文化破壊に歯止めを

■ 【横丁茶話】

文化破壊に歯止めを                西村 徹

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●能勢町の人形浄瑠璃

【堺からのアピール:教育基本条例を撤回せよ】の前田純一という人から毎日メ
ールが送られてくる。10月12日号には大阪府の「てっぺん」つまり大阪府最北端
の能勢町のことが書いてあった。能勢はかつて米軍のレーダー基地が建設されそ
うになって、革新府政黒田知事の時代に府民が反対阻止した土地である。その能
勢町には人形浄瑠璃がある。
  http://j-nose.jp/da_bannoteppen_neng_shi_ting/TOP.html

 この人形浄瑠璃シアターは選挙の投票所にも用いられ、10月14日の町長選では、
府立茨木高校長として橋下教育条例に反対していた新人候補が当選した。現「日
本の未来」党の熊谷貞俊衆議院議員(当時)らの応援を得て民・自・公・維新総
がかりの現職を破った。熊谷氏は橋下候補と知事選を争ったときテレビ司会者か
ら「いちばんの思い出は」と問われて「家内といっしょに観た文楽」と答えた人
である。10月2日能勢町南隣の豊能町長選でも同様、橋下維新が敗北した。自治
体の単位は小さい方が正気でいられるのかもしれない。

 以下に前田氏のメールから転載する。

 《人口1万1千の中に、浄瑠璃の語り手「太夫(たゆう)」がなんと200名超。
世襲制でない独自の家元制度の下で伝統が継承されています。文楽座にも負けな
いくらい立派な「浄瑠璃シアター」があり、劇団「能勢人形浄瑠璃鹿角(ろっか
く)座」が多くの公演をてがけています。能勢町全体で郷土文化を発展させてい
るのです。この能勢町の一般予算総額は約41億円。人形浄瑠璃創造発信事業には
1575万円が注がれています。》

●大阪の文楽

  前田氏の文章はまだ続くが、ここからは大阪の文楽になる。

《対する大阪市の一般会計総額は1兆5千万円、能勢町の370倍。大阪市長は、
その中の3900万円の文楽補助金執行のために、顔を出すな、曽根崎心中の最後を
変えろだとか、訳の分からない難癖をつけて、あげくの果ては技芸員全員を集め
て、カネを稼げと偉そうな口を叩いたのです。大阪が世界に誇れる文化について、
あの頭の中には何の考えもあるはずはなく、ただただ権力を誇示したかっただけ
なのです。よほど、暗い心の闇を抱えているのでしょう。》

 11月30日、市長は、ようやく3900万円の補助金執行を決めた。国立文楽劇場の
仮名手本忠臣蔵(通し)が盛況裡に終わったのを見てのことであろうか。市長の
トンチンカンが引き金になって反動的に文楽への関心が高まったのなら怪我の功
名ということにはなる。テレビで芸人まがいのことをしていたから、本格の修業
を積んだ伝統芸人さんたちにスタジオなどで会うことも多く、そこからの耳学問
で、いくらかは自分の無知に気付いたのでもあろう。

 私は1950年代、たぶん文楽衰退の極にあったころ道頓堀の朝日座(?)だった
かにせっせと通ったことがある。学割があったのか映画舘とさして変わらないよ
うな木戸銭でも中はガラガラ。客は数十人というありさまだった。ドナルド・キ
ーンも同じことを言っていたと思う。吉田文五郎が人形を遣い豊竹山城少掾が浄
瑠璃を語っていた。三味線は鶴沢清六だったろうか。今思えば夢のような名人の
至芸を二束三文の木戸銭で見聞きしていたことになる。もったいない話だ。

 大して興味があったわけでもなくて教室よりもこちらに、つい足が向いてしま
うというだけだったかもしれない。中学一年下のYという友だちは一家に芸能関
係者が多く、妹さんも天津羽衣という女浪曲師になっていたが、そのY君がいっ
とき竹本織部大夫という名で文楽の舞台に出ていたからでもあった。解るとか好
きとかのレベルで見ていたのではない。少なくとも大学の講義よりはおもしろか
った。

●文楽オタクはいかが?

  文楽を一度見て、というより一度聞いてわからないのは橋下氏にかぎらず無理
もないだろう。人形遣いの技芸は、これは見始めてほんのしばらくすればわかり
はじめる。見た途端に、人形の持つ人間を超えるリアルに息を呑んでしまうこと
だってありうる。浄瑠璃はそうはいかない。あらましの筋はわかっていても、そ
して太棹の、絃でありながら打楽器でもあるような分厚い響きははらわたにまで
ズンと来ても、謡曲ほどではないが、語りの文句はやはり容易にはたどれない。
それがもどかしくてイマイチ入っていけないというところがある。

 本当に浄瑠璃を味わうには本をしっかり知っていなければならない。昔の人
は、知っているどころか浄瑠璃の文句がすっかり日常に入り込んでいて会話の中
で慣用されていたのだ。司馬遼太郎『韃靼疾風録』には平戸藩士が本土の藩士と
言葉が通じないので謡曲の言葉で語ったとあったが、おなじく司馬遼太郎『菜の
花の沖』の高田屋嘉平が船中でロシア人とわたりあうとき、嘉平は町人だから謡
曲でなくて、浄瑠璃のセリフを使ったとあったように記憶する。

 私がはじめて浄瑠璃の超絶的な技芸をあらためて思い知ったのは、恥ずかしな
がらまだこの夏時分のこと、放送大学の「舞台芸術への招待」という講座を聴い
たときである。二世豊竹古靱太夫(後の豊竹山城少掾)の「菅原伝授手習鑑・寺
子屋の段」のレコードを、テレビ画面に映される台本をたどりながら聴いたとき
である。目から鱗の落ちる思いだった。長い間解ったつもりでいても、このあり
さまである。

 橋下氏ももう少し勉強してからものを言うべきであった。橋下氏はしばしば小
泉純一郎氏に似ているといわれるが、それは大衆心理を収攬するデマゴーグとし
ての政治手法にかぎってのことで、文化に対する姿勢はずいぶん違う。小泉純一
郎氏は文楽を見たとしても橋下氏のようなトンチンカンは言うまい。音楽、とり
わけオペラを愛し、歌舞伎座にも顔を見せた(そしてブーイングを浴びはしたが)
。総じて古典文化をおろそかにはしなかった。教養にはだいぶ隔たりがある。

 「アートの素養は極めて重要だ。実は小泉さんが海外のリーダーから高く評価
された理由のひとつは、文化に造詣が深かった点にある」(東洋経済2012年11月
29日)と言ったのは竹中平蔵氏である。
 
  レキジョとかブツジョとかいうのがある。歴史上の人物を追っかけするのが歴
女で、仏像や仏画にハマるオタク女性が仏女というそうだ。“はな”というモデ
ルはブツジョだし、小日向えりとか美甘子とかは「アイドル」だからレキジョと
いわず歴ドルというそうだ。橋下騒動をきっかけに文楽の人形遣いや太夫を追っ
かけするラクジョがブームということにならないものだろうか。若い女たちよ、
輝くと思うよ。イーデス・ハンソンはそうだった。人形遣いの吉田小玉(のちの
5代目吉田文吾)と結婚までした。

●渡辺邸の破壊

  大阪府市の文化破壊は文楽に留まらない。11月29日放送のNHK「クローズア
ップ現代」では、安土桃山時代に建てられた大阪市最古の400年古民家の解体さ
れたことが、遅まきながら大きく報じられた。「文化財保護をめぐる法制度が、
時代の急速な変化に対応しきれなくなってきている」からだという。源頼光には
じまる摂津源氏の郎党で、嵯峨源氏は源融の流れを汲む渡辺綱を祖とする渡辺氏
の屋敷である。
  http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=200&date=2012-11-29&ch
=21&eid=21962
 
  建築は17世紀初頭の渡辺家古民家を相続した女性は、1億円の相続税は売却し
なければ払えないという。この文化財を保存するに要する5億円を、府と市の一
般予算総額、計5兆5千万から当座の捻出をすら拒んだため、淀川区民による
15000筆もの請願署名にもかかわらず破壊されてしまった。さる10月のことであ
る。ちなみに渡辺は大阪の古称であり、家名が大阪を象徴しているだけでなく、
渡辺邸の運命は大阪の運命をも象徴している。
  http://www.ktv.co.jp/anchor/today/2012_10_29.html#02
  http://watanabetei.org/9_1.html
 
  BS朝日では日曜ごとに「百年名家」という番組が各地の古民家を案内してい
る。12月9日には奈良県五條市の古民家が紹介された(23日にも再放送される)。
日本最古の栗山邸は慶長の建立である。渡辺邸も負けず劣らずの年代モノ。大事
に保存していれば、この種の放送によって観光客をも呼んだであろう。首長に教
養が欠けていると損害は甚大である。人形浄瑠璃も決して大阪だけのものではな
い。西宮、淡路、阿波、京都、滋賀、鳥取、岡山にも人形浄瑠璃はあり、古民家
同様に土地の人の手で大切に護り伝えられているのである。
  http://www.ningyojoruri.com/ 

●貧弱すぎる文化財保護

  現在、日本の文化庁の予算は、約1000億円しかない。これは、国民1人当たり
に換算すると、フランスの10分の1、韓国の5分の1。これまた竹中平蔵氏が言
っている(同上)ところであるが、それとは別に解りやすい例を挙げると、ルー
ブル美術館の年間予算総額は東京国立博物館の予算総額の10倍である。ジャパ
ン・アズ・ナンバーワンなどと浮かれたのはどこの国のことだったのか。
 
  文化遺産の保存はヨーロッパのなかでもイギリスが一番なのは、ひとつには長
子相続制によるところ大きいという。均分相続だと家屋敷を切ったりはつったり
しなければならない。家屋敷が文化財であればたちまち文化財は台無しになる。
相続税を高くして歳入を増やすというのは一見平等志向のようだが文化財の破壊
という副作用がある。
 
  名古屋COP 10が開かれていた最中にも名古屋の貴重な里山が破壊されてい
た。相続税負担に耐えかねた持ち主が開発業者に売ったためだ。大台ケ原の水源
はやはり相続税に苦しむ地主の手から中国の業者に売られようとした。各家庭の
庭木はその家の主が固定資産税を払ったうえに植木屋にもカネを払って維持して
いる。そうやって緑の保全に貢献した挙句に、とどのつまりが相続税を払う。
 
  どこかおかしくはないか。資産の再配分は必要だ。そのための税金ではある。
しかしそうやって役人にカネを預けても、預かった役人は親方日の丸で無責任に
とんでもない無駄遣いをするのでは、個人に預けておいた方がいいことだってあ
るかもしれない。たとえば預かった年金基金でグリーンピアを作ったり、原油を
法外な高値で買い付けたり、その他いろいろある。

 ダーウィンは子どものころ引きこもりで自分の家の敷地から出なかったとい
う。そして敷地内の生物を観察するのが楽しみの生物オタクだったそうだ。なに
しろ母方の実家がウェッジウッドだということでもわかるように、ダーウィン家
は大資産家で、その敷地面積は13万平米だったから、敷地の外に出る必要もな
かったろう。もし税金で財産を巻き上げてしまっていたならば進化論は生まれな
かったかもしれない。税金も必要だし公平公正もちろん大切だが、しばしば富と
セットの文化財の扱いについても、とにもかくにもきめ細かくやって貰わないと
困るのである。                   (2012年12月11日)

 (筆者は堺市在住・大阪女子大学名誉教授)

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