日本の政党政治を根底から変革するために

■日本の政党政治を根底から変革するために      白井 和宏

  ―ヒントとしての「緑の党」―
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●3.11以後の欧州と日本

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2012年12月の衆議院選挙で、多くの市民は「脱原発」を推進する政党が多数派
になることを願ったが、自民党の圧勝と、維新の会、みんなの党の躍進という期
待とは真逆の結果に終わった。民主党だけでなく、「卒原発」を掲げた未来の党
も大敗した。

他方、3.11以降の欧州では「緑の党」が勢力を拡大し、脱原発が加速している。
ドイツでは緑の党の支持率が急上昇し、「次期首相には緑の党の可能性もあり」
という世論調査の結果を受けて、メルケル首相は脱原発戦略を打ち出した。フラ
ンスでも緑の党が社会党との連立政権に参加。今や「緑の党」は、アフリカ、は
てはアジア・太平洋、中南米と世界90ヶ国に広がり、世界大会も定期的に開催さ
れている。ドイツ、フランス、アイルランド、フィンランド、ベルギーなどでは
連立政権に参加した。EU議会では「欧州緑グループ・欧州自由連盟」という会
派を組み、55人のEU議員が所属。中道右派、社会民主主義、自由主義に次ぐ第
4の勢力に成長している。

福島原発事故を教訓にして脱原発に向かう欧州と、さらなる原発推進に向かう
日本とは何が異なるのだろうか。

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●1983年「ドイツ緑の党」の衝撃と「代理人運動」

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日本では、「緑の党」といえば即「ドイツ緑の党」という印象があるが、欧州
初の「緑の党」の母体は、1973年にイギリスで発足した「ピープル」という政治
団体だった。さらにその前年の1972年には、オーストラリアで「統一タスマニア
党」、ニュージーランドで「バリュー党」が結成されている。

ただし当時のこれらの政党は、いずれも「新しい社会運動」を基盤とした政党
ではなかった。「統一タスマニア党」の目標は「湖の開発を阻止すること」であ
り、「バリュー党」のテーマは「日常生活における価値観を転換する」こと、
「ピープル」は「地球的規模での環境破壊を止める」とう目標を掲げていた。

しかし70年代後半になると1979年のスリーマイル島原発事故や、米ソ新冷戦時
代における中距離弾道ミサイル配備を受けて、欧州では反核・反原発を結集軸と
する「新しい社会運動」が広がる。さらにそれを基盤として、緑の党が結成され、
あるいは様々な運動団体の候補者連合として「オルタナティブ・リスト」が組織
され、国会議員に当選するようになる。

そしてついに1983年には「ドイツ緑の党」が一挙に28人の国会議員を当選させ、
世界に向けて緑の党の設立を呼びかけた。

時を同じくして1983年4月には生活クラブ神奈川でも初の代理人が当選。同年
末には「神奈川ネットワーク運動」の準備会(「自治社会運動」)が発足し、私
は約5年間、事務局長を務めた。生活クラブにおける代理人運動は1970年代後半
に生活クラブ東京から始まったが、さらに「パーティ」の組織化を始めたのがま
さに1983年以降だったのである。「代理人運動」は、生活クラブ第一世代の独創
性に基づくオリジナルな運動だったが、同時代性を反映して「緑の党」とは多く
の共通点があった。

たとえば「緑の党」には「底辺民主主義」、「ネット」には「代理人運動」と
いうキーワードがある。一見、異なる言葉のようだが、市民が下から政治権力を
コントロールすることによって、トップダウン型の民主主義を逆転させようとす
る「参加型民主主義」の思想には共通するものがあった。さらにまた「緑の党」
の組織構造は、イギリスの「ピープル」のように既成政党的な組織スタイルから
始まった事例もあったが、オーストラリアやスイスのように多くは各地で結成さ
れた「ローカル緑の党」の連合体という傾向が強かった。

その他にも「運動としての党」=「ネットワーク運動」、「アマチュアリズム」
=「生活者政治」など、思想や組織論における共通性も、世界的に社会運動が台
頭した80年代という同時代性を反映していた。こうして準備段階にあっ「ネッ
ト」に「緑の党」は様々なヒントを与えた。

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●進化した緑の党

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その後の私は、生活クラブ神奈川のおかげで1988年から1990年にかけて約2年
数ヶ月、イギリスに留学したが、受け入れ先の大学院(ブラッドフォード大学)
に研究員として在籍していたのが、イギリス緑の党の元初代議長だったポール・
エキンズ氏(現ロンドン大学教授)だった。そうした縁もあって滞在中は欧州各
地の緑の党の総会や集会に参加する機会に恵まれたのだが、帰国後の「ネット」
は「緑の党」とは異なる方向に進んでいた。

そもそも1983年の「ドイツ緑の党」の成功以降は、欧州各国における「緑の党」
の情報は日本にほとんど伝わってこなかったし、ドイツとフランスの緑の党につ
いてでさえ、日本人研究者は少数だった。もっとも日本でも、1983年以降、1990
年代、2000年代にも「緑の党」のような政党を形成しようというチャレンジが何
度もあった。(インターネットの〝ウィキペディア〟で「緑の党―日本での試み」
を検索すれば「緑派」を名乗る20近くの団体が登場する。)それでも、こうし
た団体の中でさえ「緑の党」に関する情報は限られていたように思われる。

たとえば、多くの「緑の党(Green Party)」とは通称であり、多くの正式名
称は「緑の人々(Greens)」である。市民の上に君臨する「議員政党」ではなく
「市民自らの運動組織」であることを表現している。(「ネット」の場合も敢え
て「党」という言葉を使用せず、「ネットワーク運動」と名乗ったのも同じ理由
からだった。)しかし今日では、この基本的・原則的な意味を知る人々も少数の
ようである。

こうして日本では、「緑の党」とはドイツかフランスの小政党としてしか認知
されることなく、世界的に広がる政治勢力としての「緑の党」の台頭については
ほとんど知られずに来た。(もっとも海外においても、目まぐるしく変化し,成
長を続ける「緑の党」の全体像を伝える書籍はほとんど出版されてこなかった。
緑の党の歴史と現状、思想と展望について簡潔にまとめた本書『緑の政治ガイド
ブック』は珍しい書籍であり、翻訳出版したのもそのためである。)

しかし我々が知らぬ間に、「緑の党」は主要な政治勢力へと成長した。党内に
おける激しい論争・対立を乗り越え、30年、40年という時間を経て、出発時の
「アマチュア運動家の党」から大きく進化してきたのである。

最大の勢力となった「ドイツ緑の党」は、選挙での当選を目ざして「プロフェ
ッショナル化」、すなわち政党として必要な専門的能力と機能を高めて、1998年
から2005年まで長期に渡って社会民主党と連立政権を担った。今ではかつてのよ
うな「反政党の党」ではなく「議会内におけるオルタナティブ」と自らを位置づ
けるようになったため、「体制内化」した、あるいは「既成政党化」したという
批判も多い。近日刊行予定の拙訳書『欧米14ヶ国の緑の党』(緑風出版)の序章
でも、「かつてのような輝きを失った緑の党について、今なぜ出版する必要があ
るのだろうか」という評価から始まっている。

それでも「プロフェッショナル化」を進めたからこそ、今日、EU議会で第4
の勢力にまで成長したことはまぎれもない事実である。(ちなみに「プロフェッ
ショナル化」には一般的に「職業化」と「専門化」という二つの意味があるが、
ここで言うところの「プロフェッショナル化」とはあくまで「専門化」に重点があ
ることを強調しておきたい。)

しかし一時は全国で百数十人を当選させた政治的代理人(地方議員)は、21世
紀に入った頃から停滞傾向にあり、3.11後の統一地方選挙ではさらに議席を減ら
した。むろん70年代の学生反乱や新しい社会運動を基盤として誕生し「緑の党」
と「ネット」の生い立ちは大きく異なる。それでもかつては様々な共通点をもっ
ていたはずの両組織は、どこに違いがあったのだろう。

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●緑の党の変容

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「アマチュア運動家の党」として出発した「緑の党」が、政党としての専門的
能力を高めて「プロフェッショナル化」するまでには、当然、大きな変化があっ
た。具体的には3つの鍵があったと考えられる。

第一には、設立当初の原則であった「議員のローテーション制」を短期間で廃
止したことである。「議員のローテーション制」とは、議員が交代し合うことで
権力を強化させず、固定した指導者を生まないため、一定の任期で交代する制度
だった。「草の根民主主義」を提唱する「緑の党」にふさわしい極めて斬新な組
織論であり、「ネット」もこれを参考に「二期八年のローテーション制」をルー
ル化したのである。

ところが実は、各地の「ネット」がこのルールを規約化した1980年代半ば以降、
すでに欧州各国の緑の党は、この方針を廃止し始めていたのである。最大の理由
は、短期間で議員を交代させることが、政治の継続性を困難にするためだった。
もともと当落の激しい小政党が議員を短期で交代させれば、政治活動の継続性は
もちろんのこと、組織の存続も危うくなると判断したのである。

そして第二には、緑の党内における優先課題を、「議会外における社会運動の
拡大」から「国会議員の当選」に重点を移していったことである。むろんこの方
針を押し進めようとする「現実派」や「選挙指向派」に対して「新しい社会運動」
出身の創設メンバーたちは激しく非難した。そもそも彼らにとって「緑の党」を
設立した目的は、社会全体の組織構造を転換し、直接民主主義によって政治を動
かすことにあった。

議員の当選はあくまでも手段であり、当選を優先課題として目的化することに
強く反対した。しかし現実に、議会政治という枠組みの中で存在意義を発揮する
ためには、国会議員を立候補させなければ緑の党のメッセージを広く有権者に伝
えることさえできない。現職の国会議員がいなければ、マスコミから無視され、
有権者は自分の票が死票になることを危惧して投票を避ける。政党助成金を受け
られなければ、党組織を強化することもできないのだ。

こうして「現実派」と呼ばれる選挙重視の派閥と、「原理派」と呼ばれる運動
重視の派閥との間で激しい論争が展開されたが、その典型例が「ドイツ緑の党」
だった。1990年12月、東西ドイツ再統一後、初の連邦議会選挙では議席獲得の条
件である5%の得票率を超えられなかったため、それまでの42議席全てを失い惨
敗したが、その後の激しい党内闘争の末に「現実派」が主導権を握り、1994年の
選挙では49議席を獲得した。

争点や論争の激しさは様々だが、同様の論争や対立は他国の緑の党でも起きた。
例えば、イギリスでは「党首必要派」と「党首否定派」に分かれて何年間も論争
が続いた。しかしいずれも最終的には、国会議員の当選を優先させる派閥や潮流
が主流となったのである。

ここで注目すべき点は、多くの「緑の党」は全国組織を名乗っていても、その
実態は「ローカルな緑の党」の連合組織であることだ。とくに連邦国家であるス
イス、オーストラリア、カナダ、アメリカではその傾向が強い。さらにイギリス
の場合は、「イングランド・ウェールズ緑の党」「スコットランド緑の党」「ア
イルランド緑の党・北アイルランドグループ」という三つの政党に分かれている。
元々、中央集権組織を否定する「緑の党」であるがゆえに、「ローカル・パーテ
ィ」連合の要素が強いのだが、かといって地方議員の当選と地方自治だけを目ざ
すことなく、国会議員の当選を追求してきたのである。

ただし欧州大陸各国における選挙制度は「小選挙区比例代表併用制」が主流で
あるため、国会議員の当選は比較的容易だった。しかし、その他の国々で国会
(下院)に初当選できたのは、ニュージーランドが1996年、オーストラリアが
2002年、イギリス2010年、カナダ2011年である。イギリスは地方議会も含めて1
人しか当選できない徹底した小選挙区制であるため(スコットランド、ウェール
ズ、大ロンドン、EU議会を除き)、国会(下院)議員に当選できたのは「ピー
プル」結成から40年近くも経った2010年のことである。

いずれにせよ第三には、国会議員の当選を目ざす過程の中で、あるいは実際に、
国会議員を当選させたことによって、緑の党は専門的能力を高めていった。国会
に議席を維持するためには、「環境政党」というシングル・イシューの党のまま
であり続けることは許されない。しかも国政に参加すれば、政権与党に質問・反
対するだけでなく、差別と貧困、EU統合など、人権や経済政策に至るまで幅広
い政策と構想力を求められるようになる。

さらに、政党としての指導力を発揮するため、ましてや参加型の運動を基盤と
する党を発展させるためには、オルガナイザー、理論・政策の専門家、キャンペーン担当者が必要である。しかし国政を目ざさない限り、政治的求心力を形成で
きず、寄付による資金集めも困難となり、優秀な人材は集まらない。(「緑の党」
の中には、長年の敗北に苦しんだ結果、国会議員の当選を断念して地方議会選挙
に専念しようとした例もあるが、その多くはさらに衰退していった。)

こうして継続的に国会議員を当選させ、議席を増やすことによって安定した財
源として政党補助金を確保し、「政党」として必要な「プロフェッショナル」な
機能を形成していった。専門的知識と能力をもった専任の事務局・担当者を確保
することで、プロフェッショナル化を進めていったのである。

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●「指導部の形成(プロ化)」と「参加の拡大(アマチュア化)」の両立

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それでは「アマチュア運動家」の党から出発した「緑の党」は、今や「プロフ
ェッショナルな選挙政党」あるいは「議員政党」へと完全に変化してしまったの
だろうか? 先に紹介した『欧米14ヶ国の緑の党』はそれを否定する。同書の最
終章において、あるイギリス研究者は、現在の緑の党を「ケンタウロス」に例え
る。ギリシャ神話に登場する「下半身が馬、上半身が人間」の生物のことである。
つまり「社会運動と直接民主主義を基盤とするアマチュアリズム」と「政権担当
能力を持つプロフェッショナリズム」とが合体した政党になったという評価なの
である。こうした微妙なバランスを保つ政治組織はどのようにして実現できたの
だろうか。

「緑の党」では、議員の任期を制限せず、「プロ化」する必要性を認めた。し
かしその一方で、第一には、党組織の運営における「アマチュア」の参加を維持
し、「議員政党」に陥らないための工夫と努力を続けた。すなわち、「議員と党
執行部の兼任禁止」や「党執行部のローテーション制」というルールを導入した
のである。(ただし「現実化」が進んだ近年では、このルールは大幅に緩和され
た。)

第二は、「クオータ制(役職員数の男女均等制)」の導入である。実際に緑の
党の総会や集会に参加すると、日常的に活動する運動家の比率としては、男性が
多いように見受けられる。しかも、80年代から90年代にかけて党内論争が激化し
た結果、嫌気のさした多くのフェミニストたちが離党したこともあった。それで
も緑の党の顔と言えば、故ペトラ・ケリー(ドイツ緑の党)や故ワンガリ・マー
タイ(ケニア大統領候補)を初めとして、エヴァ・ジョリー(フランス大統領候
補)、シンシア・マッキニー(アメリカ大統領候補)、キャロライン・ルーカス
(イングランド初の国会議員)など圧倒的に女性が多い。

さらにジェンダーだけでなく、人種やマイノリティに対する配慮とバランスが、
緑の党の支持者を幅広くしている。環境運動家だけではなく、失業者、障害者、
同性愛者、貧困や差別に苦しんでいる少数派が参加することによって、他政党に
比べて緑の党のメンバー数は少ないものの、メンバー数と得票数の比率では他政
党を上回っているのである。

「アマチュア運動家の党」としての特徴を維持している第三に重要な要素は、
原則的な価値観の共有化である。「ドイツ緑の党」結成時の柱が「エコロジー、
非暴力、社会的公正、草の根民主主義」の4項目であったことは有名だが、例え
ば「アメリカ緑の党」はそれをさらに発展させて「10の基本的価値(Ten Key
Values)」を採択した。その10項目とは、「エコロジーの知恵」「社会的公正」
「草の根民主主義」「非暴力」「分権」「地域主権の経済」「多様性の尊重」
「個人とグローバルな責任」「未来指向」「フェミニズムとジェンダーの平等」
である。

さらに「ドイツ緑の党」は理念と政策を「2002年ベルリン新綱領」(『未来は
緑―ドイツ緑の党新綱領』緑風出版/2007)へと発展させた。膨大な綱領の内容
をメンバー一人ひとりが深く理解することは容易でないが、暴力的なグローバル
資本主義に対する根本的な批判思想が、上記のような「キーワード」を通して共
有されてきたことで、現状追認型の「議員政党」に変質することを防いできたと
考えられる。

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●緑の党における「草の根(底辺・直接)民主主義」の価値

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そして「緑の党」を他の政党と分ける最も重要な要素は、何といっても「草の
根民主主義」にある。今も多くの「緑の党」の総会では代議制をとらず、メンバ
ーが直接、総会に参加して議決に参加する。

ただしかつては「合意による意志決定」、すなわち多数決を採らず、「全員一
致に至るまで議論する」ことが基本原則だったが、今ではこの方式はほとんど廃
止されてしまった。議論に時間がかかりすぎるという問題もあったが、それと同
時に、声の大きい人物や特定の派閥が反対すれば何も決定できず、かえって非民
主的であるという認識が広まったためである。

事実、つい最近まで党内では政策だけでなく内部の組織論、例えば「議員と役
員の兼任禁止を緩和すること」や、「男女複数名で構成していた議長や広報官、
共同代表制を廃止して、1人の党首に置き換える」ことをめぐって10年20年とい
う時間軸の中で、延々と論争が続けられてきた。こうした議論こそが緑の党の価
値であり歴史であるとも言えるが、「膨大な時間を無駄な内部論争に費やしてき
た」という批判や、「特定の派閥に引き回されて、多くのメンバーが消耗し離党
した」という現実もある。それでも見方を変えれば、党の執行部や代議員に決定
を全権委任せず、大ぜいのメンバーが自ら見解を主張してきたことが、緑の党を
形成し、進化させてきた根源的なエネルギーであった。

緑の党の創設者たちが夢見た「草の根民主主義を社会全体の運営原則にする」
ことは、今のところかなわぬ夢となっている。それでも今日、多くの国では政党
と市民が乖離し、理念さえ共有せず綱領も持たない既成政党が液状化して、政党
政治は機能不全に陥っている。

原発・エネルギー、年金・福祉、財政赤字、基地問題、格差拡大等、改革すべ
き問題は山積しているが、日本において何よりも変えねばならないのは「観客
民主主義」や「おまかせ民主主義」と呼ばれる政治家と官僚への委任構造である。
市民自身が政治制度を自分たち自身の力で改革することを決意し、行動に移すこ
とがなければ、日本社会はひたすら悪化の一途をたどるしかない。

自民党政権が交代さえすれば次の時代が来ると期待させて実現した民主党政権
だったが、新自由主義はさらに加速し、ポピュリズムの右翼的政治家が台頭して、
戦争のできる国へと進みつつある。それに立ち向かうべき新たな政党においては、
「指導部の形成」と同時に、主権者である「市民の参加」を確立することが極め
て重要な課題である。

むろん社会構造の異なる日本で、「緑の党」をそのまま「模範」にすることは
できないだろう。それでも「緑の党」が、エコロジー、非暴力、社会的公正、底
辺民主主義といった設立当初からの原則を維持しつつ、30~40年もの長きにわた
って既成政党と一線を画して、今も進化・発展しているのはなぜなのか。

2012年7月には日本でもようやく正式に「緑の党」が発足し、2013年7月の参議
院選挙に10人の候補者を擁立するため、準備を進めている。候補者1名の供託金
が600万円。総選挙費用は1億円を必要とする。この高いハードルを「大ぜいの市
民の参加」の力によって超えることは、日本の民主主義を改革する画期的な第一
歩となるはずだ。欧州と世界の「緑の党」40年の歴史と経験は、私たちにとって
も多くの「ヒント」に溢れている。

(注)本文の『緑の政治ガイドブック』についての筑摩書房のhttps:は下記です。
ご参照ください。
https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480066473/

(筆者はちくま新書『緑の政治ガイドブック』訳者。生活クラブ・スピリッツ

  専務取締役)

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