新宿駅頭で

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≪2011年私の視点≫
■ 新宿駅頭で                  船橋 成幸
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 昨年末のある夕暮れ、『オルタ』の仲間たちとの会合を終えて、新宿駅東口付
近の雑踏にもまれながら、ふっと思ったことがある。
  当たり前のことだが、周りにひしめき合っている何百人、何千人とも知れぬ人
びとの中で、私のような「戦中派」はほんの一握り、数パーセントにも満たない
存在でしかない。

 戦後66年目、85歳を生きる私の脳裏から、かつての戦争は決して離れるこ
とのない凄烈な記憶である。だが、このさんざめく賑わいの中の人たちは、ほと
んどが戦争という大量殺戮の現場を知らず、この新宿の街も、ことごとくが焼け
野が原だったという現実に想いを及ぼすこともめったにあるまい。

 だから、私たちは懸命に伝えようとしてきた。戦後の反戦平和運動を力一杯た
たかってもきた。しかし、それはまだまだ不徹底で、そのうえ一面的でもあっ
た。あえて一面的というのは、私たちの世代による戦争体験の伝承は「日本人の
被害」の強調に偏り、その同じ日本人が、国家権力に強いられてのこととはい
え、近隣諸国の人民にとっては凶暴な加害者であった事実、そのことへの反省が
いささか足りなかったように思うからである。

 広島、長崎、沖縄、そして全国大多数の都市と地域がこうむった戦争被害には
語りつくせぬものがある。だが、日本軍国主義による侵略戦争は、その幾倍も、
比較できぬほどの災禍を諸国民にもたらした。しかも当時は大多数の日本人が、
戦争指導者の声に従って侵略の先兵とされ、あるいはその所業を「正義」と信じ
こまされて力を合わせていた。

 つまり私たち日本人は、戦争の被害と同時に加害の歴史を担っている。そのこ
とを私たち「戦中派」はもとより、「戦争を知らない」すべての世代の人びとも
直視して、かつて侵略の犠牲を強いた諸国の人民と心を開き、思いをつなぐ努力
が肝要である。再び日本が関与してアジアに危うい雰囲気がただよっているいま
の情況を押し返し、近隣諸国民との真に奥深い信頼と友好、平和共存を希求する
うえで、歴史認識の共有は不可欠の要件だからである。

                 (筆者は元横浜市参与)

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