【戦後70年を考える(4)私にとってのアジア】

改めて朝鮮戦争の「開戦責任」を問う——戦後七〇年の反省

矢吹 晋


 キューバと米国の国交正常化は、むろん歓迎すべきことだが、一つひっかかるのは、これは米国が「北朝鮮との国交正常化」に失敗したダミーとしての性格をもつことではないか。オバマは就任直後にノーベル平和賞で迎えられ、その活躍に期待が寄せられたものの、結局は外交面で平和賞にふさわしい業績は何事も残せず、残された花道を飾る一輪をキューバ復交に求めたように見える。

 もし北朝鮮との国交正常化に成功して休戦状態に終止符を打ち、北朝鮮に残された米兵の遺骨収拾まで進んだならば、平和賞によりふさわしい花道となったに違いない。戦後七〇年が残した課題はいくつか数えることができようが、朝鮮半島の植民地支配について、戦後処理をいまだにできないことは、日本国民のいわば民族的責任として絶対に忘れてはならないものだ。

 オバマはレイムダック大統領として可能な最後の仕事としてキューバ復交を選んだが、もし金正日の急死と金正恩への権力継承という相手側の変化がなければ、六ヵ国会議を経て、米朝の直接交渉へ移行する可能性も大きかった。

 二〇一〇年一〇月に中国は周永康政治局常務委員を平壌に派遣したが、金正日は三日間の滞在中に四回も会見して、おそらくは資源開発等を含む具体的な密約を結んだと私は読む。周永康自身は二〇一四年夏に失脚したが、その周永康が「張成沢と中国首脳との密談」を金正恩に知らせたことが張成沢処刑(二〇一三年一二月)の直接的契機だとする見方が繰り返し語られている。

 二〇一二年八月一七日、訪中した張成沢と中国首脳との密談の核心が「韓国主導の南北統一工作を中国が容認する」ものであったとすれば、そこで地位の危うくなる金正恩が先に手を下したのも当然であろう。ともあれ北朝鮮問題は、解決の入り口に到達しながら挫折した。

 私は西ドイツが旧ソ連解体を奇貨として、東西ドイツの統一を見事にやってのけた政治的知恵を思うたびに、なぜ東アジアではポスト冷戦期に無為無策なのかを考え続けてきた。

 日中の衝突は二〇一〇年秋の中国漁船長の逮捕に始まり、二〇一二年には見識を欠く老醜政客の陰謀に乗せられ、尖閣三島の国有化なる愚挙を行い、四〇年来積み上げてきた日中関係を一挙に破壞した。老獪な自民党が避けてきた難題を、野党から与党になったばかりの民主党が乗せられたことに気づかぬままに陰謀の片棒を担ぐ。そして政権を失い、安倍チルドレン政権に道を開くとは、まことに衆愚政治のドタバタ田舎芝居に嘔吐を感ずるのみである。

 中国の北朝鮮問題専門家張瑰(中央党校教授)によれば「北朝鮮の核兵器、潜水艦ミサイル開発の標的には、中国も含まれる」し、そもそも今日の三八度線危機を生み出した元凶は誰なのかと、金日成の「開戦責任」を追及する声もしばしば中国で語られる。

 翻ってマッカーサーの占領政策を調べると、彼が朝鮮戦争勃発の前夜まで、ソ連や毛沢東の中国を参加国から外した講和条約を一顧だにしなかったことが米国務省資料に残されている(Memorandum by the Supreme Commander for Allied Powers, MacArthur, June 14, 1950,FRUS, 1950, Vol.VI, pp.1213〜1221.)。

 ポツダム宣言すなわち日本に対する無条件降伏を記した文言を忠実に実行して、日本の軍事力を徹底的に解体することが彼の課題であった。仮にソ連を「講和条約の参加国から外す」ならば、ソ連に日本占領政策に介入する口実を与え、ひいては北海道から東北地方への武力進駐さえ、招きかねないとマッカーサーは危惧していた。これを防ぐ軍事力は当時の米占領軍には欠如していたのだ。それゆえ当然の論理として、ソ連の軍事進駐を誘発する行動は絶対に避けることを警戒しつつ占領政策を進めていた。

 このようなマッカーサー流占領政策を最後の段階で挫折させたのが、金日成による武力南進であり、マッカーサーはやむなく、意に反して日本の再軍備を迫られた。最後までこだわっていた「ソ連抜きの対日講和」反対を断念し、ダレス外交に道を譲るほかなくなった。こうして第二次大戦における勇者マッカーサーは、冷戦の始まりと共に、舞台から消え去った。
 戦後七〇年に際して、痛恨の思いを禁じ得ないのは、「もし野心に幻惑された金日成の冒険を抑えることができていたならば」、という歴史の if である。そのような朝鮮戦争分析が共有認識として確立していさえすれば、ソ連解体の機をとらえて、南北朝鮮の対話から統一への道を探ることができたはずである。繰り返す。いまこそ朝鮮戦争の「開戦責任」を問うべきである。そこから講和への道を模索すべきである。拉致問題等を口実として排外ナショナリズムを煽るポピュリズム政治と決別すべき時である。
 (筆者は横浜市立大学名誉教授)


最新号トップ掲載号トップ直前のページへ戻るページのトップバックナンバー執筆者一覧