件が、情報戦争の成果であること も明らかになってきている。しかし第二次世界大戦当時から考えると、はるか に情報操作を暴く技術も、スピードも速くなった。 いま、ようやく事実が素 直に日程に上りつつある。プロパガンダが、事実に道を譲りつつある。

 日本は戦後史の過程で、幾度となく米国には裏切られてきている。情報操作 によるケースも多い。今度もこの裏切りにほぞをかむのかもしれない。

※榎 彰 略歴    元共同通信社論説委員長       東海大学教授