【オルタの視点】

戦争というもの(3)
― 歴代の戦争犠牲者を「数」から考える ―

羽原 清雅


 第2次世界大戦以後70年にわたって、日本が参加した戦争は皆無だった。戦前に比べると、様変わりの経験だった、と言えよう。なぜ、そのような変化の大きい環境になったのか、はいろいろ考えなければなるまい。

 そのことに触れる前に、明治維新以降の、日本が関わった戦争の犠牲者について見ていきたい。戦争による物質的な損害は別として、「日本の兵士の死」が主に語られがちだが、「相手国の兵士の死」、「双方の民間・非戦闘員の犠牲者」などは、数的に正確には把握されていない。戦争の規模が大きくなればなるほど、そうした「死」という数は把握されなくなっている。
 また、戦争の招く死の波紋というものは、死者だけにとどまらない。死者の身辺、周辺の人々にもたらされる影響も、もっと考えなければならない。働き手を失うことによる生活上の影響にとどまらず、精神的な悲しみなどを含めたら、きわめて大きく、深いものがある。しかし、それは死に追い込まれたそれぞれの家族・家庭ごとに個別に分散されがちで、必ずしも「戦争の反省」に結びついていない。

 戦争のもたらす「苦」「悲」「負」が再び繰り返されてはならない、という反省の土台として生かされていない。戦争に持ち込む為政者、権力者の意識に、そうした思いがなく、政治・外交の基軸にも、兵士やその家族たちが抱えることになる苦しみへの思いがない。
 このような立場から、戦禍としての「死」「軍事費」の状況を過去の戦争のなかに見ていきたい。

◆◆ 日清戦争 <1894年8月-95年4月>

 日本: 死者 1万3,824人 (戦傷 3,973人)
         内訳  戦死・戦傷死   1,567人
             病死      1万2,081人
             変死        176人

 清国: 死者 3万5,000人(正確には不明)

 ・ 日本軍の動員24万のうち、72%に当たる17万余人が海外に派兵。
 ・ 戦争終了の下関条約で日本に割譲された台湾で、清国兵士や台湾人が蜂起した「乙未(いつび)戦争」も含めると、脚気の患者は4万余で、朝鮮、清、台湾も含め1割が死んでいる。コレラや腸チフスの伝染病、消化器疾患、赤痢、マラリアなどによる死者も多かった。「戦死」は、異常な環境から病死などの大量な死をも招く。
           <防衛ハンドブック(朝雲新聞社)、ウイキペディアによる>

◆◆ 日露戦争 <1904年2月-05年10月>

 日本: 死者  11万5,621人 (負傷 15万3,584人)
         内訳  戦死・戦傷死 8万8,429人
             病死     2万7,192人

 ロシア戦没者 4万2,628人 (負傷 14万6,032人)
         内訳  戦死     2万5,331人
             戦傷死      6,127人
             病死     1万1,170人

 ・ 日本の動員は約30万人、ロシアの動員は50万人と言われる。これをもとに考えると、戦没率は約30%、10人に3人が死んでいる。
 ・ この戦争で、約25万の脚気の患者が出て、病死のほとんどは脚気が原因と見られた。当時、陸軍の兵食は白米、海軍は麦飯で、脚気の原因をめぐって陸軍軍医総監の森鴎外と、海軍軍医の高木兼寛との間で論議のあったことはよく知られている。
 ・ この戦争に勝った日本は、自信をつけ、国際的にも発言力を増し、また軍事力の重要さを学び、戦争による醍醐味を感じ取った。国民もまた、時の権力者の施策を許容、評価して追随の姿勢を強める。軍事力が国益を増し、日本の底力が国際的に認められ、その発言に誇りを抱く。次第に過大な自信を持ち、弱い立場の後進的な国や民族を蔑視し、帝国主義諸国に並ぶ植民地政策の推進が望ましいものと信じるようになる。「井の中の蛙大海を知らず」の、新興成金の体質が身についてくる。
 ・ 日本は多大な血を流して「王道」を進んだのだ、といった危険で、身につきやすい風潮に染まっていく。一歩踏みとどまって考えようとせず、権力になびきがちな衆愚性が育っていく。資源小国、人口過密な日本の土台を踏まえることなく、狭い過信のなかで危険な第一歩を踏み出した、と言えよう。
           <ウイキペディア、人間自然科学研究所などの資料による>

◆◆ 第1次世界大戦 <1914年8月-18年11月>

 連合国犠牲者: 514万3,000人(露170万、仏135万、英90万、伊65万、米11万、ルーマニア33万、セルビア4万、日本300など)
 同盟国犠牲者: 338万6,000人(独177万、オーストリア・ハンガリー120万、トルコ32万、ブルガリア8万など)
        852万9,000人
           <出典は上記と同じ>

 ・ 日本は当初の中立の立場から、ドイツへの宣戦布告をして参戦。中国・青島の戦闘、ドイツの握る南洋諸島進出、地中海派遣などもあったが、概して護衛・輸送・救助などなどだったため、総じて犠牲者は少なかった。ただ、動員兵力は80万と多かった。
 ・ 青島でのドイツ人捕虜4,700人を、徳島、広島、千葉などに収容している。
 ・ 日本にとってのこの大戦参加は、日中戦争、対米戦争に進むひとつの布石になった。
  戦勝に酔う日本戦略は、国民的支持を得たが、結果的に大きなマイナスを招いた。
  戦争というものが、新たな戦争を生む。第1次大戦での賠償に苦しんだドイツが、ヒットラーの台頭を許し、第2次大戦を日本などとともに仕掛けることになった事例が典型的だ。戦争から派生する、次の戦争拡大の火ダネ、あるいは他国に与える怒り、自国の権益への欲望と誤った施策、などの一端を挙げておこう。

 ① 対華21ヵ条(大戦初期の1915年1月)という横暴な対中要求を進めたこと
 ② ドイツによる山東省や南洋の権益継承、関東州租借や南満州鉄道権益の延長など、武力行使の誤った国益確保の道に進んだこと
 ③ 朝鮮の3・1独立運動、中国の5・4運動(1919年)など国際動向不理解のこと
 ④ ロシア革命(1917年)に便乗して、シベリア出兵(1918年)を決定したこと
 ⑤ 大戦景気は「成金」層に戦争利益を得たが、多くの国民が戦後恐慌に苦しんだこと

◆◆ ① 第2次世界大戦 <1939年9月-45年9月>

 枢軸国犠牲者:   870万人(日本230万、独422万、伊30万、オーストリア25万、他163万)
    市民死者   453万人(日本80万、独267万、オーストリア93万、伊13万)
         1,323万人(オーストリア93万にはユダヤ系市民65万を含む)
 
 連合国犠牲者:  1,913万人(ソ連1,360万、中国350万、ユーゴ50万、ポーランド12万、仏20万、英14万、米29万、その他78万)
    市民死者  2,447万人(ソ連700万、中国971万、ポーランド591万、ユーゴ121万、仏40万、英24万)
         4,361万人(ポーランド591万にはユダヤ系市民270万を含む)

 アジア諸国犠牲者: 912万5,000人(朝鮮20万、台湾3万、フィリピン111万、ベトナム 200万、ビルマ15万、マレーシア・シンガポール10万、インドネシア400万、インド150万、豪2万3,000、ニュージーランド1万2,000)

   総 計:   6,546万5,000人
           <人間自然科学研究所による>

◆◆ ② 第2次世界大戦 死者と行方不明者数(推定)

 枢軸国:  673万1,706人(日本256万、独325万、伊38万、オーストリア22万など)
 連合国: 1,009万8,052人(ソ連611万、中国150万、ポーランド55万、米54万、英40万、ユーゴ30万、仏24万、蘭23万など)
 総 計: 1,682万9,758人(負傷2,669万人=枢軸国825万、連合国1,844万)
           <Collier‘s Encyclopedia 1963による>

◆◆ ③ 第2次世界大戦の、日本人の地域別戦没者概数

 硫黄島        2万1,900    西イリアン            5万3,000
 沖縄         18万6,500    東部ニューギニア         12万7,600
 中部太平洋      24万7,000    ビスマルク、ソロモン諸島     11万8,700
 フィリピン      51万8,000    中国東北部(ノモンハン含む)   24万5,400
 タイ、マレーシアなど 2万1,000    中国本土             46万5,700
 ミャンマー      13万7,000    アリューシャン(樺太、千島も)  2万4,400
 インド        3万0,000    ロシア(旧ソ連、モンゴルを含む) 5万4,400
 北ボルネオ      1万2,000    その他(韓国、北朝鮮、台湾、ベトナム、
 インドネシア     3万1,400      ラオス、カンボジアなど)   10万7,800
             合計 240万1,800人
           <厚労省、「海外戦没者の戦後史」浜井和史による>

◆◆ ④ 日中戦争、太平洋戦争の日本軍人・軍属の死没者、負傷者

 死没者 (1937-41年日中戦争)     陸海軍とも 18万5,647人
     (1942-48年日中、太平洋戦争)      155万5,308人
             (陸軍 114万0,429人/海軍 41万4,879人)

 負傷者 (上記と同じ)         陸海軍とも 32万5,806人
     (同)     30万9,402人
             (陸軍  29万5,247人/海軍  1万4,155人)
           <総務庁「日本長期統計総覧」による>

 ・ ①~④の日中戦争、太平洋戦争のころの数字を列挙したのは、統計がさまざまで、また統計項目やその範疇が明確ではないので、なにを信用したものか、わからないためである。ほかにも、各種の統計を見かけた。
  統計以前の問題としては、戦闘地が拡散し、敗残・撤退を余儀なくされて遺体や不明者を放置せざるを得ず、さらに軍部や政府の機能低下や敗戦隠し、あるいは大本営発表に見られる戦勝アピールのデータ改ざん、などもあっただろう。
 ・ 日清、日露のころは、郷土史などには町村、地区別の戦死者の名前や員数などの記載があるものが少なくなかったが、戦争規模の拡大、大量殺戮兵器の普及、戦没者の増加などで、記録の整理まで手が回らなくなったこともあるだろう。

 ・ 第1次、第2次大戦と地球規模の戦乱の拡大で、とにかく膨大な死者を生み出した。2003年のイラク戦争あたりから機械化による近代戦争に変貌し、直接的な戦闘から遠距離からの敵対国攻撃が可能となり、大国が仕掛けて弱小国の被害が増大する傾向になった。同時に、相手国への無差別攻撃により、多数の民間人を殺害することにもなった。

◆◆ ① 戦前日本の軍事費の増大 <1868年明治維新後から1945年終戦まで>

画像の説明

           <大蔵省決算書、などによる>

◆◆ ② 各戦争の軍事費総額

 西南戦争            4,171万3,000円
 日清戦争          2億3,240万4,000円
 北清事変            4,360万2,000円
 日露戦争          18億2,629万円
 第1大戦・シベリア出兵   15億5,368万7,000円
 山東出兵            6,827万4,000円
 満州事変          18億8,338万4,000円
 日中・太平洋戦争    2,036億3,634万1,000円
          <総務庁「日本長期統計総覧」による>

・ 死者を「数」から見ていると、この「死」の周辺には何倍、何十倍もの哀しみの集積がある。なぜ死ぬことになったのか。なぜ戦闘員でもない市井の人々が犠牲になるのか。なぜ攻められ、侵略された側の人々が犠牲になったのか。
  そこに浮かんでくるのは、やはり人間としての尊厳を黙殺する「国家」の存在である。「国家」は国民の生命財産を守るものだ、という。だが、ほんとうにそうなのか。
・ 徴兵制度を設け、家族のため、国民のために戦おう、という。安全保障のため、専守防衛のため、と言い、法律によって無制限に戦域を拡大する。国民の税金である国家予算の7割、8割を軍事に消費する。

・ 「国家」はほんとうに「個人」を守るものなのか。数字に見えてくる虚しさから、もう一度「国家」、そして国家の名目で差配してくる権力というものを見直さなくていいのだろうか。「国家」と「個人」と、どちらが大切なのか。「国家」を生かすために兵士は死に、「国家」がごく普通の庶民たちを守るどころか、戦争被害者にする。
・ 国民の税金が、戦争にために70、80%も使われる。戦争という生産性を伴わないことに巨額のカネが投入され、日常の生活向上に結びつく投資は失われる。それでも、戦闘に使われる一時的、消耗的な兵器や弾丸などの生産がもたらす「景気」の恩恵を受ける軍需企業は、権力者の周辺にあって戦争を支持する。だが戦後になると、各種の生産活動は規模、需要が縮小して、つねに恐慌を招く歴史に学んでいない。いわば、戦争は刹那的である。
・ そうしたことを、これまで整理してきた戦争犠牲者の「数字」から感じざるを得ない。

◆◆ 主な世界の戦争・大規模武力紛争による犠牲者数

  戦争・紛争          年 代   死者数  非戦闘員犠牲者の比率
 --------------------------- --------- ---------- ---------------------
 南北戦争(アメリカ)     1861~65    82万     24%
 第1次大戦           1914~18  2,600万     50%
 第2次大戦           1939~45  5,354万     60%
 中国国共内戦         1946~50   100万     50%
 朝鮮動乱           1950~53   300万     50%
 ベトナム戦争         1960~75   235万     58%
 ビアフラ内戦(ナイジェリア) 1967~70   200万     50%
 カンボジア内戦        1970~89   122万     69%
 バングラデシュ分離独立    1971     100万     50%
 アフガン内戦(ソ連介入)   1978~92   150万     67%
 モザンビーク内戦       1981~94   105万     95%
 スーダン内戦         1984~    150万     97%
          <レスター・R・ブラウン「地球白書1999-2000」による>

 (これらの数字は必ずしも的確ではない。たとえば、朝鮮戦争の犠牲者は韓国約240万<うち軍98万>、北朝鮮約292万<うち軍92万>、国連軍約15万、中国約90万<うち軍18万>などの数字もある=人間自然科学研究所)

◆◆ その他

 18万とも24万とも言われる沖縄の犠牲者、14万などとされるヒロシマ・7万と言われるナガサキの犠牲者、負傷者、あるいはその周辺で心身に傷ついた方々の、一つひとつ、1人ひとりのケースを見ていけば、そこには数限りない非生産的な哀しみが残されている。
 これ以上、数字を拾い上げることはないだろう。 

               ・・・・・・・・・・・・・・・・

・ 戦争は、国家、民族、宗教といった立場からの強い自己主張に始まる。政治や外交に当たる者たちがもし、『人類』という視点を多少とも持ったら、戦争という手段を考えるときに、多少の躊躇も感じるのではないか。
  地球の温暖化についても、国家の発展状況、自国産業の展開ぶりなどの利害の視点から離れ、『地球』の将来という視点から考えると、利害損得以外の思考も出てくるのではないか。
 つまり、あまり狭い、おのれのみの視点に立つものは、権力や利害責任者にふさわしくない、と感じる。
・ 男性と女性の格差についても、その前にまず『人間』を考え、人間のなかにふたつの性があり、それぞれに特性があるのだ、と考えてはどうか。男性と女性に優劣をなくし、それぞれの特性を生かす、たがいのその特性を認め、尊重する、という風潮を高めてはどうか。起点を『人間』とする考え方だ。憲法にうたえば、発想は大きく変わっていたのではないか。
・ なかなかそうはならないものであることを承知で、戦争というものをさらに考えていきたい。

 (元朝日新聞政治部長)

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