崩壊した二大政党制と野党結集の可能性

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崩壊した二大政党制と野党結集の可能性

                      仲井 富


●敗北の原因を自覚せず集団自滅へ

 民主党は9月4日「第23回参議院通常選挙総括について」という文書を発表した。内容は ㈰選挙の概要、選挙結果、得票数 ㈪検証課題と総括点、参院選前の都議選敗北の総括点 ㈫参院選挙の総括点について、再生への課題と取り組み の三項目からなっている。だがこの中には、なぜ07年に2300万票だった比例区票が今年の参院選で700万票に激減したのか。なぜ東京、大阪という最大の票田で一議席も確保できなかったのか。その根本原因はなにかという得票分析もない。唯一存在するのは、昨年末の衆院選敗北後とりまとめた「党改革創生本部 第一次報告」のみである。ここでは「大敗した理由」として以下のように述べている。

 —民主党内のごたごたは分裂騒ぎへと発展し、党内をまとめることのできない集団に国家の舵取りまかせられないとの評価が定着、国民が政権交代可能な政党として寄せた希望は失望に変わった。民主党は自民に敗北したのではなく、「チルドレン・ファースト」や「改革政党」として基本的な立ち位置を明確化できず、自身の理念を具現化する手法を欠いたことにより敗北した。「普天間」や「政治とカネ」「消費税発言」から解散時の見定め等、トップによる失言の連鎖が続き、期待外れの政権というイメージを与え続けた。多くの実績にもかかわらず、普天間に代表される安全保障上の失策、八ツ場ダム建設再開等は、国民の不信感を煽る原因となった—。

 党内のごたごたは分裂騒ぎになり、党内にまとまりがなく、トップによる失言の連鎖が敗因だと指摘しているが、ごたごたが起きたのは、菅元首相の「自民党への消費税5%抱きつき発言」である。その結果、010年の参院選で大敗した。にもかかわらず続投させて、「税と社会保障の一体改革」という美名の下に消費税値上げ路線を歩んだ。原発事故対応への失敗なども含めて民主政権への不信をさらにひろげた。後を継いだ野田元首相は自ら野党時代に「白アリ退治なしに絶対消費税は絶対上げない」と公言しながら、「消費税増税は大義だ」などという発言で大嘘つきといわれた。また「1930年代までに原発ゼロ」を掲げたが、閣議決定はせず、おまけに大間原発などの工事再開や青森の核燃サイクル施設の事実上の継続容認などで、脱原発を望む有権者の不信を買った。「党首の解散時期の判断」などと言う方法論的ミスの結果ではない。基本政策転換の説明責任を放棄したことへの反省もなく、党内のまとまりがなかったなどという選挙総括の甘さが、今回参院選のさらなる惨敗につながった。2003年から二大政党の一方の旗頭として、終始2100万票を越す比例区得票を集めてきた民主党は、757万票の公明にさえ抜かれ第三党に転落した。

 東京、大阪、京都など、最大の支持基盤で議席ゼロとなり、すべて共産党に取って代わられた。社会党から民主党にいたる戦後政治史上、東京、大阪で一人の当選者も出せなかったのは初のできごとだ。また政権政党が、010年参院選、011年地方選、012年衆院選、013年参院選と4連敗を喫したのも、日本の憲政史上例がないだろう。次の二年後の地方選、三年後の参院選までに体制回復がなると信じる人はだれもいまい。にもかかわらず菅、野田をはじめとして民主党はこの歴史的惨敗の意味がわかっていない。「なぜ党内をまとめることのできない集団に成り下がったのか。なぜマニフェストで明確にした基本的立ち位置、消費税は4年間あげない方針を転換したのか。なぜ普天間に代表される県外国外移転の方針や、日米地位協定改定の方針が、自民党と同じ辺野古回帰とならざるを得なかったのか。なぜ「コンクリートから人へ」のスローガンが消えたのか。民主党を支持した有権者や国民に説明責任を果たさず、マニフェストと正反対の政策を遮二無二推進して、まるで集団自殺のように消滅した。結果として安倍自民に安定的過半数を与えて自民党政治の復権を許したのである。

 しかるに菅直人元首相は、この歴史的惨敗の第一の戦犯でありながら、最近のブログでは以下のように「消費税値上げは歴史に残る政治的成果」と自画自賛している。
 「3年3か月の民主党政権には三大功績があったと考えている。第一は消費税引き上げを含む、社会保障と税の一体改革、を法律として成立させたこと、第二は子供手当の充実や保育所の増設など、コンクリートから子供に政策の重点を移したこと、そして第三は福島原発事故を契機に、原発ゼロ、に政策のかじを切ったことだ」。(菅直人ブログ013・9・9)。同じ戦犯の野田前首相は読売新聞のインタビューで「最後は消費税を取るか、総理大臣を取るか、あるいは党を取るかも含めて、僕はこの最重要課題に決着を着けることに政治的声明を賭けた」と発言している。(読売新聞013・10・6「野田前首相インタビュー要旨」)消費税値上げをはじめとしたマニフェスト総崩れが、民主党を壊滅させた。結果として2大政党制をぶちこわし、自民党の一党独裁的な政治状況を招いた責任などどこ吹く風だ。彼らの辞書には「敗軍の将兵を語らず」という言葉は載っていないらしい。

 「コンクリ—トから人へ」のスローガンは菅政権の参院マニフェストから消えた。野田政権の「原発ゼロ」は全くのまやかしで、衆参選挙で無党派層の支持を失って惨敗した原因でもある。菅内閣の総務相であった片山善博氏(慶大教授)は「民主党は嘘つきを清算せよ」と以下のように述べた。「民主党の公約違反に対する無邪気さと鈍感さ、脳天気さにおどろく。09年の政権交代の際、消費税は絶対上げないと公言して選挙を戦い大勝した。それが有権者に約束していたことまで反故にして、消費税引き上げにまい進した。どう見ても嘘つきではないか。・・民主党政権は大嘘をついた。4年間上げないといった消費税を、大義だといって増税した。まずこれを国民にお詫びすることから再出発せよ。国民のための政治主導を標榜してスタートした民主党政権が、官僚と一緒になった、あるいは官僚になめられて国民を愚弄する末路となったのはなんとも皮肉な結果である」(世界013年2月号「民主党の大敗とその教訓」)その反省無くして迎えた参院選は、さらに厳しい惨敗となった。(図表 03年以降の自・民比例区得票の推移)

●主要都道府県での民主比例区得票の低下

画像の説明
 上記の表に見るように、自民党は勝利したが、比例区得票は敗北した07年参院選得票から190万票余増えただけである。維新は参院選で橋下の慰安婦発言などで大きく比例区票を減らし636万票だった(012年衆院選1212万票)。だが維新への批判票は、民主には流れず自民の得票増に貢献したといえる。010年参院選で自民は勝ったが、比例区票では敗北した07年より247万票減少している。同年は新興勢力としてのみんなの党が消費税反対で、民主への批判票790万票を獲得、それに公明の比例区票740万票の後押しがあって一名区で民主を圧倒したのである。今回はみんなの党476万票と維新との得票合計で1112万票を獲得した。投票率の低下を考慮しても、民主の07年における比例区得票2300万票は、この両党と共産党に流れ、棄権という政治不信票によって示された。民主党政権の失政が、維新、みんなという新興勢力を産みだしたという認識がまず必要だろう。

 以下に都市部を中心に主な都道府県の主要政党の比例区得票の特徴的な傾向を分析してみたい。6年前の参院選、4年前の衆議院選挙で圧倒的な勝利を収めた民主党だったが、その片鱗もみえない。比例区得票は過去最低の13・4%を記録、公明党に抜かれ第三党に転落した。今回の参院選挙の結果と過去の得票との比較で見てみよう。野党時代の民主党は003年から常に2100万票台の得票を維持しており、二大政党の一角を担ってきた。自民党が比例区で民主を抜いたのは小泉時代の郵政改革選挙のみである。最高は09年の総選挙でじつに2985万票まで伸びた。それが政権獲得後は1850万票(010参院選)、960万票(012年総選挙)、そして今回の713万票へと凋落した。(図表参照)
 決定的なのは、都市部における民主党の劇的な得票減少だ。北海道から福岡までの自民、民主の主要な都道府県における比例区得票の変化を07年と013年の比較でみると以下のようになる。(カッコ内は013年参院選挙の主要政党の得票、いずれも四捨五入)

北海道 自民72〜73  民主122〜41 (公明35 みんな15 維新15)
宮城  自民28〜31  民主44〜13 (公明12 みんな11 維新11)
埼玉  自民83〜97  民主126〜35 (公明46 みんな37 共産33 維新25)
東京  自民154〜180 民主230〜59 (共産77 みんな71 公明69 維新64)
神奈川 自民106〜135 民主163〜48 (みんな57 公明45 維新41 共産40)
愛知  自民81〜100  民主148〜55 (公明41 維新32 みんな30 共産26)
京都  自民27〜33  民主44〜13 (共産18 維新17 公明13 みんな8)
大阪  自民89〜90  民主131〜27 (維新105 公明67 共産44 みんな20)
兵庫  自民58〜72  民主100〜29 (維新46 公明37 共産22 みんな18)
岡山  自民26〜29  民主36〜10 (公明15 維新8 共産6 みんな4)
広島  自民34〜44  民主51〜15 (公明19 維新14 共産8 みんな7)
福岡  自民55〜69  民主82〜25 (公明39 維新22 共産18 みんな15)
沖縄  自民13〜14  民主13〜4 (社民11 公明9 維新7 共産5 みんな2)

●東京・大阪の凋落ぶりと得票から見る特徴

 以上の主要都道府県の比例区得票から見える特徴は、まず第一に、東京、大阪に見る民主の異常な凋落ぶりである。東京は07年の230万票から59万票へ。自民は154万票〜180万票へ。変わって共産、みんな、公明、維新とつづき民主は、比例区票得票順位では6位にまで転落した。これが4年前の都議会選挙で第一党を誇った民主の現状である。築地市場移転や都銀問題で石原都政を批判し第一党の座につきながら何一つできず、石原都政に追随してきた結果だ。自民が勝ったわけではなく、民主支持票は、他の維新、みんな、共産に分散した。
 大阪もしかり。07年には比例区得票で131万票だったが、今回は27万票と激減した。全国で最も民主党比例区得票率が低い順位は沖縄(6・6%)、大阪(7・88%)東京(10・39%)と下位ベストテンに入る。大阪でも自民は89万から90万票と大差ない。変わって105万票の維新を先頭に、公明、共産と続き民主は第5位に転落、近畿圏内ではすべての選挙区で敗北した。注目すべきは、橋下の慰安婦発言で逆境にあった維新が大阪の比例区一位など、近畿全県で2、3位の比例区得票を得ていることだ。ここでも民主のかつての支持票は、共産、維新、みんなに分散したことが明らかだ。東京、大阪と並んで民主の凋落ぶりを示したのが沖縄だ。比例区得票は07年の13万票から4万へ。自民、社民、公明、維新、共産に次ぐ第6位。普天間県外国外移設をめぐる民主政権の背信が、沖縄における民主党の存在すら危うくしたといえる。

 第二の特徴は、戦後革新の伝統的な選挙地盤だった北海道、神奈川、愛知、福岡などの動向だ。北海道は社会党の最強地盤の一つで、それを民主も引き継いで強固な支持基盤を誇ってきた。だが012年の衆院総選挙で、横路議長以下が全選挙区で落選、辛うじて比例区で横路氏ら2名が復活した。今回の参院選は、比較的維新やみんなの影響力が弱いため選挙区では一名当選したが、122万票の比例区得票は41万票と三分の一になった。自民は72万票から73万票で伸びはない。他の野党に民主支持票は分散し、かつ棄権に回ったといえよう。
 神奈川も同じく、新興勢力のみんなが第二位の議席を獲得、民主の比例区得票は前回の三分の一にとどまり、滑り込みでの三位当選がやっとだった。比例区票も北海道と同じく三分の一にとどまった。しかも公明、共産、維新が40万票台を獲得しており、野党多党化を象徴する選挙区となった。愛知も民主最強の地盤として、07年、09年と連続、三議席中二議席を当選させてきた。しかし今回は07年の三分の一強の得票で一名当選がやっとだった。福岡は一議席確保したが、比例区票は82万から25万票と三分の一以下に激減した。公明の39万票、維新の22万票が注目される。

 第三の特徴は、公明、維新、みんななど第三勢力の得票動向だ。公明は民主を上回る757万票で投票率低下の中でも安定した組織票を誇っている。維新も橋下の「慰安婦発言」などで012年の衆院選比例区得票1200万票からは激減したが、関東以西を中心に636万票と近畿圏を中心に健闘した。みんなは、維新との協調ができず、前回(010年)得票794万票から476万票と後退した。共産は比例区515万票で前進した。近年350万から400万票台前半で低迷していたが、民主、社民の凋落でいわば革新浮動票というべきものの受け皿となった。過去に社民党の歴史的大敗となった1995年の参院選で、社民の437万票を抜いて共産が820万票を獲得したことがある。今回は民主の失政による批判を都市部で吸収したといえる。

 明らかなことは、自民党の比例区得票は07年の1654万票から今年の1846万票と劇的な変化はない。もう一つの民主は700万票台に転落。いわゆる自民二大政党は崩壊したとみるべきだろう。変化はこの4年年間のみんなの党と維新の出現によるものだ。両者合わせると合計1112万票の得票だ。その多くは、民主党への失望、懲罰票として無党派を中心に両党に流れた。しかも共産の515万票、公明の757万票と、合計すれば2384万票だ。小選挙区など一人区に候補者を立てにくい第三ブロックともいうべき政治勢力との連携をどう構築していくのか。今後の政界再編成のキーポイントとなろう。

●連合の選挙総括と連合候補得票数の堅調

 今回の参院選のなかで、民主党の6年前の比例区2300万票から700万票という劇的な減少にもかかわらず連合関係組合の比例区候補は、ほぼ安定した得票を堅持している。これはある意味では驚くべきことだ。連合の「第3回参院選総括のまとめ」という文書はよると、以下のように指摘している。

 ㈰民主党選挙区で35名、比例区で20名の公認候補を擁立したが、結果は選挙区で10議席、比例区で7議席の獲得にとどまり、改選前の44議席から17議席と大きく後退した。
 ㈪連合推薦候補と組織内候補は、選挙区の連合の組織内候補は5名が民主党から立候補したが、いずれも惜敗した。民主党の比例代表得票数は、2010年の1845万から713万票と1100万票減らしたが、連合の9名は、160万票の個人名簿を獲得し、2010年時の159万票からは微増した。
 ㈫投票行動について、第3回参院選の投票率は、2010年の57・92%を5・31ポイント下回って52・61%となり、過去三番目の低さとなった。自民圧勝の予想が選挙戦序盤にマスコミ各社から報道されたこと、選挙争点がはっきりしなかったこと、政治不信が蔓延していること、どの政党も無党派層の受け皿となり得なかったことなどが原因であると思われる。なお投票を棄権した人の数は4,936万人で前回の4,378万人から558万人増加した。

 次に、「連合組織内推薦比例区候補の得票数比較」が01年以降、五回の参院選比例区得票が示されている。2001年の参院選比例区得票の約170万票以降、173万票(04年)、182万票(07年)、160万票(010年)、160万票(013年)と大差がない(いずれも四捨五入)。07年の大勝以降、民主党全体の比例区票は劇的な下降線をたどったにもかかわらず、連合の組織内候補の得票は大きな変化がない。また010年には、菅元首相の消費税発言で大敗したが、連合候補は、11人中10人が当選を果たしている。今回は同じ得票数だが、民主党全体の比例区得票激減を反映して、9人の候補者のうち6人当選となった。しかし民主党の比例区当選者は連合候補以外1名という結果だ。連合組織内候補は常に当選圏に入る可能性を持っていることになる。

 連合の参院選のまとめでは「2013年・各地方連合会の組合員登録数と連合組織内候補者9名の都道府県ごとの得票数について」という項目がある。これによると、連合の013年の全国の組合員総数は約574万名。その中で各都道府県の連合組合員の投票率は全国平均で27・91%となっている。民主党が地方区で当選したのは北海道をはじめすべて複数区のみだが、東京5名区、大阪の4名区はゼロに終わった。ちなみに複数区で当選した道府県の組合員投票率は、20%台から40%台までで、ほぼ平均投票率と同じか、あるいはそれを上回っている。
 議席ゼロとなった東京は、連合組合員の平均投票率27・91%よりはるかに低い8・25%。全国最大の96万人の連合組合員数を誇りながら、この投票率の低さもまた、東京ゼロという大敗を招いた要因といえる。さらに議席ゼロの大阪でも同じ傾向が見える。39万人の連合組合員のうち投票率は16・89%。ここも東京に次ぐ低投票率だった。日本最大の東京、大阪の二大都市で、民主党は連合組合員からも忌避される存在となった。しかも投票率10%台以下というのは、47都道府県のうち東京、大阪のみ。最大の票田を失った後遺症は大きい。

 消費税、原発、沖縄、脱ダムなど、マニフェストを裏切り大敗した民主党だが、これを支持し続けてきた連合の政治姿勢も問われる。東京、大阪の連合組合員の民主党忌避感覚は、連合にとっても厳しい反省を迫るものだ。しかし比例区得票の堅調さを見れば、民主党は今後とも、連合と持ちつ持たれつの関係を続けざるを得ないことが見えてくる。いまや地方選で独自候補を出せない民主は、自公民連合という過去のパターンに逆もどりしている。だがこれでメンツを保っても、無党派層を中心とする有権者の目線からはほど遠い。民主党政権誕生時には51%の無党派層の支持を得たが、このままでは近い将来の二大政党に向けての戦略は描けないまま推移することになろう。二年後の地方選、三年後の衆参同時選挙での民主党復調はかぎりなく遠い。

●野党勢力結集の可能性と三党勉強会発足

 民主党政権が発足するまでは、自民+公明の与党勢力と民主+社、共、国民、新党日本という野党勢力の対抗関係だったが、07年、みんなの党の出現によりその構造が変化した。国民、新党日本はほぼ消滅、社民党も今回の参院選で史上最低の比例区126万票にとどまり、消滅寸前となった。軸のみえない民主党中心の野党勢力結集は極めて困難な状況となったといえよう。
 昨年12月の衆院選民主惨敗を受けて、しきりに野党結集が叫ばれたが進まなかった。原因の第一は、その要になるべき民主党中央の無策である。まだこの時点では参院第一党だった民主党がやるべきことは、姿勢を低くして小沢氏らも含めた近い身内に協力体制を求めるべきだったが何もできない。維新やみんなとの野党共闘も、31の一人区では、現職がいる選挙区でも他党に譲るくらいの迫力が必要だった。しかしこれまた無為無策で競合した結果、一人区では、沖縄の糸数氏をのぞく30選挙区で敗北した。
 また参院選挙の争点となり得た「脱原発基本法案」も結局は生活、緑の風、みんなが中心となり民主は法案提出に踏み切れなかった。連合を支持基盤とする候補者を抱える内情がそうさせたと言えるが、ここでも野党をまとめ争点を絞る機会を失った。もはや脱原発、あるいは原発ゼロは民主党議員個人の選挙がらみのスローガンでしかなくなった。すくなくとも脱原発に本気で争点とするのであれば、昨年の衆院選前に国会に提出した「脱原発基本法案」の国会上程、委員会審議—可決という方策もあった。しかし何等の動きもしめさず、政権与党過半数という中で、その本気度を問われ衆参とも選挙敗北の一因となった。

 参院選後、野党再編成の動きはあるが遅々として進まない。参院選直後の7月末、民主党の細野豪志、日本維新の会国会議員団の松野頼久、みんなの党の江田憲司の3幹事長が、野党再編に関する勉強会の立ち上げを検討していた。その後、みんなの江田氏が、渡辺党首に事実上解任された。細野氏も参院選の責任を取って辞任ということで一頓挫の感があった。みんなの党の渡辺氏は持論の政策の一致無くして再編は野合であり得ない、との姿勢だ。渡辺氏は政策の一致した政党で連立を組む「政党ブロック連合構想」を掲げており、再編成に走る議員へは「反党行為」と締め付けを強めている。
 ようやく10月9日、民主党の細野豪志前幹事長、日本維新の会の松野頼久国会議員団幹事長、みんなの党の江田憲司前幹事長と、民主、維新、みんなの若手らによる「DRY(ドライ)の会」メンバーが、都内のホテルで初めて合同で会合を開き、連携を確認した。江田、細野、松野3氏は行政改革や規制改革に関する勉強会を15日の臨時国会召集後に発足させる予定で、9日夜の会合には勉強会の事務局をつかさどる民主党の笠浩史元文部科学副大臣も加わった。DRYの会は15日に「新しい社会保障制度を確立し、世代間格差を是正するための研究会」(新世研)の設立総会を開く。夜会合には維新の橋下徹共同代表ら在阪党幹部に近い馬場伸幸衆院議員や、みんなを“追放”された柿沢未途衆院議員ら新世研発起人メンバーらも合流。総勢14人が集結し、さながら新党結成準備会の様相を呈した。(産経013・10・10)民主党は、憲法改正問題でも消費税でもTPPでも自民や他の野党と大差なくなっている。この勉強会が果たして三年後の衆参ダブル選挙に向けて、新たな野党再編成のきっかけになるか注目したい。

●公明の国際協調路線と自公連立の存在感

 公明党は、昨年衆院選での比例区票712万票(投票率59%)を今年の参院選では757万票(投票率52%)と増やした。投票率低下のなかでも、変わらぬ比例区得票を維持しており、それが選挙区選挙で自民候補を押し上げた。012年の衆院選完勝とともに政権与党としての重みと存在感を持つにいたった。しかも憲法改正問題では、改憲発議三分の二を過半数にという安倍首相の提案に反対し、事実上の撤回に追い込んだ。また集団的自衛権や憲法九条改正には消極的であり、安倍政権もこれを無視することはできない。また靖国神社への閣僚参拝にも批判的であり、国際協調路線という姿勢は一貫している。
 世間ではあまり知られていないが、参議院一人区や、小選挙区の選挙では、自民党はもはや、公明を支える創価学会員の運動力なしには選挙できない体質となっている。参院選における自民の比例区票は1846万票、これにプラス公明757万票。これがばらばらな野党に対する一人区での勝利の方程式なのだ。自民単独では野党に勝てない状況は長年続いている。安定的な支持票を持つ公明との選挙協力なしには衆参とも一名区の選挙では勝利できない。今回の参院一人区も公明との選挙協力で30選挙区での完勝が可能になった。公明は自公政権における与党歴は10年を経て、内政における社会保障政策の充実と、外交国際路線における国際協調路線の強化という軸をもとに、政策の実現について官僚組織への影響力も高まっている。

 矢野絢也元公明委員長は、月刊誌の論文で、池田亡き後の公明は健在だろうと、要旨以下のように述べている。「池田名誉会長は、この三年間姿を現さないが、それでも公明党は与党であり、選挙には勝ってきている。結果として『ポスト池田』の予行演習をすでに行っていて非常に上手く運んでいる。ともあれこの三年間、公の場に池田氏は姿を見せない。その存在感の希薄さは、これからの学会と公明党の盤石を物語ってはいないだろうか」。(月刊新潮013年8月号「池田大作のかくも長き不在」)
 こういう公明党の自公連立政権での立ち位置に、石原維新代表は不快の念をあらわにしている。口癖のように「憲法改正の邪魔になる公明を切らなければダメだ」と公然と公明批判を繰り返している。苛立ちに近い石原の公明批判はそれだけ公明党の実力と存在感を評価していることでもある。橋下維新は公明との関係では、大阪の3選挙区を維新が候補者を立てないで事実上、全員当選を保障した経緯がある。これが9月17日からの政治決戦となった堺市長選挙の公明の自主投票につながった。また自民党本部は堺市長選挙で大阪府連の推薦要請を却下し、一段格下の支持ということで決着した。維新との決定的な対立はしないということだ。

 憲法改正問題では、最も右翼的な石原、橋下維新に安倍自民党は親近感を抱いている。それにこたえるように、橋下氏は、当初は沖縄にたいして同情的な姿勢で、「基地を大阪でも受け入れるべき」「オスプレイの受け入れも」などと発言したが地元首長の反対でとん挫。そして沖縄に行ったとたんに、普天間問題ではすべての保革首長、議会が県外移転を決議しているのを承知しながら「土下座してでも普天間基地の辺野古移転をお願いしたい」などと口走る。民主とおなじく沖縄の民意を無視した日米同盟重視の姿勢を露骨に示した。
 昨年の山口県知事選挙では、当時、橋下氏のエネルギー政策のパートナーだった飯田哲也氏が脱原発で立候補したが、維新の支持を決めなかった。これは安倍対するエールを送ったことだ。安倍はそういう橋下を憎からず思っている。維新は競合する存在ではなく、最も強力な同盟軍なのだ。橋下氏は、公明には大阪の衆院選挙で恩を売り、表面的には自民を叩きながらも、水面下でつながっている。愛知の河村市長との衆院選での共闘の約束を一夜で反故にして石原と組んだところに、保守本流との接点を求める橋下流の権力指向が見て取れる。堺市長選挙で、橋下維新は手痛い一敗を喫したが、自民にとって痛くも痒くもない。参院選でもそうだったが、維新を離れた支持者の票は自民に流れる。今回もそうだ。堺市長選挙で市長を取り、補欠選挙で市議2名を当選させた。維新が勝っても負けても自民は損をしない選挙だった。公明党とは連立10年余で、相互利用で安定政権をつくる。維新とはまた別の価値観で水面下でつながる。自民党という保守本流の強さを見る思いだ。

 (筆者は公害問題研究会代表)

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