【コラム】中国単信(28)

日・中両国にある物、ない物

趙 慶春


 新宿西口の「思い出横丁」には、金券ショップが十数店舗並んでいて、それなりに繁盛しているようである。図書券、ビール券 レコード券、乗り物の回数券等々、その種類はかなり多い。額面より低い金額でも現金に換えたい者と、額面より多少でも安く金券を手に入れたい者との仲介が金券ショップの業務である。

 中国にも日本と同じような金券は存在する。企業が福祉の一環として、新年など季節の節目などに支給することが多く、かなり大量の金券が出回っているはずである。ところが日本のような金券ショップはあまり見かけない。なぜなのか?

 中国人の特性と言えるだろうが、金券ショップで換金する際に割り引かれる10%前後の「損」が受けいれがたいからである。それでは手持ちの金券の行方は?
 おそらく金券が使える店に行き、現金での買い物客を物色して、その場で換金を依頼するに違いない。はたからは白い目で見られようとも、一日でも二日でも根気よく交換に応じてくれる客を捜し続けるのである。

 一方、中国にあって日本にない商売もある。中国語で「招手停」という、路線バスと同じルートを走りながら、どこででも乗り降りができる乗り物である。筆者は勝手に「路線タクシー」と読んでいる。乗車賃は路線バスのほぼ倍だが、タクシーよりは遥かに安いし、路線バスのぎゅうぎゅう詰めからも解放される。

 中国に金券ショップがない理由も、「路線タクシー」の繁盛ぶりも、日本人にどうしても理解不能と言うほどの事象ではないだろう。しかし次のような商売は日本ではちょっと考えられない。

●「レンタル恋人」
 結婚についてしきりに口出す親対策として現れた商売。
 親元に帰省する際、臨時に恋人になってもらい、両親に紹介して親を安心させるというもので、帰省終了時点でレンタル契約も終了する。この間、ニセ恋人として親の家で起居を共にすることになる。

●「レンタル分身」
 仕事などで親元に帰省できない本人に代わって、いわば自分の分身として親に尽くすことを引き受ける商売。
 これで親孝行をしたとは思わないだろうが、親元に行かないよりは、たとえ他人に頼んでも親へのサービスをした方がよいという判断からである。

●「レンタル孝行」
 親の葬儀でその子に代わって盛大に泣く「泣き男」「泣き女」になる商売。
 葬儀という特定の場での業種だが、亡くなった者への配慮ではなく、残された家族の面子の問題なのだろう。面白いのは葬儀に列席した中国人が、特に冷たい目で見ているわけではなさそうだ。

 日本では商売としてまず成り立たない奇天烈な業種が現れるのは、現実主義的発想と損得勘定で中国人は行動するからにほかならない。その際、既存の考え方や思惟経路は完全にどこかに行ってしまう。こうして日本人には理解できない奇抜な発想と行動も現れてくることになるのである。

 例えば生存権にも大きく関わってきている中国の大気汚染問題などが格好の例で、企業ならば利益を上げるために常に「コスト抑制」をはかろうとする。そして利益率を下げる元凶が環境対策費の高騰に起因するとなれば、ここで現実主義が強く働き、環境対策のコストカットとあいなる。中国大気汚染の最大の原因はここにあると筆者は思っている。

 これを一般庶民の生活で見ると、日本では普及しているが、中国ではそれほどでもない例がそれなりにある。

●「自販機」。
 自動販売機が中国であまり普及しないのは、失業率が高く人件費が安い中国では、立ち売りや露店、個人商店がひしめいていて自販機の必要性がないからである。そしてもう一つの理由が「損得勘定」である。そばに自販機があっても、少し歩けばスーパーマーケットで自販機で買うより安く買えると判断するからである。中国ではコンビニが日本ほど普及しないのも同じ理由にほかならない。

●「ゴミ袋の有料化」。
 日本では自治体によって異なるが、ゴミ袋を有料化している所も多い。しかし中国ではおそらく普及しないだろう。なぜなら中国人の“平等感”では、ルールを守らない人がいれば、守った人は自分が損をしたと思うからである。このような「損得勘定」と国民の総合的な資質を合せるなら、ゴミ袋の有料化実現はかなり先のことになりそうである。

 ところが経済力が向上するにつれて、どうやら「損得勘定」の折り合い点も上昇するようである。老人ホームが良い例だろう。

 これまで老人ホームは、設備もケアも悪いという評価が一般的で、そんな所へ親を入れる子どもは親不孝者と見られてきていた。一方、人びとに満足を与えるあらゆる面で素晴らしい老人ホームがあっても、あまりにも高額であるため、やはり子どもたちが世話をする中国人が絶対多数を占めていた。ところが最近、ある程度生活にゆとりの出てきた家庭をターゲットに、設備、ケアも一定水準の老人ホームが注目され始めてきている。

 つまり中国人の「損得勘定」の基準が、経済面での裕福さの向上によって「老人ホーム」のとらえ方を変えつつあるということだろう。

 ここには中国の一人っ子政策などで、親を面倒見たくても見られないといった、単に経済的視点からだけではない「損得勘定」も働いているに違いない。
 今では日本企業やその資本もかなり参戦し始めていることから、これまで中国では普及していなかった老人ホームが中国人に注目され、普及していく可能性が大きくなってきているのである。

 現実的な「損得勘定」で行動するという中国人の思考の特性は、そうたやすく変わることはないだろう。しかし、この「損得勘定」の基準が変化することはすでに述べたように大いにあり得る。

 したがって現在、日本で普及していて中国で普及していなくても、中国人にもっと経済力がつけば、おのずとあらゆる生活面での向上を求めるようになるはずである。そうなれば日本にある物は中国にもあるという状況が生まれる可能性がある。
 しかしそれでもやはり日本と中国で、それぞれある物とない物が存在し続けるだろう。
 それは紛れもなく、中国人と日本人の思考様式の違いと民族性の違いに起因するからである。

 当たり前のことだが、日中の両国(民)はこうした民族性の違いや思考様式の違いに対する理解と、それを認め合う姿勢こそ求められているのであり、着実にこの視点を養っていくことができれば、たとえ政治的なぎくしゃくが生じたとしても、それを乗り越えていけるようになるのではないだろうか。

 (筆者は女子大学准教授)


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