希望としての抵抗闘争

【沖縄・侃々諤々】

希望としての抵抗闘争
県知事選に思う“あまりの落差”

毛利 孝雄


 県知事選投票日11月16日20時、パソコンを立ち上げ「沖縄タイムス」「琉球新報」のHPにアクセスして“その時”を待った。投票終了と同時の「オナガ当確」配信。辺野古の現場を支えてきた人たちの顔が一瞬頭をよぎる。この県知事選で思ったことを二つ書いてみたい。

■オール沖縄—なぜこのような力が成立し持続するのか
 まず思うのは、なぜ沖縄に、あえていえば沖縄にだけ「オール沖縄」に象徴される力が成立し、かつ持続するのかということ。とりわけ「本土」の私たちは、それを自問し続けることが大切と思う。
 新崎盛暉さん(沖縄大学名誉教授・沖縄近現代史)は、少し前になるが「オール沖縄」について次のようにコメントしている。
 「“オール沖縄”というのは、単に、政治的な保守・革新を超えて、という意味ではない。様々な多様性を持ち、内部矛盾を抱えながらも、抑止力とか、負担軽減とか、軍事的な地政学上の優位性とか、沖縄振興策いう言葉の持つ欺瞞性を実感し始めた人たちが、社会の大多数を占めてきたということである。それは、沖縄戦を起点とする沖縄現代史の、民衆抵抗闘争史の集積の結果である」(「沖縄タイムス」2013.12.28)。
 4人に1人が亡くなった沖縄戦の体験、諸権利を自らの手で闘いとってきた27年間のアメリカ占領期の体験、「復帰」後も変わることのなかった米軍基地の現実。これらは、沖縄戦後社会の基層を形成し、特徴づけてきた。しかし一方で、アジア太平洋戦争の記憶の継承や、戦後民主主義のもとでの憲法的価値の実現などは、「本土」においても通底する課題としてあったはずである。
 ところが戦後70年を経て沖縄が到達した「誇りある豊かさ」に対し、「本土」が到達したのは「アベノミクスと集団的自衛権」である。その“あまりの落差”にがく然とさせられる。どのようにしてこの落差を埋め、沖縄に共振しうるか。問われているのは「本土」民衆運動だ、ということに自覚的でありたい。

■辺野古18年・高江8年・普天間2年—沖縄民衆運動が紡ぎ出したもの
 もう一つは、辺野古・高江・普天間という直接行動の存在する意義が大きいこと。それが基地問題を可視化し、県内外の人々の思いをつなげてきた。
 とりわけ2014年7月からの辺野古の工事強行をうけて、「本土」の津々浦々で取り組まれている沖縄関連の集まりは、数え切れないほどに増え、しかも継続している。その中で気づくのは、どの地域にも辺野古や高江、普天間ゲートを訪ね、短い期間でも現地行動に参加し、交流を持ってきた人たちがいて、自宅に戻ってから草の根の活動を支えていること。辺野古18年・高江8年・普天間2年の闘いは、まちがいなくこうした活動家を全国に排出していったのだ。沖縄民衆運動の力が「本土」の世論をわずかではあっても確実に変えつつあると感じている。
 古い話になるが、1960年の三池闘争では、当時の総評が全国からオルグ団を現地に派遣し闘争を支えた。72年沖縄闘争では、“高原闘争”を組み連日のデモが国会を包囲した。いまそのようなことを望むことはできないが、辺野古・高江・普天間、その現場に立ち交流を重ねる中から生み出された、新たな質を持った民衆自身がつくり出す連帯の力—そこに希望をつなぎたいと思う。私自身もまた、その中の一人として生きることができたらうれしい。

(もうりたかお:定年退職後の2011年から2年間、沖縄大学に学ぶ。憲法を生かす会、60代、埼玉県行田市)


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