【沖縄・侃々諤々】

新たな歴史舞台を宣言
自己決定権行使の意思表示

新垣 毅


 11月16日の沖縄県知事選で現職に約10万票の大差を付けて圧勝した翁長雄志氏が訴えた「誇りある豊かさ」。本人がそこにこめたかった具体的意味はさておき、なぜその言葉が県民の心を捉えたか、琉球新報による県民意識調査をもとに探ってみたい。そこからは、翁長氏が終始訴えた「沖縄のアイデンティティー」「オール沖縄」の社会的意味も見えてくる。

 調査は2001年から5年に一度実施しており、2012年が直近のデータである。その結果が最も深刻に表しているのが、沖縄における地域の人間関係が急速に希薄化している事実、すなわち人間関係の空洞化という問題だ。

 隣近所とのつきあいは10年前と比べ「まったくない」「あいさつ程度」の消極的な人は8.6ポイント増え、45.3%。逆に「とても盛ん」「普通に会話する程度」は8.4ポイント減り54.7%。地域の行事や祭りへの参加に「まったく」「ほとんど」参加しない人は9.9ポイント増えたが、「よく」「たまに」参加する人は逆に9.9ポイント減った。最近5年の近所付き合いの減少は著しい。とくに30代以下は希薄化が著しい。中高年者の孤立も垣間見える。

■沖縄振興策の死角
 背景には長引く不況による雇用環境の悪化、家計の厳しさから、近隣や地域と付き合うゆとりがなくなっていることがあるかもしれない。若者はコンビニやショッピングセンター、ネットを利用する傾向が強いので、近所づきあいの必要性を感じないのだろう。

 物の豊かさも一因だ。沖縄は急速な経済発展に伴い、コミュニティーの崩壊が進んでいる。それには、1972年の日本復帰後、強力に推し進められた沖縄振興策が深く関わっているように思えてならない。

 米国の政治学者ロバート・パットナムは、人々の結びつき、いわゆる社会関係資本(ソーシャル・キャピタル)が行政の統治効果を大きく左右すると実証した。人々に信頼関係があり、協調行動が多彩な地域は、そうでない地域より、同じ政策を実施しても効果が上がるという。地域社会の問題解決能力、いいかえれば自治の能力を高めるには、社会関係資本が絶対的に必要となる。

 沖縄振興の名の下で、日本復帰後10兆円を超す国家予算が沖縄に投入された。確かに道路や港湾などのインフラ整備は進んだが、いくら都市化しても、自分の地域の実情に合わせた問題解決は回避できない問題としてあり続ける。その問題の解決には、地域や住民、その代表である議会議員、首長らの、認識、考え、政策、行動、すなわち地域の主体性が深く関わる。

 しかし、2012年までの沖縄振興計画は国が策定してきた。13年からは、策定主体が初めて県に移ったが、全国で自分らの総合計画を都道府県ではなく、国が策定するのは沖縄だけだった。それまで、県は主に、国の予算執行を代行する職務が中心となり、県議会もそのチェックにとどまり、いずれも、地域の問題を解決したり地域を発展させたりする政策形成能力が問われてこなかった。市町村も似た状況に置かれてきた。

■「誇り」の隆盛
 一方で、沖縄の主体性への希求は強まった。それは、沖縄アイデンティティーへの評価からもうかがえる。県民意識調査では、「あなたは沖縄人(ウチナーンチュ)であることを誇りに思いますか」との質問には55.8%「とても誇りに思う」、33.5%「まあ誇りに思う」と答え、実に9割近くが誇りに思っている。「あまり誇りに思わない」は2.8%、「全く誇りに思わない」は0.5%とわずかだった。

 ただ、しまくとぅばを聞けて話せる人は初めて5割を切った。とくに20〜30代で約1割にとどまる。国連のユネスコが2009年に琉球諸語を「独自の言葉」と認め、絶滅の危惧を表明した。言葉は文化の核であり、その地域住民の精神そのものと言っても過言ではない。現状は深刻だ。

 こうした結果から何が見えるか—。沖縄は1879年の「琉球処分」といわれる日本による併合によって、その後、同化を強いられた。日本の辺境にあるからこそ、「非日本人」への差別という恫喝システムと、他国との戦争や紛争に巻き込まれる危険性にさらされ、それらがまた、沖縄人に同化を強く動機づけるエンジンとして機能した。

 学校現場で沖縄の言葉を話す人を相互に監視し、処罰者を決める「方言札」に象徴されるように、沖縄の言葉、文化、慣習は「未開」「汚い」「野蛮」なものとされ、逆に、日本の言葉、文化、習慣、振る舞いは「文明」「進歩的」「清潔」なものとして、非対称的な価値観が形成され、教育されていく。このことは、多くのポストコロニアリズム研究者が指摘している。

 その悲劇的結末が沖縄戦で本土決戦を遅らせる防波堤としての住民の戦争動員であり、強制集団死(「集団自決」)だ。住民が強いられたのは「立派な日本人」として死ぬことだった。

 戦後も、沖縄の人々は米国の統治下に置かれ、27年間、女性・子どもがレイプされるなど犯罪が多発し、小学校に米軍ジェット機が墜落、18人の犠牲者を出すなど戦場にも似た人権蹂躙と命の危険にさらされる。その中で起きたしまぐるみの土地闘争、主席公選獲得、平和憲法への復帰運動は、いわゆる人権回復、自治権獲得、平和の権利を要求する権利獲得運動とみることができる。それは今も続いている。

 この運動の中で沖縄の人々は「沖縄人」や「沖縄文化」に対し、価値観を転換させる作業を行った。沖縄の人は「ぬちどぅ宝」を合い言葉にした「平和を愛する民」であり、世界を相手にした、自立への気概の高い「海洋民族」であり「ゆいまーる」は共生の思想だと。それらは「自由・平等・平和」といった市民性原理と共鳴するもので、矛盾するようだが、普遍的であり、さらに沖縄的であるという価値観だ。

 さらに空手やエイサー、琉球舞踊、唄・三線などは、世界に誇れる沖縄文化なのだと。1990年代以降、首里城の復元や全国的な沖縄ブームとともにその誇りは高まった。それが、9割近くが沖縄人を誇りに思うことにつながった。

■抵抗の主体
 この価値観の転換作業は、69年に佐藤—ニクソン会談で沖縄の米軍基地が残る内容の沖縄返還合意が明らかになった後、70年前後に登場する。それを生み出した沖縄の知識人の言説を丁寧に分析すると、米軍や日本への抵抗の主体として登場する。背景には、戦後、 アジア・アフリカなど第三諸国が自決権や差別解消、文化復興などを叫んだ世界的な動きがある。沖縄もその流れに位置付けることができる。

 ここで翁長氏の言葉に戻ろう。那覇市長として、しまくとぅばの復活運動を繰り広げてきた翁長氏は「アイデンティティー」や「くとぅば」を媒介し沖縄が一つにまとまることを提起した。すなわち「オール沖縄」だ。これまで、日本政府が米軍基地と引き替えにした振興策により、基地を押しつけられる一方、国のひも付き予算によって自分らで地域の問題を解決する機会を奪われてきたことへのアンチテーゼである。言葉や文化、アイデンティティーを触媒にまとまることで、人間関係やコミュニティーの回復を狙い、さらには自治権を高める意図もある。
 と同時に、基地か、振興策か—と翻弄され、分断されてきた県民、その分断を肩代わりする保守と革新の勢力対決を終わらせる意味もある。

 沖縄にとって対内的には、言葉や文化、歴史の記憶を奪われ、ぼろぼろに傷ついている精神、そして人間関係を取り戻すこと。対外的には「軍事植民地」への統治手法として行われてきた住民への分断統治を、沖縄の人々、自らの手によって終わらせることを意味する。それは、沖縄が日米に対峙し、基地押し付けという差別をやめさせる抵抗ののろしだ。

 こうした意味で「誇りある豊かさ」とは、単に経済的、物質的な豊かさを意味しない。ウチナーンチュ(沖縄人)としての誇りを糧に、沖縄の豊かな自然環境や文化を子や孫に残すとともに、私らにとっての「豊かさ」を自ら発見・定義していくという自己決定権行使の意思表示なのだ。それに伴って主張されている「アイデンティティー」のもう一つの顔は、日本人に向けて「もう差別はやめよ」と強く叫ぶ抵抗の主体である。

 いま、沖縄は新しい舞台に立ち、自分たちで歴史を切り開く歩みを始めようとしている。

 (あらがきつよし:琉球新報社編集委員、43歳、那覇市)


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