■斎藤隆夫「支那事変処理に関する質問演説」(注記と全文)

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【注記】
 この演説は昭和15年2月2日、第75帝国議会で行われたもので、一般には昭和11
年5月7日、第69議会で行われた『粛軍に関する質問』演説と混同され、斎藤隆夫
の『反軍演説』として、その一節「徒に聖戦の美名にかくれて、国民的犠牲を閑
却し、曰く道義外交、曰く共存共栄、曰く世界の平和、かくの如き雲をつかむむ
ような文字を並べ・・・」が一人歩きしているが、単に「反軍」演説という側面
だけで括ってしまうのではこの演説のもつ歴史的な意味を見失うことになると思
う。
 まずは現代政治史において、国家の針路を誤らせないため軍部の圧迫、右翼テ
ロリズムの跳梁する中で孤立をおそれず最後まで戦い抜いた一人の果敢な政党
政治家を持ったことを私たちは日本人として心から誇りたい。彼はこの演説のた
めに一言一句をおろそかにせず繰り返し筆を入れ、海岸で喉を鍛え、全文を暗証
し、草稿を全く見ないで壇上に立ったという。いまようの政治家からはまったく
想像も出来ないその姿からは鬼気迫り、それだけに強く国民の胸を打って、さす
がの軍部も動揺したと言われている。
 今日の時点からこの演説を振り返ってみて、次のようなことが指摘できると思
う。
 第一には、政府が明らかに中国に対する大規模な侵略戦争を展開し、10万人
の戦死者を出しながら「支那事変」と誤魔化して国民を欺き、「国民政府を相手
にせず」などと日本を15年戦争の泥沼に引き込み自滅させた無責任体制の実体
を斉藤議員が鋭く暴いて、今日までもつづく「中国問題」が日本現代史における
最重要な課題の一つであることを国民に認識させたこと。
 第二に、演説の内容自体が、単に理不尽な戦争政策と軍事行動に対する非難攻
撃というだけでなく、帝国議会議員として慎重に言葉を選びながらも、出口なし
の戦争にはまり込んでいく時代の日本の政治経済の矛盾、さらにその時代の精神
そのものの欺瞞性に対してまでも総体として批判する広がりと鋭い論理性を持
っており、今日においてもその価値を少しも減じていないこと。
 第三には、帝国議会が時局同志会・政友会革新派・社会大衆党などを含んだ多
数(賛成296票、反対7票、棄権144票)で、この演説をもって斎藤議員を除
名処分にし、さらに各政党の解散に突き進み、明治以来曲がりなりにも続いた議
会政治を自ら終わらせ、軍部独裁への翼賛政治体制をしいて、全面的に戦争推進
協力体制をつくる転換点にしてしまったこと。
 以上の視点から、斎藤演説が持つ日本現代史における大きな歴史的な意味を読
み取りたいと考え、戦前の重い史実として演説全文を中公文庫・斎藤隆夫著『回
顧七十年』(1987年・中央公論社刊)から再録させていただきました。
                            

                                            (編集部)

☆斎藤隆夫代議士の略歴
兵庫県出石町出身;1870年9月13日生~1949年10月7日没
 1894年東京専門学校(現早大)行政科卒・
 1895年翌年弁護士試験合格・エール大学留学
 1912年立憲国民党から総選挙に初当選、以後1949年まで13回当選。
 1946年第一次吉田内閣に国務相として入閣。
 1947年片山哲内閣に憲法担当国務相として入閣。

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○斎藤隆夫「支那事変処理に関する質問演説」
   昭和十五年二月二日、第七十五議会における演説
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【全文】
 支那事変が勃発しましてからすでに二年有半を過ぎまして、内外の情勢はます
ます重大を加えているのであります。このときに当りまして一月十四日、しかも
議会開会後におきまして、阿部内閣が辞職して、現内閣が成立し、組閣二週間の
後において初めてこの議会に臨まるることに相成ったのであります。総理大臣を
はじめとして、閣僚諸君のご苦心を・十分にお察しするとともに、国家のために
切にご健在を祈る者であります。

 米内首相は組閣そうそう天下に向って、現内閣の政策を発表せられたのであり
まして、我々は新聞を通じてこれを承知致しておるのであります。

 しかしその政策と称するものは、ただわずかに題目を並べたに過ぎないのであ

りまして、諸般の政策はこの帝国議会において陳述すると付け加えてあります。
それ故に昨日のご演説を拝聴致したのでありまするが、相変らず抽象的の大要に
過ぎないのでありまして、これによって、国政に対する現内閣の抱負経綸を知る
ことはもちろん出来ない。しかしながら私は今日この場合において、これらの問
題、即ち第一は支那事変の処理、第二は国際問題、第三は国内問題、これらの三
問題全部を通じて質問を致す時間の持合せもありませぬから、この中の中心問題
でありまするところの支那事変の処理、これについて私の卑見を述べつつ主とし
て総理大臣のご意見を求めてみたいのであります。

 支那事変の処理は申すまでもなく非常に重大なる問題であります。今日我国の
政治問題としてこれ以上重大なるところの問題はない。のみならず今日の内外政
治はいずれも支那事変を中心として、この周囲に動いているのである。それ故に
我々は申すに及ばず、全国民の聴かんとするところももとよりここにあるのであ
ります。一体支那事変はどうなるものであるか、いつ済むのであるか、いつまで
続くものであるか、政府は支那事変を処理すると声明しているが如何にこれを処
理せんとするのであるか。国民は聴かんと欲して聴くことが出来ず、この議会を
通じて聴くことが出来得ると期待しない者は恐らくー人もないであろうと思う。

 さきに近衛内閣は事変を起こしながらその結末を見ずして退却をした。平沼内
閣はご承知の通りである。阿部内閣に至って初めて事変処理のために邁進すると
は声明したものの、国民の前には事変処理の片鱗をも示さずして総辞職してしま
った。現内閣に至って始めてこの問題をこの議会を通して国民の前に曝け出すと
ころの機会に到来したのであります。これにおいて私は総理大臣に向って極めて
率直にお尋ねをするのである。支那事変を処理すると言わるるのであるが、その
処理せらるる範囲は如何なるものであるか、その内容は如何なるものであるか、
私が聴かんとするところはここにあるのであります。

 私の見るところを直言致しまするならば、元来今回の事変につきましては、当

初支那側は申すに及ばず、我が日本におきましても確かに見込み違いがあったに
相違ないのであります。即ち我国より見まするならば、その初めは所謂現地解決、
事変不拡大の方針を立てられたのでありまするが、その方針は支那側の挑戦行為
によって立ちどころに裏切られ、その後事変は日に月に拡大し、躍進に躍進を重
ねて遂に今日の現状を見るに至ったのであります。支那側の見込み違い、これは
言うを要しないのであります。

 ここにご参考のために引用すべき文書があります。これは昨年十二月十三日、
内閣情報部より発行せられたるところの「週報」でありまするが、この中に「支
那事変を解決するもの」と題して支那派遣軍総司令部報道部長の名をもって一つ
の論文が掲載せられているのである。この中に如何なることが現われているかと
見ると、「そもそもこの戦争は、支那人、ことに蒋介石の日本に対する認識不足
と、その日本の実力誤算から出発し、また日本の支那に対する研究不足と認識不
足とによって始められ、また深められて来た」云々と記載されてある。 

 即ちこのたびの事変は支那が日本に対するところの認識不足、また日本が支那

に対するところの認識不足、この二つの原因によって始められ、またこれが深め
られたものに相違ない。しかしながら翻って考えて見ますると、たとえこの認識
不足なしといえども、日支両国の間におきましては早晩一大事変か起こらざるを
得ないその禍根が、いずれの所にか隠れておった、その機運が熟しておった、そ
れがかの北支の一角蘆溝橋における支那側の不法射撃、この事実に触れて外部に
爆発したに過ぎないのでありまして、これは仕方がない、所謂運命であります。
両国間にわだかまるところの運命でありますから、これは仕方がない。

 しかしながらその後事変はますます進展して、彼我の勢力ならびに勝敗の決も
明かになりました以上は、なるべく速やかにこの事変を収拾する、そうして出来
るならば再びかくのごとき事変が起こらないように、日支両国の問に横たわる一
切の禍根を排除して、もって和平克復を促進することは独り日本の政治家の責任
であるのみならず、実に支那の政治家の責任であると私は思うのであります、た
だ問題はどうしてこれらの禍根を取り除くことが出来るか、どうしたならば将来
の安全を保障することが出来るか。我々は支那の立場を考えるとともに、主とし
て日本の立場を考えねばならぬのである。

 そこでまず第一に我々が支那事変の処理を考うるに当りましては、寸時も忘れ
てならぬものがあるのであります。それは何であるか、他のことではない。この
事変を遂行するに当りまして、過去二年有半の長きに亘って我が国家国民が払い
たるところの絶大なる犠牲であるのてあります。即ちこの間におきまして我が国
民が払いたるところの犠牲、即ち遠くは海を越えてかの地に転戦するところの百
万、二百万の将兵諸士を初めとして、近くはこれを後援するところの国民か払い
たる生命、自由、財産その他一切の犠牲は、この壇上におきまして如何なる人の
口舌をもってするも、その万分の一をも尽すことは出来ないのであります。(拍
手)

しかもこれらの犠牲は今日をもって終りを告げるのではない。将来久しきに亘

る、今後幾年に亘るかということは、今日何人といえども予言することが出来な
い状態にあるのてあります。実にこのたびの事変は、名は事変と称するけれども、
その実は戦争である。しかも建国以来未だかつて経験せざるところの大戦争であ
ります。したがってその犠牲の大なるとともに、その戦果に至ってもまた実に驚
くべきものがある。
 昨日もこの議場において陸軍大臣のお話がありました通り、今日の現状をもっ
て見まするならば、我軍の占領地域は実に日本全土の二倍以上に跨っているので
あります。

しかしてこれらの占領は如何にしてなされたものであるか。 いずれも忠勇義烈

なる我が皇軍死闘の結果である。即ちこれがためには、十万の将兵は戦場に屍を
埋めているでありましょう。これに幾倍する数十万の将兵は、悼ましき戦傷に苦
しんでいるでありましょう。百万の皇軍は今なお戦場に留まってあらゆる苦難と
闘っているに相違ない。かくして得られたるところのこの戦果、かくして現われ
くるところのこの事実、これを眼中に置かずしては、何人といえども事変処理を
論ずる資格はない。(「ヒヤヒヤ」拍手)

 諸君もご承知のごとく、我国はかつて四十余年前に支那と戦った。三十余年前
にロシアと戦った。これらの戦いはいずれも国運を賭したる戦いであったに相違
はございませぬが、今回の戦いと比べまするならば、その規模の大なること、そ
の犠牲の大なること、日を同じくして語るべきものではない。しかるにこれらの
戦いは、如何なる条件をもって、和平克復を見るに至ったかということは、歴史
がこれを明記しておりまするから、ここに述ぶる必要はない。それ故にこれを過
去の歴史に鑑み、またこれを東亜における大日本帝国の将来に鑑み、これを基礎
として、もって事変処理の内容を充実するにあらざれば、出征の将士は言うに及
ばず、日本全国民は断じてこれを承知するものではない。(「ヒヤヒヤ」拍手)

 政府においてその用意があるかないか、私が問わんとするところはここにある

のであります。

 米内首相は事変処理については、すでに確乎不動の方針が定められておる、か
く声明せられているのでありまするが、その方針とは何であるか、所謂近衛声明
なるものであるに相違ない。即ち昨年十二月二十二日に発表せられたところの近
衛声明、これが事変処理に関する不動の方針であることは、申すまでもないこと
であります。ところが私は元来この近衛声明なるものに向っては、いささか疑い
を抱いているのであります。この際誤解を防ぐがためにお断りをしておきます。
きっぱりとお断りをしておきまするが、私は今にわかに近衛声明に反対をする者
ではない。さりとて賛成をする者でもない。賛成をするか反対をするかは、政府
の説明を聴いてしかる後において考えるつもりであります。(拍手)

 今日は質問であります。質問は読んで字のごとく疑いを質すのである。それ故
にこの考えをもってご聴取を願いたいのであります。 近衛声明の中にはどうい
うことが含まれているかと見ますると、大体五つの事柄が示されているのであり
ます。

 その一つは支那の独立主権を尊重するということである。
 第二は領土を要求しない、償金を要求しないということである。
 第三は経済関係については、日本は経済上の独占をやらないということである。
 第四は支那における第三国の権益については、これを制限せよというごときこ

とを支那政府には要求しない。

 第五は防共地域であるところの内蒙付近を取り除くその他の地域より、日本軍

を撤兵するということであります。この五つが近衛声明に含まれているところの
要項である。

 しかしてこの声明はただ日本のみに対する声明でなければ、また支那のみに対
する声明でもない,実に全世界に対するところの声明でありまするから、如何な
ることがあってもこれを変更することが出来るものではない。絶対にこれは変更
を許さないのである。もしかりそめにもこれを変更するがごときことがあります
ならば、我国の国際的信用は全く地に墜ちてしまうのであります。
 ただそればかりではない。ご承知のごとくかの汪兆銘氏、同氏はこの近衛声明
に呼応して立ち上ったのである。

 即ちこの近衛声明を本として、和平救国の旗を押し立てて、新政権の樹立に向
って進んで来ているのである。その後同氏はしばしば声明書を発表しております
るが、その声明書を見ますると、徹頭徹尾近衛声明を文字通り額面通りに解釈を
しているのである。即ち同氏がしばしば発表しましたところの声明書、その声明
書に現われているところの文句を、そのまま取って来て総合しますると、こうい
うことになるのであります。

「近衛声明のごとくてあったならば支那にとっては別に不利益はない。日本はこ
の声明によって全く侵略主義を放棄したのである。日本はこれまで侵略主義をと
っておったが、近衛声明によって侵略主義を放棄したのであるというている。日
本が侵略主義を放棄したということは、即ち軍事上においては征服を図らず、経
済においては独占を考えないということである。かくのごとく日本が戦争中にお
いて反省したる以上は、中国もまた深く自ら反省するところがあって、一日も速
やかに和平を実現せねばならぬ,しかしてかくのごとき和平は絶対,に対等の立
場において結ばねばならぬ。戦勝者がもつ敗者に対する態度はー切放棄すべきで
ある。したがって和平条件は決して支那国家の独立自由を害するものではないか
ら、何人といえども和平の実現を拒むことは出来ない」

 声明書に現われておりまするところの文句をそのまま取って総合すると、かく
のごときものになるのである。そうしてこの声明を発表して爾来一年有余の間、
和平運動のために進んで来ているのであります。それですらご承知の通り支那民
衆、ことに蒋介石一派よりは実に言うに堪えざるところの攻撃を受け迫害せられ
ながら、身を挺して和平運動のために進軍して来ているのであります。それ故に
同氏の立場から見れば徹頭徹尾この声明をば裏切ることは出来ない。もしこれを
裏切るがごときことかありましたならば、和平運動、ひいては新政権の樹立は根
本から崩壊せられてしまうのである。

 ここにおいて私は政府に向ってお尋ねをするのである。支那事変処理の範囲と

内容は如何なるものであるか。重ねて申しまするが、支那の独立主権は完全に尊
重する。支那の独立主権を完全に尊重する以上は、将来支那の内外政治に向って
はかりそめにも干渉がましきことは出来ない。もし干渉がましきことをなしたな
らば、支那の独立主権はたちどころに侵害せられるのである。領土は取らない、
償金はとらない。支那事変のためにどれだけ日本の国費を費やしたかということ
は私はよく分りませぬ。しかしながらただ軍費として我々がこの議会において協
賛を致しましたものだけでも、今年度までに約百二十億円、来年度の軍費を合算
致しますると約百七十億円、これから先どれだけの額に上るかは分らない。二百
億になるか三百億になるか、それ以上になるか一切分らない。それらの軍費につ
いては一厘一毛といえども支那から取ることは出来ない。ことごとく日本国民の
負担となる。日本国民の将来を苦しめるに相違ない。
 

 また経済開発については、決して日本のみが独占をしない。支那の経済開発と

いうことが叫ばれておりまするが、これも日本だけが独占をすべきものではない。
第三国権益を制限するがごときことは支那政府に向っては要求しない。これまで
我国の政治家は国民の前に何と叫んでおったか。このたびの支那事変は、支那よ
り欧米列国の勢力を駆逐する、欧米列国の植民地状態、第三国から搾取せられて
いるところの支那を解放して、これを支那人の手に戻すのであると叫んでおった
のでありますが、これは近衛声明とは全然矛盾するところの一場の空言であった
ということに相成るのであります。

その他占領地域より日本軍全部を撤兵するというのである。残る所に何かある

か、それが私には分らないのであります。ことに日本軍の撤兵については、汪兆
銘氏が如何なることをいうておるかというと、第一次声明の中にこういうことが
現われている。 近衛声明において特別重要なる点は日本軍の支那からの撤兵で
ある。そうしてその撤兵は全部が急速にかつあらゆる方面において一斉に行われ
ねばならぬということである。即ち撤兵は、全部が急速に、あらゆる方面におい
て、一斉に行われねばならぬということである。ただ提案せられたるところの日
支防共協定の存続期間に限って、日本軍の駐屯すべき所謂特定地区はただ内蒙の
付近のみに制限せられなければならない。

 かように汪兆銘氏は声明しておりまするが、これを近衛声明と対照しますると、
少しも間違いはないのであります。しかる以上はこれより新政権を相手に和平工
作をなすに当りましては、支那の占領区域から日本軍を撤退する、北支の一角、
内蒙付近を取り除きたるその他の全占領地域より日本軍全部を撤退する、過去二
年有半の長きに亘って内には全国民の後援のもとに、外においては我が皇軍が悪
戦苦闘して進軍しましたところのこの占領地域より日本軍全部を撤退するとい
うことである。
 これが近衛声明の趣旨でありますが、政府はこの趣旨をそのまま実行するつも
りでありますか。これを私は聴きたいのであります。総理大臣は言うに及ばず、
軍部大臣においてもこの点についてご説明を煩わしておきたい。

 次に事変処理については東亜の新秩序建設ということが繰り返されておりま
す。この言葉は昨日以来この議場においてもどれだけ繰り返されているか分らな
い。元来この言葉は事変の初めにはなかったのでありますが、事変後約一年半の
後、即ち一昨年十一月三日近衛内閣の声明によって初めて現われたところの言葉
であるのであります。東亜の新秩序建設ということはどういうことであるか。昨
日外務大臣のお言葉にもあったように思いますが、近頃新秩序建設ということは
この束洋においてばかりではない。ヨーロッパにおいても数年来この言葉が現わ
れているのであります。

 しかしながらヨーロッパにおける新秩序の建設というものは、つまり持たざる
国が持てる国に向って領土の分割を要求する、即ち一種の国際的共産主義のごと
きものでありますか、その後の実情を見ますると全然反対である。即ちずいふん
持てるところの大国が持たざるところの小弱国を圧迫する、迫害する、併呑する、
一種の弱肉強食である。ここに至ってヨーロッパにおける新秩序建設の意味は全
く支離滅裂、実に乱暴極まるものであります。しかしヨーロッパのことはどうで
もよろしい。ヨーロッパにおける新秩序の建設などは、我々において顧みる必要
はない。この東亜における新秩序建設の内容は如何なるものがあるか。これも近
衛声明及びこれに呼応したるところの汪兆銘氏の声明を対照してみますると、新
秩序建設には確かに三つの事柄か含んでいる。それは何であるか。

  第一は善隣友好ということである。
  第二は共同防共である。
  第三は経済提携であります。
 これがこれまでの公文書に現われているところの新秩序建設の内容であります

るが、政府の見るところもこれに相違ないのであるか。新秩序建設ということが
朝野の間においてしばしば謳われているのでありまするが、その新秩序建設の実
体は以上述べたる三つのことに過ぎないのであるか。なおこの他に何ものがある
のであるか。なければ宜しい、あるならばそれを聴きたい。あっても言えないと
言わるるならばそれでも宜しい。とにかくこれほど広く、これほど強く高調せら
れているところの戦争の目的であり犠牲の目的であるところの東亜新秩序建設
の実体について、政府の見るところは何であるか。これを承っておけば宜しいの
であります。

 なおこれに関連してお尋ねをしておきたいことがある。ここに昨年12月11
日付をもって発表せられたる「東亜新秩序答申案要旨」というものがある。これ
は興亜院において委員会を設けて審議せられたるところのその答申案でありま
す。これを見まするというと、我々にはなかなか難しくて分らない文句が大分並
べてある。即ち皇道的至上命令、「うしはく」に非ずして「しらす」ことをもっ
て本義とすることは我が皇道の根本原則、支那王道の理想、八紘一宇の皇謨、な
かなかこれは難しくして精神講話のように聞えるのでありまして、私ども実際政
治に頭を突込んでいる者にはなかなか理解し難いのであります。(拍手)

 しかしそれは別と致しまして、一体近頃になって東亜新秩序建設の原理原則と
か精神的基礎とか称するものを、特に委員会までも設けて研究しなくてはならぬ
ということは一体どういうことであるか、東亜新秩序建設はこの大戦争、この大
犠牲の目的であるのであります。しかるにこの犠牲、この戦争の目的であるとこ
ろの東亜新秩序建設が、事変以来約一年半の後において初めて現われ、さらに一
年の後において特に委員会までも設けてその原理、原則、精神的基礎を研究じな
くてはならぬということは、私どもにおいてはどうも受け取れないのであります。
(拍手)この点は総理大臣に限らず、興亜院の総裁で宜しいのでありますから、
何故興亜院においては特に委員会までも設けて、こういうことの研究に着手せら
れたのであるか、これを聴いておきたいのでありまず。

 (以下官報速記録より削除せられたる部分)

 私はこれより一歩を進めまして少し私の議論を交えつつ政府の所信を聴いてみ

たい。政府においてはこういうことを言われるに相違ない。また歴代の政府も言
うている。何であるか。このたびの戦争はこれまでの戦争と全く性質が違うので
ある。このたびの戦争に当っては、政府はあくまでも所謂小乗的見地を離れて、
大乗的の見地に立って、大所高所よりこの東亜の形勢を達観している。そうして
何ごとも道義的基礎の上に立って国際正義を楯とし、所謂ハ紘一宇の精神をもっ
て東洋永遠の平和、ひいて世界の平和を確立するがために戦っているのである故
に、眼前の利益などは少しも顧みるところではない。これが即ち聖戦である。 神
聖なるところの戦いであるという所以である。

 かような考えを持つておらるるか分らない。現に近衛声明の中には確かにこの
意味が現われおるのであります。その言はまことに壮大である。その理想は高遠
であります。しかしながらかくのごとき高遠なる理想が、過去現在及び将来国家
競争の実際と一致するものであるか否やということについては、退いて考えねば
ならぬのであります。(拍手)
 いやしくも国家の運命を担うて立つところの実際政治家たる者は、ただ徒に理
想に囚わるることなく、国家競争の現実に即して国策を立つるにあらざれば、国
家の将来を誤ることがあるのであります。(拍手)

 現実に即せざるところの国策は真の国策にあらずして、一種の空想であります、
まず第一に東洋永遠の平和、世界永遠の平和、これは望ましきことではあります
るが、実際これが実現するものであるか否やということについては、お互いに考
えねばならぬことである。古来いずれの時代におきましても平和論や平和運動の
止むことはない。宗教家は申すに及ばず、各国の政治家らも口を開けば世界の平
和を唱える。また平和論の前には何人といえども真正面からして反対は出来ない
のであります。しかしながら世界の平和などが実際得られるものであるか、これ
はなかなか難しいことであります。
 
 私どもは断じて得られないと思っている。十年や二十年の平和は得られるかも
知れませぬが、五十年百年の平和すら得られない。歴史家の記述するところによ
りますると、過去三十五世紀、三千四百幾十年の間において、世界平和の時代は
わずかに二百幾十年、残り三千二百幾十年は戦争の時代であると言うている。か
くのごとく過去の歴史は戦争をもって覆われている。将来の歴史は平和をもって
満たさるべしと何人が断言することが出来るか。(拍手)

 のみならずご承知の通りに近世文明科学の発達によりまして、空間的に世界の
縮小したること実に驚くべきものである。これを千年前の世界に比較するまでも
なく、百年前の世界に比較するまでもなく、五十年前の世界に比較しましても実
に別世界の感が起こらざるを得ないのである。この縮小せられたる世界において、
数多の民族、数多の国家か対立している。そのうえ人口は増加する。生存競争は
いよいよ激しくなって来る。民族と民族との間、国家と国家との間に競争が起こ
らざるを得ない。しかして国家間の争いの最後のものが戦争でありまする以上は、
この世界において国家が対立しておりまする以上は、戦争の絶ゆる時はない。平
和論や平和運動がいつしか雲散霧消するのはこれはやむを得ない次第でありま
す。

 もしこれを疑われるのでありますならば、最近五十年間における東洋の歴史を
見ましょう。先ほど申し上げました通りに、我国はかつて支那と戦った。その戦
いにおいても東洋永遠の平和が唱えられたのである。次にロシアと戦った。その
時にも東洋永遠の平和が唱えられたのである。また平和を目的として戦後の条約
も締結せられたのてありまするが、平和が得られましたか。得られないではない
か、平和が得られないからして今回の日支事変も起こって来たのである。

 また眼を転じてヨーロッパの近状を見ましょう。ご承知の通りに二十幾年前に

ヨーロッパはあの通りの大戦争をやった。五か年の間、国を挙げて戦った戦争の
結果はどうなったか。敗けた国はいうに及ばず、勝った国といえども徹頭徹尾得
失相償わない。その苦き経験に顧みて、戦争などはやるものでない。およそこの
世の中において戦争ほど馬鹿らしきものはない。それ故に未来永久、この地球上
からして戦争を絶滅する。その目的、その理想をもって国際連盟を作った。我か
日本も五大強国のーつとしてこれに調印しているのであります。平和は得られま
したか。国際連盟の殿堂はどうなっているか。民族の発展慾、国家の発展慾は、
紙上の条約などでもって抑制することが出来るものでない。十年経ち、二十年経
つ間においてまたもや戦争熱か勃興して来る。ヨーロッパの現状は活きたる教訓
を我々の前に示しているのであります。

 ある者は言うている、このたびの戦争は「ベルサイユ」条約が因である、「ベル

サイユ」条約においてドイツに向って苛酷なるところの条件を課したから、その
反動として今回の戦争が起こったのであるとこう言うている。一応の理窟である
に相違ない。しかしなから[ベルサイユ」条約がなかったならば戦争は起こらな
かったと誰が断言することか出来るか。第一ヨーロッパ戦争の前におきましては
「ベルサイユ」条約はなかったのてありますけれども、戦争は起こったのである。

 即ち人間の慾望には限りがない、民族の慾望にも限りがない。国家の慾望にも

限りがない。屈したるものは伸びんとする。伸びたるものはさらに伸びんとする。
ここに国家競争が激化するのであります。なおこれを疑う者があるならば、さら
に遡って過去数千年の歴史を見ましょう。世界の歴史は全く戦争の歴史である。
現在世界の歴史から、(発言する者多し)戦争を取り除いたならば、残る何物が
あるか。そうしてーたび戦争が起こりましたならば、もはや問題は正邪曲直の争
いではない。是非善悪の争いではない。徹頭徹尾力の争いであります。強弱の争
いである。強者が弱者を征服する、これが戦争である。正義が不正義を贋懲する、
これが戦争という意味でない。先ほど申しました第一次ヨーロッパ戦争に当りま
しても、ずいぶん正義争いが起こったのであります。ドイツを中心とするところ
の同盟側、イギリスを中心とするところの連合側、いずれも正義は我に在りど叫
んだのでありますが、戦争の結果はどうなったか。正義が勝って不正義が敗けた
のでありますか。そうではないのでありましょう。正義や不正義はどこかへ飛ん
で行って、つまり同盟側の力が尽き果てたからして投げ出したに過ぎないのであ
ります。今回の戦争に当りましても相変らず正義論を闘わしておりますが、この
正義論の価値は知るべきのみであります。つまり力の伴わざるところの正義は弾
丸なき大砲と同じことである。(拍手)羊の正義論は狼の前には三文の値打もな
い。ヨーロッパの現状は幾多の実例を我々の前に示しているのであります。
 

 かくのごとき事態でありますから、国家競争は道理の競争ではない。正邪曲直

の競争でもない。徹頭徹尾力の競争である。(拍手)世にそうでないと言う者が
あるならばそれは偽りであります、偽善であります。我々は偽善を排斥する。あ
くまで偽善を排斥してもって国家競争の真髄を掴まねばならぬ。国家競争の真髄
は何であるか。曰く生存競争である。優勝劣敗である。適者生存である。適者即
ち強者の生存であります。強者が興って弱者が亡びる。過去数千年の歴史はそれ
である。未来永遠の歴史もまたそれでなくてはならないのであります。(拍手)

 この歴史上の事実を基礎として、我々が国家競争に向うに当りまして、徹頭徹
尾自国本位であらねばならぬ。自国の力を養成し、自国の力を強化する、これよ
り他に国家の向うべき途はないのであります。(拍手)
 かの欧米のキリスト教国、これをご覧なさい。彼らは……。
 (「もう宜い」「要点要点」と叫び、その他発言する者多し)

議長(小山松寿君) 静粛に願います。
斎藤隆夫君(続)彼らは内にあっては十字架の前に頭を下げておりますけれども、

ひとたび国際問題に直面致しますと、キリストの信条も慈善博愛も一切蹴散らか
してしまって、弱肉強食の修羅道に向って猛進をする。これが即ち人類の歴史で
いたずらに聖戦の美名に隠れて、国民的犠牲を閑却し、日く国際正義、日く道義
外交、日く共存共栄、日く世界の平和、かくのごとき雲を掴むような文字を列べ
立てて、そうして千載一遇の機会を逸し、国家百年の大計を誤るようなことかあ
りましたならば (小田栄君「要点を言え、要点を」と叫び、その他発言する者
多し) 

議長(小山松寿君)静粛に願います、小田君に注意致します。 

斎藤隆夫君(続)現在の政治家は死してもその罪を滅ぼすことは出来ない。
 私はこの考えをもって近衛声明を静かに検討しているのであります。即ちこれ

 を過去数千年の歴史に照し、またこれを国家競争の現実に照して

(発言する者多し)

議長(小山松寿君)静粛に願います。
斎藤隆夫君(続)かの近衛声明なるものが、果して事変を処理するについて最 善
を尽したるものであるかないか。振古未曽有の犠牲を払いたるこの事変を 処理
するに適当なるものであるかないか。東亜における日本帝国の大基礎を確 立し、
日支両国の間の禍根を一掃し、もって将来の安全を保持するについて適 当なる
ものであるかないか。これを疑う者は決して私一人ではない。(拍手)

 いやしくも国家の将来を憂うる者は、必ずや私と感を同じくしているであろう

と思う。それ故に近衛声明をもって確乎不動の方針なりと声明し、これをもって
事変処理に向わんとする現在の政府は、私が以上述べたる論旨に対し逐一説明を
加えて、もって国民の疑惑を一掃する責任があるのであります。(拍手)

 私はさらに進んで重慶政府と、近く現われんとするところの新政府との関係に

ついてお尋ねを致したいのであります。昨年八月、阿部内閣が成立致しました当
時においては、汪兆銘氏を首班とするところの新政府は今にも現われんとするが
ごとき噂か立てられたのてありますが、それかだんだんと延引して今日に至って
いるのである。しかし聞くところによれば、いよいよ近くその成立を見んとする
のでありますから、これは日支両国のためにまことに慶賀に堪えないことであり
ます。我国はさきに蒋政権を撃滅するまでは断じておさめない、国民政府を対手
にしては一切の和平工作をやらないと宣言している。しかる以上は新たに生るる
ところの新政府、これを援けてもって和平調整をなさねばならぬ。これについて
は誰一人として反対する者はないのであります。

 しかしながら退いて考えて見ますると、一体この新政府はどれだけの力を持っ
て現われるのであるか。これが私どもには分らないのであります。 申すまでも
なくいやしくも国際間において、また国際法上において、政府として立ちまする
以上は、内に向っては国内を統治するところの実力を備え、外に向っては国際義
務を履行するところの能力を有するこの内外両方面の条件を兼備するものにあ
らざれば、政府として立つことも出来ねば、政府としてこれを承認することも出
来ないはずであります。その実力とは何であるか、即ち兵力であります、軍隊の
力であります。如何に法制を整えても、如何に政治機構を打ち建てても、また如
何に文章口舌に巧みでありましても、兵力を有せざる政府の威令が行われるわけ
がない。ことにこれを支那歴朝創業の跡に顧みましても、旧王朝を滅して新王朝
を創業する、旧政権を倒して新政権を建設する者は、ことごとく武人であります。
即ち兵馬の間に天下の権を握らざる者はないのである。
 

 かの孫逸仙か革命事案に向って一生の精力を傾倒したにかかわらず、その業が

成らず志を得ずして終に最後を遂げたのは何が故であるか。つまり彼が武人にあ
らず、武力を有しなかったからであります。これに反して彼の後輩でありまする
ところの蒋介石が、一時なりとも支那を統一したのは何か故であるか。彼が武人
であって武力を有しておったからであります。ことに近頃支那の形勢を見渡しま
するというと、我軍の占領地域であり同時に新政権の統轄地域であるところにお
いてすら、匪賊は横行する、敗残兵は出没する、国内の治安すら完全に維持する
ことが出来ない。加うるに新政府と絶対相容れざるところのかの重慶政府を撃滅
するにあらざれば、新政府の基礎は決して確立するものではない。それ故に新し
き政府を打ち建てる第一の条件は何といっても兵力でありまするが、まさに現わ
れんとするところの新政府にはその力があるのであるかないのであるか、これに
ついてご説明を煩わしたいと思うのであります。

 次に新政府が現われましたならば、我国は何としてもこれを承認せざるを得な
いのであります。これを承認すると同時に、この新政府の発展に向っては極力こ
れを支持せねばならぬのである。支持すべきことをすでに声明せられている以上
は、この声明をどこまでも履行しなければならない。即ちこれがためには政治上
においても、軍事上においても、また経済上においても、その他あらゆる犠牲を
払ってこの新政府を援けねばならぬのである。そうして新政府を援けて将来名実
ともに完全なる独立政府としたその後において、我国との関係が極めて円満に持
続せらるるものであるかないか、これも大切なる問題であるのであります。我々
は決して新政府を疑う者ではない。殊に汪兆銘氏を初めとして、身を挺して和平
救国のために奮闘しているところのかの支那の政治家諸氏に対しては、衷心より
敬意を払う者であります。

 しかしながら、国の異なるに従って国民性にも違いがある。これは仕方がない。
現に汪兆銘氏は一昨年の暮に重慶脱出以来しばしば声明書を発表して、蒋介石に
向って和平勧告をしたのでありまするが、蒋介石はこれを一蹴して顧みない。そ
こで昨年の七月には断然として蒋介石に向って絶縁状を送っている。しかるにも
かかわらずつい最近一月の十六日でありまするか、それこそ辞を卑くし、言葉を
厚くして蒋介石に向って停戦講和の通電をうっている。これは支那の政治家にお
いて初めて出来ることでありまして、我々日本の政治家においては想像も及ばな
いことである。それ故に新政府を援助することは宜しいが、新政府の将来に向っ
て決して盲目であってはならない。これについて総理大臣はどういう考えを持っ
ておられるのであるか、これを一つ承っておきたいのであります。

 次に新政府が出来た後において重慶政府との関係はどうなるものであるか、こ
れにつきましては前内閣の阿部首相は新聞を通じて、こういう意見を述べておら
るるのであります。即ち新政権が出来たならば、新政権は重慶政府に向って働き
かけるであろう。新政権樹立の趣旨が徹底したならば、重慶政府も一緒になって
和平救国の途に就くであろう。こういう意見を述べておられるのであります。し
かしてこれは決して前阿部首相一人のみの意見ではない。今日政府の要人の中に
は、確かにこの意見を持っている人があるのであります。これが私には分りかね
るのである。新政権と重慶政府、どう考えてもこれが将来一致するものであると
は思えないのであります。なぜに一致しないか。ご承知の通り重慶政府は徹頭徹
尾、容共抗日をもってその指導精神となし、これを基として長期抗戦を企ててい
るのである。しかるにこれに反して新政府は反共親日をもって指導精神となし、
それをもって新政府の樹立に向って進んでいるのである。

 この氷炭相容れざる二つのものがどうして一緒になることが出来るか。我々に
おいてはどうもこれは想像がつかない。しかしてこれはただ理窟ばかりの問題で
はなくして支那の現状を見ましてもかようなことは到底想像することが出来な
いのである。ことに先ほど申しましたように、蒋介石を徹底的に撃滅するにあら
ざれば断じて戈をおさめない。この鉄のごとき方針が確立して、これをもってあ
らゆる作戦計画が立てられているべきはずであるのであります。先ほど引用致し
ましたところの文書の中におきましても、確かにその意味は現われているのであ
る。

 「即ち新政府が出来たところが蒋介石は決して兜を脱がない、重慶政府が屈服
しない限りは日本軍はあくまでも重慶征伐に向って進軍するのである。汪兆銘は
日本の重慶征伐に便乗して戦うのである」これが軍部の方針であるに相違ないの
であります。しかるに前内閣の首相及び政府の要人はかくのごとき気楽なる考え
を持っておる。支那事変処理の根本方針について政府と軍部との間において何か
意見の相違があるらしくも思えるのであります。これは前内閣のやったことてあ
りまして、現内閣のやったことではないのてありまするが、しかし支那事変の処
理については前内閣の方針を踏襲すると言われたところの現内閣の総理大臣は、
これについても相当のお考えがあるには相違ないと思いまするから、この点も併
せて伺っておきたいのであります。

 次に重慶政府に対する方針、重ねて申しまするが、蒋政権を撃滅するにあらざ
れば断じて戈はおさめない、蒋介石の政府を対手としては一切の和平工作はやら
ない、この方針は動かすべからざるものでありまするが、その後蒋介石は敗戦に
次ぐに敗戦をもってして、今日は重慶の奥地に逃げ込んで、一地方政権に堕して
いるとはいうものの、今なお大軍を擁して長期抗戦を豪語し、あらゆる作戦計画
をなしているように見受けられるのであります.もとよりこれについては我方に
おきましても確乎不抜の方針が立てられているに相違ありませぬが、しかし前途
のことは測り知ることが出来ない。しかるに一方においてはどこまでも新政権を
支持せねばならぬ。あらゆる犠牲を払ってこれを支持せねばならぬ,即ち一方に
おいては蒋介石討伐、他の一方においては新政権の援助、我国はこれよりこの二
つの重荷を担うて進んで行かなければならぬのでありますか、これが我か国力と
対照して如何なる関係を持っているものであるか,私ども決して悲観するもので
はない。悲観するものではないが、これが人的関係の上において、物的関係の上
において、また財政経済の関係において如何なるものであるかということは、国
民が聴かんとするところであると思うのであります。(拍手)

 それ故にこの点につきましては総理大臣は申すに及ばず、関係大臣において出
来得る限りの説明を与えられたい。我々はもとより言えないことを聴こうとする
のではない。外交上、軍事上、その他経済財政の関係におきましても、言えない
ことがあることは能く承知しているのでありますから、言えないことを聴かんと
するのではない。この議場において言えるだけの程度において、なるべく詳しく
ご説明を願いたいと思うのであります。
 最後に支那全体を対象として、今後の形勢について政府の意見を聴いておきた
いことがある。申すまでもなく支那は非常な大国であります。その面積におきま
しても日本全土の十五倍に上っている、五億に近い人口を有している。我国の占
領地域が日本全土の二倍半であるとするならば、まだ十二倍半の領土が支那に残
されているのであります。この広大なるところの領土に加うるに、これに相当す
るところの人口をもってして、これを統轄するところの力を有する者でなければ、
支那の将来を担って立つことは出来ない。近く現われんとするところの新政府は
これだけの力があるのであるか。私ども如何に贔屓目に見ましても、この新政府
にこれだけの力があるとはどうも思えないのであります。

 そうするとどうなるのでありますか。もし蒋介石を撃滅することが出来ないと
するならば、これはもはや問題でない。よしこれを撃滅することが出来たとして
も、その後はどうなる。新政府において支那を統一するところの力があるのであ
りますか。あると言わるるならばその理由を私は承っておきたい。もしその確信
がないとせらるるならば、支那の将来はどうなるか。各所において政権が分立し
て、互いに軋瞭して摩擦を起こす。新秩序の建設も何もあったものではないので
あります。(拍手)
 そうしてかくのごとき状態が支那に起こるのは何が基であるかというと、つま
り蒋政権を対手にしては一切の和平工作をやらない、即ち一昨年の一月十六日、
近衛内閣によって声明せられましたところの爾来国民政府を対手にせず、これに
原因しているものではないかと思うが、政府の所見は如何であるか。

 しかしてもし今後この方針を固く守って進みますならば、表面においても裏面
においても、公式非公式を問わず、一切重慶政府を対手としてはならないのであ
る。また我国がこれを対手とすることが出来ないのみならず、近く現われんとす
るところの新政権も、断じて重慶政府を対手にすることは出来ないはずなのであ
ります。我が日本は対手にしはしないが、新政府はこれを対手にしても宜いとい
うことは、これは言われない。なぜならば新政府に対しては日本は干渉はしない
が指導するのである。即ち新政府に対して日本は指導的立場に立っているのであ
りまするから、もし新政府が重慶政府に向って何か交渉の途を開くと仮定致しま
するならば、これは誰が見たところが日本の指導に基づくものに相違ないと思う。
 また思われても仕方がないのであります。そうすると支那の将来はどうなるも
のでありますか。いつまで経ってもこの現状をば精算することは出来ないと思わ
れるのでありまするが、政府はこの点についてどういうお考えを持っておられる
のでありますか、これもあわせて伺いたいのであります。(拍手)

 私の質問は大体以上をもって終りを告げるのでありまするが、最後において一
言を残して、あわせて政府の所信を質しておきたいことかある。改めて申すまで
もござりませぬが、支那事変は実に建国以来の大事件であります。建国以来二千
六百年、この間において我国は幾度か外国と事を構えたことはありまするけれど
も、今回の事変のごとくその規模の広大なるもの、その犠牲の大なるものはない
のであります。したがってこの事変が如何に処理せられ如何に解決せらるるかと
いうことは、実に我が日本帝国の興廃の岐るるところであります。事変以来今日
に至るまで我々は言わねばならぬこと、論ぜねばならぬことはたくさんあるので
ありまするが、これは言わない、これは論じないのであります。我々は今日に及
んで一切の過去を語らない、また過去を語る余裕もないのであります。一切の過
去を葬り去って、なるべく速やかに、なるべく有利有効に事変を処理し解決した
い。これが全国民の偽りなき希望であると同時に、政府として執らねばならぬと
ころの重大なる責任であるのであります。(拍手)

 歴代の政府は国民に向ってしきりに精神運動を始めている。精神運動は極めて
大切でありまするが、精神運動だけで事変の解決は出来ないのである。いわんや
この精神運動が国民の間にどれだけ徹底しているかということについては、この
際政府としても考え直さねばならぬことがあるのではないか。(拍手)
 例えば国民精神総動員なるものがあります,この国費多端の際に当って、ずい
ぶん巨額の費用を投じているのでありまするが、一体これは何をなしているので
あるかは私どもには分らない。(拍手)

 この大事変を前に控えておりながら、この事変の目的はどこにあるかというこ
とすらまだ普く国民の間には徹底しておらないようである。(「ヒヤヒヤ」拍手)
聞くところによれば、いつぞやある有名な老政治家か、演説会場において聴衆に
向って今度の戦争の目的は分らない、何のために戦争をしているのであるか自分
には分らない、諸君は分っているか、分っているならば聴かしてくれと言うたと
ころが、満場の聴衆一人として答える者がなかったというのである。(笑声)
 ここが即ち政府として最も注意をせねばならぬ点であるのである。 ことに国
民精神に極めて重大なる関係を持っているものであって、歴代の政府か忘れてい
るところの幾多の事柄があるのであります。例えば戦争に対するところの国民の
犠牲であります。いずれの時にあたりましても戦時に当って国民の犠牲は、決し
て公平なるものではないのであります。即ち一方においては戦場において生命を
犠牲に供する、あるいは戦傷を負う、しからざるまでも悪戦苦闘してあらゆる苦
艱に耐える百万、二百万の軍隊がある。またたとえ戦場の外におりましても、戦
時経済の打撃を受けて、これまでの職業を失って社会の裏面に蹴落される者もど
れだけあるか分らない。しかるに一方を見まするというと、この戦時経済の波に
乗って所謂殷賑産業なるものが勃興する。あるいは「インフレーシヨン」の影響
を受けて一攫千金はおろか、実に莫大なる暴利を獲得して、目に余るところの生
活状態を曝け出す者もどれだけあるか分らない。(拍手)戦時に当ってはやむを
得ないことではありますけれども、政府の局にある者は出来得る限りこの不公平
を調節せねばならぬのであります。

 しかるにこの不公平なるところの事実を前におきながら、国民に向って精神運
動をやる。国民に向って緊張せよ、忍耐せよと迫る。国民は緊張するに相違ない。
忍耐するに相違ない。しかしながら国民に向って犠牲を要求するばかりが政府の
能事ではない。(拍手)これと同時に政府自身においても真剣になり、真面目に
なって、もって国事に当らねばならぬのではありませぬか。(「ヒヤヒヤ」拍手)

 しかるに歴代の政府は何をなしたか。事変以来歴代の政府は何をなしたか。
(「政党は何をした」[黙って聞け」と叫ぶ者あり)
 二年有半の間において三なび内閣が辞職をする。政局の安定すら得られない。
こういうことでどうしてこの国難に当ることが出来るのであるか。畢竟するに政
府の首脳部に責任観念が欠けている。(拍手)身をもって国に尽すところの熱力
が足らないからであります。畏れ多くも組閣の大命を拝しながら、立憲の大義を
忘れ、国論の趨勢を無視し、国民的基礎を有せず、国政に対して何らの経験もな
い。しかもその器にあらざる者を拾い集めて弱体内閣を組織する。国民的支持を
欠いているから、何ごとにつけても自己の所信を断行するところの決心もなけれ
ば勇気もない。姑息倫安、一日を弥縫するところの政治をやる。失敗するのは当
り前であります。(拍手)

 こういうことを繰り返している間において事変はますます進んで来る。内外の
情勢はいよいよ逼迫して来る。これが現時の状態であるのではありませぬか。こ
れをどうするか、如何に始末をするか、朝野の政治家が考えねばならぬところは
ここにあるのであります。
 我々は遡って先輩政治家の跡を追想して見る必要がある。日清戦争はどうであ
るか、日清戦争は伊藤内閣において始められて伊藤内閣において解決した。日露
戦争は桂内閣において始められて桂内閣が解決した。当時日比谷の焼打事件まで
起こりましたけれども、桂公は一身に国家の責任を背負うて、この事変を解決し
て、しかる後に身を退かれたのであります。伊藤公といい、桂公といい、国に尽
すところの先輩政治家はかくのごときものである。しかるに事変以来の内閣は何
であるか。外においては十万の将兵が斃れているにかかわらず、内においてこの
事変の始末をつけなければならぬところの内閣、出る内閣も出る内閣も輔弼の重
責を誤って辞職をする、内閣は辞職をすれば責任は済むかは知れませぬが、事変
は解決はしない。護国の英霊は蘇らないのであります。(拍手)私は現内閣が歴
代内閣の失政を繰り返すことなかれと要求をしたいのであります。

 事変以来我が国民は実に従順であります。言論の圧迫に遭って国民的意思、国
民的感情をも披瀝することが出来ない。ことに近年中央地方を通じて、全国に弥
漫しておりますところのかの官僚政治の弊害には、悲憤の涙を流しながらも黙々
として政府の命令に服従する。政府の統制に服従するのは何がためであるか、一
つは国を愛するためであります。また一つは政府が適当に事変を解決してくれる
であろうことを期待しているがためである。

 しかるにもし一朝この期待が裏切らるることがあったならばどうであるか、国
民心理に及ぼす影響は実に容易ならざるものがある。(拍手)しかもこのことが、
国民が選挙し国民を代表し、国民的勢力を中心として解決せらるるならばなお忍
ぶべしといえども、事実全く反対の場合が起こったとしたならば、国民は実に失
望のどん底に蹴落とされるのであります。国を率いるところの政治家はここに目
を着けなければならぬ。
 繰り返して申しまするが、事変処理はあらゆる政治問題を超越するところの極
めて重大なるところの問題であるのであります。内外の政治はことごとく支那事
変を中心として動いている。現にこの議会に現われて来まするところの予算でも、
増税でも、その他あらゆる法律案はいずれも直接間接に事変と関係をもたないも
のはないでありましょう。それ故にその中心でありまするところの支那事変は如
何に処理せらるるものであるか、その処理せらるる内容は如何なるものであるか
これが相当に分らない間は、議会の審議も進めることが出来ないのである。私が
政府に向って質問する趣旨はここにあるのでありまするから、総理大臣はただ私
の質問に答えるばかりではなく、なお進んで積極的に支那事変処理に関するとこ
ろの一切の抱負経綸を披瀝して、この議会を通して全国民の理解を求められんこ
とを要求するのである。(拍手) 私の質問はこれをもって終りと致します。
(拍手)(発言する者あり)

議長(小山松寿君)野溝君にご注意致します。
 (国務大臣米内光政君登壇)
国務大臣(米内光政君)お答致します,
 支那事変処理に関する帝国の方針は確乎不動のものであります..政府はこの
方針に向って邁道せんとするものてあります。戦争と平和に関するご意見は能く
拝聴致しました,以下具体的問題についてお答を致します。
 支那側の新中央政府に関する帝国の態度は如何、こういうご質問であります汪
精衝氏を中心とする新中央政府は、東亜新秩序建設につきまして、帝国政府と同
じ考えを持っておりますから、帝国と致しましては、新政府が真に実力あり、か
つ国交調整の能力あるものであるということを期待致しまして、その成立発展を
極力援助せんとするものであります。(拍手)
 その次に新政府樹立後、これと重慶政権との関係は如何というご質問でありま
するが、新政府が出来上りまして、差当り重慶政府と対立関係となるということ
は、やむを得ないものと考えておりまするが、重慶政府が翻意解体致しまして新
政府の傘下に入ることを期待するものであります。
 次に国内問題でありまするが、政府は東亜新秩序建設の使命を全うせんがため
に、鞏固なる決意のもとに手段を尽して断乎時局の解決を期している次第であり
ます。この興亜の大事案を完成しまするためには、労務、物資、資金の各方面に
亘りまして、戦時体制を強化整備致しまして、国家の総力を挙げて、本問題処理
のために総合集中することが肝要てありまして、これがために真に挙国一致、不
抜の信念に基づきまする国民の理解と協力とを得ることが必要であると存ずる
のであります、(拍手)   (斎藤隆夫著「回顧七十年」中公文庫より)

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