【コラム】海外論潮短評(111)

脱真実の世界
― 平然と嘘をつく政治家の跋扈跳梁 ―

初岡 昌一郎
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 ロンドンの『エコノミスト』9月10日号がその解説欄「ブリーフィング」で「脱真実の政治」(Post Truth Politics)に関する長文の記事を掲載している。また同号の論説欄のトップでもこの問題を論じ、「嘘の技術」の隆盛を現代政治の憂慮すべき特徴として警告を発している。トランプの米大統領当選によって、「脱真実の政治」が本格的に現実化しようとする今日、世界的な傾向に対する考察と批判を同誌の両記事から要約的に紹介する。

◆◆ 政治家が常に嘘をつくという通説で、真実の放棄を容認できるのか

 大統領選挙中に、トランプ共和党候補は「オバマ大統領がイスラム国(IS)の創始者で、民主党ヒラリー・クリントン候補が共犯者」と主張した。保守派の報道解説者ヒュー・ヒューイットが「これは文字通りの意味ではなく、オバマの拙速なイラク撤兵による空白がISを生み出したことを指している」と述べたのに対し、トランプは「そうではない。彼こそがISの創始者だという意味だ」と明言した。
 クリントン嫌いで知られるヒューイットもこれには納得せず、「彼らもISを嫌っている。それを潰そうとしているではないか」と反論したが、「そんなことはない。彼が創始者だ。イラクから米軍を脱出させたのは創始者だからだ。OK?」とトランプは一歩も譲らなかった。このやり取りは、世界が「脱真実の政治」の時代に入っている、明らかな例証の一つである。述べる言葉が有権者にウケさえすれば、それが現実と関係があるかどうかはトランプにとって問題ではない。「都市における犯罪率は歴史的な最高記録」という彼の主張も、根拠のない多くの言説のもう一つの例だ。

 脱真実の政治の突出した実践者は彼だけではない。イギリスは露骨なエセ情報によるキャンペーンの結果、国民投票でEU離脱を決めた。「EU加盟はイギリスにとって毎週3.5億ポンドの負担なので、これを国民健康保険に振り向けろ」とか「トルコが2020年にEU加盟する」などの嘘がまかり通った。

 これまでも多少の誤魔化し珍しくもなかったし、政治が真実と同義的にとらえられてもいなかった。マキャベリは「偉大な王侯はその言葉を守るべきものとは考えず、そつのなさと狡知によって人心を欺く術を知っている」と書いている。「脱真実」という概念を今更事新しく用いているのは、政治が常に汚れたビジネスであったことに無知なリベラルや政治的な負け犬であると一蹴することは容易である。しかし、それは知的怠惰の言い訳にすぎない。

◆◆ 事実に優先する感情とフィクション

 感情が事実をたやすく打ち負かし、ウソがこれまで以上に抵抗なく受け入れられる政治に移行するケースは、欧米だけでなく随所に見られる。新技術による情報の氾濫によって一般大衆はこれまでよりも事実に対する信頼を失っており、これが一部政治家による虚言の乱用を進化させ、嘘に対する追求逃れを助長している。このようなことが続けば、社会的な問題を解決する手段としての真実のパワーは限りなく失われてゆく。

 かつては、政治的なウソとは真実を隠蔽するという意味であった。証拠、一貫性、調査研究が政治的なパワーであった。今日、ますます多くの政治家とその取り巻きにとっては、もはやこれが当てはまらない。彼らは、「もっともらしさ」、「正しく見える」、「真実はこうあるべき」という観念に依存している。彼らは真実よりも情報の「由来と出所」を問題とし、嫌いなものすべてを信じない。こうして、願望と事実の告げることとの乖離が説明できないほど拡大するときに持ち出されるのが「陰謀説」だ。

 こうした思考方法は斬新なことではない。19世紀には「ユダヤ人陰謀説」が流布されたし、1950年代にはアメリカのマッカーシズムが「赤狩り」を多用した。ブッシュ大統領時代の9.11事件について左翼の間で「やらせ」説がささやかれたし、アラブ世界では今日様々な陰謀説が飛び交っている。

◆◆ 脱真実の政治に見るお国柄 ― 守るに難く、壊すに易い「真実」―

 脱真実の政治は世界各地で驀進中。ヨーロッパの典型的な例は、ポーランド与党のウルトラ民族主義的「法と正義」党(PIS)である。この党が売り込んでいる煽情的なおとぎ話の一つが、同国のポスト共産主義的指導者が「共産党と共謀して同国を支配してきた」という主張である。トルコでは、2013年のガジ公園での抗議と最近のクーデタ未遂事件が様々な陰謀説を生んでいる。政府高官が流布している一説はドイツのルフトハンザ航空が資金を出したというものであり、与党はCIA陰謀説を唱えている。
 ロシアも内政と外交で明らかに脱真実の政治に移行した。ウクライナでは幼児が十字架で火あぶりにされているとロシアの官製テレビは伝えているし、プーチン大統領が明白な証拠に反して「ウクライナにはロシア兵がいない」と広言している。ソ連時代の嘘にはもっと一貫性があったという批判が出ている。プーチン側のジャーナリストは「事実ではないが、あらゆることはありうる」と弁解している。「何を喋ってもそれに見合う現実を創造できる」そうだ。

 人間は必ずしも真実の追求を好むものではない。多くの研究が示しているように、自分の好まない真実を回避する傾向がある。同じように、自分の好む嘘をたやすく信ずる。好例は、「イラクの化学兵器保有」説をアメリカ政府首脳が詮索なしに信じたことだ。それが嘘と分かってからも、「サダム・フセインは保有していたがそれを隠し、アメリカ兵が到着する前に破壊した」と信じる人たちが少なくなかった。

 このようなバイアスから見ると、政治においてさえも真実を大事にする人たちがいるのをむしろ驚くべきかもしれない。多くの社会は真実性について一定のコンセンサスのある制度・機関を形成してきた。学校、科学的専門機関、司法制度などがそれである。しかしながら、これらの真実保証制度は完全なものと程遠い。証拠や裏付けなしに物事の「真実」をそれらが確定しうるので、それによって利益をうる人たちに乱用される危険が常にある。現行制度の致命的な弱点は、真実の判定には時間がかかりすぎるのに、その破壊が迅速に行われうることだ。

◆◆ 信認の低下は政府・エリートの責任だが、その責めは新旧メディアにも

 脱真実の政治は、公共空間に二つの脅威を与えている。それは、下部構造を支える諸制度への信頼喪失と世界の知識が公衆に伝える手段の重大な変化から生じている。

 公共諸制度に対する西欧社会における信頼はかつてないほど低下している。このことが、現状をもっともらしく説明する“正統派”政治家よりも、怪しげなタイプの指導者が好まれることを説明している。最近の世論調査によると、イギリス人は床屋や街頭の一般人たちのほうが、財界指導者、ジャーナリスト、政府閣僚よりもはるかに信用できるとみている。イギリスのEU離脱が国民投票で容認されたのは、大衆がいわゆる「専門家」の意見に飽き飽きしていたからだ。

 専門家に対する信頼喪失は多岐にわたっている。例えば、ダイエットに対する専門家の助言はまちまちで、まったく整合性がない。同じように、政府の説明も始終食い違い一貫性がないだけでなく、しばしば大きく間違っている。かれらのイラク侵入の理由、金融制度の信頼性、ユーロの導入についての説明は、全く信用できなかった。それだけではなく、諸制度に対する信頼性を失わせるような誹謗中傷が意図的になされてきたことを指摘しなければならない。

 「ポスト・トゥルース・ポリティクス」という言葉は、アメリカの気候変動対策に関してはじめて用いられた。1990年代に多くの保守派は、炭素排出削減の経済的コストに警戒感を抱いた。これらの人たちは、科学的所見に不安定な歪みのあることを強調し、環境政策の必要性に疑問を投げかけた。環境科学の所見が真実に程遠いと強調し、科学者の意見に挑戦した。ある調査によると、気候変動が生じていないとみる民主党支持者が10%であるに対し、共和党支持者では43%に上っている。

 第二の点である情報伝達では、今日テレビのトークショーとインターネットが政府や専門家の見解を圧倒している。これを利用する保守的なポピュリストたちは、自分たちの偏見のみを信じさせようとするトランプ的なキャンペーンを繰り広げてきた。アメリカの代表的な世論調査機関「ピュー調査センター」の最近の調査によると、米国人の約3分の2がニュースをソーシャルメディアから得ており、その数は上昇中である。
 問題はこれらのメディアにニュースのチェックや編集の機能がないことである。ソーシャルメディアは確証のないニュースを垂れ流すだけでなく、仲間内相互間の信念を固めるために矛盾する情報をシャットアウトし、異なる意見を封じ込めるために集団的な行動に訴える。このようにしてフリンジ(片隅)にある意見が正面に押し出され、持続的に拡大され、他の意見を排除してゆく。

 オンラインでつながる集団の自己増殖は、周辺的亜流の動向ではもはやない。その中から「インターネット活動家」が登場し、主観的情報や特定政治傾向のニュースを積極的継続的に発信、拡散に努めている。それらの多くは感情的扇動的で、真実であるかどうかはほとんど問題にされない。

◆◆ 真実の政治にとって険しい道筋

 情報源がバラバラになってきたことも、タコツボ化した社会集団とバラバラになった社会と相関関係がある。このような社会では、嘘、噂、ゴシップが恐るべきスピードで広がる。オンラインで広く共有される嘘がそのコミュニティ内ではメインラインのメディアの報道よりも信用されている。自分の考えと矛盾する証拠を示されたときに、人々は信念よりも事実を放棄する傾向を持っている。

 これまで報道の主流であった新聞などの在来メディアは斜陽傾向にあり、財政的に苦しくなり、受け身に回っている。他の人たちの発言を報道するだけでなく、その真実性について記者たちが意見を述べることが必ずしも可能ではなく、不適切とさえみなされている。経済基盤が崩れつつある競争市場条件下で、常習的なウソツキを告発し、理非曲直を明らかにして敵をつくるのは、既存メディアにとって容易なことではない。旧型メディアがこの関門を乗りこえるのは困難であると同じように、現在登場しているニューメディアがそれに取って代わる信頼性を獲得する可能性は低い。

 現状では、残念ながら脱真実の政治がこれからも当分は続くと見なければならない。これに対抗するためには、民主主義的主流派政治家が真実を重視する声をはっきりとあげ、自らの行動をそれによって律するべきである。これまでの驕りの反省と謙虚さが、出発点での信頼回復に役立つはずだ。相手によって異なる約束や言辞を弄する政治家は、インターネットの時代に生き残れない。政治家が会議出席記録と発言内容、政治献金、メールのやり取りなどを秘密のベールに覆って済ませる時代ではなくなっている。

◆ コメント ◆

 大衆化社会がポピュリズム政治の温床になることはこれまでも再三警告されてきたので、決して目新しいことではない。しかし、これが今日ほど憂慮される事態は、第二次世界大戦以後かつてなかった。両次世界大戦間の「危機の20年」(E・H・カー)時代に出現したファシズムという「新時代の波」に不気味に相似する政治状況が、世界の将来に対する深い懸念を惹起している。

 大衆社会を分析、定義した古典的な著作である『大衆の反逆』(オルテガ・イ・ガセット、1930)によれば「大衆とは、よい意味でも悪い意味でも自分自身に特殊な価値を認めようとせず、自分はすべての人と同じであると感じ、そのことに苦痛を覚えるどころか、他の人と同じであると感ずることに喜びを見出しているすべての人のことである」。このような大衆を「エリート」と対置し、その対立を扇動し、ファシズムを先導したのが極右翼とそれに追随するエセ知識人だった。共産主義もこのような大衆の存在を極限まで利用した。
 ガセットによると「特殊な能力が要求され、それが前提になっているはずの知的分野においてさえも、(資格と資質のない)エセ知識人がしだいに優勢になりつつある」状況が言論界や政治分野で生まれた。「指導的な立場に立った凡庸人は自己満足の結果、外部からの一切の示唆に対して耳を貸さず、自分以外の人たちのことを考慮に入れなくなる」。そしてこのような指導者は「あらゆることに介入し、自分の凡俗な意見を何らの配慮も内省も遠慮もなしに」貫こうとする。

 同じ時代について書かれた『ヨーロッパ労働運動の悲劇』(アドルフ・シュトルムタール)は、右翼の攻撃に対し左翼が守勢に回り、現状擁護勢力として終始したことを分析し、そこから敗北の貴重な教訓を引き出した。1958年に岩波書店から出版されたこの本を学生時代に愛読し、大きな影響をうけた。
 左派政治勢力の伝統的な基盤であり、極右勢力に対する対抗力として強大に見えたヨーロッパ労働運動が脆くも崩れ去ったのはなぜか。それは労働組合運動が組合員の狭い経済的利益を代表することに終始して、危機に直面しても勤労大衆の広い社会的経済的な利益を体現する行動をとらず、政治的影響力を行使しなかったからである。これが社会主義(第二)インターナショナルの機関紙編集者であり、ナチに追われてアメリカに亡命したシュトルムタールの問題意識であり、また結論であった。この教訓は、「受け身に終始することでは勝てない」という一般的な教訓として今も生きている。

 しかしながら、労働者の階級としての社会的意識的一体性が失われている現代において、左派政党や労働組合にのみかつてのような先導的役割を求め、その組織的現状を高踏的に批判するのは見当違いで、ないものねだりに過ぎない。労働組合や政党の先駆的な指導性やその可能性についての幻想を捨て、市民社会が有する可能性を生かした、現代にふさわしいより自主的自立的な市民的政治参加の作法を重視すべきであろう。でも、政党や労働組合など既存の組織そのものを排除、否定、あるいは軽視した運動が持続的でありうるとは思えない。伝統的な左派的勢力と市民的な運動の対話と協力の新しいスタイルが必要だ。

 戦前の脱真実の政治は独裁と世界大戦を生み出し、壮大な犠牲を伴う悲劇に終わった。歴史の二度目は「喜劇」として登場するというが、今開かれている歴史の第二幕を喜劇に終わらせることができれば幸いだ。そのためには、われわれが観客席で座視せず、逆流に抗する多様な輪を市民社会において広げる他に道はない。

 (姫路獨協大学名誉教授)


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