【投稿】
有閑随感録(6)

我が身は神保町預かり①

矢口 英佑


 定年後の身柄を、ある小さな出版社に預ける形になって、かれこれ一年近くになろうとしている。ただ、それまでの長年にわたって身に染みついた仕事のニオイは、そう簡単に消えてくれそうにもない。ただし、消そうとしているわけではないのだが、時として、考え方そのものや、目にするモノへの反応が、前職時代と少々変わってきている、と思うことがある。
 こうした変化はこれまでとは異なる具体的な違いの認識があって、それが私の感性に及んでくるらしいこともなんとなくわかってきた。こんなこと、別に大仰に言うほどのことでもないのだが。一例を挙げる。

 身の預け先が神田神保町にあって、その仕事柄、机の前に座り続ける時間が前職時代よりずっと長くなってきている。パソコンの画面を見続ける時間もずっと長い。こうした事態は実は予想していなかった。前職の方がずっと座り続けていたし、パソコンにも長く向き合っていたと思っていたからである。
 今になってわかったのだが、前職では授業だ、学生や教員と面談だ、会議だ、打ち合わせだと立ったり座ったり、研究室を出たり入ったりと結構、動き回っていたのである。ところが現在は、社長と、あるいは執筆者との打ち合わせぐらいで、それを除けば、パソコンの前からやむを得ず離れる用事はそう多くない。

 一種の緊張を伴う面談も会議もない生活からの解放、教学に関わる各部署からの要求や指示を伴った、したがって速やかな返事が必要なメールからの解放がこれほど私をリラックスにさせてくれるとは考えてもいなかった。もちろん、現在の身の預け先にも協議や意見交換が必要な場合もある。でも事前に議題、集まる時間、場所、出席メンバーなどが決められているわけではない。決めるべきことが生じれば、それが打ち合わせの時となる。参加人数は最少二人からせいぜい三、四人まで。場所はすき間があればどこでも。立ちながらもあり、喫茶店になることも、という次第である。ただし、一つだけ条件がある。社長なしには成立しない。
 そして、ほぼ即断、即決、即実行となる。モヤモヤした感覚が残らないから当然、ストレスも溜まらない。問題解決のために打ち合わせをし、前に進めているという思いが社員にあるため、職場には活気がある(と、私は前の職場と比較して感じている)。

 沈滞を続ける出版業界で働く人たちの賃金は、一部を除けば前職の業界で働く人たちが知ったらおそらく信じないだろうと思うほど低い。今の職場も例外ではない。収入は多いほどいいはずである。年金生活者になり〝500円亭主〟となって、つくづくそう思う。しかし、定年以前の会議のための会議、不毛な協議、後退を余儀なくさせる(と、これまた私が感じる)決定が少なくなかったことから生じるストレス職場など、もう思い出したくもない。あのような職場から得られる金ならいらない、とも思っている。

 人間が生きていることに押しつぶされないためには、一定程度のお金はなくてはならない。しかし、まさに〝人はパンのみで生きているわけでない〟ことを、現在、我が身を置いている場所でしっかり教えられている。
 ある一つの仕事に取りかかると、著者と、組み版会社と、デザイナーと、製版会社と、宣伝広告の資料作りと、マスコミへの対応といったように、すべてを一人の担当者が行うシステムは、見本刷りが届けられたときの達成感は言葉では表現できない。その時の喜びと安堵感は、他人にはわからないかもしれないが間違いなく生き甲斐を与えてくれる。私も僅かだが、嬉しいことにこの喜びと安堵感を経験できるようになってきている。
 ストレスをあまり感じないのは、一つの仕事が一冊の本として刊行されるまで、すべてを任され、編集者同士がそれを認め合っているからだろう。

 気持ちの持ちようが変われば考え方も変わる、とはよく言われるが、まったくその通りのようだ。そのためか、自分は「研究者」という、かつては色濃く染まっていたと思われる認識というか、位置づけが私の中でズレ始めている。「研究者」などという肩肘張った(と、この頃は思う)言い方は、私にはなんだか恥ずかしいし、もはや不要だと思い始めている。
 そのためか、私がかつて大学の教員だったと知ると、たいてい「何がご専門だったのですか」と訊かれる。相手の方はちょっとした外交辞令のつもりなのだろう。「おいでなすった」と内心では思いつつ、私が口籠っていると、私をその人に紹介した社長(多くが社長に呼ばれて同席するため)が手短に、時には私に関わるある話題に絡ませて紹介することになる。最近はこうした質問には、私は前職時代の専門領域を言うだけで、その他は、ほとんど説明せず、「なんだか遠い昔のことになってしまいました」で終わらせることにしている。要するに自分の研究してきたことを話す自分が嫌になってきているのだ。

 こうした私の中の変化を私自身は大いに楽しんでいる。ただし長時間、椅子に座り、パソコンの画面を見続ける私の肉体には歓迎したくない変化も起きてきている。
 それは腰痛と目の痛みである。これに打ち勝つ手段は何か。私が出した作戦は・・・サボタージュ。
 かくして私は午後、時には社長と、あるいは他の社員も一緒に30~40分程度、神保町界隈、北の丸公園、皇居東御苑公園などへ散歩に出かけることが多くなっている。そして、社長が一緒であれば、会社近くでコーヒーを飲んで、無駄話でない無駄話をしてから帰社。我ながら思う。これで何か文句を言ったらバチが当たると。

 (元大学教員)

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