放射能雲の下で生きる  ~政府の原子力事故被災者棄民政策~

■ 放射能雲の下で生きる(2)

   ~政府の原子力事故被災者棄民政策~         濱田 幸生
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  • チェルノブイリがうらしましい--
    皆さんは、私たち日本の農家がチェルノブイリをうらしましいと言ったら笑う
    でしょうか?チェルノブイリと同じレベル7の原子力事故である福島第1原発事
    故の「その後」の政府対応を、農業面に絞って比較してみましょう。

●避難地区の人の避難移動
・チェルノブイリ・・・事故後直ちにバス1000台で住民全員が避難退避
・福島・・・・・・・20キロ圏内⇒30キロ圏内⇒屋内退避⇒計画的避難地域
⇒警戒区域と二転三転・大幅な避難の遅れ

●避難地区の家畜とペット類の避難
・チェルノブイリ・・人と同時に全頭避難完了(*家畜は4週間後)
・福島・・・・・・避難地域に放置し見殺しにして大量の家畜が惨死した。非難
を浴びて家保により薬殺処分。JA全農とNPOが主体で避難活動

●農産物出荷対策
・チェルノブイリ・30㎞圏内のミルクが流通
・福島・・・・・・従来の農産物輸入の規制値を改悪して暫定規制値としたため
にかえって風評被害を拡大

●汚染マップ
・チェルノブイリ・事故後直ちに空間線量と土壌線量の調査開始。数カ月後に集
団農場(コルホーズ)などに汚染マップを交付・地域集落ごとの地域汚染マップ
も同時に交付
・福島・・・・・・2カ月後から福島県のみで汚染マップづくりを開始・予算わ
ずか7億円のはした金。茨城、千葉などの近隣圏の予定なし。

●環境放射線量測定
・チェルノブイリ・同上。
・福島・・・・・・事故初動でSPEEDI情報を隠匿・非難を浴びて1カ月た
ってようやく気象庁、文科省のデータを出し始める・現在も詳細な地域線量計測
は県行政が主体

●除染活動
・チェルノブイリ・放射線量を中長期的に減少させる農業技術的手段を政府提供・
国家レベルで大規模除染活動
・福島・・・・・・なし。非難を浴びてようやく飯館村で小規模の「実験」を開
始・予算わずかに5億円。茨城、千葉などでの除染計画なし

●放射性物質放出の違法性認識
・チェルノブイリ・国家責任
・福島・・・・・「放射性物質は特定有害物質ではないので、放射性物質の放出
は合法である。従って放出した東電を罰することはできない」。(環境省見解)
従って、空間に放出しようが、海に放出しようがまったくの自由。

こうしてみるといかに政府がなにもしてこなかったのかがよく分かります。皮
肉ではなく思います。チェルノブイリがうらやましい。圧政下にあったと言われ
るソ連の農民は、今の日本農民よりずっと人間として扱ってもらっていたのでか
ら。

◇チェルノブイリ原発事故の避難実態


改めてチェルノブイリの避難状況について詳述いたします。1986年4月2
6日、ウクライナにあるチェルノブイリ原発4号炉で原子炉の暴走による重大事
故があったことはどなたもご存じだと思います。この事故はECCM(緊急炉心
冷却装置)が切られた状態での安全試験を行ったために、炉心が暴走を開始して
も冷却ができない状態になりました。

そして午前1時24分、原子炉制御を回復させようとする試みのすべてが失敗
し大爆発を起こしました。チェルノブイリ原発は、福島第1原発と違い原子炉を
収納する分厚い格納容器がなく、爆発は直ちに環境中に放射性物質を大量に吐き
出すことになりました。この事故により10日間にわたって放出された放射性物
質は2エクサベクレル、広島型原爆の500個分に相当します。

この爆発で、放射性希ガスであるキセノン133、クリプトン85は原子炉内
の100%が放出されました。他の希ガスとしてはヨウ素131が20%、テル
ル132が15%、セシウム134、137がそれぞれ10、13%放出されま
した。揮発性ガス以外の放射性核種の中にはストロンチウム89、90がそれぞ
れ4%プルトニウム238、239、240、241、242が3%放出されて
います。

今回の福島第1原発事故もそうですが、ストロンチウムやプルトニウムが検出
されたということは、燃料棒自体が融解していることを示すなによりもの証拠で
す。また致命的な中性子であるナトリウム24が検出されなかったのは不幸中の
幸いでした。しかし、この事故現場の放射線量は地獄というしかない線量に達し
ていました。この地獄の中で隣接する3号炉に延焼することを防いだ消防士たち
はマスクも防護服もない状況でこの地獄の釜の中に送り込まれました。

死亡した28名中17名が急性放射線障害でした。今回の福島においても政府
は意味のない爆発直後の原子炉上空からのヘリによる冷却水投下や、ぎりぎりま
で接近しての放水などを自衛隊員やレスキューに命じています。人類的災厄をく
い止めようとする隊員たちの尊い犠牲的精神に感謝すると同時に、これを平然と
命じた政府中枢に対して強い憤りを覚えます。

 それはさておき、チェルノブイリにおいて政府対策委員会は、3㌔離れたプリ
ピャチ市が事故直後の26日時点で、既にソ連国家放射線防護委員会の定めた緊
急避難基準であるガンマー線外部被曝25㍉シーベルト/hを超えると判断しま
した。この200ミリシーベルトというとてつもない線量は年単位の積算量では
なく、まさにその時点の毎時であることにご注目ください。当時政府のプリピャ
チ市放射線量は既に500ミリシーベルト/hに達することを示していました。

5月12日には500ミリシーベルトを避難基準として(ただし妊婦と14歳以
下の子供は100ミリシーベルト)避難を一部開始しました。 10日後の5月22
日には100ミリシーベルトを新たな避難基準とし、全住民4万5千名の避難措
置が取られました。脱出作戦にはバス1200台が投入され、27日午後2時か
ら開始され、5時に終了しました。この時、市民が緊急摂取したのがヨウ化カリ
ウム錠剤でした。これは希ガスであるヨウ素の体内吸収に対して効果を上げたと
されています。(*効果がなかったという説もあります。)

ソ連国防省中央陸軍医療部門は、生物物理学研究所の助けを借りて(線量計の
不足のため)250名の軍医を現地に派遣して医療活動と避難民の検査をしてい
ます。そのとき検診したのが1万3千名で、後に生物物理学研究所は10㎞圏内
の村の15万人を検診し、5月後半にはウクライナ15万名の子供の甲状腺の放
射能測定をしました。

結果、パブロフスキーの報告書によれば、村落部では避難が完了するまでに最
高で750ミリシーベルトの被曝があったとされています。つまり、プリピャチ
市の避難はスムースになされたが、その陰で同じ10㎞圏内であるトルスティ・
レス、チストゴロフカ、コパチなどの村落部の避難が遅れたために高い放射線を
浴びてしまったようです。 

また、ウクライナの隣のベラルーシ側での被曝状況もひどく、ホイニキ郡、プ
ラーギン村の18歳未満の子供たちの甲状腺線量は、実に3.2と2.2グレイ
にも上り、これはプリピャチ市の同年齢の子供の平均線量0.44グレイ、大人
0.15グレイを大きく上回りました。10㎞圏内のミルクの出荷が停止されな
かったために2次災害も引き起こしています。パブロフスキーはこのような避難
の遅れと避難基準の拡大を強く批判しています。

この事故直後の市内の避難活動のみが注目されますが、事故後100ミリシー
ベルト/h圏に多くの住民が取り残されていたことを忘れてはなりません。彼ら
が避難し終えたのは4週間後でした。事故後、被曝限界の基準が見直され、翌8
7年になって30ミリシーベルト/年、そして2年後に25ミリシーベルト/年
となりました。5ミリシーベルト/年になったのは、事故後4年。そして救済法
が成立したのが事故後6年後のソ連が崩壊した後の1992年でした。

◇原子力事故の直後、私はどのようなデータを求めて走ったのか?


風評被害から4カ月。どうにか回復してきていると言っても、いったん傷つい
た福島、茨城の農産物のイメージの回復にはほど遠いようです。こういう時にな
ると農家は妙に沈黙してしまいます。なんて言うのかなぁ、嵐が過ぎて行くのを
待つというのが体質のどこかにしみこんでいるんですね。私は3月15日の水素
爆発があった直後から仲間の農家に声をかけました。

「すぐに対応しないとダメだ。計測器をすぐに購入して線量を計って事実を確
認しよう。そして大丈夫ならば安全だと言おう」。だが首を縦に振る人はほんと
うに一握りでした。いやお前の言うことは違うというのではなく、う~んグニョ
グニョ・・・。まぁね、グニョグニョ、もうちょっと様子見んべぇよ、グニョグ
ニョ。ああ、また始まったかと天を仰ぎました。

大勢が見える時までは腰を上げないという日本農民病がこの千年に一回の時に
も出たのです。と言っても、それは農家として必ずしも間違った選択ではなかっ
たのかもしれません。先んじて走った私にも同じように「情報の壁」が待ってい
たからです。結局、私たちは村こと放射能風評被害の大渦に巻き込まれて行くこ
とになります。さて、この時点で必要なデータは3種類でした。

①3月15日以降数日間の飛散図・・・放射性物質が福島第1原発からいかな
   る飛散をしたのかを知る基本的データです。
②地域の空間放射線量・・農産物にフォールアウトした放射線量の目安になり
   ます。
③土壌放射線量・・畑の土にどれだけ放射性物質が降ったかを知る目安になり
   ます。

まず②の放射性物質のフォールアウト状況は、幸いにもあるていどの予測がつ
きました。(資料1参照)12年前の東海村再臨界事故時には、私はおっとり刀
で隣村のモニタリング・ポストまで駆けつけて、パニくっている職員と見せろ見
せないでやりあわねばなりませんでしたが、今回はリアルタイムで県の計測数値
が表示されていました。大変な進歩です。 「原子力安全対策課のページ」

次に①ですが、私はこの時点では残念ながら、よもや国が緊急時迅速放射能影
響予測ネットワークシステム(SPEEDI)という原子力災害時の予報シミュレーシ
ョン・システムなどというごじゃれたものを持っているとは知りませんでした。
そしてそこにははっきりと事故直後からの放射性物質の飛散の動きが刻々と表示
されているにもかかわらず、首相官邸の奥の院に隠匿しているなどとは夢にも思
っていませんでした。
私は政府の枝野「原子力担当安全広報官」が言う、「放射性物質の流出はあり
ません」というヨタを信じるほどウブではありませんでしたが、まさかまんま隠
しているとは思ってもみなかった。ああ、オレが甘かった。このSPEEDIの
飛散図には、隣県にまで及ぶ放射性物質の詳細な拡散状況が記されているといわ
れており、まさに当時私たちが喉から手が出るほど欲しい一次情報でした。

この隠匿により、福島第1からフォールアウトした放射性物質が、当時の風向
きにより、30㎞地点を超えて西北方向に伸びていたことが握りつぶされました。
(資料2参照)) これを知りながら首相官邸は同心円的避難区域に固執し続け、
飯館村、南相馬市などの避難が大幅に遅れるという致命的失敗をしました。

未だこのSPEEDIの生データは開示されておらず、もし3月15日からの
1週間の間にこれが開示されていたのならば、福島県内のみならず大きな影響を
受けた近隣県にとって緊急対応措置を取るための貴重なデータとなったことでし
ょう。
このように私たち農業者は、国から見放されたに等しい状況の中で手探りで対
応措置をとらざるをえなかったのです。しかも個々別々に。団体ごとに、時には
個人で。

私はこの3月中旬の時点で市農水課に、「一刻も早い組織的検査体制の構築」
を呼びかけました。しかし、検査機関が満杯であるとの理由ではかばかしい答え
は得られませんでした。実際、農民のみならず市農水課もまた途方に暮れていた
のです。国はおろか県からも情報がまったく来ない。県も独自のモニタリング数
値しか持ち合わせていない。そんな中で小さな市に何が出来ますか?

そして国がした唯一のことといえば、それはどこに責任主体があるのか分から
ない「出荷自粛要請」でした。しかも、ただの一片の首相名の紙切れに乗せて。
政府の言うとおりにすると、県全体の農産物が止まりかねない、そんな第1次生
産者の死活を左右するものを、ただのファックス一本で寄こす。これがこの国の
政権なのです。

この後に、菅政権は浜岡原発停止「要請」で同じ手法を踏襲します。汚れ仕事
は法的裏付けがない「お願い」で通す。どこまでも卑怯な政権です。それでなく
とも、大震災の被災地でもあった茨城県全体のインフラはズタズタであり、停電、
断水地域もまだ多かったのがこの時期でした。

後はご承知のように約2カ月半に及ぶ超特大の風評被害の嵐でした。出荷自粛
(後に「出荷制限」)の品目は当然のこととして、関係のないレタスなども3個
90円、いや値さえつかずといった状況で、投げ捨てられていったのでした。こ
の対応の中で、遅まきながら農産物の検査体制が稼働し始めたのが1カ月前。土
壌検査もようやく手が着きな始めたばかりです。現在、市内各地で土壌放射線量
を市独自が計測を開始し始めています。(資料3参照)「行方市における放射線
量率測定結果」

今は幼稚園、小中学校の庭などですが、近い将来は農地の土壌計測にも向かう
はずです。ただ予算がない。国は近隣県の土壌放射線量計測の予算をまったく計
上していません。さて、地域の農家もあまりにひどかった嵐がひとまずは弱まり、
大打撃から立ち直りつつあります。改めて思うのは、このような原子力事故で近
隣住民が何より必要とするものは正しいリアルタイムの情報です。情報は原子力
事故と闘う最低の武器です。

この情報という最大の武器を私たちに与えないで、いったいなにで闘えと政府
は言うのでしょうか。防護衣かマスクか、ヨード剤か。それとも私たちの生命そ
のものなのでしょうか? 次にまた原発が爆発した場合、同じ対応が続くのなら
ば私は日本国民をやめたい。国は私たち国民をモルモットにしたいのでしょうか

事故から既に100日以上たっているのに放射能除染はまったくされていない
状況です。計画も聞いたことがないとは異様ですらあります。 まったくです。
コンプリートリー・ナッシング。 あ、飯館で首相候補(笑)の鹿野農水大臣が
猫の額のような実験田になにやら植えていましたが、あれ以外なにかやっている
のでしょうか?
農水副大臣の篠原孝氏は、チェルノブイリに国際会議で行って以来、脱原発と
自然エネルギーの伝道師のようになっていますが、講演で説教を垂れられるのは
結構ですが、自分が農地除染の政府責任者だってことをお忘れになっているので
はないでしょうか。 国民の健康を守るのが役割のはずの厚労省も、暫定規制値
を作って以来、何か積極的に既にフォールアウトしてしまった放射性物質を取り
除く作業をしている、あるいは予定しているという話はまったく聞こえてきませ
ん。
除染はたしか東電がデッチ上げた工程表のどこかにあったようですが、そもそ
もあんなもの国民の誰も信じちゃいません。放射性物質の除去、つまり除染は地
方自治体ができません。下の資料一覧をご覧ください。地方自治体はやりたくと
も法的にがんじがらめで放射性物質の除染活動ができないのです。逆に言えば、
国が主管してやらなければまったく除染はできないということになります。
では国がなにかやっているのでしょうか。先ほど言ったように飯館で猫の額に
菜種などを「実験」で蒔いた以外なにもしていません。 そもそも、今、100
日もたって「実験」など悠長にやっている場合でしょうか。菜種、ひまわりなど
が効率よく土中のセシウムを取り込むのは常識の範疇です。 チェルノブイリの
除染作業で大規模に使用され、評価は定まっています。それ以外にもゼオライト
やベントナイトなど除染に有効な資材は沢山あります。それを国が買い上げて無
料で関東圏の農家に配布すればいいだけです。必ず私たちは使いますから。もう
風評被害はこりごりですから。それをなに今さら「実験」ですか。今やるべきこ
とは実験ではなく、「実行」です。飯館の実験など単なるアリバイ工作でしかあ
りません。
政府は実践どころか、農民はおろか国民に対して除染の「呼びかけ」さえして
いません。多くの国民が不安に怯え、自腹でガイガーカウンターを買い込み、食
品に当てたり、子供が遊ぶ公園で計測している風景は日常になってしまいました。
ネット内は素人計測の線量数値であふれ返っています。いまや不安は食品、そし
て土壌から水と空気へと移っています。食、土地、水そして空気は人が生きてい
く根本中の根本です。この安全を守れないような政府はいりません。

国は放射性物質の除去が進むとなにか不都合があるようです。国民が被曝に怯
えているのを見ているのが楽しいようです。しかし、ここまで除染に無関心な政
府を見ていると、避難区域は国家管理地域にでもして、高濃度放射性物質最終処
分場でも作る計画なのかと勘ぐりたくなります。あ、そうすれば、原発の解体最
終処分場になりますか。避難地区域に廃炉後に出る高濃度放射性物質を集めて、
外側に高いフェンスでも張って電流でも流しますか。

住民は菅首相の腹案どおりに域外のエコタウン(なんというブラックジョーク
なネーミング!)に集中して住んでもらえばいい。なんなら核の墓場で働いても
らえば雇用対策にもなって一石二鳥。いやそれどころか、原発の最終処分場が決
まれば、本格的に廃炉が日程に登って3度おいしい。さすがは日本初の脱原発宰
相!うう、自分で書いていて気持ちが悪くなりました。あながち冗談ともいえな
いのが怖い(笑)。彼なら考えかねない。

それはさておき、なんやかやでもう梅雨は終わりました。福島第1原発から出
た60京ベクレルの放射能は、梅雨の雨に乗ってどこにいくのでしょうか。コン
クート路面から側溝へ、側溝から下水処理場へ。川や湖から上水施設へ。浄水場
から水道へ。農業用水から水田へ。水田から米へ。水田から再び川へ。川から湖
や海へ。海から魚へ。そして、これからの台風の強風は放射性物質を、更に関東
各県、いや西日本までへと拡げていくことでしょう。

一部週刊誌報道では関西圏でも関東と変わらない線量が計測され始めています。
この傾向は梅雨と台風でいっそう強まることでしょう。政府の重い腰をあげるに
は、選挙区の議員、なかでも与党議員を動かす必要があります。選挙民が彼らに
働きかけてなんとかして除染の動きをせねば大変なことになります。ぜひ皆さん、
地元選挙区の与党民主党議員に働きかけてください!

◇早川由紀夫教授の放射性物質飛散図の衝撃


  現在、関東圏のみならず群馬、長野、岩手の各地でホットスポットが相当数見
つかっています。 私の私見の目安である0.28μSv/hを超える地点が続
出しています。高い地点では1μSv/hを超える地点も出ています。現実には
相当広範囲に放射性物質が飛散したことは確かなようです。 ではその原因は何
かとなると、3月12日、3月15日の水素爆発による飛散だというところまで
しかわかっていませんでした。
  なぜなら、政府が情報をひた隠しにしているからです。例のSPEEDIです
ら、3月12日夜の北へ流れて飯館にかかっている図しか見ることができない有
り様です。 馬淵前補佐官ですら「情報隠匿があった」と証言するほどの陰湿な
情報秘匿により、市民はガイガーカウンターを求めてアキバに走らねばなりませ
んでした。 この役立たずのSPEEDIに替わって、福島第1原発からの詳細
な放射性物質飛散図が現れました。

県内にいくつかのホットスポットを抱える群馬大学の火山学研究者である早川
由紀夫教授の作成したものです。 教授は自らのブログでみずからの火山灰飛散
のメカニズム手法を使って福島第1原発からの放射性物質の飛散図を公表しまし
た。(「早川由紀夫の火山ブログ」http://kipuka.blog70.fc2.com/)、 まずは
氏のブログから教授が作成した飛散図をご覧ください。(メールマガジン
オルタでは図形が表示できないので直接HPから見てください)
 早川教授のこの飛散図は、自治体や国が出した公的データを基にしています。
タコの足のように四方に放射性物質の雲が伸びているのが分かります。今まで北
方向に伸びたことは確認されていましたが、その後の挙動が分からなかったのが
一挙に解明されたわけです。まず時系列を追って放射能雲の飛散ルートを検証し
ていきます。
  福島第1原発からの放射性物質の大量放出は大きく4回ありました。

●第1ルート/3月12日夜から・・・南相馬⇒太平洋⇒太平洋を北上⇒西旋回
して女川から内陸に侵入⇒一関、平泉に到達
●第2ルート/3月15日午前中から・・太平洋を南下⇒いわきをかすめて、水
戸から内陸へ侵入⇒3方向に分裂
  ・2-1ルート・・・宇都宮方向ルート
  ・2-2ルート・・・群馬方向ルート
  ・2-3ルート・・・首都圏に南下ルート
●第3ルート/3月15日夕方から・・・北西に進み飯館⇒西旋回して内陸部へ
⇒福島、二本松、郡山、那須⇒日光
●第4ルート/3月21日午前から・・太平洋を南下⇒鉾田から内陸部へ⇒柏、
松戸⇒東葛地区⇒東京湾⇒太平洋を南下⇒足柄⇒一部が静岡

 東京の東葛地区を汚染したのはこの4回目の太平洋南下ルートです。では第4
ルート(3/21太平洋軟化ルート)が、なぜ途中の鉾田より線量が高い数値が
出てしまうのでしょうか。その原因は雨です。3月21日に北から放射性物質を
運んできた風と、南からの湿った風がぶつかり、東葛地域に雨を降らせました。
ここには折り悪く金町浄水場があり、水道水から放射性物質が出たのはこれが原
因でした。

 あともうひとつホットスポットが出来る要因は、地形です。山に放射能雲が差
しかかった時に降雨があると、そこで高濃度のフォールアウトをします。足柄の
お茶などがそのケースです。足柄も第4ルートの末端に位置します。東葛から東
京湾にいったん出て、そのまま太平洋を南下して内率部に再び入って、箱根山系
の手前で降雨にあってフォールアウトしました。
 
これでお分かりのように、福島第1原発からの距離はいちおうお目安になります
が、距離はかならずしも絶対的なものではなく、そのときの風向き、降雨、地形
が大きく左右します。また水素爆発時だけではなく、爆発後の3月15日から高
濃度な放出が観測されるなど未だ公表されていないことが沢山あるようです。

 本来これは原子力安全・保安院がやるべき仕事です。政府はスパコンを駆使し
たSPEEDIでこの事実を3月中旬には知り得ていたはずです。にもかかわら
ず、同心円的避難区域を設定した以外一切の対処を怠りました。今頃になってホ
ットスポット対策を勧告のような寝ぼけた方法でやっているだけです。政府が国
民を守らないことがまたひとつ明らかにしなりました。

 セシウム牛事件は国に見捨てられた農家の落ち込んだ陥穽だと私は思います
  今、南相馬市のセシウム牛事件で、農水省が「体表面のスクリーニングでいい」
という指示を出していたことが明らかになり、この事件後あわてて福島県に対し
て検査機械の補助をすると言い出して失笑をかっています。なにを今さら!
  つまり農水省は、牛の生体表面を線量計測すれば、被曝状況が分かると思って
いたらしいのです。もはや笑うしかありません。私たち平民ですら知っているこ
とを霞が関の雲上人たちは知らなかったことになります。

●まず、牛は外部被曝をしても、体内に取り込むことは少ない。第一、避難準備
区域、避難区域の肥育牛で山間放牧している牛はない。すべて舎内肥育である。
●次に、問題は内部被曝であり、それは枝肉にして計測しなければ測定不可能で
ある。ところがこの内部被曝検査が可能な検査器材を福島県はわずか6台しか持
たず、野菜などの検査で手一杯状態でした。この指示を出したのが、他ならぬ農
水省本省だということを銘記していただきたいと思います。日本農業新聞によれ
ば、この両地区からの牛を食肉加工するのは郡山食肉センターです。
 
1日に処理される牛は35頭ていど。食肉センターとしては決して大規模施設で
はありませんが、それでもこれらの処理済食肉を放射能検査機に入れて小一時間
(約40分前後)で検査するとなると、単純計算で35時間かかるということで
す。
  はっきり言って話になりません。そもそもそんな高精度な検査器械は郡山セン
ターにはないはずです。

 だから、仮に農水省本省が、「両地区からの牛を全頭内部被曝検査にかけるこ
と」という指示を出したとしても、そんなことはできるはずもなかったわけです。
  地元自治体がそもそも無理だから農水省は出さなかったのか、あるいは内部被
曝検査の重要性を知らなかったのか、いずれにせよ、検査を命じておきながら自
治体に責任をすべて丸投げして、適切な器材と財政の配置を怠った農水省の不作
為が今回の事件の陰の主役です。

 鹿野農水大臣は別に悪びれる様子もなく、「「放射性物質計測器械の導入など
で県を支援していく」(日本農業新聞7月13日)とシャラとして言っています。
まさに鉄面皮とはこのことです。そんなことは3カ月前にすべきではなかったの
ですか?なにも全国のすべての都道府県に高精度線量計を配備しろと言っている
のではありません。たかだか福島と茨城両県くらいの話です。そんな予算もなか
ったとは言わせない。

 官僚と猿には反省という言葉はない。官僚栄えて、農民死す。国破れて菅と官
あり。ああ、もっと言いたいがやめとこう。(←イヤミくらい言わせてくれぇ!)
  さて、おそらくこのセシウム牛事件はこんな流れだったはずです。
  ●3月11日の大震災による東北、北関東全域への飼料供給基地の被災⇒東北、
東関東全域の飼料供給全面停止。
  ●ほぼ2~3週間、畜産農家すべてが飼料供給ストップ状態に陥り、家畜に食
わせるものがないという深刻な危機的状況となる。
  ●JA全農を中心とする全国規模の東北、北関東畜産農家支援作戦の発動。
(ちなみに農水省は機能停止状態)

 ●原発事故。牧草から高濃度放射性物質検出。福島県に出荷制限。牧草給与禁
止令。
  ●原発に近く、インフラが寸断されていた南相馬市への飼料供給再開は他の被
災地域と比べて非常に遅れた。
  ●当該農場においては、原発事故以前に刈り取った牧草が野外保管されていた。
 
●当該農家は飼料が底を尽き、「事故以前のものだからいいだろう」と自分を納
得させて使用してしまった。
  ●県の検査には強制立ち入り調査権がなく、任意の聞き取りだけ。当該農場は、
牧草は与えていないと虚偽の答えをする。
  ●外部スクリーニングだけで出荷パス。
  ●東京都などで発覚。大事件へと発展。

 要するに、大震災による飼料供給の長期ストップ、飼料枯渇といった状況に置
かれて、国の助けがまったく期待できない中で、「事故以前」の野外保管牧草に
手が伸びた、それがこんな大事件に発展したのです。農水省は、言い換えれば政
府は、飼料供給の建て直しを放擲し、農家に対しての有効な救援を打ち出せない
まま、原発事故に突入してしまいました。
 
そして原発事故においても、暫定規制値の設定に失敗し、放射能対策を的確にす
ることができず、検査の指示も外部スクリーニングだけでいいとするような科学
性を欠いたいいかげんなものでした。避難区域では多くの家畜を生きたまま放置
するという非人道行為を行いました。救援したのはJA全農です。この4カ月間、
農水省はいかなる放射能対策もおこなっていません。土壌線量検査は自治体まか
せ。その自治体は金がないので、安物のガイガーカウンターで計っている始末で
す。

 高精度な計測器機器は県に数台あるだけでフル稼働状態。風評被害の根を断ち
切るためにもっとも有効なはずの除染すら、実施はおろか、技術的な指導すら放
棄したままです。飯館村のあんなアリバイ工作はカウント外です。まさに無能無
策無為!人の心すらない。この事件は国に見捨てられた農家の落ち込んだ陥穽だ
と私は思います。ですから私には到底、この農家だけを責める気にはなりません。
しかし多くの彼の仲間はその誘惑に負けず乗り切ったわけです。
 
  その意味において、彼の責任は重いと思います。ただし、彼の責任だけを問え
ば済むという単純な問題ではないのです。

         (筆者は茨城県・行方市在住・農業者)

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