戦後70年 — わたしはこう考える

【戦後70年を考える(4)私にとってのアジア】

戦後70年 — わたしはこう考える

石郷岡 建


 第二次大戦が終わって2年後、1947年9月、私は生まれた。父親が戦地から帰還して、母親と結婚してできた子で、当時は「復員っ子」(帰還兵の子どもたち)といわれた。のちに、「団塊の世代」と呼ばれ、戦後70年の日本の発展とともに生きてきた中核世代でもある。

 父親は戦争末期、学徒動員(大学生の緊急戦争動員)の一人として、フィリピンのマニラに送られた。さらに、ビルマ(現ミャンマー)とインド国境地帯のインパール作戦(膨大な犠牲者を出した無謀な作戦で、死者の大半は餓死と病死だった)への転戦を命じられた。当時、連合軍は東南アジア全域を優勢に戦っており、直接ビルマへ移動するのは不可能だった。父親は香港経由陸路でビルマへ行くように命ぜられた。マニラを出港する際、満州(現中国東北部)からの関東軍気鋭部隊とすれ違った。部隊はフィリピンで全滅したという。
 父親の乗った輸送船団はマニラを出て、北のバシ—海峡で、米空軍の攻撃を受けた。船団は爆撃され、次々と船が沈んでいった。輸送船の甲板で立ちすくむ青年将校が真っ青な顔をしながら夜の海へ埋没していった姿を、今も忘れないという。生き残った船団は、香港どころではなく、台湾にたどり着くのが精いっぱいだった。父親はそのまま台湾の最南端の地で米軍を迎え撃つことになった。しかし、米軍は、フィリピンのあと、台湾を飛び越し、硫黄島と沖縄(いずれも日本軍の玉砕戦の地)へと向かった。もし、米軍が台湾へ上陸していれば、父親は生きておらず、私の誕生もなかったはずである。

 その父親も8年前、87歳で死去した。死の直前、高校時代の同窓会関係者に「戦争は二度とすべきではない」と必死になって訴えた。最後の言葉だった。
 あと数年もたつと、父親のような戦争体験者は、ほぼいなくなる。それどころか、父親の戦争体験を聞いた私も、気がつくと70歳に近く、残り少ない人生を送っている。戦争を、直接的にも、間接的にも、知らない世代が大半となっている。日本が米国と戦争をしていたことを知らない若者もいるという驚くべき時代だ。私も、「先生、冷戦って、どういう雰囲気だったのですか? 私の生まれる前の話で、ピンときません」と学生からいわれて、唖然としたことがある。第二次大戦どころではなく、すべてが遠い昔になりつつある。

 最大の問題は、第二次大戦後に作られた東アジアの秩序が今崩れつつあることだ。戦後南北に分断された朝鮮半島も、冷戦が終了した今となっては、過去の遺物であり、遅かれ早かれ、新しい枠組みが必要となるだろう。
 そして、戦中・戦後を通じて、必ずしも、主役の役割を果たしてこなかった中国が、今や東アジア全域に大きな影響力を持つ。近い将来、経済力では米国を上回り、アジア地域では決定的な役割をする可能性が強まっている。
 戦後、連合軍を中心に作られた戦後処理体制は、今、全般的な見直しが迫られている。それが日本近海の竹島(独島)、尖閣諸島(釣魚列島)、北方領土(南クーリル諸島)のほか、南シナ海の西沙諸島(パラセル諸島)、南沙諸島(スプラトリー諸島)の領土問題の台頭の背景にもなっている。連合軍が戦後の混乱の中で、アジアの人々を抜きに作った秩序体制への疑問であり、反論でもある。

 今後、米国などの主要連合国の地位が下がり、あるいは影響力が低下していくと、東アジア世界では古い秩序に代わり、新しい秩序を求める声が高まる可能性が強い。新しい国際秩序の台頭の予感でもある。単に戦後処理体制の見直しに留まらない問題と危険な対決エネルギーを秘める。そして、誰もが深追いすると危険だと思いながら、無視はできないという不安定な気持ちにある。
 アジアの政治、経済、軍事バランスは、かってないほどの勢いおよびスピードで変わりつつある。この70年間の変化よりも、もっと大きな変化の波が押し寄せてくる可能性が強い。

 一方で、大戦の経験者が去り、新しい世代が育ち、70年前に席巻したアジア太平洋地域の戦乱への思い出は消えつつある。戦乱のイメージは、抽象的で、かつ現実感を喪失している。ナショナリズムを背景にした正義感や正統意識だけが強調され、軍事を含む対立・緊張関係が拡大したらどうなるのか、という最悪の事態への想像も思慮も脇に追いやられている。
 東アジア地域では、中国内戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争など、この70年間、様々な紛争や対立が繰り返されてきた。そして、今後も、紛争は続くのかもしれない。それでも、第二次大戦のような百万単位で戦死者や被害者が出る戦争への芽は摘むべきだと思う。

 欧州では、第二次大戦への反省から和解が進み、各国の首脳が、勝者も敗者も並んで、記念式典に参加できる状況までたどり着いている。安全保障を欧州規模で話し合う場も作られつつある。少なくとも、突発的な衝突が全面的な軍事対決に発展しないように模索すべきだとの考えは共有され始めている。
 東アジアでは、このような動きは、残念ながら、まだ進んでいない。お互いの立場を理解するという基本姿勢を共通価値観とし、東アジアの将来を考えねばならない時代がすぐそこまでやってきている。戦後70年のあとに、再び大きな悲劇を起こしてはならない。その準備を始める時がやってきたと思う。

(筆者はジャーナリスト)

※本稿の英文縮小版は日本英語交流連盟のブログ「日本からの意見」に8月4日、掲載されたものです


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