インドに原発を売るな

福永 正明


◆◆ <一>

 4月15日、原発輸出問題とフクイチ事故廃炉問題に関連し、さらに新しい国際的な原子力損害賠償金制度を補う重要な条約が発効した。これは「原子力損害の補完的な補償に関する条約(the Convention on Supplementary Compensation for Nuclear Damage 、以下CSC条約)」であり、日本が1月15日に国際原子力機関(IAEA)へ「批准書を寄託(以下、寄託)」したことにより正式発効となった。
 CSC条約は、1997年9月12日にIAEA総会が採択したが、正式には未発効条約であった。昨年末までの加盟国は、ルーマニア(1999年3月寄託)、モロッコ(1999年7月寄託)、アルゼンチン(2000年11月寄託)、アメリカ(2008年5月寄託)、アラブ首長国連邦(2014年5月寄託)だけであり、加盟国数に関する発効条件は満たしていた。しかしもう一つの発効条件である「加盟国の原子炉の総熱出力が最小限で4億キロワット」を満たしていなかった。多くの原子炉を有する日本の批准書寄託日から90日後、すなわち4月15日ようやく発効した。

◆◆ <二>

 CSC条約は、加盟国における重大原子力事故に備え、事故発生に際しての共同補完的な国際的な原子力損害賠償金制度を新たに構築することを主眼とする。
 この条約で作られる新しい賠償制度とは、条約締約国は各国の原子力設備容量と国連分担金割合に応じて算出される拠出額により「補完賠償基金」が創設される。原発事故が発生したならば、事故発生国の責任限度額は3億SDR(日本円換算470億円)となる。つまり、どのような重大事故が発生しても、事故発生当事国の責任額は上限が設定される。被害がこの責任上限度額を超えた場合、「補完賠償基金」が、賠償金を上乗せし提供する。
 アジアを中心として経済成長確保のために電力インフラの充実をめざす諸国は、原発輸入を希望する「原発待望国」である。これらの諸国がCSC条約に加盟すれば、万一の原発事故発生時には自国の政府や電力事業者による賠償責任、そして賠償額を低額に抑えられる。さらには、賠償額を補完する国際協力が準備されることから、一層に原発新規導入を推進できる。

 この条約は、原発輸出を積極的に進める環境作りであることを最大の問題とする。すなわち条約の発効により、日本や欧米の原発関連メーカーは、巨額の責任を負うことなく原発輸出受注が可能となる。原発輸出をめざす原子力先進国、原発プラントや機器のメーカー、原発の運転主体となる電力会社などの原子力事業者は、大きな利益を得ることができる。
 それは被害者切り捨ての方針が貫かれた条約であることを意味し、原子力事故における被害者を保護する姿勢に欠ける。

 本条約の主要な問題点は以下のように指摘できる。

■1.「責任集中の原則」によるメーカー免責
 原発事故では、「責任集中の原則」として、原子力事業者が賠償責任を負い、それ以外の者は一切の責任を負わない。原発プラントメーカーなど関連事業者は、賠償責任への懸念を有することなく、資材を安定供給することが可能とされる。さらにこの「原則」により、被害者が賠償責任を負うべきものを特定し、賠償を確保ができる。
 原子力事業者だけが事故発生時に賠償責任を負うという「原則」は、日本においても原子力損害の賠償に関する法律(以下、原賠法)において定められている。そのためフクイチ事故では、原子力機器関連メーカーは「無責任」が主張されている。
 CSC条約が「責任集中の原則」を有することは、国際的に原発関連メーカーの「無責任」が定着する。すると、日本のメーカーもたとえ輸出先国で原発事故が発生しても損害賠償責任を負わないことになる。現在の国内では、稼働する原発はゼロ、今後の再稼働への見通しも厳しく、新規増設など困難である。そこで日本の原発メーカーは、海外への売り込みを積極的に進める。
 だがフクイチ事故において、賠償金支払いの責を一切負わない日本の原発関連メーカーが積極的に輸出をめざすことなど、一切認めてはならない。CSC条約が、「責任集中の原則」を国際基準として普遍化し、それが世界各地で原発新設を加速する、まさに原発輸出のための条約であることは明らかである。

■2.加盟各国の責任限度額が低い
 CSC条約は、原発輸出側に有利であるだけでなく、原発輸入側にも好条件を認める。原発輸入国がそれぞれ事故被害の賠償する補償金としての準備額は、わずかに日本円換算約470億円でしかない。この各国が補償する負担額は、日本の原賠法が定める一事業所当たり1200億円の賠償措置額と比しても、きわめて低い賠償金額でしかない。
 国際的な賠償制度の柱となる「補完賠償基金」も、発効時の加盟国による試算では日本円換算1000億円にも達しない。将来に加盟国増加があれば基金額も上昇するが、フクイチ事故規模の大事故には対応できない。
 この内容では、原発を新設しようとする新興国が、準備金470億円で賠償制度が整うことになる。今後の原発建設希望国には、原発建設の賠償責任額ハードルを下げた魅力的な低金額である。国内向けには、万一にも原発事故が発生しても、国際ネットワークの「補完賠償基金」での上乗せがあると宣伝できる。重要であるのは、原発輸入を計画する新興国は通常は、国連分担金も少なく、「補完賠償基金」への拠出額も少なくてよい。まさに「安心の原発輸出入」を促す環境を作りだしている。

■3.事故における損害対象の項目が限定される
 原子力事故時の損害賠償対象が、多種広範囲に及ぶことはフクイチ事故が示した教訓の一つである。そしてCSC条約では、対象として「死亡やケガ」、「財産の損失」、「経済的損失」、「回復措置費用」、「防止措置費用」に限定している。フクイチ事故後に問題となった、間接的な風評被害、精神的損害への慰謝料などは含まれないこととなる。

■4.賠償や補償の請求できる期間が短い
 CSC条約では、事故発生日から10年以内に訴えが提起されない場合には、その請求権は消滅すると定められている。「10年間だけ賠償すればよい」として、今後の原発輸出での好材料となろう。日本の民法では、損害や補償を請求する権利が消滅(これを「除斤」と呼ぶ)期間を20年と定め(第724条)、10年は余りに短い。
 さらにチェルノブイリ原発事故などからの科学的知見として、低線量被ばくによる健康被害が長期間後に発生することは明らかである。この条約が、被害者切り捨ての内容であることは明らかであろう。

■5.事故発生国でのみ提訴
 CSC条約は、事故が発生した国においてのみ、損害賠償請求などの裁判を認める。陸地隣接国や近距離国の住民が被害を受けたとしても、自らの国では提訴できない。加盟国の個人の裁判権を制限する内容であり、容認できない。
 この条約内容は、フクイチ事故対策との関連で重要である。除染や廃炉作業に優れた技術を有するアメリカ企業を参加が求められてきた。しかし、来日して作業を行った技術者などが、アメリカ帰国後に企業に対して巨額の損害賠償請求訴訟の提訴が可能であり、参入が遅れていた。こうした事例においてもCSC条約では、日本での提訴しかできず、アメリカ国内での裁判頻発の可能性は低くなる。外国企業の廃炉作業への参入促進が、日本政府がCSC条約加盟を急いだ理由である。今後は既批准国のアメリカと日本が率先することにより、原発既設の韓国、中国、台湾、さらに原発新規導入を計画する東南アジア、中東など諸国も含む枠組み拡大も論じられている。

◆◆ <三>

 CSC条約は、アメリカの強い要請により、日本の加盟が決定した。2000年代からアメリカを中心とする国際原子力産業界は、原発輸出促進での再生を試みてきた。フクイチ事故により大きな後退はあったが、それだけに輸出入を進める環境としてのCSC条約が必要とされた。世界の原発産業界は、巨大なインド原発市場へ向けて輸出攻勢を強めており、特にアメリカはCSC条約の発効が必要であった。
 インドは、アメリカ、フランス、ロシアなどの原子力協力での原発増設推進策として大規模な原発建設計画を立案し、仮受注先も決定していた。しかし2011年に「インド原子力賠償法(以下、「インド原賠法」)」が制定され、原発機器の製造や建設に関係するメーカーにも責任が及ぶことを認めたことから、外国メーカー参入が停止していた。つまりこの「インド原賠法」の制定のため、原発賠償制度に関する国際問題がクローズアップされ、各地の原発新設計画は停滞した。
 これらインドの原発新設計画には、日本企業関係企業(東芝の子会社であるウエスティグハウス、日立GEの合弁子会社、三菱重工とフランスのアレバ社の合弁子会社)も原発計画を仮受注していた。しかし正式受注には、「インド原賠法」のためが障壁となり決まらなかった。印米政府は、「インド原賠法」の改正を強く求めていたが、当時の少数与党政権では対応できず、「インド原賠法」のため両国関係が著しく悪化した。

 「インド原賠法」の背景には、 1984年12月にボーパール市で発生した、世界最大規模の化学工場事故の「ボーパール化学工場事故」がある。アメリカ企業ユニオン・カーバイド社の現地子会社である殺虫剤工場から、有毒ガスが流出した。深夜から翌朝までに流出したガスのため2000人以上が死亡、これまでの総死亡者は2万人、120万人が負傷したとされる。
 当時のアメリカ人最高経営責任者は訴追されたが、インドを出国後に逃亡犯と宣言されたが法廷審理拒否を続け死亡した。1989年にユニオン・カーバイド社は、和解金4億7000万ドル支払したが、現実に被害者に届いたのはごくわずかな賠償金であった。
 「ボーパール化学工場事故」は、多国籍企業がどのような損害にも責任を取らない現実を示し、世界各国で記憶されるようになった。ダウ・ケミカル社が2001年に買収後も、ロンドン五輪などを機に被害賠償請求と責任追及が続いた。インド現地の被害者と支援団体による裁判、インド政府への賠償請求には放置され。アメリカは加害責任を負わず、インド政府には経済成長優先のため弱腰で不誠実であった。

 「原発メーカーにも責任を」との運動が、2008年に印米民生用原子力協力協定の締結後、有識者たちにより拡大した。今後絶対に、外国企業が大惨事を引き起こした時に責任者の逃亡や無責任を主張させないという強い内容であり、多くの国民が支持した。インド政府は、CSC条約に署名したが、事故発生国内外の原子力関連メーカーの責任追及を認めた「インド原賠法」が制定された。
 2014年5月の連邦議会下院総選挙において、野党であったインド人民党(BJP)が三分の二議席を獲得する圧勝を果たし、ナレンドラ・モディー首相が誕生した。ヒンドゥー主義を主張するBJPは、ヒンドゥー教を中心とする「強い大国インド」の建設を唱える。外資導入、経済成長、核兵器保有も認める。そして電力インフラ整備のため原発促進の立場であり、欧米や日本からの原発輸出に大いに期待する。さらに1月のオバマ米大統領の訪印時の首脳会談では、原子力協力についての「画期的進展」があったとされる。今後は、CSC条約発効後に「インド原賠法」の骨抜きをはかり、そしてCSC条約加盟へ進むであろう。インドの反原発団体は、「インド原賠法を守れ!」とのスローガンを掲げている。日本の加盟による条約の発効が、「インド原賠法」改悪の助力となることは忘れてはならない。

◆◆ <四>

 2014年秋の臨時国会(第一八七回国会)では11月19日、CSC条約の締結を承認し、関連国内2法の改正も成立した。衆議院解散の直前に実質審理ゼロの討議もないまま、CSC条約への加盟、すなわち発効条件を整わせた。CSC条約発効における日本の責任は、重大である。
 CSC条約は、原発輸出推進策であり、「日本による原発輸出」の野望を照らした。世界最大のフクイチ事故を発生させ、収束の見通しもない日本が、進むべき道ではない。今を生きる同時代人としての責任であり、原発輸出は不正義かつ倫理に反する。私たちは、地球を汚し人命を傷つける事故を引き起こす原発輸出を認めてはならない。
 インドの反原発運動では「日本は原発を売るな!」がスローガンとなっている。私たちは声を高め、原発再稼働と原発輸出反対を市民の力により実現することが必要である。さらにインド、ベトナム、トルコ、インドネシアなど多くの民衆と連帯し、多彩な運動を展開する必要がある。
 「日本は原発を売るな!」

 (筆者はインド問題研究者)


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