日本における経済・雇用を考える

■ 日本における経済・雇用を考える

~「大転換」期における労働組合の役割~ 龍井 葉二

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はじめに

8ヶ月の短命で終わった鳩山内閣。「明治維新だって形が見えてくるのに十数
年かかったんだ、半年や一年で評価はできない。」確かにその通りであろう。今
回の政変も、自民党政権の自滅のように見えて、それを必然ならしめた政治・経
済・社会の地殻変動があることは間違いない。しかし、その地殻変動は、コトの
成り行きに任せれば自ずと姿が見えてくるわけではない。明確なビジョンと志が
なければならない。

しかしながら、この8ヶ月間の政治プロセスは、ビジョンと志の欠如もさるこ
とながら、すでに日程にのぼっていた参院選から逆算されたものだったように思
われる。もしも、今回の参院選がもう1年後であったら、民主党政権の政治プロ
セスはかなり異なったものになっていた可能性がある。われわれは、いま一度、
政変という地殻変動の本質を、しっかりと見定める必要があろう。
もう一つの政変、つまりアメリカにおけるブッシュからオバマへの転換も、そ
れを必然ならしめた地殻変動のあらわれに他ならない。それも、アメリカ一国の
現象ではなく、地球規模の政治・経済プロセスの大転換として見る必要がある。
一言でいえば、アメリカ一極集中システムの瓦解である。

「百年に一度」という表現は、あのリーマン・ショックに端を発した世界恐慌
に用いられたものだが、単なる経済現象としてではなく、日本、アメリカ、そし
て世界を通底する「大転換」でもあることを示唆しているように思う。

  日本の経済と雇用を考えていく際にも、一つひとつの現象や変化に一喜一憂
するのではなく、大きなベクトルの方向を絶えず念頭におかなければならない。
それは同時に、労働組合にとっても、これまでの延長線上ではない、大きな転換
を突きつけているのである。


■1.経済と雇用・くらしのギャップ


(1) 回復傾向にある日本経済


  リーマン・ショックから約一年半を経て、日本における経済と雇用は、おおむ
ね回復傾向にあるといわれている。
「景気は着実に持ち直してきているが、なお自律性は弱く、失業率が高水準に
あるなど厳しい状況にある」。政府の5月・月例経済報告による日本経済の基調
判断である。GDPの実質成長率は前期比4.9%増(年率・速報値)であった
が、外需の影響が大きいとして、個人消費と設備投資は基調判断が据え置かれて
いる。
 
  たしかに、輸出の伸びは堅調で、2008年10~12期からずっと前年同期比マイナ
スが続いていたのに、2010年1~3月期は前年比40%増となっている。それを引っ
張っているのはアジア向け輸出であり、他地域への輸出も伸びてはいるがその幅
は大きくない。

 また、日銀の景気判断は、「持ち直し」から「緩やかに回復」と上方修正して
おり、EU経済の日本への影響も「限定的」(総裁発言)としている。
 
  一方、失業率は、2009年7月の5.6%をピークに低下を続け、今年の1~2月は
4.9%水準に回復していたが、3月5.0%、4月5.1%と僅かながら悪化している。
 
  とくに見逃せないのが、失業期間別に見た失業者数の推移で、今年1~3月期の
長期失業者数(失業期間1年以上・月平均)は114万人と、5年ぶりに100万人の
大台を超えた。さらに、年代別の失業者数を見ると、15~34歳の若年世代が、昨
年10~12月期の40万人から、今年の1~3月期の48万人へと急増しており、これら
の数字は、リーマン・ショック後に行われた雇用調整の傷の深さを物語っている。

(2) 改善しない家計・雇用不安


こうした状況のもとで、労働者の労働とくらしの実態はどうなっているのか。
連合総研が毎年二回実施している「勤労者短観」(第19回・2010年4月実施)か
ら、特徴的なデータをいくつか列挙してみよう(因みに前回調査は2009年10月)。
  ①賃金収入=「1年前と比べて賃金収入が減った」が34.6%で前回より微  
減。「増えた」23.4%は前回とほぼ同水準。業種別では、製造業、運輸・通信業
で「減った」が4割を超える。また、1年後の賃金収入については「減ると思
う」21.9%が「増えると思う」21.0%を上回っている。

②雇用不安=「今後1年間に失業する不安を感じる」は23.5%で、前回より
4.8%ポイント低下しているが4月調査としては過去最高(09年4月)に並ぶ水
準。とくに男性・非正社員(46.5%)で高く、企業規模別では、規模が小さいほ
ど不安を感じる割合が高くなっている。
③家計=過去1年間の世帯収入にいて「赤字」が38.6%に達している。とく
に、世帯年収400万円未満の世帯、男性非正社員の世帯では6割を超えており、
「税金や社会保険料を支払えなかった」「食事の回数を減らした」とする割合が
相対的に高くなっている。

 このように、「収入減」「雇用不安」「家計赤字」などの深刻な実態が浮き彫
りになっている。果たして、日本経済の「回復」によって、これらの問題もいず
れは解消されていくことになるのだろうか?


■2.日本経済の「回復」をどう見るか?


(1) 2002~07年「回復」の検証


ここで想起する必要があるのは、かつての2002~07年の「回復」とは何であっ
たのか、ということである。
  2002~07年の「回復」は、「いざなぎ越え」と呼ばれ、その回復期間の長さば
かりが喧伝されたが、1960年代の「いざなぎ景気」とは著しい違いがあった。そ
れは、成長率の低さだけではない。その「回復」の流れそのものの違いである。
その特徴をやや強引に列挙してみよう。

 1)国内需要は減少・停滞を続け、もっぱら輸出依存であったこと。
2) 労働者の賃金は減少し続け、株主利益、役員報償だけが上昇を続けこと。
  3) 正社員は減少し、製造業の非正社員(派遣労働者)の増加が目立っていた
   こと。
 
  つまり、いざなぎ景気においては、雇用(正社員)増・賃金増→消費増→内需
の増加→売り上げ・企業利益の増加→投資の増加→雇用と賃金の増加という好循
環が作り出されていたのに対して、2002~07年の「回復」では、むしろ輸出増→
派遣労働者増・正社員減→消費減→輸出依存強化という流れになり、「いざなぎ
」で形成された「中流」階層が、「いざなぎ越え」では解体されてしまい、経済
成長と業績回復のもとで格差と貧困が拡大する結果となったのである。

 経済と企業が元気になればその効果は日本全体に及ぶとされた「トリクルダウ
ン効果」とはまったく逆に、「上への吸い上げ」が起こってしまったのだ。

(2) 金融主導・アメリカ一極システム


 同時に強調しておく必要があるのは、この「悪循環」の流れを形作っていたの
は、アメリカを軸としたカネとモノのグローバルな流れであったことだ。これも
やや強引に要約するならば、次のようになる。
1) 日本や中国、産油国で、膨大な貿易黒字が生み出される。
2) それらは国内の投資に向かわず、国際証券市場やアメリカの国債に向かう。
3) アメリカでは、そうした資金の過剰流入をベースに過剰消費が生み出され
る。
4) その過剰消費を当て込んで、日本や中国の対米輸出が加速する。
 今でこそ、BRICSの各国が「世界の市場」と目されるようになっているが、そ
れまではアメリカのドル基軸体制と一国中心主義の外交・防衛対策をベースに、
カネとモノの流れもまた「アメリカ一極体制」で回っていたことになる。
 
  しかも、資金の流れは、「投資」というより「投機」的マネーであり、金融工
学を駆使した複雑な金融商品化、証券化によって、不良債権は切除不可能な形で
瞬く間に世界各地の金融機関に蔓延してしまったのである。その広がりの規模と
速度は、いまの取引の姿を反映して前代未聞のものとなっており、こうしたプロ
セスの当然の帰結ともいえる「リーマン・ショック」は、「百年に一度」どころ
か、かつてないものであり、かつてない深刻さで今なお燻り続けているといって
いいだろう。
 
  それだけではない。金融システムの歪みは、本体である企業経営そのものをも
汚染している。資本主義経営の草創期からの論点であった「経営と所有(資本)
の分離」という課題は、いまの日本企業が直面している最大のテーマといってい
いだろう。一般的には、「従業員重視」対「株主重視」の企業統治の問題として
語られることだが、それは軸足のウエイトのあり方を超えて、「そもそも企業と
は?」という根本的な問題として捉える必要がある。

(3) 日本経団連が示した「展望」


以上のように現状を捉えるとすると、改めて問われてくるのは、次のような課
題である。
 1)「リーマン・ショック 」の本質は何であったのか? 危機は克服さ   
    れたたのか?
  2) 企業経営のあり方は、何らかの見なおしを迫られたのか? 変化はあるの
    か?
3) 日本経済の今の「回復」は、2002~07回復と同じ途をたどるのか?
4) 別の途に向かうべきなのか? だとしたら何が必要なのか?
  しかし、最近の日本経済の「回復」をめぐる論議を見ていると、こうした問い
かけそのものがほとんどなされていないように思われる。あたかも、「百年に一
度」のリーマン・ショックはすでに過去のものであり、景気循環の一コマであっ
たかのような論者さえ見受けられる。
 
  今年の一月に発表された日本経団連の「経営労働委員会報告」もまた、こうし
た危機感の欠如によって特徴付けられるものであった。ここには、世界の枠組み
の変化に関する視点がほとんどなく(「多極化」の言及のみ)、成長戦略に向け
た政府への期待が強調されるだけで、重要なアクターとしての企業(団体)の役
割には何も触れられていない。

 しかも、本論の導入で掲げられる課題は、日本経済のあり方ではなく、企業が
「国際競争で打ち勝つ」こと。さらに、「今後の展望」に至っては、「企業活動
の低迷→厳しい雇用情勢や所得環境→個人消費の早期回復は見込めず→内需や生
産の回復の遅れ→設備投資も期待できず→当面、日本経済は厳しい状況が続く」
という"負のスパイラル"が示されているのである。唖然とするほかない。

(4) 経済産業省が示した「ビジョン」


これに近い認識を示しているのが、経産省の「産業構造ビジョン」(2010年6
月)だといえる。ビジョンは、「日本経済の行き詰まり」から論を起こしていく
のだが、そのなかで強調されているのが、「所得分配による内需拡大には限界」
→「全体のパイの拡大が必要」→「今後の市場拡大は国内・先進国から新興国へ
シフト」→「企業は海外移転への加速を真剣に検討」というシナリオなのである。
 
  「内需拡大の限界」の指標の一つとして用いられているのは家計貯蓄率と労働
分配率の水準の低さなのだが、すでに指摘したように、これらはこの間の「回復
の歪み」の結果なのであって、今後のビジョンの前提条件となる代物ではないは
ずだ。現に、ここでは捨象されている企業部門の貯蓄は、家系部門の貯蓄をはる
かに上回る額に達している。

 企業が、この間、正統な「所得分配」をしてこなかったのみならず、雇用を生
み出す投資に振り向けず、金融・証券市場で運用してきたという、二重の意味で
の責任こそ問われるべきなのだ。
 
  一企業の経営戦略としてなら、「国内・先進国→新興諸国」シフトというのは
大いにありうることかも知れない。しかし、一国の経済活性化のシナリオとして
は、如何なものか? 国レベルの経済目標は、いうまでもないことだが、国民の
雇用とくらしの回復であって、企業業績の回復ではない。とは言え、企業業績が
好転し、「全体のパイ」が増大したとしても、それが国民の雇用とくらしの回復
に結びつく保障はない。繰り返し強調してきたように、そのことは2002~07年「
回復」が事実をもって教えてくれていることなのだ。


■3.経済と産業をゆがめてきたもの


(1)「投資抑制メカニズム」の克服


では、何が求められているのだろうか?
先に紹介した政府経済見通しを想起してみよう。そこでは、GDPの回復が外需
頼みであり、個人消費と設備投資が立ち直っていないことが指摘されていた。つ
まり、個人消費と設備投資にお金が回っていないのだ。この単純なことが、経産
省の「ビジョン」では欠落している。「ビジョン」は、「家計貯蓄率がアメリカ
よりも低い」ことを強調しているが、実は、国民貯蓄率で比べればアメリカを大
きく上まわっている。

その中身を見てみると、家計貯蓄の9兆円に対して、民間企業の貯蓄は20兆円
に達している。かつての「いざなぎ景気」の時代には、企業の自己資本比率は低
く、銀行からの借り入れによって活発な設備投資を行っていたのとは対称的であ
る。この膨大な企業貯蓄が、国民の雇用とくらしにつながる投資に向かっていな
いところに最大の問題がある。いわゆる「投資抑制メカニズム」をどうやって克
服していくかが問われているのである。

(2)「消費抑制メカニズム」の克服


いうまでもないことだが、内需拡大の決め手は個人消費の拡大である。
かつて、1929年恐慌後の大不況に見舞われていたイギリスで、ケインズはラジ
オ放送を通じて、次のように国民に呼びかけた。

 「ものを買えば雇用が増えます。国内の雇用を増やすには、国内で生産された
商品を買わなければなりません。商品を買わなければ、誰かが失業することにな
ります。ですから、あすの朝早く町に行き、大売り出しの店に入ってください。
必要なものが買えたうえ、国内の職を増やし、富を増やしたことを喜ぶこともで
きます。」(「節約」1931年)
 
  これは処方箋として実に正しい指摘である。だが、今の日本ですぐに適用でき
る処方箋とはいい難い。先に紹介した勤労者短観によれば、約4割の世帯が「赤
字」に苦しんでいるのである。経産省が強調していた家計貯蓄率の低さもある。
節約せずに消費をという状況にはない。勤労者短観は、「日頃の生活で支出を控
えているか」という設問を設けているが、「控えていない」22.1%に対して、「
控えている」は68.9%にも達している。では、今のままでケインズがいうように
「ものを買う」ことができるかというと、そうではない。

 「では、どのような場合に消費を増やせるか」という問いに対しては、「世帯
収入の増加」79.2%、「将来の雇用や賃金の不安の減少」36.3%、「子どもの教
育にかかる費用負担の軽減」35.9%、「医療にかかる費用負担の軽減」31.3%の
順に高くなっており、「世帯収入の増加」と「雇用や賃金の不安の減少」が不可
欠の前提条件になっていることがわかる。いわば「消費抑制メカニズム」が作動
しているわけだ。 つまり、国民が「ものを買う」ことを訴える以上に、まずは
企業が「労働者を雇い」「きちんとした賃金を払う」ことが求められていること
になる。

(3) 政府・自治体による「新たな公共」事業


もちろん、「消費抑制メカニズム」の解除には、政府が果たすべき役割も大き
い。
  とりわけ、「雇用の創出」「不安の軽減」「負担の軽減」については、当面の
緊急対策と将来にわたるビジョンの双方が求められている。この間、さまざまな
セイフティネットや給付金などが緊急対策として講じられてきたが、どちらかと
いうと選挙向けの「部品」という色彩が強く、それらの部品を用いてどんなリフ
ォームを行うのか、あるいは建て替えるのか、という「設計図」は見えていない
のが実情である。「部品」だけでは、「消費抑制メカニズム」の解除には連動し
ないと思われる。

 とくに、雇用創出については、かつて連合と日経連が100万人雇用創出の共同
提言をした経緯もあり、政労使、自治体労使の共通課題といっていいだろう。政
府や自治体が「コンクリートか人」に向けた「新たな公共」事業として生み出す
雇用とともに、企業が「労働者を雇う」ことをバックアップするさまざまな支援
・促進措置も必要となろう。

(4)「金融主導」とのせめぎ合い


しかし、ここで気になることがある。
  「消費抑制メカニズム」の解除条件はかなり明らかになっているのに対して、
「投資抑制メカニズム」の方は、その解除条件が定かではないということである。
 
  先の経産省の「ビジョン」は、「成長5分野」(インフラ関連/システム輸出
環境・エネルギー解決産業、文化産業を輸出産業に、医療・介護・環境・子育
てサービス、先端分野)を示しているが、それ自体はとくに目新しいものでもな
いし、それを示されたからと行って投資が殺到するというものでもなかろう。有
効な投資先が見つからない、というのは抑制メカニズムのごく一部でしかないと
思われる。
 
  では、何が大きな要因なのか。その解明には丁寧な実証分析が必要だと思われ
るが、一つの仮説として考えられるのは、2-(2)で指摘した「所有と経営の分
離」という問題である。
 
  企業が、安定的で持続可能な組織として存続するために、長期的な見通しをも
って投資活動を行い(設備投資、研究開発投資など)、それに必要な労働者を雇
い入れ、その将来的な生活を保障しつつ企業独自のスキルやノウハウを蓄積して
いく(人材投資)という営為の結果として、顧客との安定的な信頼関係が築かれ
(「のれん」)、そうした技術や信頼をベースに、安定的な資金調達が可能にな
る。こうした企業活動の基本は、市場メカニズム(不特定多数の顧客や株主)に
おいても変わらないはずなのだが、ここに揺らぎが生じているのである。
 
  上記の経営活動の、いわば一手段であったはずの金融が、前面に躍り出てきた
ことによって投資が投機へと変質し、企業活動そのものが、金融活動の一手段の
地位へと貶められることになったのである。こうして、企業活動は、長期→短期
へ、従業員利益→株主利益へ、人事・労務→財務へと様変わりすることになった。

「四半期」の財務状況に一喜一憂せざるを得ない経営のもとで、長期的な視
点にたった設備投資、人材投資は望むべくもないだろう。
リーマン・ショックの直後、こうした金融主導経済への「反省」が指摘された。
  グリーンスパンや中谷巌の「懺悔」も話題になった。日本能率協会のアンケー
ト調査によっても、かつての「株主重視」から「従業員重視」への揺れ戻しは見
て取れる。しかし、金融主導の「限界」が明らかになったからといって、それが
自動的に影響力を失うとは限らない。むしろ、今なおせめぎ合いの局面にあると
見た方が正しいのだろう。


■4.雇用システムの再構築に向けて


(1) 日本型雇用システムの地殻変動 --------------------------------
「投資抑制メカニズム」は、当然のことながら「人材投資抑制メカニズム」に
直結している。企業の「人を雇う力」「人を育てる力」が減退していることは、
誰の目にも明らかだろう。それを端的に示しているのが、正社員数の減少であ
り、非正社員への代替である。(正社員数の減少は労働人口の減少に起因すると
の見解もあるようだが、それでは非正社員への代替は説明できない。)
 
  日本における正社員というのは、契約期間の定めがない、労働時間がフルタイ
ムであるといった規定で括ることはできない。パート労働法の厚労省通達による
と、「通常の労働者」は、「長期勤続を前提とした処遇を受ける者」、「短時間
労働者」は「それ以外の労働者」と規定され、「長期勤続を前提とした処遇」の
例として、昇給、一時金、退職金などがあげられている。

 つまり、短時間=非正規労働者は、単に「労働時間が短い」だけでなく、昇給
や退職金がない労働者として規定されていることになる。その背景にあるのは、
正社員であれば、企業という組織の正規メンバーとしてスキルアップと生計費に
見合った昇給が保障され非正規労働者はそこから除外されるという、いわば身分
差別であるといっていい。

  日本企業は、良くも悪くも、こうした家族的・排他的な雇用システムを通じ
て、必要な人材とスキルの確保に成功してきた。労働者の側からすれば、企業の
正社員になることによって初めて、労働者としても世帯主としても半人前から一
人前になることが可能となった。そこに企業と労働者の共存関係が成り立ってい
たわけだ。正社員から非正規労働者への代替は、その根幹を揺るがすことになる。

 その転機は1998年であった。非正規労働者は1960年代からすでに徐々に拡大傾
向にあったのだが、1997年をピークに正社員数が減少に転ずる。雇用システムの
地殻変動が起きたのである。この年が、金融危機の年と重なるのは偶然ではない
だろう。その後、数年を経ずして、格差が拡大し、ワーキング・プア(働く貧困
層)の問題が社会問題化することは周知の通りである。

(2) 長期雇用慣行を「障害」とした規制緩和路線


ここで指摘しておかなくてはならないのは、この地殻変動を導いた政府の政策
である。一つのきっかけとなったのは、OECDが1994年に提起した「雇用戦略」で
ある。それに連動する形で、雇用分野における規制改革の方針が示されるような
り、1999年の「労働白書」は、「日本の長期雇用慣行が障害となっている」との
見解を示した。

 その背景にあるのは、1990年代の長期不況の原因が、それまでに築かれた日本
の社旗制度・慣行が、新たな経済社会慣行に対応できなくなっているという認識
である(総合規制改革会議のまとめなど)。

 当時の議論を振り返ると、需給ギャップの原因を何に求め、その対策を需要サ
イドにおくか、供給サイドにおくかというのが一つの焦点であり、産業競争力会
議を中心に叫ばれていたのが「三つの過剰」(雇用・設備・債務)であった。

いってみれば、金融システムの問題から生じた「不良債権」と、需要不足から
生じた「過剰雇用」(本来はあり得ないもの)が、あろうことか同一の土俵で論
じられ、その後の金融主導の経済・経営のもとで生じた問題が、あたかも日本の
生産システムに起因したかのように論じられてしまったのである。

(3) 開かれた「社会的」システムへ


したがって、いま求められているのは、当面の雇用量の回復(失業率の低下)
にとどまらず、雇用システムそのものをどう建て直していくかという課題である。
すでに指摘したように、企業経営における「人事・労務→財務」シフトの下で
進行したのは、「雇う力」「育てる力」の減退であったが、そこで特徴的に見ら
れたのは「外注化」である。人事管理の基本は、募集・採用→育成→配置→評価
といったトータルなものであるはずなのに、①募集・採用→人材派遣会社、②育
成→外部の研修・セミナー、③賃金制度設計→コンサルティング会社というよう
にアウトソーシングされる度合いが高まっていった。

 周知のように、派遣元企業の窓口は財務部であり(したがって人件費ではなく
物件費に計上される)、人事ではその人数すら把握できないという事態が生まれ
る。当然のことながら、人事の採用力は減退し、働く側の就活力もまた減退する。
また、外注化した人材育成についても、その内容や効果のチェックを行うこと
すらできず、企業にとって必要な人材イメージそのものが不明確になっていく。
さらに、働く人の意欲と生産性を引き出す賃金制度までが外部のコンサル会社任
せになり、ここ数年、成果主義や業績主義をめぐって右往左往してきたことはよ
く知られている。

 財務の論理だけがまかり通るなかで、食や住の安全が脅かされたように、雇用
やしごとの安定もまた脅かされてきたといえる。ふたたび安定さを取り戻すには
企業内における人事・労務の影響力を回復させ、募集・採用→育成→配置→評
価が一体となった仕組みを再構築することが不可欠になる。

 もちろん、ここでいう「再構築」は、かつての日本型雇用システムの単純な維
持・継続ではない。企業帰属をベースとした伝統的な「家族経営」は、一企業自
己完結・非正規労働者排除という閉鎖的な共同体という色彩を色濃くもっていた。
  そこから外れると正社員であっても「長期勤続を前提とした処遇」から外れる
仕組みであった。これを「開かれた」ものにしていくには、「長期勤続を前提と
した処遇」を、一企業自己完結から社会的なものへと組み直していく必要がある。

 ここで詳述する余裕はないが、例えば、①地域や業界の労使による共同の人材
育成を通じて、②企業の枠を超えたスキル評価の途を探り、③企業が競争しつつ、
共通のインフラ整備を共同で行うことなどが考えられる。しかも、こうしたこと
は、中小企業集積の地域においては、当たり前のように行われていたことなのだ。

 「雇う力」「育てる力」の回復には、もちろん国や自治体が果たすべき役割
はきわめて大きいのだが、最終的に採用し処遇するのは個別の企業である。した
がって、何よりも企業や業界団体の「雇う力」「育てる力」をターゲットとした
支援策が急がれなければならない。そうでないと、「社会的なもの」への転換
は、形を変えた「外注化」になってしまうだろう。


■5.労働組合に問われるもの


(1) 労働組合の歴史的な役割


以上の議論を通じて、「回復」に向かっているといわれるいまの日本経済につ
いて、次のような課題があることを示してきた。
  1) 2002~07年「回復」の二の舞とさせてはならないこと
2)「投資抑制メカニズム」と「消費抑制メカニズム」の克服が必要だというこ

3) そのためには、金融主導の経済、財務主導の経営からの転換が求められて
いること
4) 雇用システムもまた、回帰ではなく再構築が求められていること
 
  これらの課題は、いずれも小手先の改革ではなく、冒頭で指摘したような、歴
史的かつ地球規模の「大転換」を軌を一にしているといえる。
 
  労働組合にとって忘れてはならないのは、こうした一連の状況変化が、労使交
渉の「とりまく環境」であったり「背景」であったりするのではなく、労働組合
自身が重要なアクターとして、この状況変化を左右する存在になっているという
ことである。この「大転換」の重要な節目に直面して、労働組合がどんな方向を
めざすのかを明らかにし、明確な意志をもって行動しなければ、この局面は打開
できないだろう。

(2)「賃金抑制メカニズム」を打破する運動


第一に指摘したいのは、高度成長期以来ずっと続いてきた「賃上げ波及メカニ
ズム」が機能不全に陥り、むしろ「賃金抑制メカニズム」が作動しているような
状態になっていることである。

 マクロとしての賃金低下は、デフレの進行、非正規労働者の増加によるところ
が大きいが、賃金低下が、一方で物価の下落を招き、他方で内需の停滞をもたら
し、結果としてデフレ経済を導いていることも事実なのである。
 
  すでに紹介したように、勤労者短観の結果に見られる賃金と家計の状況はかな
り切迫している。勤労者短観の別のデータによると、5年後の賃金について、「
今より高くならない」とする割合は54.9%に達しており、20代男性正社員
33.3%、30代男性正社員36.1%、20代女性正社員38.3%、30代女性正社員60.0%
と、若年正社員の間でも「賃金カーブ」への信頼がかなり薄れてきていることが
わかる。
 
  問題は、こうした切実な思いが、切実な声になり切実な運動になっていないこ
とである。状況を変えていく力は、もっとも困っている人たちの要求が行動にな
り、できる限りそれを全体で支援すること、可能であれば支援する組合も自らの
要求として掲げることである。
 
  労働組合運動は、これまで、すべての労働組合が一致して掲げられるものを統
一要求として掲げることを団結の旗印としてきたが、こうした戦略もまた見なお
しを迫られているのかも知れない。すでに、連合の時割共闘(時間外割増率引き
上げを要求する組合のエントリーによる共闘)にも見られるように、部分共闘や
有志共闘があっても構わないし、むしろそれによって社会的広がりをもつことだ
ってありうる。
 
  正社員、非正社員を問わず、賃金の引き上げ・底上げを切実に要求する人たち
の、切実な要求と行動が組織されれば、それは大きな社会的インパクトをもつは
ずだ。とくに最低賃金引き上げについては、それをもっとも切実に要求する人た
ちの声を結集でき、行動に参加していけるような場を作っていくことが求められ
ている。

(3)「すべての労働者」の視点


同時に考えなければならないのは、こうした行動を結果に結びつけていくに
は、経営のあり方そのものの転換を求めていくことが不可欠となる。繰り返し強
調してきたように、短期→長期、株主→従業員、財務→人事・労務へと経営をシフ
トさせていく上で、労働組合の果たすべき役割はきわめて大きい。
 
  個別企業における労使協議はもちろんのこと、地方・地域、産業・業種、そし
て国レベルの労使協議・労使対話の場を作り、それぞれの経営者団体の社会的責
任を厳しく問うていく必要がある。
 
  そのなかで、それぞれの立場で、雇用創出や、すでに触れた職業訓練や、地域
作りなどについて合意形成を行い、政府、自治体、労使それぞれの責任を果たし
ていくような道筋が可能になるかも知れない。 それを実効あるものとさせてい
くには、まず何よりも労働組合が、我が社意識、正社員意識を脱皮して、「すべ
ての労働者」の視点で発言し、行動していくことが問われる。逆に言えば、この
脱皮ができるかどうかに、地域や産業の未来がかかっているといっても決して過
言ではない。

(4)「産業」の復権へ


いま触れた「産業」という概念は、労働組合としてこれから重視すべき重要な
キイワードになると思われる。労働組合の第一の課題として賃金に言及したよう
に、「労働条件の維持・向上」を抜きに労働組合の存在意義はあり得ないかも知
れない。
 
  しかし、労働者にとって労働=仕事は単なる食い扶持ではない。社会的に必要
とされる活動に対してきちんと承認され、人格として認知されることでもある。
それは、経済的な合理性や効率性を超えた価値観であり、「製作者本能」(狭義
のモノ作りに限定されない)の発揮につながるといっていいだろう。
 
  これは実際にあった話なのだが、50人ほどの従業員を抱えていたある中小企業
が経営難を理由に会社をたたみ、その土地を駐車場にしてしまった。おそらく、
採算と効率の原理からすれば、この選択は合理的で正しいはずだ。だが、採算ギ
リギリだとしても、50人の労働者に賃金を支払い仕事を担うことは、その生計費
・消費の拡大効果もさることながら、その人たちの人生そのものを支えることに
なるのだ。

 労働の尊厳と品格(ディーセントワーク)といわれるのは、たぶんそのことを
意味しているのだと思う。
 
  つまり、これからの労働組合運動の課題は、労働の対価だけでなく、労働その
ものの価値について拘りをもつ必要がある。たとえどんなに雇用量が回復したと
しても、仕事の価値が認められ、人格として承認されることがなければ、生産性
向上=経済活性化に結びつくことはないだろう。

 ギルドの伝統がない日本で、ヨーロッパ的な意味での職務・ジョブが定着する
とは考えにくいが、少なくとも企業を超えた労働者のアイデンティティとして地
域や業界における「産業」の世界を形成していくことは、労働組合に課せられた
重要な役割になっているのだと思う。


■おわりに


日本における「雇用システムの危機」という問題は、実は、単なる雇用の領域
にとどまらない。戦後の日本社会の基盤となっていたのは、企業に帰属する正社
員が、家族において非労働力・非正規の人を養うという、企業・家族を中心とし
た雇用・扶養モデルというべきものであった。いま直面している雇用危機は、こ
の雇用・扶養モデル全体の危機なのである(冒頭で触れた経済・社会の地殻変動
もこれと連動している)。

 それを端的に示しているのが、正社員→非正規への代替と社会問題化した「ワ
ーキング・プア」であった。この問題が一時的なものにとどまらず、固定化・階
層化しつつあるところに、今の日本社会の深刻さがある。
 
  企業と家族、それに土建型公共事業を通じた地域といった社会の「中間地帯」
が崩れていくことによって、裸の個々人が市場や国家に剥き出しで晒されている
のが、いまの日本社会の姿といってもいいだろう。かつての「戦後レジーム」(
安部元首相)に回帰することができず、また望ましくもないとすれば、いまわれ
われに求められているのは、それに代わる新たな「中間地帯」の形成である。

 それは、ゼロからの出発というよりは、すでにある様々な中間組織、NPOなど
の再生・結合という形をとることになろう。
 
  だとすれば、労働組合、とりわけ地域の労働組合に課せられている役割は、き
わめて大きいといわなければならない。

 つまり、「労働組合運動から社会運動へ」の転換とは、労働組合が社会との開
かれた接点を広げることにとどまらず、社会の形成の重要な一翼を担うことを意
味する。日本における経済と雇用の将来は、そうした道筋のなかからこそ展望を
見出していくことが可能となろう。

        (筆者は連合総合生活開発研究所(連合総研)副所長)
   
(注)この原稿は著者が11月10日台北で行われた第15回ソシアルアジアフオーラ
ム「アジアにおける経済動向の社会的側面」において報告したものを加筆校閲し
たものですが文責は編集部にあります。)

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