【戦後70年を考える(4)私にとってのアジア】

日本の降伏は原爆が契機ではない
— 第二次世界大戦終結の真実 —

アナトリー・コーシキン


 欧米と日本の歴史的著作における支配的な見解によれば、広島と長崎における原爆投下が日本を降伏に追い込んだ。約60%のアメリカ人は原爆投下を今も正当化しうるとみている。驚くべきことには、14%の日本人がこの見解に賛成している。

 実際には、広島被爆後も日本政府と軍部は降伏を考えていなかった。広島への原爆投下については、その後の最高戦争指導会議でも議論されなかった。日本国民はこの爆撃について知らされず、本土決戦の準備に追いやられた。

 日本帝国海軍軍令部副部長で、「特殊(神風)部隊の父」と呼ばれた大西滝次郎海軍中将は降伏に強く反対し、「2000万人の日本人が犠牲になれば、完全な勝利が達成できる」と述べていた。日本軍部は「一億玉砕」を宣伝し、すべての日本人に「降伏よりも名誉ある死を」訴えていた。

 日本の指導者たちは自国民の犠牲には関心を抱いていなかった。同じように、日本の指導者たちは原爆も恐れていなかった。推計によって差はあるが、50万人から90万人の日本人の死を結果した、1945年春の米軍による「絨毯爆撃」によっても日本は降伏しなかった。日本政府を降伏に追い込んだ主要因は、原爆投下ではなく、強力なドイツの軍事能力を壊滅させたソ連軍による対日参戦であった。

 関東軍敗北前の1945年8月9日の時点において、鈴木貫太郎首相は「今朝のソ連参戦により危機的な状態に追い込まれており、戦争継続が不可能になった」と最高会議において述べている。

 8月15日の裕仁天皇の終戦勅語が連合軍に対する降伏を声明し、特に新型の非常に残酷な爆弾の敵国による使用に言及したことは広く知られている。しかしながら、裕仁天皇による全陸海軍軍人にたいする勅語(1945年8月17日)が原爆に触れず、降伏の主要な理由としてソ連の参戦をあげていることを、日本をはじめとする歴史家たちが無視している。この勅語は「我々に対しソ連が参戦した今、現下の内外情勢の下で戦争を継続することは、天皇制の基礎そのものを危険に最終的には曝すところまで戦争による報復を不必要に増大させることになりかねない」(要旨)と述べている。

 この事実は誠実な西欧の歴史家たちによって認められている。日系人歴史家、カリフォルニア大学ツヨシ・ハセガワ教授はその学術研究書『レーシング・ジャパン』の中で、歴史文献に基づいて次のように述べている。「ソ連の参戦が無ければ、日本は戦争を継続していたであろう」。西欧の歴史家ワード・ウィルソンもその著書『核兵器についての5つの神話』の中で「日本を打破したのは原爆ではなく、スターリンだった」と述べた。

 「日本の命運が原子爆弾によって決められたというのは誤り」というのが、ウィンストン・チャーチルの言葉である。

 無防備の日本の都市、特に長崎に対する原爆投下は、軍事的目的ではなく、政治的目的によって決定された。それはソ連その他の国を脅し、アメリカによる核の独占を誇示して戦後世界の支配を目指すためであった。

 (筆者は、モスクワ東洋大学教授、歴史学博士)

※この原稿は2015年8月の原水禁世界大会(広島・長崎)参加のために訪日したロシア代表によるオルタへの寄稿です。


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