■ 揺れる政局のキーパーソン           船橋 成幸

ためらわず、政権交代の王道を!

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  ことし10月、革新政治運動の大先達 江田三郎の没後30年・生誕100年
にあたるということで記念の集会と出版が企画され、私もその一齣として、敬愛
の念をこめて『江田三郎への手紙』を何人かの仲間とともに執筆した。『手紙』
といっても、私の場合、故人に対して没後30年間に生じた国内外の主な出来事
を報告する形をとったのだが、それを脱稿したのがちょうど参議院選挙の直後と
あって、選挙の結果、新たに生じた政治変動の意義を十分に捉えることはできな
かった。
  『手紙』では、「安倍内閣はすでにレームダックに過ぎず、自民党の大勢は・・
できるだけ早い機会に首相の首をすげ替え、『党刷新』の装いを凝らして世論の
逆転を狙おうとする方向に流れています」と記したが、現実の局面は、そんな私
の予想をも大きく超える様相と速度で変動した。

安倍首相は、所信表明演説直後の何とも間の悪いタイミングで辞任。その無責任
ぶりが非難の嵐を呼び、危機感を募らせた自民党各派閥の領袖による談合のあげ
く、総裁選の形を経て福田康夫を後継首相とし、自公連立政権を代替わりさせた。
自民党の親分衆は、小泉・安倍首相のような国家主義的イデオログーの臭味を拭
い、「癒し系・調整型」と目される福田の政治スタイルで参院選挙が示した厳し
い民意に対応、新たな政権イメージで未曾有の難局を乗り切ろうと考えたのであ
ろう。自民党のオハコである「振り子の原理」の作動と言えるかもしれない。だ
が、それがうまくいくほど今回現われた「ねじれ」といわれる国政の構造は生易
しいものではなかった。

 自公政権は、議席の数の力で思い通りに法律をつくり、政治を動かす条件と可
能性をこれから最短でも6年、あるいは9年もの間、あきらめるしかないと見る
のが参議院選挙後の常識となった。国民の多くが、衆議院のコピーといわれ続け
てきた参議院がしっかりと機能するようになり、議会制民主主義の本来の姿が現
われることを期待した。
  私もそれを受けて、前記の『手紙』では本格的な「政策競争の時代」の到来を
予想し、今後は衆参両院間、与野党間の「調整、妥協、対決」が交錯、(政策の)
選択を世論に問うという新たな政治環境が現われるだろうと記していた。そして、
その半面、「民主党にスキが生じれば」「野党分断・政界再編の策謀やハプニング
解散のような事態が起こりうる」ことも「想定のうちに含めておくべき」と述べ
ていたのだが、現実は残念ながら、政権側の策謀に民主党の党首自らが乗じられ、
大きなスキを見せてしまったのである。  
 
小沢民主党代表が一時的にせよ「連立につながる政策協議」の誘いに乗ろうと
し、党の総意によって拒絶されたことから辞意を表明、それに対して党幹部こぞ
っての慰留というドタバタ劇を演じたことは、民主党にとって思わぬ痛手となっ
た。参院選挙を通じてこの党に寄せられていた国民多数の支持と期待には、冷水
が浴びせられた。
  小沢代表は何ゆえ、自身の政治生命にもかかわる危険な選択を、しかも自ら率
いる民主党がかつてない高揚の勢いを示していた時期に、あえてなそうとしたの
だろうか。
  何人かの大物フィクサーに乗せられたとか、「壊し屋」のクセがまた出たのだ
とか、そうした批評が多く噴出した。それらをすべて的外れとは言えないまでも、
大方は皮相の現象批判に過ぎないのではないか。私は、ここで福田首相や小沢代
表のホンネがどこにあったとか、確かな根拠もなく「ハラ探り」をやるつもりは
ない。そんなことよりも、辞意表明時の会見で小沢代表がメディアを通じて国民
に説明した内容に重い意味を感じ、それをまともに受けとめることから行論に当
たりたい。

 小沢代表が福田首相との会談を応諾、連立につながる政策協議に踏み切ろうと
した最大の理由は、「国の安全保障政策の極めて重大な転換」の確約を信じ、期
待したことにあったと代表本人が言っている〔11月4日、辞任願い提出直後の
記者会見〕 その「転換」の内容は、(1)国際平和協力に関する自衛隊の海外派遣
は国連の決議によるものに限ることとして、特定の国の軍事作戦は支援しない、
(2)新テロ特措法案は連立が成立するならあえてこだわらない、というもので、こ
れを福田首相が「確約」した。だから「この一事をもってしても政策協議に入る
べき」と、小沢代表は判断したのだという。そして、政策協議を通じて連立政権
に加わることは、マニフェストで国民に示した諸々の生活課題にかかわる約束を
実行し、「民主党政権の実現を早める近道」だと考えたと言うのである。
党首会談の結末が不首尾となったあとでこそ「転換の確約」について福田首相の
言いぶりは否定的だが、すくなくとも小沢代表がそうと信じ込むような言質を
(たぶん会談前から)与えたのであろうと想像はつく。

だが、それがどうであれ、小沢代表による「説明」をそのまま読み解くならば
自衛隊の海外活動に関する政府方針と憲法解釈の転換こそ党首会談の眼目、主題
であり、連立につながる政策協議の話は政権側から持ち出された付随的な課題だ
と、代表自身は認識したということになろう。その主と従の軽重判断がおかしい、
逆ではないかと見るのは傍目であって、小沢代表はそれなりの論理と発想法で党
首会談を応諾、連立をも可とする理由づけを行なったのである。
  私は、小沢代表のこの判断の根底には独自の「国連中心主義」があったように
思う。その意味するところを一言で言えば、国連決議に基づく国際平和維持の活
動は日本国憲法の規定外〔フリー〕の活動であり、したがって海外での武力行使
を含む場合でも、わが国は兵力の提供などあらゆる手段で参加することが可能で
あるとする主張、これが小沢一郎氏の持論であり、多年にわたって貫いてきた政
治信条にほかならない。

 その発端は、1990年11月、国連平和協力法〔PKO法〕案をめぐる与野
党協議を当時の小沢自民党幹事長が仕切ったときからではないかと私は見てい
る。あのとき、「国連中心主義」を謳い、「非軍事・民生分野の国連活動に自衛隊
とは別個の組織で協力する」という自公民3党合意に社会党が(理もなく)強く
反発して協議途中で離脱、法案はいったん廃案となったいきさつがある。その後
92年に土井委員長を継いでいた田辺社会党委員長があらためて3党合意の線
に同調しようとしたが、時すでに遅く、同年6月、PKO法は90年の「合意」
を超えて自衛隊の海外派遣に関する規定を明文化し、結局、自公民3党と社会党
が激突するなかで成立した。
 
翌93年6月、小沢氏は自民党を離れて新生党を結成、同年8月、細川非自民
連立内閣を樹立するため積極的な役割を担ったが、社会党との確執が解消したわ
けではなかった。94年4月の羽田内閣からは社会党が外れ、同年6月末に結成
された自社連立の村山内閣には、小沢氏らの新生党など非自民野党が厳しく対決
した。それ以降、小沢氏は新進党、自由党の党首を経て2003年9月、民主党
に合流、07年4月からは党代表をつとめている。
  この過程で、小沢氏は自らの「国連中心主義」に関する主張をしばしば公にし
てきた。例えばその代表的な一つに『文芸春秋』99年9月号に掲載された「日
本国憲法改正試案」がある。そこでは占領下で強制された憲法は本来無効だとし
て、天皇元首論や参議院の無権力化などの主張とともに、独自の国連中心主義を
展開、国連常設軍の設立と自衛隊の積極的参加をも唱えている。この小沢自由党
党首〔当時〕の所論に対して民主党幹事長代理をつとめていた鳩山由起夫氏から、
ほぼ全面的に厳しい批判が加えられたこともある(前掲誌同年10月号)が、小
沢氏の主張の基軸は変わらないまま今日に至っている。

 こうした経過を振り返ってみると、「国連中心主義」に関する小沢氏の思い入
れが尋常ならず深いことがよく分かる。代表辞意撤回後の今日にいたっても、小
沢代表は、連立参加に応じようとしたときの「政治判断は今でも正しいと思う」
と言い切っている〔11月16日『朝日』インタビュー〕 正しいと思うけれど
も、民主党としては認められないから断念して総選挙準備に専念するという。そ
してテロ特措法に代わる新法には、たとえ給油・給水活動に限定されようとも,
国連決議に基づくものでなければ原理原則の異なる問題となるので政策協議の
対象にはできず、あくまでも反対を貫くというのである。

 正直な話、私は小沢代表のこのような発想法、割切り方がよく分からなかった。
そのため参議院選挙直後の局面では、アフガン戦争支援の給油活動が日本の政局
を揺るがす直接最大の争点になることを予想できず、前述の『江田三郎への手紙』
ではあえて触れなかった。小沢民主党が関係法案を本当につぶすまで闘うのか、
それとも何らかの妥協に落ち着くのかは予見不可能と見ていたからである。そし
て、それがどうであれ、民主党が年金や格差など生活関連の課題で市民の共感を
得られる闘いを真剣に進めるならば、次の総選挙でも勝利する道は開けるに違い
ないと、私は単純に、安易に考えていた。
  ところが、その見通しは大きく外れた。テロ特措法と新法をめぐって政局が異
常に緊迫、そこから党首会談、連立への動きまで現われたのはまったく予想外で
あり、この事態の片鱗さえ思い浮かばなかったのは私の不明であった。その点は
反省しなければならないが、他方、小沢流の「国連中心主義」や「連立が政権へ
の近道」とする主張には驚くばかりで、あらためて深い疑問が生ずるのを抑える
ことはできないのである。

 疑問の第一は、小沢代表が主張する「国連決議に基づく平和維持活動への自衛
隊参加」という、その具体的なケースが今後いつ、どんな態様で現われるのかが
見えないことにある。近年、多国籍軍に参加のイラク派権は別として、わが国の
自衛隊が国連決議に基づく要請を受け、PKO法によって東チモールやネパール、
コンゴ、ゴラン高原などに派遣された事例はあるが、それらはほとんど数名規模
の選挙監視要員であり、紛争後の兵力引き離しへの監視活動であり、唯一400
名を超える派遣となった東チモールでも、主たる業務は道路、橋梁などのインフ
ラ整備に集中していたのが実態である。小沢代表の想定がその範囲内にとどまる
ものだとは考えにくく、「国連決議のもと憲法の枠外で恒久的に兵力の提供が可
能な平和維持活動」などと言われると、話が大きく違ってくるように思う。かつ
て鳩山由紀夫氏は「この国連中心主義は現実の国連の姿を無視した理想の話」で
あり「常備国連軍構想はしょせん絵空事」だと評したが、私はむしろそれに共感
する。
 
さらに現実的に見れば、いま日本周辺で平和に対する最大の脅威は北朝鮮の核
問題だといわれるが、それはすでに交渉による解決のプロセスにあり、かりにこ
じれても、国連(まず常任理事国)が一致して日本に兵力による「平和維持活動」
を求めるような事態は最も想定しにくいことである。また、中東の産油国と日本
を往来するタンカーや商船に対して海賊、麻薬取引、海上テロなどの危険も言わ
れるが、これらは関係沿岸諸国への外交努力と、その了解のもと海上保安庁など
による日本の警察活動で対処すべきであって、大袈裟に「シーレーン防衛」など
と戦略問題化すべきことではない。
  もちろんグローバルな見地から平和維持のために貢献するという課題は重要
だが、その方策を平和憲法を歪めてまで軍事に結びつけねばならない必然性・必
要性はなく、現にNGOをはじめとする非軍事的貢献の多様な活動が、国際的に
も高い評価を受けつつ経験を重ねている。

 第二は、「政策協議を通じた連立参加は政権への近道」という小沢代表の認識に
対する疑問である。その前提として「次期総選挙情勢の厳しさ」や「民主党の政権
担当能力の不足」を代表は指摘したが、そうした弱点をまったく否定はできない
までも、だから連立だというのは飛躍であり、あまりにも主体性のない話ではな
いか。弱点があればこそ、それを直視して克服の努力を強調するのが、政権への
道を先導すべき党指導者の責務ではないのか。
  連立の効能として、前記の安保問題のほかにも、さまざまな生活課題をめぐる
公約の実現を挙げているが、そもそも今日の市民生活の困窮や格差をもたらした
元凶は自公政権であるとし、それゆえに政権交代の目標を掲げ、厳しい政策・政
治対決を進めてきた野党としての行動原理はどうなるのか。また、政権交代の実
現を目前にひかえ、日本における政治的民主主義の成熟がようやく確証されよう
とするとき、連立ないし大連立への志向は、あたかも「大政翼賛会」的レジームへ
の復古・転落につながるのではないか。
 
さきの参議院選挙で民主党に期待し、2400万票を投じた有権者は、政治体
制のこのような逆行を決して求めはしないし、許すはずもない。しかも実際に連
立を組もうとすれば次期総選挙での小選挙区制は成り立たず、中選挙区制などに
変えようとしても大混乱は必至で、それぞれの党内で容認される見込みはきわめ
て薄い。
  私は小沢一郎氏ほどの有能な政治家が、これほど単純明白な問題を読み誤るこ
とはめったにあるまいと思う。だが、それならばなぜ、という疑問と不安は、小
沢代表が、党首会談のときの「政治判断は正しい」と言い続けるかぎり残らざるを
得ないのである。

 一方、大きな救いは、小沢代表が辞意表明後ギリギリの局面で党幹部の説得を
受け入れ、党首の座の維持継続に応じたことである。もしもこの強力なパワーを
持つ党首の「慰留」に失敗しておれば民主党内の混乱は測り知れず、参議院選挙
のせっかくの成果も大崩れする危険があった。それだけに、党幹部たちは危機回
避に努力の限りを尽くしていた。小沢代表も最後には、自己の存念や権限よりも
党組織の意思を尊重し、それに従う道を選択した。この経緯を通じて、民主党は
政権党としての未熟と動揺の側面を露呈した半面、その名にふさわしい「民主主
義の党」の内実をも確かに示し得たのである。
 
私はいま、前回総選挙のとき民主党が流したテレビCMの画像を思い起こして
いる。嵐の中、荒れ狂う風雨に船長が舵取りの手を離して吹き飛ばされそうにな
ったとき、船乗り仲間ががっしりと支えて危機を乗り切る場面である。偶然では
あろうが、あの画像は、今回の顛末と今後の民主党における党運営のあり方をみ
ごとに示唆していたと思う。
  民主党の寄り合い世帯的性格にはそれなりにポジティブな側面もあり、一枚岩
の団結を強いて求める必要はないが、党の存在意義がかかるような正念場を迎え
たとき、共通の目標で互いに深く協力する関係は不可欠となる。その関係を保障
する原則が党内民主主義であり、それが欠ければ、政権獲得も安定的持続もおぼ
つかないことを民主党は今回の出来事から深く学ぶべきである。

 次期総選挙への情勢について小沢代表は「極めて厳しい」と述べている。自民
党のしたたかさを百も承知の立場から油断を戒める発言としては適切だろうが、
傍目で見れば、いまの政治情勢が基本的に野党に有利、与党に不利ということは
明らかと言えよう。自民党は前回の郵政選挙で「勝ち過ぎ」ており、参議院選挙後
の「ねじれ」国会で従来型の政治手法を著しく制約されている。また、福田内閣
は厳しい財政状況のもと、年金・社会保障や格差対策のほかさまざまな政策ニー
ズに追い立てられ、つぎつぎに深刻な問題をひろげている。加えて給油支援新法
のめども立たないのに防衛汚職の泥沼に足をすくわれ、ほとんど立ち往生の状態
にある。このまま解散・総選挙を強行しても、与党側が3分の2超の現体制を維
持するどころか、過半数獲得さえ安易ではあるまい。
 
この現状を踏まえるかぎり、民主党をはじめ野党陣営が次期総選挙で一挙に政
権交代を実現するか、あるいは政権への至近距離に接近するか、いずれかの展望
が現実性を深めていることは確かだと思われる。
「次期総選挙で政権交代を実現できなければ、死んでも死に切れない」 これも
小沢代表の言である。覚悟のほどは分かるが、私は、たとえいっきに政権交代と
いかない場合でも、絶望する必要はまったくないと思う。民主党と野党
が参議院の多数体制を維持しつつ衆議院でも大きく前進し、古い表現だが「瞰制
(かんせい)高地」を制するならば、この数年内に漸次的に政治・政策運用の主
導権を侵食し、安定的な「政権への近道」を選ぶ可能性は強く残るはずである。

 さらに小沢代表は、次期総選挙の目標として「ベストは民主党で過半数、次善
は野党で過半数、三善は民主党が第一党」とも述べており、この「三善」あるい
はそれ以下となった場合、またもや何ごとか起きるのではないかと、マスコミで
話題になっている。つまり、政権側から見た場合、参議院の勢力関係が現状のま
ま与党が衆議院でどうにか過半数を得て政権を維持しても、3分の2を割れば再
議決の道すら閉ざされ、野党の同意なしにほとんどの法案を通すことができなく
なり、政権は機能不全になってしまう。それを避けようとして、衆参両院で野党
を分断し、安定与党体制を回復しようとする策謀が熾烈化するに違いないと言う
のである。また、野党側からも与党の分断を図り、いわば「調略」によって政権
交代を迫ることが可能となり、いずれにせよ総選挙後の政局は、戦国時代にも似
た調略合戦の様相を呈するだろうと見るのである。

もちろん、そのいずれの場合も、議会制民主主義の根幹である民意を離れ、それ
に背く邪道であって、そんな手法で政権を得ても安定を期待できるはずはない。
極端な悲観も油断もよくないことだが、いま考えられる最悪の事態は、日本の政
治が策謀の渦に巻き込まれ、議会制民主主義を底なしの泥沼に沈めてしまうこと
である。私は、とりわけ民主党が、そうした邪道をきっぱりと排し、政権交代の
王道をまっしぐらに進むことを強く願っている。

 この年末の政局は、給油支援新法反対と防衛汚職への追及を焦点に与野党の激
しい攻防戦となっている。ほかに年金や格差問題など、より大きな政策課題があ
るのにとの声も聞かれるが、いったん手をつけた問題で政府・与党と激突した以
上「振り上げた拳」を中途でおろすべきではあるまい。しっかりとケリをつけて、
それこそ「無原則な海外派兵」の道をふさぎ、防衛汚職の究明を徹底し、憤激して
いる世論に応えることが野党の当面重要な責務である。同時に、被災者救援法や
政治資金規正法などで与党側と道理のある合意づくりに努めてきたことは評価
できるし、今後も市民のニーズを受けとめつつ推進すべきである。また、200
8年度予算の編成にも、政府案決定の前から積極的に関与し、生活を守り向上さ
せる立場で、すこしでも修正や組替えの成果を積み上げる努力が大切だと思う。
そのための開かれた政策協議は大いに必要であり、市民の切実な願いに適うこと
だと言えるだろう。
 
だがもちろん。根本は政策競争である。年金・医療など社会保障の諸問題、階
層間・地域間の格差問題、財政・経済問題、教育と雇用の問題、そして安保・外
交問題などなど、与野党間の政策は各党のマニフェストを見ても隔たりが大きく、
基本的に対立する場合がすくなくない。
  だからこそ開かれた論争を通じて政策の優劣を競い、その争点を明らかにし、
選挙で有権者の選択を求めることが議会制民主主義の本旨となるのである。この
関係が従来は政権側の専横によって歪められてきたが、「ねじれ」といわれる参
議院選挙後の政治構造は公正な競争の条件を保障するはずである。年末から年明
けの国会を舞台に大いに論争し、政策を競い、解散・総選挙で選択を民意に問う。
その機会は、まぢかに迫っている。

 福田首相は突然の就任に際し、もともとは革新的運動から生まれた「共生」の
標語を横取りしたが、それを自らの施策で実態化する動きはまったくない。それ
どころか、小泉・安倍の路線につながる後ろ向き「改革」を基本的に継承する構
えである。だが今日の深刻な社会的・経済的諸矛盾は、かれらの「改革」がもたら
した市場原理の歪み、競争至上主義の帰結であり、共生とは対極の分裂と孤立を
深めるものに他ならない。また、グローバリゼーションの潮流のなかで「斜陽の
帝国」と化しているアメリカへの追随も、しばしば国際社会から孤立し、米軍再
編問題が示すように国益に背く場面すら招いているが、福田内閣がこれを是正し、
すこしでも自主・自立の気概を示そうとする気配はない。
 
こうした福田自公政権と正面から対決し、野党陣営をリードして政権交代を達
成、日本の現代政治史に新しい時代を拓くことが民主党の任務である。2008
年を通じて、政局は何が起きても不思議ではないほど波乱含みで、大揺れだと言
われるが、どんな状況、どんな問題が生じても、民主党は決してぶれずにこの任
務を全うしてもらいたい。
  そのトップリーダーである小沢代表は、さきの参議院選挙で「生活第一」を正
面に掲げ、地方・農村を重視するみごとな指導ぶりで歴史的勝利をもたらしてい
る。さまざまな批判はあれ、強力な指導性と政治力を身につけた稀有の政治家で
あることに相違はない。かれこそキーパーソンである。
「ねじれ」国会のもと、政局の行方を左右する鍵を小沢民主党が握っている。そ
の手にはまた、幾千万有権者の日々の暮らしから発する熱い切実な願いがある。

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