日本の「おもてなし」再考

中国単信(7)

日本の「おもてなし」再考

                     趙 慶春

 滝川クリステルが2020年の東京五輪招致の最終プレゼンテーションで披露した「お・も・て・な・し」は、一躍“日本の心”として脚光を浴びた。その後「2013 ユーキャン新語・流行語大賞」にも選ばれたことは、記憶に新しい。

 確かに日本の「おもてなし」は世界から高い評価を受けているようだ。各種の外国人観光客満足度調査でも、日本、あるいは日本の都市、観光地が一位や上位に選ばれることはさほど珍しいことではない。たとえば、2012年に世界の主要40都市を訪れた75,000人の外国人観光客を対象にしたアンケート調査ではシンガポールを抑え、東京が1位となっている。興味深いのは、調査項目に「人びとは親切だったか?」「タクシーサービスの総合的評価は?」「都市部での移動しやすさは?」「公共交通機関の評価は?」「ショッピングの満足度は?」「安全度は?」など、「おもてなし」に関係すると思われる項目が半数以上占めていることだろう。

 ところでこの「おもてなし」だが、決して日本の専売特許ではない。どこの国、どの民族も自分なりの「おもてなし」をもっている。それにもかかわらず日本の「おもてなし」が高い評価を受けるのはなぜだろうか。 

「おもてなし」はサービス業だけの話ではない。接客態度は言うまでもなく、わかりやすい道路標識や道案内版、清潔な公共の場所、安全な街・・・すべてが「おもてなし」につながる。つまりサービス業を始めとして、真摯に、誠実に業務に打込むことが「おもてなし」の質を左右することになる。この真摯さ、誠実さこそ日本の強みであり、日本の「おもてなし」の根幹ではないだろうか。

 しかし、奇異な言い方だが日本の「おもてなし」はあまりブレなさ過ぎる。どこへ行っても、どの業種、どの店でもそれなりのサービスが受けられるのは悪いことではない。でもその一方で、画一的、平板、暖かみがないなどと感じてしまうことも多い。
 なぜか? その最大の理由は、業務のマニュアル化にあると思われる。日本では効率化、生産性を追求した結果、マニュアル化は工場や生産ラインだけでなく、サービス業界にも浸透している。

 例えばデパートである。商品はどの業者が何時に搬入するか、清掃業者はいつ入るか、開店時、誰が入り口で最初の客を迎えるか、客にどのような姿勢で、どのような挨拶をするのか・・・すべてマニュアルに細かく規定されている。かくして一人のスタッフがミスしても、笑顔を忘れても基本的にはカバーでき、「おもてなし」のレベルを維持できるというわけである。

 このマニュアル化された「おもてなし」には大きなミスは生じない。手順が決まっていて安定しているからである。その反面、形ばかりが重視され、人の心や熱意などが伝わらず、まるでロボットが動いているようにも感じてしまうのである。

 それでは真の「おもてなし」の必須条件とは? ほかでもなく「心」である。昨年末のテレビ番組でのこと、マニュアル通りに接客し、業務をこなしていた美容院へのクレームが後を絶たなかったのに対して、あるファミリーレストランでは各店舗に地元の主婦を店長として配置し、マニュアル無き「おもてなし」で客の心を掴み、クレームゼロを実現させたという。
 この事例からもわかるように、建前だけの「マニュアルおもてなし」では、少しも相手に気持ちが通じず、実は「おもてなし」になどなっていないと言える。

 ところで真の「おもてなし」をしようとするとき、決して忘れてならない大切なことがある。それは「差別」しないことである。大きくは国家、民族、文化の違いから、小さくは生活感覚や意識、習慣の違いまで、私たちはいつの間にか自分との区別化をし、やがては差別視していきがちである。「おもてなし」にとって、最大の敵だろう。

 私自身、何度か不愉快な体験をしている。
 ある外国人社長に付き添って、日本人社員による横領の被害届を警察へ出しに行ったときのこと。「珍しいなあ。たいていは日本人が外国人にやられるのに。外国人が日本人に騙されたなんて話、自分は初めてだ」
 これが警察官の言葉だった。思わず口をついて出たにちがいない。それだけに本音だろうし、その警察官には外国人への差別意識が深層に潜んでいたのではないだろうか。

 また、かなり国際化が進んでいる日本だが、案内・宣伝などの外国語(ここでは中国語に限るが)表現に首をかしげるものが、意外と多い。そのため、お節介とは思いながら案内やポスターなどの中国語表現の間違いを関係者に指摘したが、書き直された文章は、少なくとも私が知る限り皆無である。いまだに修正されないのは「おもてなし」面で当然マイナスだが、より問題なのは、私の指摘を受けた人のそのときの態度である。私が過敏すぎるのかもしれないが、必ず胡散臭そうに「外国人へのサービスは十分にやっている」という目を向けてきたことである。

 もちろん日本人のすべてがそうだとは思わない。しかし、東京オリンピック開催に向けて「おもてなし」をアピールしただけに、真摯、誠実に加えて、謙虚さも求められるだろう。なぜなら“傲慢”の向こうには、差別意識が横たわっている可能性があるからである。

 最後に笑い話ではすまされない中国語表現を、ある人気の高いアウトレットで目にしたので紹介しておこう。
 「穿着鞋禁止」
 これは「土足禁止」のつもりらしい。しかし、中国人には理解できない。頭をひねりながら「靴を履いてはいけない」と理解するのが、せいぜいではないだろうか。でも理解不能感は最後まで残るにちがいない。
 「厠所紙融解於水」
 これは「トイレットペーパーは水に溶けます」の意味らしい。このあとに続く「使用後は水に流してください」もおかしいのだが、それは省略する。こちらは中国人には理解不能の中国語だ。これでは、中国人が靴を脱がなくても、トイレットペーパーを流さなくても、マナーが悪い、ルールを守らないと批判などできない。意味不明の中国語を示しているのだから。

 どうやら形だけでない、差別のない、心のこもった相手の立場に立った真の「おもてなし」の実現に向けて、日本はもう一段の努力が必要のようである。

 (筆者は女子大学教員)


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