【コラム】
風と土のカルテ(69)

新型肺炎で再認識した「ワンヘルス」の意義

色平 哲郎

 中国の湖北省、武漢を中心に新型コロナウイルスによる肺炎が相次いでいる。一方、感染拡大の封じ込めを目指す中国当局は、武漢市の住民1,100万人が市外に移動するのを原則禁止しているという。

 予断を許さない状態が続く中、最近、とみに注目されてきた「ワンヘルス」(One Health)という概念の大切さをひしひしと感じている。ワンヘルスとは、人、動物、環境は相互に密接な関係があり、それらを総合的に良い状態にすることが「真の健康」だとする考え方だ。

 グローバル化と世界的な人口増が進む中、環境・食料・感染症など、人類共通の様々な課題が浮上してきた。これらの課題の克服には、世界は一つ、健康も一つ、「ワンワールド、ワンヘルス」の観点での分野横断的なアプローチが求められる。
 日本の厚生労働省も、「人、動物、環境の衛生に関わる者が連携して取り組むOne Health(ワンヘルス)という考え方が世界的に広がってきており、One Health の考え方を広く普及・啓発するとともに、分野間の連携を推進しています」と掲げる
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000172990.html
 日本医師会と日本獣医師会も、連携シンポジウムを頻繁に開いている。

ワンヘルスを左右する政治・行政のありよう

 ワンヘルスの考え方に立脚すると、今回の新型コロナウイルスによる肺炎の拡大は、「情報伝達」の面で行政が十分に機能しなかったように推測される。報道によると「原因不明の肺炎治療に関する緊急通知」という武漢市衛生健康委員会(衛生当局)作成の文章がインターネット上に流れたのは、2019年12月8日。「華南海鮮市場」が関係していると記されていた。海鮮と掲げているが、この市場では、タケネズミ、アナグマ、ハクビシン、ヘビ、クジャクなどの野生生物が違法に販売されていたという。

 2002年から03年にかけてアウトブレイクした重症急性呼吸器症候群(SARS)のウイルスは、コウモリ由来の可能性が高いとされ、今回も野生生物が感染源との見方が早い段階で示されていた。ところが、同海鮮市場が閉鎖されたのは、2020年1月1日。最も重要な初期対応で出遅れた感が否めない。1月11日に初の死亡例が発表され、13日にタイ、16日に日本で中国人の感染者が確認されたが、中国では武漢以外の各地で感染の報告がなかなか出てこなかった。20日になって初めて、北京市と広東省で感染者の発生が公表される。

 ワンヘルスの概念に照らせば、情報が遅れ、分野横断的な対応が十分には取れていないように感じられる。背景には、武漢市の行政官の保身、臭いものにふたをしようとする情報隠蔽の体質がある、とメディアは指摘している。一党独裁、強権的な独裁体制のもとで、地方に問題が発生すると、行政幹部は左遷や更迭を強いられる。「恐怖政治」に怯え、問題がなかったことにしたい。そのような心理作用が働くのだろうか。

 はからずも、ワンヘルスにとって、政治体制や行政のありよう、公僕の働きぶりが極めて重要だということが明らかになってきた。武漢市に対して、中国メディアの追及も強まっている。1月22日以降、周先旺・武漢市長に「6つの公開質問」が突きつけられた。海鮮市場を速やかに閉鎖しなかった理由は何か、武漢市が長く肺炎感染を公表しなかったのは、開催されていた重要会議に向けて安定した雰囲気をつくりたかったからではないか、といった問いのほかに、こんな質問もある。

 「1月14日に多くのメディア記者が武漢の感染症専門病院に取材に行った際、地元警察は、取材メモや写真などの削除を要求しただけでなく、記者を連行して数時間にわたり尋問した。警察による取材妨害の法的根拠はどこにあるのか」(2020年01月25日 時事ドットコムニュース「新型肺炎、真実語らない政府の隠蔽体質」)

 ワンヘルス以前の問題として、「人権」「人間の尊厳」がヒトの健康、公衆衛生にとって最重要なことは言うまでもない。

 (長野県佐久総合病院医師・『オルタ広場』編集委員)

※この記事は著者の許諾を得て『日経メディカル』2020年1月29日号から転載したものですが、文責は『オルタ広場』編集部にあります。
 https://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/blog/irohira/202001/564028.html

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