日本・インド蜜月の背後に横たわるブラック

【コラム】宗教・民族から見た同時代世界

日本・インド蜜月の背後に横たわるブラック

荒木 重雄


  昨年末にインドを訪れた安倍首相は、モディ首相との首脳会談で、日印原子力協定の締結に「原則合意」し、また、ムンバイ・アーメダバード間高速鉄道への新幹線システムの導入など、ODA供与による幅広いインフラ整備に合意した。
 唯一の被爆国として核軍縮・不拡散外交をすすめる立場の日本が、NPT(核不拡散条約)加盟を拒みながら核兵器を保有するインドに原発施設や技術を輸出していいのかと問われている原子力協定の「原則合意」じたい問題だが、加えて、防衛装備品・技術の移転や、軍事秘密保持の協定、さらに、米印マラーバル訓練への自衛隊の定期参加なども合意された。

 安倍・モディ両首相が並んでガンジス川に向かって合掌する訪印時の写真が示すように、このところ、日印の「きな臭い」蜜月ぶりが際立っている。それでは、パートナーとなるインド人民党(BJP)モディ政権とはどのような政権なのか。インドの政治状況の中で見ておきたい。

◆◆ ヒンドゥー主義団体から派生

 インドには独立以前から、民族奉仕団(RSS)と称する、侮れない勢力をもって強硬路線を展開するヒンドゥー至上主義団体がある。この団体は聖職者中心の世界ヒンドゥー協会(VHP)、血の気の多い若者を集めたバジラング・ダル(ハヌマーン軍団)など多くのヒンドゥー主義団体を束ねるが、その政治部門として1980年に設立されたのが、インド人民党である。

 8割近いヒンドゥー教徒の他にイスラム教徒をはじめ多様な少数派を抱えるインドでは、セキュラリズム(政教分離、宗教的融和主義)と「少数者への配慮」を独立以来の国是としてきたが、その理念と真っ向対立する「ヒンドゥーこそ至高」「多数派ヒンドゥーの力で強力な国家を」と唱えて登場したインド人民党は、しかし、その極端な主張から、当初は、政治の主流にはなりえない政党とみなされ、事実、84年の選挙では下院公選議席543のうち、僅か2議席を獲得したのみであった。
 だが、この政党が一挙に党勢を拡大したのがアヨーディヤ事件であった。

◆◆ 騒乱を仕組んで党勢拡大

 アヨーディヤ事件とはなにか。
 北インドのアヨーディヤという町は、古代叙事詩『ラーマーヤナ』の主人公ラーマ王子(ヒンドゥー教の主神の一つヴィシュヌ神の化身)の誕生の地とされるが、そこに16世紀に建立されたバーブリ・マスジッドとよばれるイスラムのモスク(礼拝堂)があった。これに対して、「ここはヒンドゥー教の聖地だからそのモスクを毀してラーマを祀るヒンドゥー寺院を建てよう」という無謀なキャンペーンを、インド人民党を含む、民族奉仕団とその傘下のヒンドゥー至上主義派が展開したのである。

 90年秋、ヒンドゥー至上主義派は数万人の支持者をアヨーディヤに動員し、モスク破壊を企む。だが、治安部隊に阻まれ、衝突して怪我人がでた。一旦、流血の騒ぎなどが起こるとすっかり興奮するのがインドの大衆のつねである。ヒンドゥー対ムスリムの宗教暴動が全国に亙って起こり、数万人の死傷者がでた。この騒乱と興奮をヒンドゥー教徒の結集に結びつけて、インド人民党は、翌91年の選挙で119議席を獲得し、政党としての地位を確立する。

 これに味をしめたヒンドゥー至上主義派は92年に再びモスク破壊の大動員を図り、ついにモスクを破壊した。再び宗教暴動が全国に広がり、前回に増す犠牲者をうんだ。宗教暴動とはいえ内実は、多数派ヒンドゥーによる少数派イスラム教徒への一方的な攻撃、暴行である。これが効を奏して、インド人民党は次の選挙では162議席を得て第一党にのし上がる。

 社会の閉塞感や大衆の不満を巧みに利用したインド人民党は、98年、ついに同党主導の連立政権を立ち上げるに至った。

◆◆ 虐殺を止めなかった州首相

 政権を獲得したとはいえ、同党の得票率は25%、連立諸政党を合わせても37%。安定政権にはほど遠かった。そこで仕組んだのが政権獲得直後の核爆発実験であった。国際社会の非難を浴びながらも、これにより、国内では92%という驚異的な支持を得た。

 支持拡大の次なるイベントが2002年のグジャラート州における宗教暴動であった。モスク破壊後も列車を仕立ててアヨーディヤへ通うヒンドゥー主義活動家と沿線イスラム住民との衝突をきっかけに、グジャラート州の各地でヒンドゥー大衆によるイスラム住民への攻撃がはじまり、暴行、略奪、放火で一説では3千人を超えるイスラム住民が犠牲になった。
 問題は、国内外からの非難にもかかわらず、このような異常事態が3月から5月に亙る2か月間以上も続いていたことである。手を拱いてというより、これをヒンドゥー教徒結集の好機と捉えたインド人民党州政府の意図的な黙認と見るのが、当時、インド知識層の多くが共有する見解であった。その当時からのグジャラート州首相が、他ならぬ、民族奉仕団幹部出身のナレンドラ・モディ現首相である。

◆◆ 経済発展か社会の混迷か

 慢性的な汚職とばらまき政治で経済低迷に悩むインドで、グジャラート州首相であったモディ氏は、インフラ整備に辣腕を振るってインドではじめて「停電のない州」を実現し、海外からを含む企業誘致で州経済を10年連続二ケタ成長させたとされ、そのモディ流の開発と政策実行力への期待が、一昨年4、5月の総選挙で、インド人民党に地滑り的な勝利をもたらし、一旦、野に下っていた同党を10年ぶりに中央政権に返り咲かせることとなった。

 しかし、政権発足以降、擁護者を得たヒンドゥー至上主義者の活動が過激化し、イスラム教徒に対して改宗を強要する運動や、キリスト教会への襲撃、はてはヒンドゥー教が神聖視する牛を食べたと疑われたイスラム教徒が集団暴行を受けて殺害される事件などが頻発し、宗教間の対立感情が急速に高まっている。

 インドを代表する映画スターであるがイスラム教徒のアミール・カーン氏が、危機感を抱いて「国を離れる」ことをほのめかしたところ、ヒンドゥー主義政党活動家が宿泊先のホテルに押しかけて街宣をかけるなど、酷いバッシングを受けたと聞くが、国民が期待する経済発展が順調にすすまないとき、求心力を保つため、再び国内の少数派や隣国に排他主義の矛先を向けることにならないか、これまでのこの政党の所業を考えるとき、懸念は故なしとしないのである。

◆◆ 世界と日本に再現する90年代インド

 インド人民党が台頭した1990年代の同党の戦術・戦略は、宗教や民族を表に立てて大衆心理を操るポピュリズム(大衆迎合/扇動)政治の危険性を典型的に示したものだが、当時、筆者は、その背景を次の4点で分析していた。

 まず一つは、インドでは80年代の中頃から不安定な政局が続いて経済も低迷しがちであった。そこで国民は、少々強引であっても強力な政府が確固としたリーダーシップで政治を進め、経済政策を実行してほしいと考えるようになったこと。乱暴にふるまうインド人民党がかえって頼もしく見えてしまったのである。

 次に貧富の格差の拡大である。インドは91年に経済の自由化(市場経済化)に踏み出したが、それに伴う貧富の格差の拡大で、広範な大衆が一層の貧困感を噛みしめることになり、その鬱積した不満の感情が、なにか、世の中をひっくり返すような劇的な変化や刺激を政治に期待したこと。

 三番目に、インドの国際的地位の低下である。インダス文明以来の「輝かしい文明」は措くとしても、独立後のインドは、アジアでいち早く高い工業発展を実現し、東西冷戦の中で非同盟諸国のリーダーとして大きな国際的発言力をもってきた。ところが、冷戦終結後はすっかり影響力を失い、経済的にも中国やASEAN諸国に後れをとっている。自尊心の強いインド知識人にこれは我慢できない。インドの威光や自信を回復するためにも強力な政府がほしい。

 もう一つが、グローバリゼイション下での民族的アイデンティティ回復への欲求である。グローバリゼイションとはおおよそ、市場経済化に導かれた米国モデルの制度や価値観による世界の一元化と要約できようが、市場競争での勝ち組にはこれは歓迎されても、負け組は、自分たちを支えてくれる別な拠り所、グローバリゼイションに心情的に対抗する別な拠り所を求めたくなる。それは手近には民族や宗教であり、インド国民の多くにとっては、ヒンドゥーであった。

 さて、上の4点のことは、胸に手をあてれば、日本のわたしたち自身の社会でも思い当たることではないか。安倍政権への支持然り。米国のトランプ人気然り。1990年代のインドの状況は、現在の世界全体と日本が共有しはじめていることなのである。景気が低迷するなかで失業や非正規低賃金就労が増え、格差は拡大し、将来への希望や自信が失われ、鬱屈した不満や閉塞感がはけ口を求めて偏った民族主義や外国人排斥に向かいつつある・・・・。このような時代、ことさら「愛国心」を強調するような政治家や政党は最も要注意であり、強力なリーダーシップや強い者への自己同一化を求めるようなわたしたち自身の心情にも警戒の目を向ける必要がありそうだ。

 じつを言えば、このインド人民党の台頭のような状況に対する危機感が、筆者がこのコラム「宗教・民族から見た同時代世界」に込める思いである。

 (筆者は元桜美林大学教授・オルタ編集委員)


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